第15話 魔法の庭



 七生ななおに呼ばれて移動した先は、百平米近くある食堂だった。


 食堂だけで賀川家の全間取りよりも広いだろう。


 部屋には白いクロスがはられた長テーブルが中央に置かれているほか、壁にはアンティーク調のチェストが並び、風景画の額皿が壁に彩りを添えている。


 テーブルには――奥の短辺席に、暗色のスーツを着た新徳しんとくが座っていた。


 中庭がのぞく窓側席にはジャージ姿の三斗みとと、ラフなセーターを着込んだ五樹いつきがいる。


 詩津しづを連れてきた七生も、部屋に入るなり五樹の隣に座った。


 手前から七生、五樹、三斗、と座るのが定番らしい。


「――よく来てくれたね」


 新徳と簡単な挨拶を交わした詩津は、慣れない握手交換のあと、促されるがまま杜季ときとともに、三斗の向かいに座った。


「あの……この度は……お招きくださりありがとうございます」


 詩津が緊張まじりに感謝を述べると、シルバーグレイの傑物けつぶつは、微笑ましそうに目を細めて頷いた。


「その節は本当にありがとう。船員を救ってくれたお礼――というのは建前でね。君のような若い娘さんが来てくれると、華やいで良い」


「……いえ、とんでもないです」


 警戒を自然とほどかせる笑顔を見て、新徳が三兄弟かれらの親戚だと頷ける。顔はさほど似ていないが、雰囲気や笑い方がどことなく三斗に似ていた。


 年をとれば、おそらく今よりも似るに違いない。


 そんな風になごむ詩津だが――隣で妙に殺伐とした空気を放つ姉が、突然苦々しく口を割った。


「――よくもうちの子を妙な騒動に巻き込んでくれたわね。詩津が怪我でもしていたら、埋めてやったわよ」


 給仕が運んだパンを、杜季は豪快に千切って口に放り込む。


 誰に対しても厳しい杜季だが、いつも以上の態度の悪さに詩津は焦る。


「ちょっと、杜季ねぇ!」


 だが詩津の気持ちなどおかまいなしに、杜季は泰然たいぜんとした態度を崩さず。


 老人は好奇に満ちた目で、杜季をじっと見据えた。


 杜季は相変わらず強烈なアイメイクで、大企業の社長を睨む。


「――で、用件はなんなの? 詩都をさらに妙なことに巻き込むつもりなら、はっきりと言いなさい」


「お、お姉ちゃん……?」


 杜季の異様な機嫌の悪さに、詩津は普段と違った恐怖をおぼえる。


 どんな時でもふざけた態度の杜季が、まるで別人のように真剣な怒りをほとばしらせている。


 杜季に睨まれた新徳は、肩をすくめて苦笑した。


「お姉さんは、なかなか鋭い方のようですね。七生の知り合いと聞きましたが?」


「正確には、坊やの父親と知り合いだったのよ。あんたも、船上オークションとかなんとか言って、目的は別だったんじゃない?」


 七生の父親と知り合いだと聞いて一番驚いた詩津だが、新徳を睨む杜季の気迫に、声をかけることもできない。


 杜季の殺伐とした雰囲気に、詩津が嫌な予感を覚えていると――予感は的中し、あろうことか杜季は新徳に向かって朝食用のナイフを投げつけた。


 詩津が声を出す間もなく飛んだナイフは、新徳の右頬付近を過ぎ、白い壁に音もなく刺さる。


 にもかかわらず、周囲は落ち着いたものだった。


「と、杜季ねぇっ! なんてことすんの――」


 詩津を完全に無視した杜季は、さらに横柄な態度で足を組む。


「あんた、うちのコになんかしたら容赦しないわよ」


 一番何かしそうなのは杜季では? ――と言いたいところだが、壁に刺さったナイフのきらめきを見て、詩津は言葉を飲みこんだ。


 新徳は首をすくめる。


「まさか。私はただ、詩津さんにこの城について知っていただきたかっただけですよ。この古びた城には、面白い歴史があり、後継者候補もたくさん控えていましてね。……ただ、内部の者では私情を挟みかねないので、恩人の詩津さんに後継者を選んでいただけたなら、と――いう思いもありますが」


「後半が本題なのね。しかもまだ説明が足りないんじゃない? 後継者を『外部に委ねたい』っていうのは、『外部の者じゃないと決められない』の間違いでしょ?」


「……なるほど。オースティンの友人というのは、嘘ではないようだ。その通りです――後継者を決めるのは外部の者でなくてはいけません。しかも、詩津さんのような特別な人材でなくては」


「特別な人材ねぇ。その選出方法にもちょっと疑問あるけど――船上で偶然『人喰い花』が解放されるなんておかしいわよね? あんたもしかして、オークションと偽って、素質がある者を集めて――『試験』させるつもりだったんじゃないの? 花が暴走したのは、イレギュラーかもしんないけど……初めから、船に招待した人間の中から『看守ワーダー』を選ぶつもりだったっていう可能性も――考えられなくはないわ。……けど、まあ……あたしのことを知っていて、詩津に手を出したわけではなさそうね」


 杜季の指摘に、新徳は観念したように言った。


「……おっしゃる通りです。船上パーティは建前で――密かに人材選びの試験を行うつもりでした。そこまでわかっておられるなら、話は早い。その口ぶりから察するに、あなたはご存じなのでしょう? うちのしきたりを」


