第11話 脊髄で動いていた



「————ギャアアアアアアア」


 聞いている者でさえ身震いしてしまう悲鳴は、花を拾った男が発したものだった。


 詩津しづは咄嗟に覆面男を凝視する。


 ステージの手前に立っていた男は、狂ったように叫びながら、首をかきむしっている。


 男の首には首輪のようなものが巻きついていた。


 信じられないことに、男の首を絞めるように巻きついていたのは、例のパンジーの——茎の部分だ。


 花瓶におさまっている間はそんなに長く見えなかったが、長い茎は花瓶の底に隠れていたのだろうか。


 うねる茎は、緑の蛇にも見えた。頭である花の部分は、まるで男の顔をのぞきこむように上をむいている。


 詩津は総毛立つ。


 今まで静かだった会場が、覆面集団に占拠されて以来、初めてざわついた。


 覆面たちは場を制することさえ忘れ、赤い花を首に巻きつかせた仲間を茫然と見ている。


 近づこうにも、何が起こっているのかもわからず、距離を置いて見守るしかない、という様子だ。


「————は、がぁ————」


 血が滲むほど首を掻きむしっていた覆面男。だが、ふいに動きを止めた——かと思えば、泡をふいて倒れた。


 倒れてもなお、巻きついたままの花が一定のリズムで伸びたり縮んだりしている。


 まるで未知の動物みたいなそれに近づける人間がいるはずもなく――覆面たちは意識を失くした仲間から徐々に離れていった。


「オイ! 何が起きたんだ!」


「オレが知るか————見ろよ、タキの奴、なんか体がしわしわに——」


「ひぃいいいい」


 仰向けに倒れている仲間が急激にやせ細っていくさまを見て、覆面のうち一人が、尻もちをついた。


 誰もが釘付けになるステージ前には、もうさきほどまでの長身男はおらず、かわりに拒食症患者のように中身のない体があった。


「タキぃいいい」


「わぁああああ!」


「どうなってんだよ! 誰かなんとか言えよ!」


 混乱した小柄な覆面が、スタッフを見まわしながら銃口を向けた。


 その手は銃を落としそうなほど震えている。他の覆面たちも、まるで身を守るがごとく拳銃を構えていた。


 が、さらに次の瞬間——恐怖に慄く会場が、いっそう凍りつく。


 しぼんで細くなった男の首から、糸をほどくように花が動き始めたのである。


 その花の形状をした動物は、会場を吟味するように広げた花弁をあちこちに向け、地面を這い始めた。


 何かを探しているようにも見える。


「——ガキどもが。封印を解くからいけない」


 這ってでも逃げようとする捕虜の中で、新徳が見事な落ち着きぶりで言った。


 その声には、人の上に立つ者の威厳が滲んでいる。


「お前が責任者か? 一体なんだ、あの——気持ち悪いものは——」


 リーダーが爬虫類の動きで地面を這う花に銃口を向けながら、新徳に言葉を投げた。


 新徳は喉の奥で笑う。


「お前たちの欲しがっている、金になる商品だよ」


「あれのどこが商品だ! しかもあいつは人を喰うのか?」


「売ればヒルズのビルがいくつも買える。君なら一生暮らしていけるだろうね。他の商品と同じように、さっさと持っていけばいい——無傷でいられる保証はないが」


「お前——」


 リーダーは一瞬狼狽えたが、滴るほどの汗をかきながらも、貪欲な目で舌舐めずりをし、銃口を新徳に向けた。視線はちらちらと花に向いている。


「——あいつを動けなくするにはどうすればいい?」


 詩津は信じられなかった。覆面リーダーはこの異常な状況下で金になる話に食いついたのだ。


 見ていた他のスタッフも唖然としている。


 逃げられる状態であるというのに、あの化物を持って帰るつもりなのだ。


 すでに覆面リーダーの同胞は出口付近でいつでも逃げられる状態でいた。


 又ホール全体に恐怖を轟かせた花はというと、スタッフの一人一人に近づいては、匂いをかぐように開いた花弁を人の足や腕などにへばりつけていた。


 花に触れられた者は、悲鳴にならない悲鳴をあげる。


 ミイラ化した覆面の男と同じような犠牲者が出るのは時間の問題だった。


 その傍ら、持ち主だけは余興を楽しむような目で花を見つめていた。


「止めるのは無理だろう。あいつは今まで特別な花瓶に封じ込めていたんだ。あとは花の気の向くままに任せるしかないだろうな」


「ふざけるなッ」


「ふざけてなどいないよ。止まっていた時間を動かしたのは君たちだろう? その責任をとるがいい」


「リーダー! そんな奴、もう放っておいて逃げよう」


「そうだよ。そんな危ないもん、持って帰らなくたって、他の商品だけでもじゅうぶんじゃん」


 出口から体の半分をだしている覆面たちが、異常事態に焦っているらしく、次々とリーダーの説得にあたった。


「————クソッ」


 リーダーはあきらめきれないとばかりに覆面でもわかるほど顔を歪めた。


 だが一度自分を落ち着かせるように目を伏せた後、「撤収!」と外に向かって叫ぶ。


 ————が。


「リーダー!」


「タカトミ!」


 逃げる獲物を追いかける習性でもあるのか、覆面リーダーが背を向けた途端————今までスタッフの集団に張り付いていた花が、まるで太陽を追いかけて花開くひまわりのように頭をくるりと回し、リーダーを見あげた。


