僕も君も見える色
@Hayunbobo
僕も君も見える色
「だからね、ちーちゃんとは見える世界が違うのよ。」
お母さんからそう言われたとき、僕は少なからずショックだった。ちーちゃんは僕が生まれたときから家にいて、ずっと一緒に暮らしてきたお姉ちゃんみたいな存在だ。そんな彼女が自分と違う世界を見ているというのは、つまり、僕の世界感を共有できていないということで、少なからず悲しい。だって自分で言うのもなんだが僕はちーちゃんにかなり甘えていて、いろんなことを打ち明けていたし、理解してもらえているつもりでいた。
とはいえ、お母さんが言っていることもわかると言えばわかる。ちーちゃんは、人間じゃなくて猫だからだ。猫と人間では体の大きさも形もまるで違うし、目の機能が違うと言われればそうだろうなとは思う。
「ちーちゃんは、何色なら見えるの?あ、僕と同じにって意味ね。」
「赤を感じる細胞がないらしいから、青や黄色は同じように見えるかな?」
赤がわからない世界ってどういう世界だろう?周りを見渡して想像しようとしてみたけどよくわからない。でもたしかに、ちーちゃんは青い紐で遊ぶのがお気に入りだった。周りと比べてしっかり色が違って見えるから遊びやすかったのかもしれない。だけどそう考えると僕が「可愛いちーちゃんにぴったり!」と思って選んだピンク色の首輪はちーちゃんにはちっとも可愛くなかったのではないだろうか。というかピンクが可愛いっていうのからしてそもそもちーちゃんにはピンとこないのかもしれない。もっと言えば「可愛い」というのも伝わっているのかすらわかったもんじゃない。お母さんが話してたのは色のことだけなのに、今まで想像してたちーちゃんの気持ちのすべてが揺らいで、不安になってしまう。
「ごめんね、ちーちゃん。僕ちーちゃんのこと何もわかってなかったかも……」
膝に丸まったちーちゃんを撫でながらつぶやくと、ちーちゃんは尻尾の端を少しだけ動かして「んー」と鳴いた。優しい。可愛い。大好き。だからいっそう、ちーちゃんの気持ちがわからないことがふがいない。
「僕、猫に生まれたかったなぁ。」
「猫に生まれたからって全部わかるもんじゃないでしょ。」
「そう?」
「体が別なんだから何かしらは違うよ、猫同士でも、人間同士でも。」
お母さんはぴしゃりとそう言って、ぱたぱたと二階に行ってしまった。わかったようなわからないような感じだ。お母さんの言葉は本当なのかもしれないけれど、それであきらめてしまったら誰ともわかりあえない。そんなのって寂しすぎないか?と思う。
一晩寝てももやもやは晴れなかった。頭の中はちーちゃんのことでいっぱいだ。大好きなちーちゃん。でも僕にはちーちゃんが何を考えているのか、これっぽっちもわからない。いや、わかっていたつもりだったのだけれど、一気に自信がなくなってしまった。ごろごろ言ってたら、嬉しいのだと思ってた。でも本当にそうなのかな?そんなことを思い始めると、僕はちーちゃんに何をしてあげたらいいかよくわからなくなってきた。
ちーちゃんといるとどんどん悪い方に考えてしまうので、珍しく学校にいることがラクに感じた。普段学校は嫌いじゃないけど、やっぱり家でちーちゃんとごろごろするのが幸せだから、好きではない。そんな僕が、なんて変わりようだろう。お母さんのたった一言でこんなに世界が変わるなんて思わなかった。
「ごめん、ちょっと赤鉛筆貸してくれない?」
隣の席の水野さんから急に話しかけられて、僕ははっと顔を上げた。全然集中してなかったけど、今は国語の時間で、漢字の小テストを隣同士で交換して丸付けしているタイミングだった。
「え、ああ、どうぞ。」
僕はまだ全然丸付けに手をつけていなかったので、筆箱を開けて差し出した。赤鉛筆は長いのと短いのが2本入ってるから好きな方をとってくれればいい。
「あ……」
水口さんの指先が少し引いて、戸惑ってるのがわかった。長いのと短いのとで迷ってる感じじゃない。全部の鉛筆をしっかり見て、最終的に選んだのは長い方の赤鉛筆だったけど、なんとなく変な感じがした。
もしかして、と思ったけど、口に出す暇も、勇気もなかった。水野さんとは今年同じクラスになったばかりであんまり仲良くはない。それに、僕が今すべきことは短い赤鉛筆をとって丸付けを済ませることだ。
「あのさー、人間でも見える色が違うことってあるの?」
