第16話 暴君の正体


「は……? 杜季ねぇ……何言って——杜季ねぇが、……魔女っ娘?」


 詩津は無意識に立ち上がる。すんなり飲みこむには、内容がぶっ飛びすぎていた。


「長い時を生きる魔女とはいえ、その濃いメイク……年齢を誤魔化すにしては大袈裟だな」


 詩津が恐くて言えない化粧云々を、七生は容赦なく突っ込んだ。


 杜季は七生をじろりと睨む。


「失礼ね。この化粧は別に年齢を隠すためのものじゃないわよ」


「と……杜季ねぇ……その化粧、年齢を誤魔化してたの? てか、私……夢でも見てるのかな——」


「ズ、ズッシーッ!」


 詩津は混乱する自分を、自分なりに落ち着かせようとして、震える右手でフォークを握る。


 その鋭い先を左手の甲に向けた——直後、杜季にフォークを奪われる。


「ちょっとあんた! 何してんのよ!」


「……夢から醒めようと思って……?」


 さすがの杜季も、詩津の突飛な行動に衝撃を受けたらしい。


 五樹や七生も片手を出した状態で前のめりになっている。止めるつもりだったのだろう。三斗は両手で顔を覆っている。


 杜季は詩津からカトラリー一式を取り上げて、ため息をつく。


「……自分の身はもっと大切になさいよ。——くそ、あたしが悪かったわ」


「だってこれは夢だし、杜季ねぇが謝るとかありえないし」


「このガキィ——ああもう、わかったわよ。ちゃんと全部教えてあげるから、あんたも現実としてきちんと受け止めなさいよ。もう後戻りはできないんだからね?」


 姉は控えていた給仕の少女を手招きすると、ひそひそと耳打ちする。給仕は部屋を出ると——ものの数分で戻ってきた。


「仕事早いわね、アンタ。うちの妹とは大違いだわ」


「いったい今度はなんなのよ……」


 時間が経つにつれ、これも姉のいじめの一種ではないか、と詩津は勘繰り始める。


 混乱はしているが、だいぶ気持ちが落ち着いていた。杜季の話を本気で聞く方が間違いなのだ、と自分に言い聞かせる。


 きっと、五樹や七生も、杜季に便乗しているだけで——。


 杜季は給仕から何やら透明な液体の入った小瓶を受け取った。そしていきなり小瓶の中身を膝のナプキンにぶちまけた——かと思えば、湿気たナプキンで顔を拭き始める杜季。


 小瓶の中身はクレンジングの類だったらしい。杜季の顔からはみるみる化粧が剥がれていった。


 道化と思うほど濃い化粧——眠る間も決してとらなかった仮面の下から現れた素顔に、詩津は驚きを通り越して、もう笑うしかなかった。


「どうよ?」


 初めて見た杜季の素顔は、まず東洋人のそれではなかった。


 透き通るような青みがかかった白い肌に、鮮やかな青緑ターコイズブルーの瞳がしっくりと馴染む。鼻はさほど高くはないが、定規で線をひいたようにすっと筋が通っていて、やや尖り気味の美しい鼻をしていた。


 赤茶色の巻き髪は染めているとばかり思っていたが地毛なのかもしれない。考えてみれば、生え際が違う色をしていたことなど一度もなかった。


 だが日本人だと思っていただけに、杜季の容姿についてそこまで深く考えたことがなかったのだ。


「……わざわざ、その顔を隠すためにあんなひどい化粧をしていたのか?」


 七生が言う。詩津と杜季のやりとりを興味深げに見守っていた男たちは、杜季の変貌ぶりに愕然としていた。変装の名人である五樹でさえ瞠目している。


「そうよ。日本で赤い髪に青い瞳なんて、目立つっしょ? 染めたところで、顔だちがちょい違うし。派手にした方がかえって目立たないもんよ。今更だけど、あたし魔女だし、日本人じゃないんだわ」


「……う、嘘……じゃあ、あたしも? あたしも日本人じゃないの?」


「うーん……あんたは日本人っつーか……まあ日本人でいんじゃね? ……ホントは夜にでも酒交えて言おうと思ってたんだけど」


「お姉様、あたしは未成年です」


「あんたに飲めとは言ってナイ。こういう話はねぇ、酒がないとなかなか言えないもんなのよ。大人ってもんは」


 杜季は手近にあった水のグラスをひと口含み、大きく息を吐いた。


「ぶっちゃけ、あたしは自分がどこの生まれかなんて、とっくに忘れたわよ。今まで生きてきた途方もない流れのなかで……生まれた村にいた記憶なんて一瞬のことだしね」


 杜季は面倒くさそうに息を吐く。


 だが聞くほどに詩都は頭を抱えた。


 夢オチが期待できないのは、とっくにわかっていたことだ。


「もう、わけわかんない……杜季ねぇが魔女で外国人だとか、途方もない時間とか……何言ってるのかサッパリわかんないよ。ていうか、ありえないし——もし……あたしと杜季ねぇで国籍が違うって言うなら、次はまさか、血の繋がりがない——なんて言わないよね?」