 目はなくとも、リーダーを凝視しているように見える。


「こっちくんなよ!」


 周囲の反応から、じわじわと寄ってくる花に気づき、焦ったリーダーは銃口を高く上げた。


 最初はのろのろと蛇のような動きをしていた花だが——突然、猛獣のように素早く動きだし、それはリーダーに向かって飛んだ。


 ダン、ダン、ダン————リーダーは三発ほど花に向かって銃弾を撃ちこんだ。


 動揺のせいか、それらは全てかすりもせず、飛びあがった花はリーダーの銃を持つ腕にするりと巻きついた。


「うぁああああああああ——————がッッ」


 花に捕まったリーダーはあっという間に穴を開けた風船のごとくしぼんでゆく。


「イヤァアアア!」


「ひぃいいい」


「——げぇええ」


 その凄惨な光景は誰もが直視することなどできず、嘔吐する者も続出した。


 覆面たちのバタバタと逃げる足音が慌ただしく響く。


 他のスタッフと同じようにきつく目を閉じていた詩津は、小刻みに身を震わせながらも、重い瞼を無理矢理こじあけて花の所在を確認した。


 リーダーの元を離れた花は再びスタッフを吟味して回っている。


 だが突然、花の頭が——すっと詩津の方を向いた。


 詩津の胃に冷たいものが流れ込む。


 恐怖のあまり今度は目が閉じられなくなる詩津だが、ふいに傍らから悲痛な声が耳に入る。


「……痛い、痛い」


 あまり頭を動かさないようにして振り返ると、一緒に縛られて後方にいる槌田つちだが、ふくらはぎから血を流しているのが見えた。不運にも覆面リーダーの流れ弾が当たったようだ。


「つ、槌田さん」


「痛い……賀川さん、どうしよう……」


 槌田は痛みと泣きたいのを懸命に噛みしめ、控えめに訴えた。


 そんな槌田が流す血の匂いに誘われたのか、パンジーは彼女がいる方向に顔を固定する。


 詩津は傷を押さえることすらできない槌田と、目標に向かって動き出した花を困ったように見比べる。


 周囲の者は花の新たな標的に気づき、槌田から一歩でも離れようと這うようにして遠ざかる。


 離れている同僚を縋るような目で見ていた槌田は、どうしようもない現状に項垂れ、息を殺して泣いた。


 詩津もじゅうぶん怖い思いをしていたが、ぽつりと一人にされた槌田を見て胸が絞られるような痛みを感じ、唇を噛みしめる。


 異常な花に殺されたくないのは皆同じだった。 


 だが子供のように顔を崩して泣きじゃくる槌田があまりにも憐れで――詩津自身も危険であるにもかかわらず、なんとかならないかという気持ちが湧いてくる。


 花は鈍い動きで真っすぐ獲物に向かっていた。


 そして次第に勢いをつけた花が槌田に向かって飛んだ時、動体視力の良い詩津は横を通り過ぎようとした花を目で追いながら————


 自分も無意識のうちに全身で飛んでいた。


 ひたすら無心に、だが手も足も動かない詩津は、バスケットの試合中、敵のボールを追いかけるような気持ちで飛びこみ————パンジーにかぶりついていた。


「ふ」


 咄嗟に出た自分の行動に、誰よりも驚いた詩津は、にょろにょろと動く花の茎を口にくわえたまま激しく狼狽えるが——花が抵抗し、首に巻きつこうとしてきたので、思わず麺をすするように茎を口に含んでは————咀嚼そしゃくした。


「か、賀川さん……?」


 大勢のスタッフや槌田の視線にさらされる中、詩津はとりあえず咀嚼そしゃくを繰り返した。


 口の中でうごめく生物の感触が気持ち悪かったが、それを押さえるには咀嚼しかないと思った。


 咀嚼そしゃくして、咀嚼して、咀嚼して、咀嚼して、咀嚼して……口をひっきりなしに動かすうち、すっかり花を閉じてしまった頭に到達する。


 とりあえずそれも口に含んでみると、もう動く気配もなく、詩津に大人しく咀嚼された。


 最後に噛み潰した花を、ごくり——と、嚥下えんげする。


「……うそ」


 痛みのせいですっかり血の気を失くしていた槌田が、涙と鼻水で汚れた顔を茫然とさせていた。


 ホール内は、シンと静まっている。


「だ……大丈夫?」


 槌田に心配そうな顔で問われ、詩津は顔を強張らせながらも小さく頷いた。


「はい。…………………意外と、味も大丈夫でした」


 口に残った妙な甘みを何度も飲み下す詩津の、なんの問題もない様子に、槌田は今にも倒れそうな顔で脱力したのだった。

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