旅人は龍の源を愛す

汐味ぽてち

第1話【出会い】

第1話:出会い

「あ、っ……あ、ぅっ……や、あんっ!」

 ぐちゅ、ずちゅ、と卑猥な水音が質素な部屋に艶やかに木霊する。

 部屋の中央に置かれた木製の大きなベッドの中心には、蠱惑的な肢体を揺らめかせる影が二つ重なり、窓から差す月の光がその影の正体をありありと照らしていた。

 日に焼けた小麦色の肌を持つ逞しい体格の男が、仰向けに横たわっている。その男の上にまたがり、真っ白で細く嫋やかな肢体をゆらゆらと上下に揺らすもう一方の男は、一言で言うなればまさに『神の遣い』と言っても過言ではない程までに艶やかで美しい人物だった。

 美しい青年は、自身と同じように美しく長い銀髪をサラサラと華奢な肩から流しながら、真っ赤に染まった端麗な容姿を快楽で歪ませている。

「アルっ……アルぅぅっ……やっ、たすけてっ……!」

あまやかな声で『アル』と呼ばれた男は、自身の股座付近で必死に細い腰を上下に揺する銀髪の青年のその艶やかな様子を、ただまじまじと見つめる他なかった。アルの雄の象徴であるそれは、今現在は目の前の銀髪の青年の胎内に入り、快楽を拾おうと必死に先端から蜜を溢している最中だったからだ。

 常人よりも太く長いアルの性器が、銀髪の青年の後肛にみっちりと収まっている。菊座の皺が伸びきってしまうほどにピッタリと吸い付いてくるその穴に精気を持っていかれないように、アルは必死になってこめかみに青筋を浮かべている。

 が、それももう限界に近かった。

「っイクッ……!」

 性器を直接的に暖かで柔らかな粘膜に包まれ、程よい締めつけで擦られてしまえば、精を放ちたいという欲望を止める事なぞもう無理な話であった。

「あっ……ああああっ……! お、なかっ……あついっ……!」

「ん、ぐっ……!」

 性器と後肛への刺激により、ついに二人一緒に果てた後、部屋の中は互いの荒い息遣いだけが木霊した。

 青年の奥へ奥へと放たれた己の精液の生暖かさが果てたばかりの性器を包み込む様が、妙に次の刺激を掻き立てる。

 絶頂に達した衝撃からベッドの上でグッタリと四肢を投げ出し、荒く息切れをしていたアルだったが、ふと自身の左手が白く冷たい手に包まれる。

 ほっそりとした白魚のような美しい手の主を見やれば、件の人物の顔はまだ赤みを帯びており、息遣いもどこか甘く、まるでまだ無限の快楽から解放されていないかのようにとろんとした惚けた表情を浮かべていた。

 長い銀の睫毛が、まるで月の光に照らされた絹糸のように美しい光を帯びる様に、無意識に唾を飲み込む。

 紫暗の瞳から溢れさせる涙の雫を拭う事すらせず、青年はただ一途にアルを見つめ続けた。

「からだ……おかしいっ……アル、アルっ! 抱き締めてっ……!」

「っ……!」

 潤んだアメジストのような瞳で、艶やかに色づく肢体で、彫刻のように整った顔がとろける様を見て、どうして理性を抑えられようか。

 気がつけばアルは、大きな両手で銀髪の青年の細く嫋やかな腰を鷲掴みにし、先ほどと同じ体位で再び滾った屹立の先を青年の桃色に色づいた後孔に吸い付かせる。

 くちゅり。

 アルの屹立の先端から滲み出た透明な体液が青年の菊座を濡らし、それを求めるかのように僅かに縁が伸縮したのを皮切りに、青年の胎内へとアルの凶悪なまでの大きさの性器が侵入した。

「ああっ……! つよ、いぃっ……!」

 あまりの挿入の勢いに、眼をチカチカと輝かせる銀髪の青年の口の端からは、透明な唾液がツーッと一筋伝う。

 それを砂漠の中のオアシスを求めるかのように獰猛な瞳で見つめるアルは、今現在どうしてこのような天使のように美しい青年とまぐわう事になったのかを頭の中だけで振り返った。