 詩津は固唾を飲み、杜季の答えを待った。


 本当は、古城に到着した時から妙な違和感があった。異国の空気にすんなりと馴染む姉。


 態度も口調も変わらないもの、今までの杜季とどこか違うというのはわかっていた。だてに十六年一緒に暮らしてきたわけではないのだ。


 不安気に瞳を揺らす詩津を、杜季は笑い飛ばすように言った。


「ばっかねぇ。変な勘ぐりはよしなさい」


「……そ、そうよね? 生まれた時から一緒にいるもんね?」


「そうよ。間違いなくあんたはあたしの娘なんだから、変なことを考えて落ち込むんじゃないわよ」


「うん。そうだよね。あたしは杜季ねぇの娘……。——————むすめぇええッ」


 詩津は叫びながら、盛大にむせた。


 杜季はしまったという顔で自分の口をおさえる。


「肯定しておいて、落とすとは……お前の姉ちゃん、なかなかすげぇのな」


 三斗が妙に感心して目を輝かせる。


 だが何も知らなかった詩津には、たまった話じゃない。


「とッ——杜季ねぇはいつもいつも、なんなのよぉッ! いい加減にしてよ! わけわかんないのよ!」


「だーかーらー、あたしってば実はヨーロッパのどっか出身で、しかも魔女で、男追っかけて日本に渡って、男とは別れたけどそのまま日本に骨うずめちゃった——みたいな?」


「ああ、もう! どこからつっこめばいいのよ! しかもなんで疑問形なのよ! もうイヤぁあ————」


「妄想壁なくせに……意外と頭固いわね。あたしが真面目に言ってんだから、いっこくらい信じろい」


「どこが一個よ! ……で、でもさ……瑠花るかねぇは……髪も目も、黒いよ?」


「あの子はあたしの使い魔なのよ。——ああ、使い魔っていうのは、あたしが作り出した手下って意味ね。本性はからすだから黒いの」


「か、鴉? 瑠花ねぇは鴉なの? じゃあ、あたしの知ってる日本のお父さんやお母さんは——」


「そんなもん、最初からいないわよ。あたしがあんたにそういう暗示をかけてただけ」


「うそ! だってお母さんたちは仕事が忙しくて——」


「顔なんて思い出せないでしょ? だからぁ、そんなの初めからいないんだって」


「……そ……そんな……」


 詩津は目眩がして椅子の背もたれに寄り掛かる。


 一家の女王である杜季が実は西洋の魔女で、優しい瑠花は杜季の使い魔、そして今まで多忙で留守がちだと思っていた両親が、本当はいない——などと言われても、詩津は受け入れられなかった。


 人生が丸ごとひっくり返されたといっても良い話だ。これで狼狽えない人間はいないだろう。


「……じゃあさ、もしも……杜季ねぇが魔女であたしの母親? ——だったとして、なんで姉のふりなんてしたの?」


「そりゃ、まだ結婚すらしてないのに、母親はナイっしょ?」


「……そんな理由」


「よく考えてもみなさいよ。あんたの母親だったら、あんたの友達にオバチャンとか呼ばれんのよ? ありえなくね?」


「あたしは杜季ねぇの思考回路がありえないわ。それに親子で顔違いすぎない?」


「なんてこと言うんだコノヤロー。こんなにソックリじゃん? ……まあ、あんたは別の要素も加わってるから、外見は日本人だけどね」


「別の遺伝子じゃなくて、要素?」


「はい三斗くん、突っ込まない。杜季お姉さんにお仕置きされたくなかったら黙ってなさい」


「ういっす」


「……うぅ……あたしはどう頑張っても杜季ねぇをお母さんだなんて呼べない!」


「いや、それ言ったらプチのめすからね。イクラみたいにプチプチしてやるわ」


「プチとかイクラとか……可愛い響きなのに、ブチのめすより百倍危険な香りがするんですけど……」


「死にたくなかったら、あんたの持ち前の素直さでこの状況を受け入れなさい。二度は言わないわよ。もし嫌だとか信じられないとか言おうもんなら、ビニールプチプチの刑だからね」


「杜季ねぇってばプチプチネタが気にいったんだね……とりあえず、もう文句は言わないから、そういうのはやめて……周りの人がすごい目で見てるから」


 気づくと周囲は杜季の破天荒ぶりに圧倒されていた。下手に口をだして巻き込まれるのが嫌なのか、食堂はやけに静かだ。


「聞き分けが良いのが利口だわ。と・に・か・く! あんたはフィリップス家に関わってしまった以上、責任持ってこれから始まる後継者争いに参加しろ」


「…………では、詩津さんをお借りして良いのですか……?」


 新徳がおそるおそる確認すると、杜季は「人喰い花なんて食べたこいつが悪い」と、何かを諦めたように頷いた。


「——ただし、交換条件があるわ」

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