第10話 震撼する船



「あんなこと言って逃げちゃったけど……やっぱヤバくない……?」


 催事イベント以外の時間はブッフェスタイルのレストランになる多目的ホールで、詩津しづは重い気持ちを引きずりながら食器を片付けていた。


 立食スタイルのブッフェでは、一度使った皿は使わないルールだ。あっという間にテーブルが使用済みの皿で埋め尽くされた。


 なので、美観を損ねないよう、使用済みの皿を逐一片付けるのが仕事だった。


 最初は回収のたびにうるさい音を立て、マネージャーに注意されたもの、一時間も経てばさすがにこなれてきた。


 しかし、仕事に慣れると今度は余計な雑念が浮かんだ。さきほど接触した上役兄弟とのやりとりを嫌でも思い出してしまう。


 五樹を介して受けた社長からの招待で良い顔をしなかった詩津だが、もし正社員ならそんなわけにもいかなかっただろう。


 たとえ社長の機嫌を損ねても、所詮は短期のバイト。すぐに忘れられる存在で助かったと、詩津は思う。

 

 これ以上余計なことを考えないよう、ひたすら皿を片づけていると——連絡網のため身につけていたヘッドセットイヤホンから、ざらざらとノイズのような音とともに連絡が入った。


『……B倉庫の槌田つちだです。……賀川かがわさん、ヘルプお願いします』


「——大ホールの賀川です。わかりました、七分ほどで行けます」


 詩津はフリルエプロンの胸元にあるピンマイクにそっと声を吹き込んだ。


 ランチタイムもあと少しで終わりというホールでは、スタッフにゆとりが出ている。


 詩津はホールマネージャーに移動の旨を伝え、今度はオークション倉庫に向かう。


 オークションの開始は夕方だが、倉庫の商品をホールの裏方に運ぶ作業が行われていた。


 詩津は槌田のいるB倉庫へと足を運ぶ。


 今朝がた、パンジー騒動のあった倉庫だが、そこで目に見えて変化しているものに気づき、詩都は倉庫に入ったと同時に『それ』を凝視した。


 社長の私物だという大輪のパンジーは、間違えて持って行かれることを防ぐためか、黒い布は剥がされ、部屋の隅に追いやられている——が。


「あの……槌田さん……あれ……あの花、赤い花でしたっけ? 私が見た時は白っぽいピンクだったような……」


 詩津が陶器の一輪挿しを指さして言うと、すでにその場所で控えていた槌田は丸い頬に手を当てる。


「やっぱり賀川さんもそう思うわよね? やだわぁ。あたしがぶつかったせいで、何か起こったのかしら?」


「振動で色が変化するなら、とっくに変わっていたと思います。何か別の理由があるんでしょうか。——気温の変化とか」


「そうなのかしら? それにしても綺麗に赤くなっちゃったわね。不思議だわぁ」


 槌田と詩津が難しい顔でパンジーを見つめていると、イヤホンに『A倉庫搬入終わりました』という連絡が入る。


「仕方ないわよねぇ。……とにかく花は避けて商品を運びましょう。もしパンジーのことについて何か聞かれた時は正直に言うしかないわよね」


「黙ってればきっとわかりませんよ」


 詩津が唇の前に人差し指をたてると、槌田は苦笑いを浮かべつつも小さく頷いた。


 本当は槌田や詩津のことをすっかり持ち主に知られてしまっているのだが、五樹の様子から花の件で咎められることはないと踏み、この件はなかったことにしてしまいたかった。


 黒い布で覆われた商品を台車に積んだ槌田は、警備員付きで先に荷物を運び出す。


 槌田に続き、詩津も荷を運ぶ。B倉庫の商品は少ないので、五往復で終わった。


 船の最後尾にある倉庫からイベントホールまでの距離なんてたいしたものではないが、障害物や段差が厄介だった。


 警備員の手伝いもあって、手際よく商品の移動を終えた詩津は、次にオークション会場のセッティングに向かう。


 ランチタイムは立食ブッフェ形式だったホールが、夜は着席式のディナー兼オークション会場に変わる。


 ホールの前方にはオークションのショースペースが設けられ、どの場所からでもよく見えるよう、ゆとりを持ってディナーテーブルが配置された。


 セッティング中、親会社の社長である新徳も見学していた。本物を目にしたのは初めてだが、昼間に接触した五樹の変装そのままの人で、詩津はその既視感に衝撃を受けた。


 五樹たちは新徳に頼まれて詩津と交流を持とうとしたらしいが、社長とはまるで面識がないため、今でも不思議な気持ちだった。


 だがオークション会場ですれ違っても挨拶しか交わさないところを見ると、やはり別の人物と間違えられたのではないか、と改めて思う。


 商品の搬入も終わり、次の仕事に移った詩津は、白いクロスを張った六人掛けテーブルを運びながら、近くにいた社長の横顔をちらりと見る。


 彼はオークション会場の内装について、専門のスタッフと懸命に話しあっていた。


