第5話 君を愛するつもりはない

 舞踏会の行われている大広間に戻ると、ナターシャが心配そうな顔をして飛んできた。私も今しがた起こった出来事に真っ青になっていたのだ。


 デズモンドのあの強引なキス。体の芯があつく、手先は氷のように冷たい。デズモンドの赤い瞳を思い出すと、頬がカッと熱くなった。彼の唇の感触を覚えていた。


「どうしたんです?」

 ナターシャが駆け寄ってきて小声でたずねる。


「庭に行ってたの。そうしたらデスモンドっていう男に迫られて、無理やりキスされたのよ。でももう大丈夫。ある方が来て止めてくださったから……」


 王と王妃の座る玉座の近くにさっきの金髪の青年が立っていた。国王夫妻と何か話している。


「あの人、さっき助けてくれた方よ。お礼も聞かないまま、どっかに行ってしまった……」

 

 ナターシャが意外そうな顔をした。

「あの方はエドワード様、王太子殿下です。お嬢さまの婚約者ですね」


「そうなの?さっき、なんにも話しかけてくれなかったわ」


 それでも助けてもらったのだから、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたかった。国王夫妻と話し終わるのを待って、彼に話しかけに行った。


 王太子のエドワードはハンサムだった。明るい金髪にブルーの瞳。日焼けした小麦色の肌。背が高く、肩幅はがっしりと広い。


 よかった。こんなに素敵な人と結婚できるなんて。おまけに騎士道精神まである人なのだ!


 彼は私がそばに来ると、驚いたような顔をした。それからすぐ苛立たしげに視線をそらして。

 周囲の者も、興味津々に二人を眺めていた。わざとらしくクスクス笑いをする女だっている。


「エドワード様、さっきは助けてくださってありがとうございました。突然のことで、途方にくれていたんです。あなたが来なかったら、どうなっていたことでしょう……」


「礼を言うには及ばない」

 エドワードはぶっきらぼうに言った。冷ややかな口調だ。

「君は僕の大切な婚約者だからね。でも無駄なことをしてしまったかもしれない。君はあのデズモンドと……。いいかい、クリステン。僕は君と結婚するのは義務からであって、何も君を愛してるからじゃない。それに今後君なんかを愛するつもりもない。わかったら、できるだけ僕に話しかけないでくれ」


 そう言って私の婚約者はどこかに行ってしまったのだ。周りの者は好奇の色を浮かべて、私の顔を見ている。


 ショックだった。それに失礼だ。あんな公の面前で恥をかかせるなんて。


 でもその晩、もっと最悪なことが起こった。王妃の取り計らいでエドワードと一緒に踊らなければならなくなったのだ。


 落ち込んでるところをボコボコにされて、水たまりに投げ捨てられた気分。


 いくら私の性格が悪くても、こんな扱いはひどい。


 エドワードはダンスの誘いに来た時、怒ったような顔をしていた。私は最高に惨めな気分で、やはり怒ったような顔をしていたはずだ。


 ワルツが始まった。彼の手を取り、向かい合う。私はなんとか仏頂面ぶっちょうづらに笑顔を浮かべた。ダンスをしている男女が怒った顔をして向かい合っているなんて物騒ぶっそうなことはない。


 腰に触れた手から、彼の温かいのが伝わってきた。胸の鼓動がはやまる。


「好きな音楽は?」

 エドワードがいきなり聞いてきた。


「『白鳥の湖』です、エドワード様」

 混乱した頭で答える。


 このよくわからないパラレルワールドには、チャイコフスキーも『白鳥の湖』も存在しないだろう。でもそんなことはどうでもいい。


 彼は話題作りのために無難な質問をしただけだ。エドワードと踊って唯一よかったのは、彼が私よりも背が高いことだった。



 パーティーがお開きになると、私はソフィア王妃の私室に呼び出された。


 ソフィア・デュヴァルは見るからに性格のキツい女だ。若い頃は美人だったのだろう。面影が見てとれた。唇はいつも真っ赤で、大きな緑の瞳は吊り上がっている。何事も自分の思い通りにしないと気が済まないタイプなのだろう。


「クリステン、私が息子のエドワードのことを大切に思っているのはわかっているでしょうね」

 ソフィアはこちらに向き直って言った。睨みつけるような目つきだ。

「私はあなたがこれまで自由にしていたことを知っています。多少ののスキャンダルを引き起こしたことがあるのも。

 それでも、息子にはあなたが必要なのです。あなたは国内で一番の持参金をもつ娘ですからね。でも覚えておきなさい。エドワードと結婚した後には、あなたの好き勝手はさせません」


 ますます最悪だ。あのエドワードに、鬼のような姑がついてくるなんて。


 愛はないが、金だけがある政略結婚ということなんだ。


 泣きたい気分だった。

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