第十四話 五年前の出会い 其の一

 今回は、バルが初めてアレッツォへやってきた五年前のお話をします。

 ヴィルヘルミナ帝国で大魔王ゼクセティスを倒し、それからバルは二十年間も世界各地を放浪し一時滞在をしながら旅をしていました。

 バルがチャーハンの調理法を覚えたのが十七年前で、チィエン国のウーチュアンという街に二年間滞在し、その間に街の食堂で働きながら作れるようになったんです。

 彼は拉麺ラーメンも作れるのですが、手間が掛かるうえにパスタ料理信仰が厚いアレッツォではいまいちウケなくて、稀にペコラーロ家向けに振る舞うだけ。

 手早く作れて人気が高かったチャーハンだけメニューに出しているというわけです。


 五年前のある日、バルは王都から続く街道をのんびり歩いて南下しボナッソーラ方面へ向かっていました。

 夕方が過ぎそろそろ暗くなり始めた頃、バルはアレッツォの街を通り過ぎようとしましたが……


「うーん、このまま走って行ってもボナッソーラに着くけれど、急ぐ旅じゃないしなあ。二度と来ない街かも知れないし、せっかくだからここで宿を取るか。幸い宿場町のようだし」


 と、バルはアレッツォを通っている街道の真ん中で独り言を言っていました。

 ボナッソーラまで魔動車でも三時間は掛かるのに、バルの脚力はそれをずっと上回るんですよね。

 バルは適当に宿を取り、食事をしに外へ出掛けました。

 彼が泊まる宿は素泊まりのみで、くたびれたお爺さんが受付をやっており食事をする場所はありません。


「さてと…… 小さな街だから美味い店なんてあるのかねえ」


 バルは宿の前から街道の左右を見渡し、店を探してみます。

 そこで彼は向こうで魔光灯で黄色く光る看板を見つけました。


「ラ・カルボナーラか…… パスタの店だな。探すの面倒だしあそこでいか」


 バルが宿の近くで妥協するように見つけた店こそ、ナリさんやビーチェたちペコラーロ家がやっているラ・カルボナーラなのでした。

 バルが店の戸を開けて入ると……


「いらっしゃいませえ!!」

「いらっひゃいませー!!」


 赤毛の元気な女の子と、銀髪の可愛らしい小さな男の子が声を掛けてきました。

 当時十一歳のビーチェと、六歳のファビオ君です。

 二人とも、とっても可愛かったんですよ。

 特にファビオ君はお人形さんみたいに飾って眺めていたいくらい。


「おっちゃん! そこの空いてる席に座っててね!」


「あ、ああ……」

(おっちゃんか…… まあ俺もそんな歳だよな。姉と弟ってところだろうが、似てなさ過ぎだな。客はそこそこ入ってるから不味まずい店ではなさそうだ)


 子供が家業の手伝いをしているのはこの国では珍しいことではなく、ペコラーロ家もそんな家庭でした。

 早速注文を取りに来た十一歳のビーチェは、バルにメニュー本を渡しました。


「その中から好きなの選んでね」


 バルはそれをジーッと見て選びます。


(パスタ料理しかないけれど、レパートリーは豊富だな。好みはボロネーゼなんだが、ここは店の名と同じカルボナーラを頼んでみるか)


「おーい嬢ちゃん! カルボナーラとビールを頼む!」


「はーい! おっちゃん、目の付け所がイイネ! カルボナーラはお母さんが一番得意なメニューなんだよ!」


「ほう、それは良かった」


「お母さあん! カルボナーラ一つね!」


「はあいっ ニコッ」


 ビーチェは厨房で調理しているお母さんにオーダーを入れました。

 厨房がオープンスタイルになっているので、ビーチェのお母さんことナリさんの顔がよく見えます。


(なあっ!? あれがあの子のお母さん!? めちゃくちゃ可愛いけれど、お姉さんじゃないのか? 旦那が羨ましすぎる! いいなあ、あんな奥さんがいて……)


 バルはナリさんの可愛らしい顔を見て衝撃を受けました。

 所謂いわゆる一目惚れというやつなんですけれど、お母さんという立場とわかっているのでそれ以上のことをバルは考えませんでした。

 しばらくすると、ファビオ君が小さな身体でヨロヨロとビールグラスを持ってバルのテーブルまで運んできました。


「どうぞ、ビールです」


「おおっ ありがとうな!」

(この男の子って女の子みたいだけれど、本当にあの母親にそっくりだよな。とても目が純粋だ)