僕は帰るなり、お母さんに聞いた。水野さんとはあのあと赤鉛筆を返してもらってから少し話をしたけれど、大したことない話ばかりで、聞きたかったことは聞けないまんまだった。
「ああ、シキカクイジョウね。」
お母さんは小学生の僕に対しても容赦なく難しい言葉を使う。でも大抵このあとに簡単に説明しなおしてくれるので、僕はじっとそれを待った。
「人間の目は赤、青、緑が見分けられるんだけど、赤を感じる細胞とか緑を感じる細胞とかが働きにくくて、色の見分けがつきにくい人がいるんだよ。」
「それって猫と一緒ってこと?」
「赤ならね。まあ程度は人によるみたいだからもともと赤を感じる細胞がない猫とはちょっと違うかも……」
お母さんはぶつぶつ難しいことを言い続けていたけど、僕の耳にはもう入らなかった。猫と同じ見え方の人がいる。しかもすごく近くに!嬉しくてしょうがなかった。だって、猫は話せないけど、人間なら話せる。世界がどんな風に見えるのか聞くことができる。水野さんはちーちゃんの世界に近づく大きな希望だ。
その次の日の昼休み、勇気を出して僕は水野さんに話しかけた。
「ねぇ、こないだの赤鉛筆のときに思ったんだけどさ、水野さんってもしかして、赤が見えにくかったりする?」
水野さんは一瞬かなりびっくりした顔をしたけど、すぐに表情を戻して小さな声で答えた。
「うん……まあ、そんな感じ。」
「やっぱりそうなんだ!いいなぁ!!!」
僕は嬉しくて仕方がなかった。そしてそれがそのまま、言葉に出てしまった。こうなってしまうともう相手の表情何てお構いなしになってしまうのは僕の悪い癖だ。いつもお母さんに「話す前に少し考えなさい」と言われているのに。
「それって猫とおんなじなんだって!ねぇ、どんな風に見えるの?ピンク色ってどんな……」
僕が言葉を口に出すたび水野さんの顔が曇っていく。僕もさすがにここまで言って、やばいかも、と気づいた。でも遅かった。がたん、と大きな音を立てて、水野さんが立ち上がる。
「あ、ごめ……」
とはいえ、何に対して謝ってるのかはよくわかっていない。でもしゃべりすぎたのはよくなかった気がする。
「あの……僕……」
水野さんは僕と目を合わせない。周りがざわざわしだした。何か言わなきゃと思うのに、さっきまでの自分のしゃべりっぷりが嘘みたいに喉がきゅうっとつまっている。
「えー何?けんか?」
誰かわからないけど女子の声が響いて、教室がしんとなった。
「トイレ……」
静かにつぶやいて水野さんは足早に教室を出ていく。
「ぼ、ぼくも!」
と慌てて追いかけたのは、謝りたい気持ちとその場に残るなんて勘弁という気持ち半分半分だ。
あのあと僕はホントにトイレに行った。でも水野さんはいなかった。まあ実際、あんな雰囲気になったあとに横並びで用を足しても何も解決する気がしないので、会えなくてよかった気もする。
幸い昼休みのあとはクラスのみんなも何事もなかったみたいになっていた。水野さんは一言も口をきいてくることはなかったけど、それもそんなにいつもとは違わなかった。なんせ、僕たちは4月に知り合ってからまだ2か月しか経っていない、ただの「隣の席になった同級生」なのだ。
冷静になればなるほど「やらかした」という気持ちが襲ってきた。宿題をしようと思ってGIGA端末を出すけど、何となく思い立って検索画面を開く。
「えっと……シキカクイジョウだっけ……?」
僕は多分、水野さんを傷つけてしまったのだ。でも何がどう悪かったのかは正直今でもよくわかっていない。テンションがうざかったというだけではなかったように思う。猫と同じ見え方、というのは僕にとってはただただうらやましいけど、嫌だったのだろうか?水野さんは犬派ってこと?でも犬も同じ見え方ってお母さん言ってたし……そんなことをぐるぐる考えながら入力し、ひらがなのままエンターキーを押す。
色覚異常、と出た。「異常」という言葉にびくっとしてしまった。お母さんが言っていた「見え方が違う」とは全然違う強い言葉。だって普通じゃないって意味だ。見え方の一つ、じゃなくてそんな風に言われていることにまずびっくりして、早速、水野さんの表情の意味が少しわかった気がした。
水野さんはたぶん、隠していたのだ。だって赤鉛筆のときだって何も言わなかった。隠していたのにバレたから驚いていた顔をしていたんだろう。なのに僕ときたら声も抑えずにわあわあ質問責めだ。嫌われる要素しかない。
