Seq. 8
あれからすぐにエリーは戻ってきた。
目がほんの少し赤くなっていることに気づいたけれど、何も言えなかった。
そのあとはピアスに誘われるがまま、いろんな屋台を回った。
おいしいものを食べるうちに、悩みは自然と忘れることができた。
「2人とも、今日はありがとう」
ピアスがお礼を言葉にする。
会場からヘカティアまで帰ってくるともう日が暮れていたので、家まで送らせてもらったところだ。
「ずっと前から思っていたんですが、ピアス先輩って大きな家に住んでますよね。お二人が同郷ってことは、一人暮らしですよね?」
「エリーちゃんがわたしの家に来たのって、初めてのはずなんだけどな……」
僕としてはもうそこに触れない方向でいきたい。
「ピアスは叔母さんの家でお世話になっているんだよ」
エリーの質問には僕から答える。
「ああ、なるほど。そうだったんですか」
納得するエリーを横目に、今度はピアスに問いかけた。
「遅くなったこと、おばさんに謝ったほうがいいかな?」
「ううん。今日は遅くなるって伝えておいたから大丈夫」
そっか、と言って僕はうなずいた。
「明日はどうしよう?」
ピアスが明日の予定を尋ねてくる。
週末の休みは2日あるから明日も休みになっている。けれど、僕は特に用事があるわけではない。
「そうだね……何もなければ、湧能力の自主練がしたいかな」
思いついたままに答えた。
「あー。そういえば私、ピアス先輩の湧能力って見たことないです」
突然、エリーが言い出した。
「急にどうしたの?」
「いや、先輩が自主練している時って、ピアス先輩はほとんど見ているだけじゃないですか」
そう言われたピアスは頬に手を当てて考える素振りをした。
「そうだっけ? 学園ランク最下位だから大したことはないけど……見たい?」
いいの?
そう意味を込めて僕が見つめると、ピアスは目を細めて首を傾けた。
「学園ランク最下位の湧能力って言われると……。逆にちょっとだけ、気になります」
エリーが言った。
「わかった。それじゃ……」
ピアスが手のひらを空に向けて、前方に差し出す。
「いくよ……やあっ!」
掛け声とともに手の上でかすかな明かりが灯る。
「これがわたしの湧能力——『
「え……はい……」
今のエリーには開いた口がふさがらないという表現がぴったりだ。
「これはわたしの手のひらから小さな炎を出す力なんだ」
「見ればわかると思うよ、ピアス……」
そう言いながら僕はピアスの中で小さく揺れる灯火を見つめる。その光に、どことなく儚さを感じさせられた。
「どう? エリーちゃん?」
「はい、あ……いや、どうと聞かれましても……」
「誰が見ても、まぎれもなく『最弱』の力、そう思わないかな?」
それを口にしたピアスはやっぱり嬉しそうだった。
「ピアス、エリーが困っているから」
僕の言葉で小さな灯りが闇に溶ける。
「あっ、ごめんね。あんまり人に見せることがないから、はしゃいじゃった」
「い、いえ。見たいと言いだしたのは私なので……」
2人が頭を交互に下げる。それを何度も繰り返している。
さすがにらちが明かなそうなので僕が割って入った。
「もう遅いから、そろそろ家に入ったほうがいいよ」
「えっ、あ、そうだったね。それじゃエクシイ、また明日」
また明日、と返す前にピアスは家へ入ってしまった。
「エリーは――」
2人になったことを意識しないように、できる限り平静を心掛けて言う。
「どこまで送ろうか?」
「あ、私の家は駅の方向なので」
「えっ、そうだったの? それなら先に送ればよかったかな」
というか、なぜそうしなかったのかと自分に問いかける。
「どうせ駅まで戻る通り道ですし、先輩の部屋まで一緒についていきます」
「えっと――」
「話したいこともありますので」
「うん……」
◆◆◆
ピアスの家から僕の部屋までの道。エリーは黙って僕の2、3歩後ろをずっと歩いている。
「ねえ」
前を向いたまま話しかける。
「なんでしょう」
素っ気ない返事だ。
「いや、えっと」
思わず口ごもってしまう。
「そんなに気まずそうにしないでくださいよ」
「……エリーは違うんだ」
僕は何が気に食わなかったのかだろうか。冷たい言い方になってしまった。
それよりも、これでは気まずいのを肯定してしまっている。
「ごめん、何でもない」
慌てて取りつくろった。
「そうですね……不思議と気まずさっていうのは感じていません」
謝罪する僕を無視してエリーは語りだした。
「初めから、かなうだなんて思ってませんでしたし……」
「かなうって……?」
僕が聞き返す。
「だって先輩、ピアス先輩のこと好きすぎるじゃないですか」
急に鼓動が早くなる。
「別にっ、そんな……」
「わかりますよ。私がどれだけ先輩のこと見ていたと思っているですか」
確かに、エリー以上に説得力を持ってその言葉を口にできる人はいないだろう。
それなら僕は開き直るしかなかった。