 (……まぁ、もうどうでもいいや……)

 考えようにも、セックスで馬鹿になってしまった思考回路では何も思い出す事が叶わない状況に、アルはどこか遠い眼をしながら目の前の艶やかな肢体を見つめる他なかったのであった――。


 

 時は少しばかり遡り、三日前の事。

 旅装束の衣装と、背中に携えた長年の相棒と化している大剣の重さにふうっとため息を溢しながら、アルは今しがた足を踏み入れたこの場をその切れ長の目でぐるりと見渡した。

 大木の葉や野原に生えている雑草が深々と緑を宿し、風に揺らめく自然の濃い匂いが辺りに充満する光景は、まさしく広大な地を作り上げた美しい自然そのもの。牧場のように広々とした草原の中には、藁や木の棒でできた小さな小屋が幾つか建っており、ここがとても小さな集落である事が見て取れた。

 その集落の少し先にある、中途半端に舗装された広い道には、古びた木材でできた屋台がずらりと並んでいる光景が広がっていた。アルが草原の集落を通りすぎてその道に足を踏み入れると、屋台の主人たちの活気ある声が木霊している様子が途端に視界に入る。

 皆、着ている服は古びて所々虫食いの穴が空いている様ではあるが、どこか楽しそうな雰囲気を纏わせながら商売をしている。貧困であろうと、皆それなりに仲良くやって来れているのだろうという事が見てとれた。

「旅のにいちゃん、いい果物が入っているよ!」「お兄さん、夜は冷えるよ。うちは民宿をやってるんだけど今晩どうだい?」と、行く人先々に多種多様の言葉をかけられつつも、アルはそれに一向に見向きもしないでただ前を歩き続けた。

 ふと視界に何かが入り、思わずよく目を凝らせば、賑やかな屋台通りの少し向こうに大きな屋敷のような建物が聳え建っているのが見える。他の貧相な作りの家とは違い、立派な木材でできた二階建てのその屋敷には、この小さな村を纏め上げている村長一族が住まう事はアルもよく知っていた。

 しかし、そんな自然の恵みや活気ある村人たちに気を止める余裕など今のアルにはない。今の彼の心の内を占めるのは、亡き愛する実の両親、その両親のかたきである存在、そしてかつてこの村で出会った、あの『少女』だけ――。

 頭の中をかつての記憶が覆い尽くそうとしてきた辺りで、アルは考えるのを止めた。

 後ろ向きな事ばかりを考えていたら、目の前にある己のすべき事を見失ってしまうかもしれない。

 広大な自然と豊かな心を持つ村人、それに馴染むように聳え建つ大きな屋敷を見やりながら、アルははぁっとため息をひとつ溢した。黒く染まりそうになる自身の心に直接言い聞かせるように、ぽそりと小さく呟く。

「……久しぶりの村だ……俺の故郷……」

 そう。この村はアルの――アルチュールの生まれ故郷であった。



 この小さな小さな国は、それよりも更に小さな村の集合体とそこに住まう人間や動植物、そしてその豊かな大地を守り続ける四体の守り神のご加護で代々富を築き上げてきた国なのだ。

 作物や水が豊かに溢れ、それを糧に人間や動物が平和に暮らせるのは、ひとえに守り神がその土地をいにしえより守り続けてきてくれたからなのである。

 雨が降らなくなれば、神の雨乞いで次の日からは滝のような雨が降る。土が枯れれば、神の息吹で途端にその土からは新しい葉が芽吹き始める。

 神は不思議な力で、その土地を助けてきた。

 守り神は主に、火・水・土・風の能力を司る者たちであり、それぞれが象徴としての龍の神身を携え、東西南北の地に住み着いている。

 彼ら四神がなぜこの国を守っているのか、そしていつから、どのように生まれてきたのか、その生命に寿命はあるのか、そんな事は本人たち以外の誰も知るよしがなかった。言い方は悪くなるが、まさに『得体の知れない化け物』というのが正解なのかもしれない。

