第22話 野心と取り引き


 ***



「看守候補が聞いてあきれるな」


 三斗が『悪魔の使い』が封印されているという箱を開け、そして現れた楽園破壊者ガーデン・デストロイヤ——巨大グモに攫われてしまったのは、つい二時間前の話だ。


 霧で悪かった視界は、一度昼に晴れたもの、夕方になって再び古城は濃霧に埋もれた。まるで不安に包まれる皆の気持ちを表しているようだ。


「だめだ。城のどこにもいない……」


 七生の書斎で捜索活動をしていた五樹は、従事と長いやりとりをした後、無線機を切ってうなだれた。


 あれから三斗の捜索は城内の人間を総動員して行われたもの、いまだ三斗を連れ去ったクモの行方は知れなかった。


 ゲート・ハウスが主に生活スペースとして使用されているため、夜会向けの巨大ダンスホールなど、城内・外にある部屋は、使われていないという。


 元々は、聖樹の庭ガーデンオブセフィロトを護るための城なので、あまり人を呼んだりはしないらしい。城の後継者争いとはいっても、フィリップス兄弟たちの現活動拠点は日本なのだ。


 五樹と七生は、留守時に任せている城番頭の老人を呼びつけては、あれこれと相談していたが——城内に詳しい人物に従って部屋を隈なく調べても、手掛かりの欠片すら、いまだに見つけられていない。


 あれだけ巨大なクモが移動したというのに、痕跡は回廊の途中で止まっており、かといって外に出た形跡もなく、完全にお手上げの状態だった。


「……新徳氏の行きそうな場所を知っているか?」


 七生が眉間に深い皺を刻みながら、城番の老人に訊ねた。だが好好爺は、困った顔をするだけだ。


 ————いなくなったのは、三斗だけではなかった。


 巨大グモの出現以降、新徳を見たものはおらず——そのため、七生たちは三斗と同時に、新徳の行方も追っていた。


「……あの狸ジジイに何か恨みを買うようなことでもしたの? あんたたち」


 腕を組んで部屋の隅にもたれかかる杜季が、不遜に言い放つ。


 五樹は肯定も否定もせず——もどかしさのあまり、無線機を床に叩きつけた。


「どうして……一番、継承権から遠いあいつが攫われないといけないんだ!」


 五樹の激昂ぶりに、詩津は肩を震わせた。すると、七生がなだめるように詩都の両肩を押さえる。


「——お前は気にするな。あいつが撒いた種だ。おそらく新徳氏は、庭の主人になりたいんだろう。あの人はうまく本心を隠しているつもりだろうが、野心がだだ漏れだ」


「だけど、候補はあんたたち兄弟だけなんでしょ?」


 杜季が訊ねると、七生は大きく息を吐く。


「ああ。あんたたちと出会うまでは——な。それまでは新徳氏が選定役を担うという話もあったんだ。新徳氏はフィリップス家の血を継いではいない。別の看守血統であるあの人が、本当は選定を行っても良かったんだ。だが自分には合わないだのなんだのと言って選定役を降りたかと思えば——」


「他の看守を見つければ、自分も後継者に立候補できると思ったわけね」


 七生は頷く。


「新徳氏はやたらと選定者探しに力を入れていた。だから父と交流のあった魔女の話は伏せていたんだがな。残念なことに、そこの天然娘は炎の中にダイナマイトを持ってやってきたわけだ」


「う」


「そもそも船上に呼んだのは俺だ。気にするな」


 ————そんな言い方をされたら、気にするもんでしょ。


 と思うも、三斗のことがある手前、詩津は唇をかんで言葉を飲みこんだ。


「もし、新徳氏が看守になりたいのなら、そろそろ取引を仕掛けてくるはずだが——」


 五樹が顎に手をあてて言いかけた時、



『……説明の前に状況を把握してくれて助かるよ』



 ふいに電話ごしのような、くぐもった声が辺りに響いて、詩津は視線を巡らせる。


「え? なに?」


 詩津以外の者たちは吸い込まれるようにして、格子窓を凝視する。


 窓の向こう側では小さな葉をつけた沢山のタイムの茎が揺れていた。


「あれ……あそこにタイムなんか植えられてたっけ?」


 七生を見張っていた時、詩津は窓のすぐ傍にいたが、窓を覆うタイムの花は記憶になかった。


 詩都の呟きに、七生が答える。


「いや。あれはおそらく、新徳氏の使い魔だ。あの人は五樹と同じ属性だからな……ハニエルのタイムか。あれも庭の加護で使役する花だ。しかもやけに不吉な匂いがするな……」