自分の行動が恥ずかしくて泣きそうになりながらいろんなページをクリックし、読み漁った。読めば読むほど、僕が今みている世界は僕みたいな「普通」の見え方にだけ寄り添っていたのだと気づいてぞっとする。
信号も赤と緑。大事なところは赤字赤線。売り切れランプは全部赤。人間が作ったものじゃなくても、肉が焼けたかわからないとか天気がよくわからないとか、困りごとだらけだ。それなのに僕は。
「いいなぁ、って言っちゃった……」
色覚異常の人の見え方、としてのっていた写真は全部ちょっとくすんで茶色っぽくて、青いものだけが鮮やかだった。それは前にお母さんが見せてくれた猫の見る世界にとっても似てたけど、今はもう、うらやましいとは思えなかった。
次の日、僕は水野さんに手紙を書いた。手紙を入れた空色の封筒は昨夜お母さんがくれた。怒られるかもしれないと思ったからお母さんには言わないようにしてたんだけど、わかりやすく落ち込んでたら声をかけられて、あっさり話してしまった。たとえ怒られても、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
お母さんは少し眉をしかめたけど、結局怒らずに「使っていいよ」と空色のレターセットを差し出してくれた。空色。多分、水野さんが見つけやすい色。昨日話したときはそんなこと全然考えてなかった。
手紙には、なんか、いろいろ書いた。色覚異常の大変さを全然知らなかったこと、猫の視界に憧れていたこと、猫が大好きなこと、あとはとにかく「うるさくしてごめんなさい」って何度も。我ながらまとまりがなかったけど、書き直してもまとまる気がしなかったのでそのまま封をして、学校に持ってきた。
面と向かって渡すのは怖かったので、引き出しにそっといれておくと水野さんが授業中に読みだしてしまってびっくりした。水野さん、意外と大胆なんだな。幸い僕たちは一番後ろの席だったから誰にもバレてなさそうだったけど、便箋をめくる音がするたびに心臓がちぎれそうだった。
で、今。
昼休みになるなり「トイレいかない?」と水野さんに連れ出された僕は全然トイレじゃないところにいる。無言でずんずん先を行く水野さんについてやってきたのは来たことない場所だった。場所で言うと、給食室の裏あたりだと思う。とにかくうるさい小学校のお昼休みで、こんな静かな場所があるのは知らなかった。
「こんなに静かなとこあるんだねー。」
僕は緊張のあまり思ったことがそのまま口に出てしまっている。しかも、棒読みで。
「……別に、怒ってないから大丈夫だよ。」
「そ、そうなんだ!よかった!!」
正直、こんな人気のないところに連れてこられて、ボコボコにされてしまうのかなと思っていたのだ。水野さんは僕の慌てっぷりを見て少し笑っていて、とてもほっとした。
「手紙はびっくりしたし、ちょっといらっとしたけど。」
「え、ご、ごめん。」
「いや内容じゃなくて、普通にラブレターって思うだろ、あんな入れ方。」
せっかくモテたって思ったのに、とぶつくさいう海野さんは、いつもの彼とは全然違っていた。ていうかそもそも「いつも」がわかるほど知らないのだけれども。
「何書いてあるか楽しみにしてたのに、開けたら猫のことばっかり書いてあってわけわかんないし。」
「ごめん……」
「でもまあ、俺が隠してたのも悪いし、いいよ。」
それから水野さんがぽつりぽつりと話してくれた。低学年の頃、健康調査票を見た先生が、目のことをクラスのみんなに言ってしまったのだそうだ。
『水野さんは目が悪くて色がわかりづらいからみんなで助けてあげましょう。』
悪気はなかったんだと思う、と水野さんは言う。でもそれからというもの、何かにつけてクラスのみんなに心配されるようになった。「大丈夫?」「見える?」「教えようか?」そんな言葉が毎日毎日積み重なって、しんどくなってしまったらしい。
「なんかさ、俺生まれたときからこうだから、これが普通なんだよね。たまに見にくいこともあるけど、信号は場所でわかるし、赤線だって線引いてあれば大事なんだなって思うしさ、昨日みたいに時間かかることはあるけど、微妙な違いはあるから俺なりに色はわかるんだ。」
「そうなんだ……!」
「でもそういうの、伝わらないんだよな。みんな、普通じゃないからかわいそうってなる。いくら大丈夫だよ、俺にとっては普通だよっていっても、助けてあげるってなる。」
色覚異常、という言葉を思い出していた。最初に見たとき「異常」という言葉に僕はなんだかショックを受けた。そんなに切り離さなくていいじゃん、って思ったのだ。