「まあねえ。オースティンが他界してもう何年も経つし……そろそろかな、と思ってたわ」


「詩津さんが人喰い花を食べただけあって――その家族であるあなたも一般人ではない、というわけですか? でしたら、これ以上の説明は不要ですかな。――どうでしょう? 詩津さんを後継者選定にお貸しいただけるなら――相応の礼はさせていただきますが」


「後継者争いなんてあたしにはどうだっていい話なんだけど……そうねぇ」


 杜季が何かを考え込む。


 口を挟みたいところだが、詩津には会話の意味がわからず、静観することしかできない。


 城の後継者を詩津が選ぶ、という話はわかったが、吸血花を食べた話と、どう繋がっているのかが謎であり――とりあえず状況を飲みこむため、静かに見守った。


 そんな詩津に、杜季は溜め息混じりに言った。


「仕方ないわね……あんたにもわかるように説明してあげるわよ。あんたが船で食べたとかいう花は――おそらく魔法の庭で育てられたものなのよ。つまりは、その花を御するだけの力がある詩津なら、後継者を決めることができるってワケ」


 詩津は一瞬、沈黙する。そして問題のワードを反芻はんすうし、ようやくその意味を理解した時――あまりの衝撃に、変な声が出た。


「ま、ままままま――まふひょう?」


 噛み噛みの詩津に、三兄弟が同時に吹き出す。


 だが詩津にとってはそれどころではなく――その後完全に言葉を失っていると、杜季がいつになく親切に説明をした。


「魔法の庭で育った花はね、『看守ワーダー』の素質がないと触れることすらできないものなのよ。たいがいの人間は、この城の庭もそうだけど――花に触れるだけでも大変なことになるんだわ。それをあんたは触れるどころか、食べちゃったわけだ。……その現場、マジちょっと見たかったわ」


「と、杜季ねぇは簡単に言うけど……あの時は死ぬかと思ったんだから! それに『わぁだあ』って何よ……」


「要するに、自分の庭を守り、かつ監視する者のことだよ」


 杜季の代わりに五樹が続けた。


 詩津は首をかしげる。


「庭を守る人? 庭師さんのことですか?」


看守ワーダーは庭の手入れもするけど……それが仕事メインってわけじゃないんだ。……その昔、力を持った魔女が貴族に頼まれて魔法の庭をあちこちに作ってね。その庭の持ち主は、看守ワーダーと呼ばれたんだ」


「ま、魔女って実在するんですか? え、えぇええええ?」


「そうだよ。魔女が生み出した庭――『聖樹の庭ガーデンオブセフィロト』は、植物たちが動物のように動き回る庭でね。……新たな生命って言えばいいのかな。意志と動力を得た植物は、もはや植物ではなくて――。しかも、動物化した花は、たまに自分のテリトリーである庭を抜け出すことがあるんだ。そんな時は、庭の主人がきちんと対処しなくてはいけないんだ。花の不始末はその持ち主に責任があるしね。だから監視する者という意味で、庭の主は『看守』と呼ばれているんだ。しかも花の寿命は長い。主人が亡くなれば、子々孫々がその庭を継がないといけない」


「その、動ける花は庭の外に出てはいけないんですか……?」


「自由になった植物は庭を離れた途端、野生化し凶暴化するんだ。野良猫もとい、野良植物といったところだ」


 凶暴化する、と聞いて詩津はハッとする。


 動く植物なら、詩津も実際に見た。ついこの間、船上で。あれが凶暴化した植物だというのなら、確かに外に出してはいけないだろう。


 詩津が船上を思い出し、「パンジー」と呟く。


 五樹は頷いた。


「あれは元々非常に脱走しやすいパンジーで、他の看守に頼まれて、オークション後、この城へ護送する予定だったんだ。だけど色を抜いて力を封じていたにもかかわらず、あれはまた動き出した。なぜだかわかるかい――?」


 五樹は詩津に訊ねた後、答えを待たずに告げた。


「それはね、君の血を吸ったせいだよ。実はあの時、僕も見ていたんだ。倒れたパンジーを元に戻そうとして、あれに触れた君を。にもかかわらず、君は全身の血を抜き取られることもなく無事だった。ほとんど動けなくとも、あのパンジーは偶然触れた者をすでに何人もミイラ化させていたんだ。でも君だけは無事だった。それは君がああいった植物を支配する立場にある者だからだよ。しかも『素質者』の君の血に触れて、パンジーは強力な力を得たんだろうね。君の血で覚醒したパンジーは、さらに窃盗団が花瓶を割ったことで完全に動き出してしまったんだ」


「私が……素質者?」


「看守を選ぶ素質があるっていうことは、君も看守の血を引いているってことだよ。基本的に、次代の看守を選ぶのは、別の庭を守る看守なんだ。これも魔女が作ったシステムなんだけどね。杜季さんが父と知り合いってくらいだし、きっと君は看守の家系なんだろう」


 ドラマのような日常を日々夢見てはいたもの――五樹たちの話は非日常の度が過ぎて、詩津は口を大きく開けたまま呆然としてしまう。


 だがこの話題に飽きてきたのか――杜季は退屈そうに巻き髪をいじりながら、さらに問題発言を落とす。


「てか、あたし魔女だし。看守じゃないッスー」


 詩津は大きな目をいっそう大きくして、杜季を凝視した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る