 バルはビールを受け取ると、ファビオ君の頭をなでなでしました。

 するとファビオ君はパアッと太陽が輝くような笑顔になり、大喜びでお母さんの元へ走って行きました。


「ねえねえお母さん。あのおじさんになでなでしてもらったよ!」


「あら良かったわね。うふふ」


(クッ…… なでなでしただけなのに、なんて健気で良い子なんだ。俺にもしあんな息子がいたら死んでもいいわ。いや本当に死ぬのは嫌だが、ここの家庭はとても温かいんだろな)


 バルは彼らを見てふと違和感に気づきました。

 母親一人と小さな子供二人だけで忙しそうにやっているのに、旦那が見えないんです。

 バルはビールをちびちび飲みながらこう思ってました。


(男手がいない…… 旦那はどうしたんだ? 出稼ぎか? もしや亡くなっているのか? 今ここで聞くのも野暮ってもんだが、よく酒を出してるよな。客層が良いのだろうか? 今のところ大声で騒いでいる客はいないようだが……)


「はいっ おまちどお! カルボナーラだよ! 美味しすぎて涙がちょちょ切れても知らないからね!」


「そ、そうか……」


「あれ? あたしにはなでなでしてくれないの?」


 ビーチェはファビオ君がバルになでなでしていたところを見ていたのですね。

 羨ましかったのか、彼女もなでなでを頼んできたのです。


「おうっ じゃあ……」


 バルはビーチェの癖がかかっている赤毛の頭を、筋肉質の太い腕とゴツゴツした手で撫でてあげました。

 父親を失っているビーチェはそれでバルに父性を感じたのか、とても幸せそうな笑顔をしていました。

 まだバルはペコラーロ家の事情を知る由もありませんが、自分には子供がいないし彼自身も何かしら喜びを感じていたのでありました。


「ありがとう! おっちゃんごゆっくりね!」


「おうっ」


 ビーチェが立ち去ると、バルはテーブルに置かれたカルボナーラを眺めてみました。

 パスタはマカロニにスジが入ったリガトーニ。

 パラパラと乗っているチーズは羊の乳から作ったペコリーノ・ロマーノに似た物。

 豚バラ肉の生ベーコンであるパンチェッタ。

 そして玉子たっぷりのソース。

 黒胡椒とニンニクの香りが、お腹を空かせたバルの食欲をそそります。


 ゴクリ……


(さて一口…… おお、黒胡椒が効きすぎずまろやかで食べやすい! 俺の好みだな)


 バルは二口、三口と食べ進めていきます。

 すると皿にあったカルボナーラは――


(なにい? いつの間に消えた!? たくさんの量が盛ってあったのに?)


 ナリさんのカルボナーラが美味しすぎて、バルは食べ尽くしたのも気づかないくらいでした。

 私も食べさせてえ!!


(パンチェッタの塩加減も申し分ない。うーむ……)


「おーい嬢ちゃん! カルボナーラのお代わりをもらえないか!」


「はーい! おっちゃんやっぱり気に入ったんだね。いひひ」


 バルは戦いに負けた気分でお代わりを頼み、ビーチェは勝った気分でオーダーを受けて笑顔でナリさんのほうへ行ってしまいました。

 そこでバルはビールをグイッと飲み干して次のカルボナーラに備えました。


「プハーッ」

(ビールにも合うし最高だよな。どうしようか…… このままボナッソーラへ行くのも忍びない。俺の好物のボロネーゼも食べてみたい。いや、全メニューを制覇したいぞ。あと、可愛いお母さんの笑顔が見たい)


「はいどうぞ。今度は味わって食べてね。えへへ」


「そ、そうだな」


 バルは次のカルボナーラを、大事に大事にゆっくり噛みしめて食べていきました。

 そして彼は何か決心をしたようです。

 あの顔、まるで天国へ登っていくような表情をしてて面白いですね。


「あー、美味かった! 御馳走さん!」


「おっちゃんありがとう! じゃあ二千八百リラね」


「はいよっ」

(量が多かったしこんなに美味しいのに随分安いんだな。この街は物価が安いのか?)