 しかし、彼らがいなければ人間らはこんなにも平和な生活を歩む事はできなかったであろう。

 そのため、人間らは神への感謝を示すために、時折神の前に現れてはさまざまな供物を備えてこれからの繁栄を願ってきたのだ。

 そうやって、人間と神の双方は良い関係を築き上げてきた。

 そのような経緯で各地に散らばり国の繁栄に貢献してきた四神の内、水の神が偶然にもこの村にある森の奥底に古来から住み着いている。

 村人たちは毎年、水の神に供物を捧げるために様々な果物や酒、上質な肉や魚などを調達してはまるで宗教のように崇め奉る。

 この村で生まれ育ってきたアルも、幼い頃に両親に連れられてその儀式に参加させられた事があった。

 まだ幼く、ぼんやりとした記憶しか残っていないが、あの時遠目から見た神は、青く輝く鱗がまるで宝石のようで、とても神々しい成りをしていた事だけははっきりと覚えている。

 あの神様のために何かしたい。幼い少年の心は、大きな大きな龍の虜となってしまった。

 しかし、その憧れも後に跡形もなく崩れさる事となる。

 そう、あの時、龍は俺の――――。

「おにいさん、よかったら……っ! ひっ!」

「ぜってーブチ殺してやる……」

「……こ、わっ! 逃げよ逃げよ……」

 自身の長身と褐色肌の逞しい体格、男らしく凛々しい顔つきに惹かれながら、淫らな格好をした厚化粧の女が横からうっとりと話しかけてきているのには微塵も気づかず、アルはどこか遠くを射殺すような視線で見つめ、こめかみに青筋を立てながらひとり呟いた。

 その呟きは、地をも響かせてしまうのではないかという程に迫力があり、誰も近づくことは不可能だというような凄味を宿している。

 水商売の女が冷や汗をかきながらそそくさと退散していくのには最後まで気づく事なく、アルは怒りを滲ませた表情のまま屋台通りを荒い足踏みで歩いていくのであった。



 ふと、歩いている途中で何やらざわざわと人が集まっている所に出くわした。

 人が団子のように固まっているその中心部から、何やら喧騒の音が聞こえてくる。

 野次馬感覚でアルが人を掻き分けながら騒動の中心の目の前に立てば、そこには銀色の長い髪を持つ細身の男らしき人物が尻餅をついた体制で座っていた。

「おい男娼。テメェみてぇな薄汚い野うさぎがこんな所に来んじゃねーって、俺ぁ今までお前に何回言ったかねぇ?」

「ははっ! 所詮コイツは人間の底辺で、キョーヨー? がないんだからわかりゃしねぇって! 尻の穴いじって身体でわからせねーとな!」

「おいコラ女男、何か言ってみろよ」

 数人の若い男たちが、中心にいる人物に汚い言葉をかけながらゲラゲラと下品な笑い声を上げている。時折唾を飛ばしながら、黄色がかった歯をむき出しにして笑うその様から、「教養がねぇのはテメーらの方だろ」と、アルは顔を歪ませた。

 しかし、そんな下品な言葉には微塵の反応も見せず、中心にいる人物はゆったりと伏せていた顔を上げながら、まっすぐに若者たちを睨み付けた。

「……教養がないのは、アンタたちの方なんじゃないの?」

「っ!? テメェっ……!」

 先ほど自身が心の中で呟いた言葉をそのままその透き通るようなテノールの声で呟く人物の容姿に、アルは釘付けになった。

 さらさらの銀色に輝く長い髪、真珠のように艶やかで、毛穴ひとつも見当たらない真っ白な肌、アメジストのようにキラキラと輝く紫暗の瞳、それを縁取る長い絹のような銀色の睫毛、少女のように華奢で嫋やかな肩や腰。

 目の前にいる人物を一言で表すならば、『天使』と言っても過言ではない。

 それほどまでに、その人物は浮世離れした容姿を持つ絶世の美青年だったのだ。

 青年が身に纏っている服は、白く長い布をただ身体に巻き付けただけのような質素な作りになっているため、自然にできたスリットから覗く白い脚が何だか目に毒のようでめまいがしてくる。

