第20話 ふとした優しさ


『――どうよ? 七生兄貴の様子は?』


 雑音が混ざった三斗の声が詩津の耳元をくすぐった。


 三斗が用意した小型無線機を片耳につけた詩都は、七生の書斎窓を中庭からおそるおそる覗き込む。


 本棚くらいしかない機能的かつ簡素な書斎。すぐ手前に、パソコンと向き合う七生の背中が見えた。


「なんか、仕事中みたいです。――そちらはどうですか?」


 詩津が吐息のように密かな声を放つと、三斗はげんなりした声で応えた。


『五樹も食堂で取引先と電話中だ。もう昼前だってのに、俺たちが朝食を食べた食堂にまだいんだぜ? どんだけ仕事好きなんだよ。俺は兄貴たちみたいにはなれねぇわ……』


「でも、真面目に仕事してる人の背中ってカッコイイよね」


『あ? もしかしてズッシー、七生兄貴に惚れちった? 兄貴が命の恩人だっけ?』

「……そ、そんなんじゃないよっ! ――なんで、ちょっと褒めただけで好きに繋がるの? そんなことより、これからあたしは何をすればいいの?」


 詩津はできるだけボリュームをおさえて反論しつつ、三斗に本来の目的を思い出させるため先を促す。


 すると三斗は素直に冷やかすのをやめた。


『俺が例の箱を解放するからさ~、五樹兄貴に危機が迫ったところで七生兄貴を連れてきてくれよ』


「あんまり駆けつけるのが早いと怪しくない?」


『ズッシーってボケてるわりに変なとこ気がつくよな……とりあえず、五樹兄貴も強いし、そんなすぐにはやられないと思うから、頃合いを見計らって呼ぶわ。だからちょっとだけ待っててよ』


「了解」


「――――何をしている?」


 突然、頭上から声をかけられて、詩津の心臓が止まりそうになる。


 見あげると、窓を持ち上げた七生が草の上に座り込む詩都を見おろしている。


「あ」


「お前は人の部屋をのぞく趣味があるのか?」


「――ま、まさか! そんなんじゃないです!」


 詩津は左右に大きくかぶりを振るが、七生は眉間の皺を深くし、胡散臭そうに詩都を凝視する。


 咄嗟に周囲を見たところで、周りにはフェンスと生垣くらいしかなく。言い繕うにも、言い訳が思いつかない。


 一人慌てる詩津を、七生は窓枠に肘をついて面白そうに眺めていた。


「どうせ、三斗あたりが余計なことを吹き込んだんだろう? お前も、わざわざ付き合う必要はないぞ。看守様」


「やめてください、あたしは賀川詩津です」


「苗字だとお前のところの魔女と区別がつかんしな……やはり詩津でいいか?」

 

「よ、呼び捨てはちょっと……」


「空想バカでも構わないが?」


「…………呼び捨てでお願いします」


 詩津は諦めてため息を落とす。


 七生は目を細めて笑うと、薄いフロックコートをはおり、窓から降りては、詩津の前に立った。


「――え? あの、お仕事中じゃないんですか?」


「お前に見張られていたら、仕事なんてできやしない」


「…………すみません」


「あっちで、茶でも飲むか?」


 相変らず傲岸不遜な七生は詩津の答えを聞くまでもなく、悦びの庭に向かって歩きだす。


 詩津はなんとなく七生の後ろに続き、再びその広大なイングリッシュ・ガーデンに足を踏み入れた。


 七生に連れられて踏み込んだのは、三斗と草むしりをした場所よりも奥にある――大理石製の四阿あずまやだった。その中世貴族の休憩所のような四阿には、優美な白いテーブル・チェアも設置されており、七生に促されるまま詩津は真っ白な椅子に腰をおろす。


