第6話 キティからの手紙

 朝がきた。鳥の鳴き声が聴こえる。どこかからかリュートの音も。優雅な朝だ。


 ナターシャの姿も見当たらなかった。白い絹のネグリジェ姿のまま、テラスから庭先に出る。遠くにエドワードときれいな女の人が歩いているのが見えた。楽しそうだ。彼は優しい顔をしている。ほがらかな顔して、気の利いたことでも言ってるのだろう。

 

 胸がズキンと痛んだ。


「お嬢さま、手紙が届いてます」

 室内からナターシャの声がした。


「エドワードが女の人といたわ。きれいな金髪の女の人」

 手紙を受け取って言う。


「アメリア様ですよ。王女様です」

 ナターシャが教えてくれた。

「それで、手紙はなんて言ってるんです?」


「お母様からよ。今すぐに領地に帰ってくるように、ですって。何事かしら」


 あれほど王太子との婚姻をどうにかするように言ってたのに。



 自宅に戻る道も混乱したままだった。一体、クリステンは何をやらかしたんだろう?侍女にも婚約者にも嫌われているし、貴族のお嬢さんたちからは締め出しをくらっている。それにデズモンドとも何かあったみたい。ソフィア王妃の言いよう。スキャンダルとかなんとか。どう考えてもおかしい……


 こんなのずっと続けてはいられない。この状況がずっと続いたら、ストレスで胃潰瘍いかいようになって死んでしまうはずだ。なんとかしたかった。まずはクリステンの過去と秘密を暴かないと。



 領地に戻ると、クリステンの母メアリーが不審そうな顔をして館の中から出てきた。


「クリステン、戻ってくるなんてどうしたんですか?まさか宮廷を追い出されたんじゃないでしょうね?」

 母がものすごい形相で言った。


「いいえ、まさか、お母様。お母様から手紙が届いたんですもの」


 メアリーの形相に心臓がヒュッと浮くような不快な感覚を味わった。

 

 ナターシャが素早く手紙をメアリー・エスティアーナに差し出す。


「これはキティの出した手紙ですよ。あの子のSOSです」

 メアリーはそう言って厳しい顔をした。

「実を言うとね、キティは先日婚約したんですよ。レオ・カーンリーといういわくつきの男ですがね」


 未亡人はそこで言葉を切ると、ため息をついた。眉間に濃いシワが刻まれる。


「お父様が亡くなってからエスティアーナ家の当主はチェスターになったでしょう?チェスターは無茶苦茶なんです。私の言うことだって聞かないし。キティをカーンリーに売り飛ばそうっていう計画なんですよ」


 レオ・カーンリーには12人の前妻がいるらしい。しかもその全員がカーンリーと結婚してから半年足らずで死んでいた。彼の住む館には黒い噂がただよっている。その館に入った女は、生きて出ることはできない……


 ヘンリー8世も仰天してしまいそうな男だ。そいつのことは青ひげ紳士と呼んでやろう。


「まあ、でもそれって法的に許されるんですか?キティはまだ幼いでしょう?」


「明日で12歳になるから、チェスターの意志次第で結婚できますわ。チェスターったら、エスティアーナ家の体面ってものを考えたことがあるのかしら」

 メアリーが憤慨ふんがいして言った。


 結局、その日は領主館に泊まって、次の日に宮廷に帰ることになった。


 夜。月明かりがまぶしくて眠れなかった。


 ベッドを抜けて、バルコニーに出た。ナイチンゲールが美しい声でないている。涼やかな風が薄いネグリジェの生地をぬけていった。庭園の遠くに微かな噴水の音が聴こえる。


 完璧な、美しい夜だ。うっとりとした。唇に笑みが浮かぶ。


 下の方からすすり泣く声がきこえた。バルコニーから庭へと続く階段に、キティが腰かけて泣いている。銀髪は月明かりに輝いて、小さな肩が小刻みに震えていた。


「キティ?」

 名前を呼び、隣に腰かける。

「どうしたの、キティ?泣いてるのね」


「お兄様が結婚しろって言うのよ。ずっと年上の、奥さんが12人もいる人。私まだ11歳なのに」

 キティは泣きながら言った。


「ひどいお兄さんね。キティ、あなたが手紙を書いたのよね?」

 優しくきく。


「ええ、お姉さまに助けてほしかったの。だってお父様は死んでしまったし、お母様は私なんか愛してないもの。私、まだ結婚したくないわ。でもこんなこと言うなんて悪い子ね。いい子でいないといけないのに」


 キティが涙をこらえようとしている様子は痛ましかった。こんな小さな罪のない子を泣かせるなんて!


「キティ、あなたが結婚を嫌がるのは当然よ。だって知らない人だし、あなたは若すぎるもの。ねえキティ、私があなたを守ってあげる。レオ・カーンリーと結婚なんて私が許さないわ」


「本当に?」

 キティが潤んだ目をあげて、顔を輝かせる。


「本当よ」

 そう言って抱きしめた。


「ありがとう、お姉さま。もとの優しいお姉さまに戻ってくれたのね」


 また、クリステンの過去の断片について聞いた気がした。



 馬車の中、ナターシャはビロードの宝石箱を開けて、中身を確認している。長いパールの首飾りやルビー、エメラルドの指輪、なんでもあった。全部クリステンの持ち物らしい。


「キティさまを救いたいなら金貨にかわるものが必要ですからね」

 微笑んで言う。


 ナターシャの笑顔を初めて見た気がした。


「あのね、ナターシャ、聞きたいことがあるの。みんなどうして私のことを嫌っているのかしら。エドワードも舞踏会で会った女の子たちも無視を決め込んでいたでしょ。それにお母様は何か怒っているし。あなたはクリステンの侍女だったから知ってるはずよ。教えてちょうだい」


 ナターシャは気が重そうだった。言いあぐねている。

「お嬢様はデズモンド様とお知り合いになるまでは、とても良い方でした。美人で才気あふれる方で、周りも期待を寄せていましたからね。でもある夜会のことです。デズモンド様が現れて、お嬢様を誘惑しました。それからというもの、クリステン様は人が変わったようになられて、婚約者のエドワード様を公の場で侮辱したり、デズモンド様と駆け落ちをしようとなさったりしたのです。エドワード様だけでなく、お友達や使用人にもひどい態度でしたよ。お嬢様の名誉は地に落ち、周りの方の信頼と有情を失いました。駆け落ちなんて貴族の子女にはあってはならぬことです」


 やっと納得がいった。エドワードのあの態度は当然のことだったのだ。


 でもクリステンのしたことを、この私が、棚田りこがどうやって償えばいいのだろう?

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