 その足の艶かしさに気を取られないようにアルがスッと目線を外したその時、隣にいた小汚ない男が悔しそうに青年に向かって呟いた。

「……ずいぶんと生意気言ってくれるじゃあねーのよ。底辺の男娼さまには、男娼さまらしくメス堕ちするお仕置きを今からでもしてやろうかねぇ」

 そう言い終わるや否や、突如として若者たちがいっせいに青年に飛びかかった。

 突然襲いかかられたため、青年は思わず身体を硬直させてしまい、抵抗する間もなくあっさりと四肢をそれぞれの男たちに捕まれ、身動きをとれなくさせられてしまった。

 アルもまた、突然の事にぽかんと口を開けたまま硬直する。目の前で起こっている事に、理解が追い付かない。

 わらわらと集まる男たちの中で、一人の男が突然自身の履いていた穴あきだらけのズボンと下着を脱ぎ捨てた。そして未だ硬直する青年へとずかずかと歩み寄ると、何の脈拍もなくいきなり自身の露出した性器を青年の端整な顔にぐっと近づける。まだ触ってもいないのに、男の性器は興奮からかピキっと血管が浮き出ており、硬度を持たせ始めていた。

 男たちのその行為に何の意味があるのかを悟った青年は、拘束された身体はそのままに生意気そうに口角をあげ、余裕そうにふっと鼻で笑って見せる。

「はっ……そんな汚くて小指の先くらいしかないブツで、僕を満足させられるとでもお思いで? ずいぶんとまあ自信過剰な奴らなんだなぁ……」

 その言葉に、性器を露出させている男のこめかみの血管が切れる音がした。瞬間、男は青年の小さい顔を片手で易々と掴み上げ、更にその顔に自身の性器をぐっと近づけ始める。

 先ほどまで余裕そうであった青年の表情も、さすがに焦りの色を帯び始めた。

「テメェっ……! ブチ犯してその穴一生使えねぇようにしてやる!」

 男がそう怒りの声を上げた途端、突如としてその身体が突風とともに吹き飛んでいった。

 ドガシャーン!! と大きな音を立てながら、男が近くにあった屋台に身体を突っ込ませている光景を、若者たちはまるで夢でも見ているかのように見つめる他なかった。

 いきなり目の前にいたはずの人間が吹っ飛んでいってしまった事に、さすがの青年も驚きで口を半開きにしている。

 ふと、いの一番に復活したであろう一人の若者が、仲間を吹っ飛ばした犯人である人物に怒鳴り声を上げた。

「はっ!? 誰だテメェ!?」

 男を殴り付け、屋台にまで飛ばしてしまった犯人のアルは、その漆黒の瞳に怒りを滲ませながら拳をパキパキと鳴らす。

 そのあまりの凄味から、先ほどまで仲間を傷つけられ怒りに震えていた若者の身体から力が抜けていく。それほどまでに、彼の怒りの迫力は凄まじい物だった。

 アルは怒りでつり上がった瞳をそのままに、今度は挑発するかのように若者たちに向かってわざと飄々な口調で語りかけた。

「……数人がかりで一人を襲うなんて、ずいぶん弱っちぃ事すんだなぁ」

「はぁっ!?」

「群れないと何にもできないフニャチン雑魚どもがいっちょまえに吠えてんじゃねぇ。失せろ、野良犬」

「……この余所者野郎が!」

 その煽りを存分に含んだ挑発に、先ほどまで戦意喪失していた若者たちが怒りに震えながらいっせいにアルに殴りかかった。

 しかし、恵まれた体格に恵まれた腕力を携えているアルにとっては、若者たちの攻撃は子犬のじゃれつき程度にしか感じない。

 右から来た男の頬に真っ直ぐに拳を撃ち込み、左から来た男のみぞおちに膝を押し込み、背後から来た男には振り返って思い切り頭突きをかましてやれば、あっという間に若者たちは撃沈し、その場で踞り出した。

 残りの男たちも、仲間が次々とやられていく様を見せつけられて戦意喪失したのか。

 気絶した仲間たちを急いで背負いながら、そそくさと逃げていってしまった。あっという間に姿が見えなくなってしまったその様子に、アルは呆れ返りながらも、驚きで硬直している青年を地面から起こそうと手を差し伸べる。

