第11話 妹の対価

 宮廷を離れる前に一悶着ひともんちゃくあった。ナターシャが離れたがらなかったのだ。


「エドワード様との婚約を破棄するなんて、賛成できませんね」

 ナターシャが私の髪をとかしながら言う。頭皮がはげてしまいそうな勢いだ。

「これ以上ないほど、よい条件ですよ。私みたいな小娘にもわかるんですもの。だいたいお嬢さまだって、そろそろ嫁き遅れの年齢としですよ」


「嫁き遅れ?ナターシャ、そんな厳しいこと言わないでよ。私まだ26だわ」

 慌てて反論する。


「26ですって?お嬢さまは19歳ですよ。26で未婚だなんて恐ろしい!」


 心にグサリときた。谷田りこは26歳で、未婚で、その上に婚約者に浮気された挙句、殺されかけて入院中なんだけど。


「結婚なら他の人とだってできるでしょ。ナターシャ、何が不満なの?ジミーのこと?」


 ナターシャは早口で不平不満をぶちまけながら、話をはぐらかす。


「あなたはここに残ることだってできるわ。だって、ナターシャにはもう十分お世話になったもの」


 私は侍女の人生を制限してしまうのがいやだったのだ。


奉公ほうこうをとくんですか!」

 ナターシャがくるっと向き直って叫ぶ。

「お嬢さまや奥様の無茶ぶりに我慢して、忠実にお仕えしたのに?寒い冬の朝にはお嬢さまのために、欠かさず暖炉の火を起こしていたのに?お嬢さまが熱を出した時は、夜も寝ずに看病したのに?」


 よかれと思った気遣いで、逆に怒らせてしまったようだ。



 クリステンの故郷に帰ると、屋敷はひどいありさまだった。庭園には泥酔した男が寝ているし、裸の娼婦が大広間で朝食なんか食べている。キティは娼婦や賭け事をしにやってきた男たちに怯えていた。


「お兄様、話があるんです」


 領主館に着くなり、チェスターの寝室に押しかけた。お昼時、兄は大の字になって寝ている。隣では連れ込んだ娼婦がモゾモゾと動いて、寝言を言っていた。


 まるで地獄絵図のような光景だ。娼婦も裸の兄も屋敷から追い出してしまいたかった。


「クリステン、帰ってきたのか。エドワードによろしく言っといてくれたか?」

 チェスターが充血した目でこちらを見上げて言う。


「お兄様、服を着てください。それにきちんと話すなら、他の場所のほうがいいでしょう?」

 赤毛の娼婦を見ながら言った。


「おい、お前、部屋から出ていくんだ」

 チェスターが赤毛の娘を乱暴にゆさぶって言う。


 娼婦は起き上がってショールをはおると、けだるげに部屋を出ていった。


「それで、話ってなんだ?」


 私はエドワードと婚約のことを話した。兄に婚約を取り消してもらいたかったのだ。


「そうか。まあいいだろう。エドワードはいけすかない奴だったしな。ただし、条件がある。領地の森の中で、俺と一緒にデズモンド・ダンカレルと会って話をするんだ」


 チェスターとデズモンドが知り合いだったとは。世間はせまい。


「なんの話を?」


「借金がかさんでてな。お前は交渉上手だろう?それに宮廷じゃデズモンドと親しいらしい。彼に口利きするんだ」



 デズモンドには二度と会いたくなかったけれど、それでエドワードとの愛のない結婚を避けられるのなら仕方ない。私は兄の条件をのんだ。


 森の中は鬱蒼うっそうとしていた。吸血鬼でも出そうな、黒々とした森である。あまりに暗いので、なんだか不安になってきた。


 兄の手を借りて馬車をおりると、デズモンドが待っていた。黒ずくめの服に、赤い目、ニヒルな笑みを浮かべている。


「連れてきたのか」

 デズモンドが兄にむかって言う。


「ああ、大切な妹だ。対価を忘れるなよ」

 そう言ってチェスターは私のそばを離れた。


 何かが起ころうとしている。致命的な、取り返しのつかないようなことが。

 チェスターが馬に乗り、私を乗せてきた馬車が走り出した。デズモンドが赤い目でこちらを見て、ゆっくりと、だが、確実に近づいてくる。


 暗い森の中。私とこの邪悪な男、それ以外に知る者はいない。兄は去った。助けはこないだろう。

 動悸がする。助けはこないのだ!


「デズモンド様」

 ゆっくりと後退りした。


 遠くに馬のひづめの音がする。それに少女の声。私の名前を呼んでいる。

 デズモンドはなにも気づいていなかった。これは助けを強く望むあまり起こった幻聴だろうか?


「お嬢さま!」


 いきなり、木の間から馬と少女が飛び出してきた。ナターシャだ。馬の上からこちらに手を伸ばしている。


「お嬢さま、早く後ろに乗ってください!さあ!」


 私はハッとして、馬に飛び乗った。馬に乗って疾走する。デズモンドの魔の手からのがれて、自由へと……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る