第12話 船上の勇者


***



「いやぁ……君ってやっぱり、存在そのものが抜群に面白いよね」


「なんですか、それ。私褒められてませんよね?」


 青銅ブロンズの髪と目をした優しげな青年の甘い微笑みに対し、詩津しづは無表情で返した。


 人喰い花パンジーからウイングス・アロー号の船員を救った者——というより、人食い花を食べたツワモノということで一躍有名になった詩津だが。

 

 足を負傷した槌田つちだとともに船医による診察を受けた後——ウイングス・アローコーポレーションの重鎮じゅうちん兄弟にまたもや呼び出されていた。


 今度こそ『船を救った者』として、正当なる理由で呼び出された詩津は、槌田や周囲の目もあって、不本意ながらも癖の強い三兄弟と相見あいまみえるしかなかった。


 初見は強引ななりゆきだったが、今回は船員を救った謝辞しゃじということで、社長からじきじきに全乗務員の前で表彰された後、正式に食事会へと招待されたのである。


 ちなみにオークション品を奪った窃盗団は、騒動の直後、船ごと取り押さえられ、覆面たちは海上保安庁の船に連れていかれた。


 乗船客に被害はないもの、スタッフに負傷者が出ているため、現在船旅は帰路に向かっている。


 社長はオークションが中止になったおわびとして、乗船客を別の形で特別なオークショニアツアーに招待すると発表した。


 ミイラ化した死体がいまだ残るホールは封鎖されたため、ディナーなどは各客室に運ばれた。


 死人が出たことは表向き伏せられてはいるもの、いずれは乗客の耳にも入ることだろう。


 事件を目撃したスタッフたちは気丈なもので、残りの仕事をまっとうするために食事もしっかりと口にするようにしていた。


 それは人喰い花を食べた詩津の影響らしく、スタッフたちは健康こそ全てだと言い、食に対する意識がやけに高まっていた——詩津本人にはよくわからない現象だが。


 繊細かつ華やかなゴシック調の丸みを帯びた家具でまとめられた、七生ななおの部屋に招かれた詩津は、給仕がテーブルにメインディッシュを置くなり、懸命にフォークとナイフを走らせた。


 詩津が慣れないカトラリーで香味野菜のチキンソテーと格闘する姿を見て、正面右側に座るリスのように愛らしい赤髪少年——三斗みとはブフッと吹き出す。


「お前、あんなもん食ったあとで、よく食えるよなぁ」


「言わないでください、思い出しますから——それにあの気持ち悪い歯ごたえを忘れるためにこうやっていっぱい食べてるんです」


「うげぇ……歯ごたえとか言うなよ。生々しい」


 詩津は半分まで食べ進めたところで、ふいにフォークとナイフの手を休めた。


「——そういえば、窃盗団の人たち……どうやって一斉に掴まえたんですか? 拳銃を持ってましたし……ホールを占拠した人たち以外にも、覆面の人がいたんですよね?」


 詩津が誰となく疑問をぶつけると、まるでよそ事のような顔をして食事をとっていた左前の長兄七生が固まった。

 

 同時に三斗も視線をそらす。


 兄弟の中心に座る五樹は咳払いをする。


「……ええっと……あの人たち、そんなに悪い人間じゃなかったみたいで……説得したら、あきらめて捕まってくれたよ。ねぇ、三斗?」


「俺にふるなよぉ」


 三斗はそっぽを向いていたが、突然「いてぇ!」と飛びあがって叫んでは、「兄貴の言う通りだよ」と涙目で何度も頷いた。


「……そうなんですか。どんなに悪ぶっても、人間誰しも少なからず良心を持ってるってことですよね。……なんだかドラマみたいだなぁ。そういうのっていいですよね。あ、刑事ものも好きですけど、やっぱり一番はスポ根ものですよね。……こう、最初は嫌々始めたバスケを……頑張ってるうちに天性の才能に目覚めたりして、ハマってゆく感じの……それからバスケを通じて周囲の人たちと友情が深まったり、顧問の先生と……恋愛、なんかもあったりして……」


 途中から急激に脱線しつつ、詩津がうっとりして言うと、水を口にしていた七生が盛大にむせた。


 五樹は焦ったようにたたみかける。


「いやごめん。僕の言い方が悪かった。窃盗団は悪い奴らだ。どうしようもないクズだったよ。いっそ一生獄中から出ない方がいいくらい最悪な奴らだ。だけど言葉巧みな僕たちの交渉で……なんとか……なったんだよ」


「あなた方が、説得したんですか? すごい! 若いのに警察で交渉する人? あれってなんでしたっけ……ネゴシエイターとか言うんでしたっけ? それですか? あ、でも皆さんウイングス・アローコーポレーションの幹部ですよね? もしかして会社役員は仮の姿とか——」