「……大丈夫、……か……?」

「あ、うん。助けてくれてありがとう。正直、啖呵を切ったはいいけど凄く怖かったから……」

 アルが差し伸べてきた手を素直にとりながら、青年は照れたかのように白い頬をピンク色に染め上げて呟いた。

 紫暗の瞳を真っ直ぐにアルの漆黒の瞳に向け、「本当にありがとう」とニコッと花が咲き誇るような可憐な笑みを浮かべるその青年に、アルの心は完全に溶かされてしまった。

「……け」

「? け?」

「結婚してくださいっ!! 一目惚れしました!! 絶対幸せにするんで、俺の妻になってください!! そんで俺に毎日ここの郷土料理を作ってください!!」

 そう。アルは目の前の青年に一目惚れをしてしまったのだ。

 女性と見違ごう程に美しい容姿も、それに似合わず勇敢に輩どもに立ち向かおうとする強気な性格も、花のような艶やかな笑みも、何もかもがアルの好みに完全に合致した。

 アルは別に同性愛者ではない。男としての初めては数年前に旅先の娼婦に捧げ、その後も行く先々でいい雰囲気になった女たちは幾ばくかは存在した。しかしこの極上な姿形を見てしまえば、男同士だとかはこの際もうどうでもよくなってしまった。とにかくこの美しい人を、今すぐに自分の物にしたくて我慢が効きそうにない。

 青年の手を掴んでいた手はそのままに、急にガバリとその場で綺麗な直角のお辞儀をし出したアルに、青年は目を大きく見開きつつあたふたとするばかりだ。

「ええっ!? ちょっと君、急にどうしたの!?」

「好きです美人さんですねお綺麗です可愛いですね愛してます魅力が溢れすぎてダム決壊してますよ結婚式はどこで挙げますか家はこぢんまりしてた方が好きですかそれとも大きい家ですか動物はお好きですか俺は犬派なんですが猫やうさぎもいいですよね夜は何回戦くらいします俺は絶倫なので最低でも五回はしたいです痛いことは決してしませんどろどろに気持ちよくさせてあげます」

「ちょ、ストップ! 落ち着いて旅の人! そんな会って直ぐに言われても困るよ!」

 混乱する青年をよそにまたしても突如としてわけのわからない事を呟き出したアルが不気味で仕方がない。

 しかもこの愛の叫び呪詛を呟いている間、何とノンブレスである。無限の可能性を秘めた肺活量に、青年はただただ驚かされるばかりであった。

 慌てて愛の叫び呪詛を止めにかかった青年の声に、ようやくアルの意識が戻ってきた。困ったかのように眉尻を下げてこちらを見つめてくる青年に、アルはハッとした表情を浮かべ、申し訳なさそうに今度は軽く頭を下げる。

「それもそうですよね……すみません……」

 やっと落ち着きを取り戻したアルに青年がホッとしたのもつかの間、今度は辺り一面に大きく轟くくらいの音量で『グゴォォ~~』と呻くような音が響き渡った。

「えっ、次は何?」

「……腹……へった……」

 その獣の唸り声のような音に若干怯える青年をよそに、アルが突如としてその場に踞り出す。

 今にも死にそうな声量で「はら……へった……」と呟くその様は、まさしく幽霊そのもの。

 しかも音の発生源は明らかにアルの腹付近である。とある事情でずっとあてずっぽうな旅をしてきたため、ここ数日録な物を食べて来なかったアルに空腹の限界が訪れたのだ。

 そのあまりにも惨めな姿に、さすがの青年も見捨てる事ができなかったのか。アルの肩にそっと白い手を添えると、優しい声色で語りかけた。

「……とりあえず、僕の家に来て何か食べる?」

「えっ、それはつまりさっそく初夜を……」

「ばーか! 餓死されたら困るだけ! 何なのこの子アホなの!?」

 死にそうになりながら性欲を満たそうとするこの野蛮な男に若干イライラを募らせるが、青年は仕方がないとでも言うようにため息を一つ吐いた。

 そのままふらふらとするアルの片方の肩を支えてやり、その身体の重さに歯を食い縛りながら青年は自らの家へと巨漢を運ぶために足を踏み出した。

 この出会いが、後に二人にとっての運命になるとも知らずに――。

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