第12話 アイザイヤの予言の書

 私たちは無一文だった。暗い森の中を巨大な馬をつれてさまよう。どこに向かっているのかもわからない。


「わからないことがあるんだけどね、どうしてチェスターが私を売ったのに気づいたの?」


 苦労して起こした焚き火の前で、私がたずねた。


「昔ながらの手法ですよ。立ち聞きしたんです」

 ナターシャが木の枝で火を突っつきながら言う。


 狼の遠吠えがきこえた。あたりは真っ暗だ。ふくろうの不気味な目がギョロッと光っている。


「立ち聞き。よくあることね」


 中途半端なことを言ってしまった。


「あら、そんな目で見ないでください。使用人にはよく起こることなんですよ。わざと聞こうとしたわけじゃありませんし」

 ナターシャが例の無愛想な顔に戻って言う。


「ナターシャ、わかってるわ。あなたのおかげで私はデズモンドの娼婦にならなくて済んだんだし。ねえ、デズモンドがなんて言ってたか、話してくれる?」


「お嬢さまのお望みなら」


 兄のチェスターは数年前からデズモンドに借金を重ねていた。チェスターはギャンブル好きだったし、分別もなく賭け事に挑むので、借金が莫大なものになるのは時間の問題だった。だが、デズモンドは催促することもなかったのだ。


 クリステンの父が死ぬと、デズモンドの態度は一変した。相続した遺産で膨れ上がった借金を今すぐ返せと言ってくるようになったのだ。あるいは借金を返すかわりに、取り引きをしてもいい。妹のクリステン・エスティアーナを引き渡したら、借金は返済したものとみなされる。


「でもどうして私なの?」


 自分がそんなに高額で取り引きされていたことがショックだった。キリストなんか、裏切り者のユダに銀貨30枚で売り渡されたっていうのに。


「お嬢さまは予言の書というものをご存知ですか。いにしえの時代にアイザイヤという賢人が後世に向けて書きのこした予言です。デズモンドはその予言の書の内容を恐れて、実現するのをさまたげようとしているのです」


 その威信いしんある予言の書は、実現することが多く、人々の間で広く信じられているらしい。デズモンドがチェスターに言って聞かせたのはその中の一つ、ペガサスと乙女の予言だ。


 銀色の髪、すみれ色の瞳の乙女、天馬ペガサスに乗って塔の上に現れ、王子を救い出す。その王子こそが、やがて悪を追い払い、正義をなす者。


 ひょっとしたら、その乙女ことって、私のことなのかもしれない。でも王子なんて辻褄つじつまがあわない。


「王子はエドワード様のことではありません。エドワード様の弟君、マーク様のことでしょう。数年前に失踪したんです」

 ナターシャが補足した。


「でも乙女って私のことなのね?デズモンドはそう考えてるのね?でも、それでもおかしいわ」


「いいえ、お嬢さま。デズモンド様は悪の権化ごんげのような方ですよ。マーク様が助かっては不都合なはずです。それに、お嬢さまだって、まだ誰とも関係をもったことはないのです」


 どうやら乙女とは、貞操についてどうこう説明しているものらしい。


「でもエドワードは私がデズモンドと寝たって……」

 

「いいえ、駆け落ちしようとしただけで寝ていませんよ。私はお嬢さまの侍女だからわかるのです」 

 ナターシャがきっぱりと断言した。

「ペガサスだけはどうとも言えませんけどね。あの、翼のはえた素晴らしい馬は、自分で選んだ者の前にしか現れないのですから」


 予言の書にも、たいした信憑性はないのかもしれない。アイザイヤじいさんの単なる妄想だったら?後世のバカ真面目な人をからかっているだけかもしれない。


「でも私、途方にくれちゃったわ。こんな暗い森で食べ物もお金も行く当てもないんですもの」

 あくびをしながら言った。


「宝石ならありますけどね」

 ナターシャはポケットからビロードの宝石箱を取り出して言う。

「明日は森をぬけたら、ジョージアナ・ハワード伯爵夫人のところに向かいますよ。お嬢さまの幼なじみの方です」


「まあナターシャ!あなたって救世主だわ。大好きよ!」

 そう言ってハグしようとしたけれど、ナターシャにギョッとして避けられてしまった。

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