第13話 キティが大変!

 馬に乗ってずっと進んでゆくと、丘の上にフワフワとした白い塊が見えた。メエ、メエとしゃがれた鳴き声。木の杖をもった少年。羊飼いと羊たちだ。


 馬車が遠くから走ってきた。やがて羊たちの前で止まる。羊が道をふさいだせいで、立ち往生してしまったのだ。しびれを切らした貴婦人が日傘をつかんで馬車を降りてきた。


 黄色のドレス、髪の毛に編みこんだ赤い薔薇の花とかすみ草。ニコニコしてこちらに向かってくる。


「まあクリステン!ひどい格好ね。まるで羊飼いみたい。チェスターに追い出されたの?」


 たしかに私はひどい格好をしていた。皮膚は日焼けで赤くすりむけていたし、ドレスは道端でぼろぼろにしてしまった。


 だが、ジョージアナは優しかった。いきなり押しかけてきた私たちに衣食を与え、好きなだけ泊まっていったらいい、と言ってくれたのだ。


「もちろんこの屋敷だって私のものじゃないけどね。でも、夫は気にしないはずよ。あんまりに屋敷が広いんですもの」


 夜、ジョージアナは私の寝室にやってきて言った。

 彼女は数年前に大金持ちの伯爵と結婚したのだ。かなり年上の相手らしい。


 夕食には子牛の丸焼きが出た。見た目は面白いが、食べてみるとそう美味しくない代物だ。


 おまけに演奏つきだった。リュートを手に持った吟遊詩人が歌っている。


遠い過去のあなた

いつかどこかの街角で

雪の降る夜の酒場で

港の近くの市場で

あなたとすれ違った

もう二度と会えない

いとしいあなた


 もの悲しい歌だ。なつかしい気持ちになって思わず微笑む。優しい声だった。



 ジョージアナと私はあくる日、貧しい村人たちのために村をまわった。痩せ細った病人たちや子だくさん、貧乏の家族、不衛生な住宅、熱を出して泣き止まない赤ん坊。見るからにひどい状態だ。


「あの人たちのために療養所をつくってあげたいわ。可哀想な子どもたち。あんなに痩せ細ってしまって」

 屋敷へと戻る馬車の中で言う。


「そうねえ。いつか作れたらいいわね」

 ジョージアナは上の空だ。


 私はあの人たちのことが放っておけなくなった。あのままでは死んでしまう。こんな暖かい日に食べ物の一つもないとは。


 ナターシャと宝石を売って、食糧を手に入れた。小麦粉があって、窯でパンを焼けるなら、飢えで死ぬこともない。



「そう言えば、あなたの妹、結婚したんですってね」

 ジョージアナが夕食の席で言った。


 血の気が引く。キティが結婚したなんて。あの青ひげ紳士と!


「それってまずいわ。結婚相手がどんな人か知ってる?殺人鬼なのよ!」

 私は思わず叫んだ。

 

 焦って泣き出しそうな私を、ジョージアナは唖然として見ていた。今すぐキティを連れ出さないといけない、と必死に訴えても、「大丈夫よ、きっと大丈夫になるから」と慰めてくれるだけだ。まるで頭がおかしくなった人を見るかのように。私はますます絶望へと追い詰められていった。 

 これじゃあ、らちが開かない。それとも、本当に私が狂人になったんだろうか?



 夜明けごろ。眠れずに寝室で歩き回っていると、廊下の方から声がしてきた。


「まるで別人みたいになってしまったんです。前のクリステンはあんなふうじゃありませんでした。村の病人を屋敷に連れて帰ろうとするんですもの。気が狂ったのかと思いましたわ。彼女の話ではデズモンド・ダンカレルから逃げるためにここに来たって……。でも本当の話かどうか」


 ジョージアナだった。


「伯爵夫人、僕がクリステンと話します。彼女は宮廷に連れて帰りましょう。すまない。僕が対処するべきだったのに」


 心臓がひっくり返るかと思った。エドワードだったのだ!


 でもどんな顔をして会ったらいいのやら。最後は喧嘩別れしてしまったし、婚約も解消する気でいた。彼は私のことを面倒に思っているだろう。それか、まだ怒っているかもしれない。


 扉が開いた。エドワードがこちらを見つめている。


「クリステン、何があったんだ?まさか気が狂ったわけじゃないだろう?」

 彼が質問した。


「キティよ。レオ・カーンリーに兄が売ったの。このままだと殺されちゃうわ……絶対に守るって約束したのに!」

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