『ふふふ……相変わらず七生は優秀だな。私が選定役なら、君を選んでいただろうね』


 低い声が響く度、薄紫色の可愛い小花がふわふわと揺れる。


「何が言いたいのです? 三斗を、どうするつもりですか?」


 五樹が掠れた声で問う。心配でたまらないという様子だ。


『交渉材料に使うには、彼が一番適していた。彼は人懐っこいが、裏を返せば警戒心が薄い。それに何より、庭の加護がない。だからこそ私のような老人でも、簡単に攫うことができた』


 新徳は『攫った』ことを自ら告げた。まるで事前に計画していたような口ぶりだ。


 詩津が狼狽える中、五樹はタイムをきつく睨みつける。


「ですが、どうしてですか……聖樹の庭があなたにとってそれほど価値のあるものとは思えません。あなたには富も名誉もある……なのにどうして看守の座など欲しがるのですか?」


 胸を絞るように訊ねる五樹に、タイムは嘲笑うように揺らめく。


『あの庭に植えた花は、何度でも再生するだろう? 使いようによっては、ありとあらゆるものを大量に増やすことができる――それがたとえ、毒草でもケシの花でもだ。しかもここには、城主が許した者しか立ち入ることができない。好都合だとは思わないか?』


「あなたはあの庭で毒や麻薬の商売をしようというのですか?」


『そうだよ。いくら富があると言えども、フィリップス家に比べれば私なんて虫みたいなものだ。私はより多くのものを手にいれたいんだよ。——そう、裏に利く顔もね』


「なんてことを————あなたは、新徳ホールディングスの面汚しだ」


『事業を広げようと改革をした時には、反感がつきものだ。君たちに意見されることも想定内だよ。だが私には大きな交渉材料がある。そこにいる魔女が『新徳沖高を看守に』と告げてくれさえすれば、すぐにでも可愛い甥っこを返してあげるよ。私はずっと、この時を待っていたんだ。私を看守にしてくれる存在が現れることを――』


「これのどこが改革だ。ただの犯罪だろうが!」


 七生が軽蔑しきった顔でタイムに向かって吐きつけた。


 しかし、新徳は全く動じない雰囲気だ。


『そんなことを言っていいのか? こちらには君たちの大事な弟がいるんだ――城さえ手に入れば、君たちをどうこうするつもりはない。君たちがいれば、グループは安泰だからね』


 新徳のとんでもない恐喝に、五樹は幾分冷静さを取り戻した顏で考え込む。そして驚くほど短い逡巡で、答えを導き出した。


「……わかりました。その条件を飲みましょう。兄さんも——構わないね?」


「ああ。俺は別に構わないが……五樹……いいのか?」


「……いいんだよ、兄さん。そもそも僕は家族がこの城に囚われてほしくなかったから、後継者争いに参加しただけで——新徳氏が看守をやりたいというのなら、やらせればいい」


「お前、そんなことを考えていたのか」


 五樹の言葉に、七生は瞠目する。


「気持ち悪いくらい仲いいわね、あんたたち。三斗っちの行動は空回りだったわけか?」


「ちょっと、杜季ねぇ!」


「ま、そこのガキんちょたちがいいってんなら、いいんじゃないの? あんたも言われた通りにするつもりなんでしょ?」


「……七生さんたちがイイって言うなら」


「——なら、うちの子をどこに連れてけばいいわけ? 詩都からじかに洗礼を受けないと、看守の座には就けないわよ」


『王位の継承は、配下に見せつけるべきものだろう』


「あたし、回りくどい言い方は嫌いなのよね。庭なら庭って言いなさいよ」


『ふふふ……お待ちしているよ————う、ぁ』


 用件が終わった直後、タイムの花はずるずると這うように窓の下に隠れ、いなくなった。


 強欲な老人の居場所がわかったところで、すでに五樹は部屋を出ており、七生もそれを追いかけるようにして飛び出していった。




「……あんたも早く行きなさいよ」


「と、杜季ねぇは行かないの?」


「あたしには関係ないことだしぃ」


「……そう」


 杜季の性格を知ってるだけに、詩都は反論しない。それは決して冷たいという意味ではなく、杜季には杜季の考えがあり、詩津の考えの及ばない別の意図をもって行動しようとしているのかもしれない、ということだ。


 もしくはただ邪魔にならないために残る気なのかもしれないが。


「それにしても……」


 ドアの前で、杜季の呟きが聞こえて、振り返る。


「——え、なに?」


「あの強欲社長……交信が途切れる寸前、なんかおかしかったわね」


「そうだった?」


「嫌な予感がするわ————て、あんた。いつまで道草くってんのよ。あんたが行かないと三斗ちゃんが助けられないでしょうが」


「わ、わかってるわよ!」


 杜季に急かされて、詩津は慌てて七生の書斎を後にした。

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