「だから隠しちゃった。苦手なのはホントなのに、なんか変な感じにしてごめんな。」
なんか言わなきゃ、と思った。だって僕も「異常」が悲しいと思えたのだ。
「あ、あのさ。」
「何?」
「僕、左利きなんだよね。」
「うん……知ってる。」
「左利きってさ、不便なんだよ。はさみもグローブもそれ用じゃないと使えないし、ドアノブとかも全部反対で、開けにくい。」
世界は、普通に、大多数に、合わせてできてる。
それを、僕も知ってた。大多数じゃないから「異常」って見られる世界を。
「でも不便だけど、なんか、『そういうもん』じゃん。」
「『そういうもん』。」
ぷぷっと、水野さんは噴き出す。なんとなく嬉しかった。伝わったんだろうか。でもとにかく笑ってもらえてよかった。
「猫も、色見えないからってかわいそうじゃないし。」
「まだそれ言うんだ?」
「ふつう、って言ってる人間もみんな同じとは限らないし。」
「そうかも。なんか男と女では見える色の数全然違うってなんかで見た。」
「そうなの?!」
それから僕たちはいろんなおしゃべりをした。水野さんは思ったよりおしゃべりで、だいぶチャラくてびっくりした。目のことを隠すためだけにあそこまでおとなしくしていたのかと思うと、かなり気の毒だ。
「そういえばさ、水野さんの服、ピンクのやつ多いけど好きなの?」
たとえばこの質問に「え、そう?わかってなかった!」って言われても笑い話にできるくらいには、僕たちは打ち解けていた。たった30分なのに。
だけど、水野さんの返事は思ってたのとはちょっと違った。
「ピンクが好き、ていうのは違う気がするけど、なんか似合うって言われるから、まあ好きかな。よく選ぶ。」
僕は「色覚異常の人が見る色」の画像を思い出していた。水野さんが来ている薄いピンクのTシャツは多分彼の目には灰色に見えているはずだ。でも確かに、水野さんの黒髪、やせ型、釣り目というきついイメージをピンクがやわらげてくれている気がする。
「似合うから好きかぁ。」
そういった直後にチャイムがなって、慌てて僕らは教室に戻った。急に現実に引き戻されたみたいな感じがしたけど、そのあとの授業でも水野さんは僕にちょっかい出してきたりしてきてくれたので、安心した。あの時間は夢じゃなくて、ちゃんと続いている。
帰ってきたら珍しく、ちーちゃんが出迎えてくれた。
無事仲良くなれたとはいえ、緊張した時間も長かったので、ちーちゃんを見るやいなや急に体の力が抜けてしゃがみ込んでしまう。ちーちゃんはそんな僕の腕にすりすりしてきてくれた。可愛い。
「ちーちゃんちーちゃん。かわいいよう。ピンクのおリボンつけて猫の国のお姫さまみたい。」
僕の名誉のために言うと、これはお母さんが言い始めたことで、僕も含め、家族みんながちーちゃんを見るたび言っている。ちーちゃんはそれくらい可愛いのだ。僕がプレゼントしたピンクのリボン型の首輪も世界一似合ってる。
「あ……」
ふと、水野さんの言葉が頭に浮かんだ。『似合うって言われるから好き』。それってちーちゃんもそうなんじゃないだろうか?
首輪をプレゼントしたとき、家族みんな口々に言っていた。
「ちーちゃんはお姫さまだからピンクがぴったりね。」
首輪はシュシュタイプのやわらかいもので、ちーちゃんにだって外すことはできる。でもはずしていないし、ちーちゃんは毛づくろいのたびに首輪もびょーんと伸ばして自分のニオイをつけている。
ちーちゃんにとって、これは僕たちが見る可愛らしいピンクじゃなく、灰色みたいな色なんだろうけど、これだけ僕たちが可愛い可愛いと言っているだから、ちーちゃんにとっては可愛い色なのかもしれない。
僕はあいかわらず人間で、ちーちゃんの考えていることは全然わからないけれど、ちーちゃんが嫌なら怒ったり、逃げたりするだろう。そのときにごめんねって直せれば、ちーちゃんを不幸にはしないで済む。
色の見え方とか、言葉とか、人間同士だって同じのようで同じじゃないのを知った。
だから、人間でも猫でも、いっぱいすれ違って、そのたび知ろうとするしかないんだろうと思う。
中には、僕たちにとっての青みたいに同じように見えるものもあるかもしれない。でもそれはきっと本当にたまたまで、喜ぶべき奇跡みたいなものなんだ。
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