「ありがとうございますお客様。子供たちも喜んでます。うふふ」


「いやいや、大したことじゃないですよ。じゃあ」


 バルは快く代金を支払い、ナリさんから思わぬ声が掛けられてバルは心の中でウキウキ。

 彼は右手を挙げて振りながらお店を出て行きました。


(うーむ…… あのお母さんの笑顔が頭から離れない。旦那いるのかな…… 気になる…… また食事もしたいし、一週間くらい滞在しちゃおうかな。今日はよく眠れそうだ)


---


 翌朝、バルはとりあえずもう一泊しようと宿屋の受付にいるお爺さんに宿代を支払いましたが、財布の中身を見て嘆いています。


(うーん、路銀ろぎんが足りない。これだけじゃ一週間分なんて持たないよな。稼ぐしか無いんだが…… 昨日、街の向こうにある森から魔物の気配があったから、退治したら換金してくれるだろうか?)


 そこでバルはお爺さんに尋ねてみました。

 痩せ型で一見小悪党っぽい髭面をしてますが――


「なあオヤジ。この街で動物か魔物を狩ったら金にしてくれるところってあるかい?」


「ああ、それならここから近いペトルッチという肉屋で動物と魔物の肉も買い取ってくれる。魔物は良い値だが、おまえさん一人で狩るのか?」


「腕には自信があるんでね」


「そうなのか。魔物ならジャイアントボアの肉をワシも久しぶりに食ってみたいのう。アレもギンギンになって娼館へ遊びに行ける。ひっひっひ」


「おっ おう…… ありがとなオヤジ」

(こんな小さな街にも娼館なんてあるんだな……)


 ただのエロじじいみたいですね。全く……

 取りあえず収入源が見つかったことなので、バルは魔物のオーラを感じた森へ行ってみることにしました。


---


 世界最強クラスの力を持つ元勇者のバルは騒がれるのを嫌い、その力をあまり表だって使うことをしません。

 ヴィルヘルミナ帝国をさっさと出た理由の一つでもありました。

 バルは街道を外れると、魔法で空に浮かび高速移動で魔物のオーラを感知した場所へ向かいました。

 森の中で川が流れている場所。現在ビーチェとジーノに修行をつけている所に違いです。


「うーむ…… おっ あそこにいた」


 バルは川の畔で休んでいるジャイアントボアを見つけました。

 この前ビーチェたちが狩った時よりもサイズが小さいようです。


(おあつらえ向きで楽勝だな。四メートルってとこだから小さいがまあいいか)


 バルは気配を消してジャイアントボアの方へゆっくり近づいていきます。

 ですが寝ている体勢が仕留めるのにやりにくいようです。


(心臓ひと突きにしたいが、あれでは隠れて刺さらないな。売り物にするにはむやみに傷をつけられないし…… 結局起こさないとダメか。俺の眠り魔法は知的生物じゃないとなかなか効かないからな)


 バルはジャイアントボアの脇腹へ近づいて、思いっきり蹴飛ばしました。


 ブギェェェェェェェェェ!!


 ジャイアントボアは何が起きたのかわからない様子で目が覚めましたが、その瞬間バルは手の平から煌々と光るオーラの槍を出し横から魔物の心臓(正確には大動脈)を目掛けて突き刺しました。


 ブゲッ ガッ―― バタァァァン!!


 魔物は即死し、胸から勢いよく血が吹き出ました。

 血の出が落ち着くと、バルは魔法で逆さにつり上げるように浮かせて、魔物の喉元を手刀で切りました。

 このまましばらく血抜きをするようです。


(これでしばらくは退屈だな。ああ、せっかく川があるからこいつの身体を洗っておくか)


 バルは川の清流を大きな水玉にして浮かび上がらせ、魔物の近くへ移動させそれを水源にしてホースで水を掛けるようにして体表の泥などを洗い流しました。


(血抜きも終わったようだし、街へ帰るとしよう。あとは肉屋に任せるが腹出し(内臓摘出)は早い方が良い)