「……だったらどうして、勝負なんて挑んできたの?」
勝負の前に聞いたことを、もう一度尋ねる。
「聞いちゃいますか、そういうこと」
小さなため息が聞こえた。
「まあ、話すって約束していた気もしますし……」
そこで後ろのエリーは言葉を止める。
ゆっくりと深呼吸してるのが息遣いでわかった。
「なんというか、何でしょうね……。諦めをつけたかった、そんな感じです」
僕はただ黙って耳を傾ける。
「先輩が本気で勝ちにくるなら、仕方ないんだなって思えますから」
エリーの声がどんどん小さくなっていく。
「それと、先輩が負けてくれることも、ちょっとくらいは期待していましたけど……」
最後の言葉は聞き取るのが難しいくらい、とても小さかった。
「……ごめん」
そんな言葉しか出てこない。
「謝らないでくださいよ」
普段のエリーを感じさせる明るい声だった。
「おかげで私、スッキリしましたから。わがままに付き合ってもらって、ありがとうございました」
エリーはそう言うと僕を追い越してく。
それから言葉を交わすことはなかった。
僕の前に見慣れない背中がある。それだけで歩きなれているはずの道が、初めて通ることのように感じてしまうのだった。
◆◆◆
「最後にいいですか?」
もうすぐ僕の部屋というところで、前を歩くエリーが足を止めた。
「うん、どうしたの?」
エリーは背中を向けたまま話し出す。
「先輩はどうして、ピアス先輩に気持ちを伝えないんですか?」
「どうして、と言われても……」
返答に困ってしまう。
「ピアス先輩だって先輩のことを想ってますよね。それがわからない先輩じゃないと思うんですが」
「そんなことないよ」
僕はキッパリと言った。
「おお、言い切りましたね」
勢いよくこちらを振り返ったエリーの目が丸くなっている。
「どうしてそう思うんですか?」
「それは……」
ピアスとずっと一緒にいた僕にしかわからないことだから伝えるのは難しい。
ただ強いて言うなら――。
「ピアスが僕を、対等な相手だと思っていないから、かな」
「最強と最弱だからってことですか?」
エリーは首を傾けている。
「まあ、そんな感じ」
これ以上は話したくないので適当に流す。
「幼馴染のカンってやつですか? そんなことないと思いますが……」
エリーは納得がいかないというようにこっちを見てくる。
それならば、と僕はある問いかけをする。
「ピアスの湧能力を見て、エリーはどう思った」
「えっ? 急になんですか」
エリーが怪訝な顔を向けてきた。
気にせずに返答をうながす。
「いいから、正直に言ってみて」
「はい……失礼ですけど……どうしてうちの学園にいるんだろうって」
とても申し訳なさそうにエリーは言う。
当然の答えだ。あの程度で入学を許されるほどベクマス学園は甘くない。
「うん、それじゃあ、どうして入学できたんだろう?」
「わからないです。湧能力の使い方が上手かった、とかですか? 私みたいに」
その答えに僕は首を横に振った。
「なら、なぜなんですか?」
エリーが正解を欲しがってくる。
「わからないんだ」
「はい?」
「わからない、それが答えだよ。僕がピアスに気持ちを伝えないのは」
まっすぐ目を見て言った。
「…………」
エリーは目を閉じている。
「…………」
僕もエリーも言葉を全く発しない。
「……わかりました。はい、先輩がヘタレだということがわかりました」
長い静寂のあとにエリーがそう言った。
あからさまに不機嫌になっている。
「そういうことじゃないんだよ……」
「もういいです。私帰りますね」
僕の弁明は全く相手にされず、エリーに背中を向けられる。
「さようならです、エクシイ先輩」
去り際の言葉が僕の胸を突き刺してくる。
「はぁ……」
深いため息が出た。
◆◆◆
ベッドに伏せって考える。
ヘタレ。エリーにそう言われてしまった。
「勝手なことを言ってくれるよ」
無理やり口に出してみても、怒りがこみ上げてくることはなかった。
心のどこかで肯定している自分がいるらしい。
――どうして先輩は、ピアス先輩に気持ちを伝えないんですか?
エリーの問いかけが繰り返される。
できる事なら僕だって、今すぐにでも伝えたいと思っている。
でもそれじゃあピアスを困らせてしまう。
――ピアスが僕を、対等な相手だと思っていないから、かな
さっき自分で口にした言葉がよみがえってきた。
そうだ。だから僕はベクマス学園へ来たんだ。
もっと強くなるために。
ピアスが認めてくれる僕になるために。
気がついた時には頭の中はピアスのことでいっぱいだった。
どうしてキミは、僕と一緒にベクマス学園へ来ることができたんだろう。
どうしてキミは、自分のことを「最弱」と呼ぶたびに嬉しそうにしてるんだろう。
どうしてキミは……。
いったいどうして――――。
「僕にウソをついたままなんだ」
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