第21話 楽園破壊者


 七生の必死な後ろ姿に焦燥感を覚え、詩津はもつれそうになる足をなんとか走らせて三斗の元へ向かう。


 だが三斗を見つける前に、食堂目前で、給仕の凄まじい叫び声を耳にした。


 廊下には両手で頬を覆う若い給仕の姿があった。ドレスエプロンを纏う少女の先には、五メートル以上はある巨大なクモが——黒水晶のような五つの眼を光らせて、足を落ち着きなく揺らしながら廊下に止まっていた。


 よく見ると、目の下にある牙が三斗を咥えている。


「三斗君!」


 三斗は気絶しているのか、ぐったりと両手両足をおろしている。


 クモの向こう側には、見上げる五樹の姿があった。


「——五樹! これは、どうなっているんだ……」


 七生が視線を投げると、五樹はクモの横を抜けて七生に寄った。


「三斗がこそこそ何かしていると思ってはいたけど——悲鳴が聞こえて廊下に出てみれば、これだよ」


「三斗が新徳氏の部屋から何か妙な箱を持ち出したとは聞いたが」


「箱? まさかアレを……開けたのか?」


「五樹……お前、何か知っているのか? 詩津からは『悪魔の使いを呼ぶ箱』を三斗が持っていると聞いたが……」


「こいつはたぶん、『聖樹の庭』の空気にあてられて、巨大化したクモだ。下手をすれば、人だって食う。少し前によそで頼まれて……伯父貴が地下に封印したものだよ」


「なるほど、楽園破壊者ガーデン・デストロイヤか」


「……あの、あれは本当に……悪魔なんですか?」


 詩津が強張った声で訊ねると、五樹はかぶりを振った。


「いや、あれは悪魔なんかじゃいない。聖樹の庭ガーデンオブセフィロトに迷い込んだ生物が、庭の空気まほうに影響され悪魔のような姿と化した存在——。楽園破壊者ガーデン・デストロイヤと僕らは呼んでいる。本来、聖樹の庭には植物と看守以外入れないんだけど、たまにいるんだよ。どこからともなく迷い込んでくる昆虫とか。……で、詩津ちゃんは三斗があれの封印を解いた理由を知ってる? 三斗に何を吹きこまれたんだ?」


「……す、すみません。箱は三斗君が新徳社長の書斎で見つけたそうで……五樹さんと七生さんが後継者争いでギスギスしてるから——二人が力を合わせる場面を作れば、仲良くなるんじゃないかって……」


「それであれをけしかけてきたの? 全く……いい大人が、仲良くも何もないだろう……あいつも馬鹿だな」


 七生と同じ反応をする五樹を見て、こんな状況ながらも彼らは兄弟なのだと詩津は実感する。


「三斗は勘が悪いから、アレが恐ろしいものだなんて思ってなかったんだろうな」


「三斗くんは、五樹さんたちを心配して——」


「で、仲良く後継者争いするの? 君もたいがいだよね」


「……すみません」


「まあ、起こってしまったことは仕方ないさ。それに……」


 五樹はクモを見つめながら、唇に指をあてる。


「……伯父貴はなんであんな箱を破壊せずに持っていて、しかも三斗が見えるような場所に置いたんだろうね」


 五樹が視線を送ると、七生も頷く。


「ああ。イギリスに来れば、三斗はほとんどの時間を庭に費やす。非常食を常備しなければ食事をとらないくらい、あいつは庭が好きだ。箱を新徳氏の部屋で偶然見つけるなんてこと、そうそうないだろうな」


「それって、どういうことですか?」


 七生は詩津の問いを流し、三斗に視線を移動させる。


「その話はあとだ。まずはあいつをどうするかだ。三斗の思惑通り、俺たち二人でクモの化け物をなんとかするにしても、三斗を咥えたままだと——あいつも巻き込むことになる」


「そんな——」


 詩津の心音が大きく跳ねる。今更ながら、とんでもないことをしてしまったと、死ぬほど後悔した。


「今はちょっと眠気を誘う草をかがせて大人しくしてるけど……さすがにあれだけのクモを完全に動けなくすることはできない。どうあっても三斗を離してはくれないし」


 五樹がじれったそうに親指の爪をかむ。


「なら、今のうちに三斗を引きはがせばどうだ?」


 七生が提案するも、五樹は唸る。


「駄目なんだ。どうしてもはがせない。無理をすれば三斗が大怪我をするかもしれない」


「お手上げということか————おい、聖樹の看守セフィロト・ワーダー、お前の姉はどうした?」


「あ、えっと——すぐに呼んできます!」


「ここにいるわよ」


 七生に言われ探しに行こうと踵を返した詩津だが、いつの間にか杜季も離れた場所から、巨大クモを眺めていた。


「あんた、アレをどうにかできないのか?」


 七生が訊ねると、杜季は化粧を落とした可憐な顔で悪そうな笑みを作る。


「あたしは部外者よ。この城でもくれるってんなら、考えてやってもいいけど」


「そういうこと言うかな。フツー……この状況で」


 詩津が白い目を向けると、杜季は鼻を鳴らす。


「フン。じゃあ、あんたがなんとかなさいよ。自分でまいた種をどうすることもできないくせに、いっちょ前なこと言ってんじゃないわよ」


「……ご、ごめんなさい」


「とりあえず、動けないように茨で拘束しておくか。————我を生みし薔薇の蕾、その荊棘そくばくを——」


 七生はクモに向かって掌をかざすが——。


 今までその場に留まっていたクモが、まるで目を覚ましたかのごとく、長い脚を一本あげては、七生めがけて振りおろした。


 七生は唐突なクモからの襲撃をぶつかる寸前でかわす。


「クソ! 薬草の効力がきれたか」


 五樹の舌打ち。


「——あ、逃げる!」


 詩津は届かないとわかりながらも、咄嗟に三斗に向かって手を伸ばす。


 だが動きがよくなったクモは、壁や天井に体をめりこませながら、まるで逃げるようにしてその場から去った。



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