「紅茶か? 珈琲か?」


「――えっと、じゃあ紅茶でお願いします」


 詩津がそわそわしていると、七生は迷園メイズから何かを持ってくる。


「ほら」


「え? 缶ジュースなんですか?」


 七生が持ってきたのは、給仕に作らせた紅茶やハーブティなどではなく、アルミ缶入りのジュースだった。


「面倒だから、自販機を設置した。人件費削減だ」


「自販機……それだけで景観損ねますよね。しかもこれ、製造元が日本じゃないですか」


 見慣れた缶を呆れたように眺めていると、七生が口元を押さえて笑う。


「冗談だ。こんなところに自販機なんてあるわけがないだろう。これは三斗の園丁用非常食だ。煉瓦の道に収納してある」


「なぁんだ……びっくりしたぁ」


「お前は人の話をうのみにしやすい傾向があるな」


「最初から疑ってかかるのもおかしいです! 今のは、騙されるべくして騙されたんですから」


 詩津が膨れると、七生はいっそう破顔した。


 なぜか、緊張気味だった詩津の胸に小さな明かりが灯る。


「……そうやって笑うと、ほんの少しだけ優しい顔になりますね」


「それだと俺がまるで常に怖い顔をしているみたいじゃないか」


「そうですよ。いつも怖い顔してますもん。ちょっと笑っても、悪そうな顔してますし」


「お前は……言っていいことと悪いことの区別くらいつけろ。小学生じゃないんだ。馬鹿みたいに正直すぎると、社会に出たら真っ先に弾かれるぞ」


 自分を棚にあげたアドバイスだが、詩津はあえてつっこまない。


「…………七生さんでも、そんな風に周りを気にするんですね」


「俺はこれでも上に立つ者だ。考えないわけがないだろう」


「なんだか意外です」


「そういうところを直せと言っているんだ。本当に馬鹿か?」


「馬鹿馬鹿言わないでください。これでも私、結構よく落ち込むんですからね」


「よく落ち込むということは、よく馬鹿だと言われるのか?」


「七生さんこそ失礼ですよ! 七生さん以外にそんな馬鹿って言う人は――」


 ――――居た。


 詩津は杜季に浴びせられた罵りの数々を思い出す。


 ふと、杜季の高笑いが脳裏をかすめ、詩津は言葉が続かなくなった。


 青ざめた詩津を見て、七生はピンときたらしい。周りを気にするという割に、詩津には容赦ない青年は納得したように頷き、遠慮なく告げる。


「――ああ。あのとんでもない魔女か? あれなら言いそうだ」


「大きなお世話です」


 詩津は紅茶のプルトップをパチンと鳴らし、自棄になってそれを喉に流し込んだ。――もの、一気に飲み干すと、あとから身震いがついてくる。


 魔法の庭は、四季おりおりの花が咲けるよう魔法がかかっているとは言え、気温にはさほど影響がないらしい。中綿ジャケットを羽織ってはいても、冷たいジュースは体の芯を冷やした。


 自分の身を抱きしめながら歯をガチガチとかみ合わせる詩津を見て、七生は片眉をあげて、少し申し訳なさそうな顔をする。


「――すまなかった。少しからかいが過ぎたな。城に戻るか」


「……優しいと調子が狂います」


「お前は、思ったことを胸にとどめるということをしないのか?」


「思ったことを素直に言って、何が悪いんですか?」


「さっきから何度も言ってるが、TPOを考えろと言っている」


「七生さんだって平気でひどいことを言ってるじゃないですか! それに私は……思っていることを口に出さない人のほうが恐いです」


「人にどう思われているのか、気になるのが人の常だからな。気持ちはわかる。だが、あまりなんでも口に出すと、幸福も逃げるぞ」


「……幸福が逃げるんですか?」


「ああ。幸福な出来事を周囲に漏らしすぎると、幸福を逃がしてしまうと――こちらの国では思われているんだ」


「そうなんですか? ――どうしよう! あたし、なんでも口に出しちゃうから……幸せをやまほど逃がしてそう」


 真剣に悩む詩津の頭を、七生はポンポンと軽く叩く。


「大丈夫だ。もし自慢話が過ぎた、と思ったと時は、手近な木製品に触れて『ノック・オン・ウッド』と唱えればいい」


「ノック、オン、ウッド……ですか?」


「ああ。魔除けのまじないだ。精霊が不吉を退け、幸せを運んでくれる」


「ノック・オン・ウッドかぁ……今度試してみます。――て、これは冗談とかじゃないんですよね?」


「……お前……人が親切に教えてやった時に限って疑うのか。わけのわからない奴だな」


「だって、馬鹿馬鹿言われたら、さすがに猜疑心だって芽生えます!」


「まあ、俺も悪いか」


「そうですよ! 七生さんはもうちょっと――」


 詩津が自分の主張を始めかけたところで――――ふいに、ジジジ、とノイズ音が耳元でざわついた。


「――あ。そうだった!」


 詩津は三斗との計画を思い出し、慌てて無線機に意識を集中させる。


「三斗くん、ごめんあたし――」


 七生に見つかったことを伝えようとするが、その前に三斗の切羽詰まった声が響く。


『…………アニ……キ……、たすけ――』


「え? 三斗くん? ちょっと、どうしたの? ――――三斗くん!」


 ただごとじゃない気配を感じて、詩都は何度も呼びかけるが、無線機の向こうからはそれ以降、声が帰ってくることはなかった。


「どうかしたのか?」


 血相を変えた詩津を見て、七生が訝しげな顔をする。


「――ど、どうしよう! ……もう、この際いいや――。あの、七生さん、実は……」


 詩津は七生と五樹の仲を取り持つために、三斗が『悪魔の使いを呼ぶ』という箱を開けようとしていることを正直に告げた。


 詩津が話す間、七生はみるみる鬼の形相になってゆく。


「あンの馬鹿ッ――何を考えているんだ! 揃いもそろってお前らは大馬鹿だッ そんな不気味なもの、手を出すか普通」


「……す、すみません」


 七生のひどい剣幕に、詩津はただただ小さくなる。


 悪魔と言われても、いまいち現実感がなく、心のどこかで軽く考えていた自分が悪いのだと自覚した。


 詩津が本気で反省する姿を見て、七生は口調を少し緩めて言った。


「好奇心は死を招く、お前はただの人間じゃないんだ――本当に気をつけたほうがいい」


「……はい」


「で、あいつは五樹のところにいるのか?」


「はい。さっき聞いた時は、食堂にいるみたいでした」


「五樹は移動を嫌うからな――――おい、魔女の娘なんだろ、お前も来い」


 七生は厭味を放って、詩津にくるりと背を向けた。


 他人ごとのような感覚で三斗の頼みを引き受けた詩津は、いまさらながらそれを後悔しつつ、足の早い七生に置いていかれないよう、必死で追いかけたのだった。


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