 夢見る少女というより——戦隊活劇のヒーローに憧れる子供のように目を輝かせる詩津の勢いに、三斗も五樹も口をポカンと開けていた。


 七生はかぶりを振る。


「——違う、警察なんて兼業できるわけがないだろ。俺たちはそんなものじゃない」


 どういう方向に走るかわからない詩津の発想にひき気味の次男三男に代わり、七生が堂々と告げる。


「金で解決しただけだ」


 七生の皮肉に、詩津は項垂れる。


 小さい頃に、サンタはいないと教えられたことを思いだした。その時の切なさと言ったら、三日寝込むほどだった。無駄に膨らんだ夢を破壊された時の反動は大きい。


 すっかり意気消沈の詩津に、五樹が複雑な顔で声をかける。


「——あのさぁ、詩津ちゃん」


「…………はい」


「さっきの君の話を聞いて思ったんだけど……もしかして詩津ちゃん、運動部に所属してたりする……?」


「はい。バスケ部です」


 詩津は素直に頷く。時間が経つにつれ、だいぶ人見知りが解けていた。


「いつくらいから入ってるの?」


「えっと……今年の五月くらいからです」


「……今人気の、バスケドラマが始まったのは四月だったよね……?」


 そう訊ねた五樹は、相変わらず優しい笑顔をしている。——やや頬が引きつり気味だが。


「はい! 私、あのドラマ見て入部したんです! 補欠ですが、ウインターカップの予選に行ける予定だったんですよ」


「……へぇ。僕は運動部に所属したことがないから、詳しくは知らないけど――たった半年で大会に行けちゃうなんてすごいよね。でも予定だったってことは、行かなかったの?」


「いえ、今回のバイトで行けなくなっちゃって」


「……そう。それは残念だったね。…………でもまさか顧問の先生とは……何もないよね?」


「は? 何がですか?」


「君もお年頃だと思うし……先生を恋愛対象として見てたり……しないよね?」


「まさか! だって顧問の先生はもうおじいちゃんですよ」


「はは……そう。なら良かった」


「————せめて二十歳差だったら」


「……詩津ちゃん」


 五樹は白いハンカチで目頭を押さえる。 


「こいつ、大丈夫かよ」


 三斗は憐れむような目を詩津に向けた。


 だが詩津は、五樹たちの不可解な反応に首をかしげる。


「あの……どうかしましたか?」


「あのなぁ、ズッシー。若いからって何事も突っ走りすぎるのはよくないと思うぞ」


「お前がそれを言うのか、三斗」


 七生に白けた目を向けられた三斗は口を尖らせて反論する。


「俺はドラマをまんま私生活に持ち込む趣味はねぇよ」


「そうだなぁ……年齢差という理由でドラマの疑似体験を完成させなかったということは——彼女にも道徳的ポリシーに従う部分もあるんじゃないかな。彼女だって妄想で突っ走る限度をわきまえている……と思うけど」


 なぜか真剣に語り始めた五樹に、三斗まで真面目くさった顔をしてふむふむと頷く。


「けどさあ、恋愛とか未知数じゃねぇ? ズッシー好みのドラマ的シチュエーションに悪い男が加わったら、どうよ?」


 三斗の発言の後、三兄弟はいっせいに詩津を凝視する。


「…………私のこと、好き勝手に言わないでください」


 さすがに鈍感な詩津も日本語がわからないわけではなく、言いたい放題の男たちを睨みつける。


 ————ドラマみたいなシチュエーションに憧れて何が悪い!


 詩津はぶすくれた顔で、口の中にチキンを放り込む。噛むとまだ甘酸っぱいようなパンジーの味が残っている気がした。


「……ごめんね。詩津ちゃんって可愛いから、ついからかいたくなるっていうか——そんなことより、本題に入ろう! ……君を呼びだしたのは、ディナーのためじゃなくて、これのためなんだ——」


 親の仇のごとくチキンを切り刻む詩津に五樹は苦笑しつつ、一通の手紙をテーブルに差し置いた。


「はんへふはほれ?」


 詩津は不機嫌さを隠しもせずチキンを頬張りながら、金縁の白い手紙を受け取った。裏返すと、差出人は『OKITAKA.S』となっている。


 何度も呼び出されているにもかかわらず、まだ一度も直接会話を交わしたことがない、新徳からの手紙だった。


 社長直々の手紙と知り、少しだけ背筋が伸びた詩津はチキンを飲み下し畏まる。


「開けてもいいですか?」


「どうぞ」


 ヒヤシンスの花紋がついた封蝋ふうろうを外すと、中には手触りのよい桃色の厚紙が一枚だけ入っていた。

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