 詩津は自分が全く気にされていないことになんとなく安堵し、再び視線を手元に戻す。


 ————が、その時。


 突如として、鼓膜を叩くような銃声が轟く。


「————う、ご、く、な!」


 簡略かつ滑舌のよい言葉の後、さらにもう一発、銃声が続いた。


 忙しく動き回っていた大勢のスタッフは見事に動きを止め、息をのむ。


 搬入のため開放中の出入り口には、黒い覆面をつけた人間が八人、拳銃を手に構えて立っている。


 初撃の銃弾は出入り口の向こう側——ぎりぎり何もない空へと放たれたようだ。


 場の空気を瞬時にのみこんだ彼らは、一様に迷彩柄のマウンテンパーカーにジーンズといった、いでたちだ。


 覆面集団はホールに侵入するなり、前後にある戸口を封鎖し、ホールにいる者を残さず囲むように方々へと散らばった。


 移動する間も、連中は銃を胸の高さにあげてスタッフを威嚇する。緊張感が募るホールでは、乱入者の足音だけが重たげに響いていた。


 スタッフは中央に集められ、膝を抱えるようにして座らされた。さらに手首は背中でガムテープで縛られ、足も拘束される。ピンマイクも外された。


 詩津は手首を縛られる間、至近距離にある覆面が恐くて心臓が冷えた。それでも早く離れてほしくて、注意をひかないよう、唇を噛みしめて僅かな声も出さないようにした。


 そばにいるスーツを着た内装スタッフの女性は、ひぃひぃと肩で息をしながら、泣きそうに顔を歪めている。


 誰もかれも、額にびっしりと汗をかき、背中を丸めてお互いに身を寄せ合った。


 全員が動けなくなったところで、ようやく覆面たちは銃をおろした。


 リーダー格だろうか。身長一七◯センチくらいの、中肉中背の覆面男が飛び跳ねるようにステージにのぼり、スタッフを見おろした。


「まず言っておく——絶対に、う、ご、く、な! そして、しゃ、べ、る、な! 物音を聞いたら、どんな理由があっても即座に撃つ。俺たちが占拠している間、人権などというものは存在しない。生き残りたければ、お前らは黙って見ていろ!」


 そう言い放ち、リーダー格が視線で合図すると、四人の覆面たちが舞台袖に入った。


 彼らは舞台袖からオークション商品を運び出すと、医療用手袋に包まれた手で布やガラスケースを外し、中身だけを段ボールに詰め込み始める。


 スタッフよりも幾分乱暴に扱われた商品たちは、外から見えないよう梱包され、台車に乗せて外へと運ばれていった。


 出入り口から外の様子もほんの少しうかがえたが、覆面はホール内だけでなく、外にもいた。もしかしたら、船内の至るところにいるのかもしれない。


 遠くでブォォンと警笛が響く。


 船体が何かにぶつかったようで、地面が波打つように揺れた。岸からはだいぶ遠ざかっているはずなので、別の船に衝突したのかもしれない。覆面たちの船だろう。


 まるで海賊だ。だが、航海が終わるまで一緒にいるよりは、別の船で早々に離れてくれた方が有難い。その場にいる人間はみな、同じ思いだろう。


 スタッフは言われた通り、動かず、喋らず、固唾を飲み下しながら見守り続ける。


 じっと耐える間、ふいに新徳の横顔が詩都の視界に入った。彼もさりげなくスタッフと一緒に縛りあげられている。大事な商品が奪われているにもかかわらず、社長は好奇に満ちた目で覆面たちを見ていた。


「——これもか?」


 商品が半分つめこまれたところで、アメフト選手のようにごつい覆面男がリーダーを見おろしては、残ったガラスケースの一つを指さした。


 新徳のパンジーだ。倉庫に残してきたはずのそれは、誰かが親切心で持ってきたのかもしれない。


 すぐ隣にいる槌田も驚いた顔をしていた。だが生花だけに、覆面たちも扱いに困っているようだった。


 覆面たちはしばし話し合った後——扱いを任された細く背の高い男が、花を囲むガラスケースを持ち上げた。


 一応持っていくことを決めたようだが、まだ扱いに戸惑っているらしく、長身の男は深紅の一輪を色んな角度から眺めた後、花瓶をそっと持ち上げた。


 だが、力みすぎたのか、覆面男が掴むなり花瓶に亀裂が走る。


「馬鹿! 何をやってる!」


 さらに、リーダーにたしなめられた長身の男は慌てるあまり花瓶を落とした。


 ————ガシャンッ、と陶器の砕ける音がホール内を駆け抜け、無数の視線がパンジーに集中した。


 覆面で顔色はわからないが、長身の男は顔面蒼白に違いない。


 咄嗟に手を伸ばし、人工大理石の床に横たわった花をすくいあげようとする長身の覆面男。


 しかし、その手が赤い花に触れた瞬間、その場にいる全ての者を震撼させる悲鳴が響き渡る。

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