 バルが宿を出発してから三時間余りのことでした。

 魔物を浮かせたまま空を飛んで高速移動し、街道へ降りたらのんびり歩いてアレッツォの街へ入りました。

 街行く人々からギョッとした目で見られますがそれはジャイアントボアのことで、物を浮かせること自体は中級魔法師でも出来るので珍しいことではありません。

 それ故にバルは堂々と力を見せることが出来ます。

 精肉店ペトルッチを見つけると、バルは店にいるおばちゃんに声を掛けてみました。

 ここで豪傑おばちゃんのアデーレさんと、肉屋の豪傑オヤジであるガスパロさんとの出会いがあります。

 ラ・カルボナーラで使う肉の仕入れ先でもあり、この先バルとも深い付き合いが始まります。


「あー、ごめんください。ここでジャイアントボアを買い取ってくれると聞いたんだが…… いいかね?」


「え? ああ…… ちょいと見せてくれる? で、どこに置いてあるんだい?」


「ここにある」


 バルは指先を動かして、浮いている魔物を店のおばちゃんに見えやすい位置に移動させました。


「ひえっ!? これあんた一人で捕ったの?」


「まあね。ちゃんと血抜きもしてある」


「そ、そうか…… 久しぶりのジャイアントボアだから有り難いよ。すまないけれど裏の工場こうばにうちの旦那と息子がいるからそこへ持って行ってくれる?」


「わかった」


 バルはそのまま裏の精肉工場せいにくこうばへ行くと、二人の男がすでに解体済みの動物肉を片付けた後の様子でした。

 一人は熊みたいな筋肉大男と、もう一人は若いけれどやはり筋肉モリモリです。

 彼らがガスパロさんとアントニオさんの親子なんですね。


「どーもー! ここで魔物を買い取ってくれると店のおばちゃんから聞いたんだけれど」


「ん? 見ない顔だな。それで魔物はどこに置いてある?」


「ここへ持って入っていいか? 血抜きも洗浄もしてある」


「ああ、それなら構わない」


「そうか。ほらよ」


 バルは店先と同じように指先をクイッと動かして浮いている魔物を工場の中へ入れました。

 ガスパロさんとアントニオさんは当然ビクッと驚きます。


「うおっ ジャイアントボアだったのか。こりゃ久しぶりだ。あんた魔法が使えたんだな。そんな風には見えないが……」


「で、これいくらで買い取ってくれるんだ?」


「解体してみないとわからないが、この大きさなら三百万リラってとこだな。だがすまねえ。今ここにある金を頑張って集めても百万リラ程しかない。後日支払いってことになるがいいか?」


「旅の途中でこの街には一週間ほど滞在したいと思ってる。取りあえず十万リラを用立ててくれたら有り難いのだが……」


「一週間あれば大丈夫だろう。十万リラもわかった」


「ありがとう」


「こいつを解体場に吊り下げたいから、そこまで手伝ってもらってもいいか?」


「わかった」


 バルはジャイアントボアを浮かせたまま解体場へ持って行き、ガスパロさんとアントニオさんは大きく太い解体ハンガーへ脚を引っかけて吊り下げる作業をしました。


「こうしてみると綺麗に狩れたもんだなあ。どうやったんだ?」


「寝ているところを蹴飛ばして魔法の槍(本当はオーラだけど)で突いただけだ」


「――あ ああ…… そうなのか。おまえさん強いんだな…… そうだ。名前と滞在している宿を教えてくれ」


「ヴィルヘルミナ帝国から来たバルという。宿は…… 名前を忘れた。エロそうな爺さんがいる宿だ」


「ああわかった。コンスタンツォ(Constanzo)の爺さんの宿だな。金が出来たらそこへ連絡するし、時々店へ顔出してもらってもいい。うーむ、ヴィルヘルミナの人とは初めて話したよ。しばらくの間ゆっくりしていってくれ」


「よろしく」

(エロい爺さんってだけで宿がわかるのかよ。さすが田舎の狭い繋がりだな)


 こうしてバルはガスパロさんから十万リラを受け取り、一週間は遊んで暮らせる路銀を稼ぐことが出来ました。

 無駄遣いをしなきゃいいんですけれどね。ふふふ


「ジャイアントボアの肉がこれだけあれば儲けさせてもらえるな。高くても街の人間がこぞって買いに来るし、他の街の店にも卸せる。十ヶ月後にはベビーブームだ。ガッハッハッハッ」


「その分はずんでくれよ」


「勿論だ」


「ところで宿の爺さんがこの街に娼館があると言っていたが、どこにあるんだ?」


「おまえさんも好きだなあ! ガッハッハッハッ 街には三軒あって、夜にそこの裏通りを歩けばすぐわかる。俺も爺さんも常連よ!」


「そういうことか…… ふっ」


「十万リラじゃすぐ無くなっちまうから、三百万リラ入ってからにしろよ。ガッハッハッハッ」


 豪快に笑うガスパロさん。

 そんなことからバルとガスパロさんは仲良くなっていったのでありました。

 ほんとこのおっさんたちはしょうもないですね!

 すでに解体作業の準備を始めている息子のアントニオさんはドン引きの目で二人を見ています。

 チ◯◯もげてしまえばいいんですよ。

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