第8章 貧困とは何だろう?

第31話 貧困とは?

 前回のお金の授業から一週間たった休日。


 今度は、ハルの部屋に三人が集まった。夕食前の黄昏時、ママは料理のために今日も台所でいそがしい。ハルは自分の机のイスに座り、パパはベッドに腰をかけながらエアコンのリモコンで暖房をいれる。日がかげると一気に冷えこむ季節になってきた。カノはカーペットの上で、部屋のカベを背もたれにくつろいでいる。


「今日は、パパからお金のテーマを出して話をしよう」


 パパは、宣言した。


「そういう約束だったね。パパからテーマを出すって……初めてだ」


「うん。だから、ちょっとドキドキするね。わたし、ちょっと怖いけど大切な話なのかなって」


「今日、二人に話したいのは、『貧困』だよ。貧しくて困ると書く、『貧困』のこと。これまでいろいろなテーマでお金の話をしてきたけど、このテーマはさけて通れないと思うんだ。二人とも、この話でいいかな?」


「それは……うーん。ちょっと怖いけど、興味があるよ」


 カノは、気持ちを答える。


「ぼくも。だって、『貧乏』とか『貧困』って言葉は、耳にしたり目にしたりしたことがあるけど、具体的にどんな状態なのか、よく知らない。こないだの『借金』のお話でも、やはり知らないってことは怖いなって思ったから……とても知りたい」


「よし。じゃ、このテーマで良いね。まずは、『貧困』と『貧乏』の違いから説明していこう。この二つの言葉のちがい、わかるかな?」


「えっ、同じ意味じゃないの?」


 カノは、驚く。


「うーん。考えたことないなぁ。ぼくも同じ意味だと思っていた」


「簡単にいうとね、貧乏よりももっとひどい状態なのが、『貧困』。まず、『貧乏』というのは、ぜいたくはできないけれど、お金が無いなりになんとか生活ができる状態のことだ。『貧困』は、この『貧乏』よりももっとひどい状態。つまり、必要最低限の生活もできないくらいのこと」


「なんとなく『貧乏』はイヤだーと思っていたけど……」


「『貧困』というのはもっとつらい状況なんだね」


 ハルは、確認した。


「まず『貧乏』という状態は、収入として入ってくるお金とほぼ同じ金額が生活費などで出ていく様な状態なんだね。だから、なかなかお金が貯まらない。お金が貯まらないとどうだろう?」


「働いても、働いても、お金が増えていかないなら……けっこうつらいかも」


 カノは、寂しそうに述べる。


「そんな状態だと、何か急にお金が必要になったらどうにもならないね……」


 ハルは、困った顔をして言った。


「そう、かなりつらい状態だ。ここで、二人に覚えてほしいのは、『キャッシュフロー』という言葉。『キャッシュ』というのは英語で、現金のこと。『フロー』は流れという意味だね」


 パパは、二人の顔を見て続ける。


「この『キャッシュフロー』は、よく水をためるダムに例えられる。川上から流れてくる水をダムはためておくことができるね。この川上から流れこんでくる水が、収入としてのお金だ。そして、ダムから放水されて、川下に流れ出ていく水が支出。つまり、生活費などで使ってしまうお金のことだね。ここまではイメージできるかな?」


「うん。大丈夫」


 カノはニコッと応じた。


「あ、なるほど。『貧乏』な状態は、ダムにほとんど水がたまらない状態なんだね。お金が入ってきても、それとほぼ同じ額のお金が出ていくってことだから」


「そのとおり。じゃあ、ダムに水というお金をためていくには、どうしたら良いだろう?」


「川下に水を流さないようにできれば、どんどんたまるよー。えっと……節約して出ていくお金を減らせばいいんだわ」


「川上からたくさん水が流れこめば、入ってくるお金が増えることになるよね。だから……川を太くするとか、もう一本の別の川を引きこむとかかなぁ。大変そうだけど」


「二人とも、理解が早い。素晴らしい。川を複数にするという気づきは良いね。パパとママが働いていれば、ダムに流れこむ川は二本になって、水がたまりやすくなる。収入を多くして、支出を減らせば、お金は貯まっていくだろう。当たり前の話に聞こえるかもしれないが、この管理をしっかりできない大人もいる。例えば、収入がたくさんあるからといって、お金をじゃんじゃん使ってしまうと、ダムはどうなると思う?」


「それって、川上からの水の量は多いけど、同じくらい水を放水しちゃっているよね。ダムに水はたまらないよ」


 ハルは冷静に答える。


「あれっ? それって、パパがさっき言っていた『貧乏』な状態と似てない?」


 カノは、気づいたことを言った。


「そのとおり。派手な暮らしをしているように見えても、キャッシュフローとしては危険信号だ。この場合は、まだたくさんの収入があるから、支出である放水をしぼれば、すぐにお金は貯まりだす。つまり派手な暮らしをひかえるとだね」


「お金持ちに見えても、キャッシュフローでは『貧乏』な状態もありえるのかぁ。ちょっと面白いね」


 ハルは、興味深そうな顔をしている。


「さて、『貧困』の状態を説明しよう。『貧困』は、ダムの水が空っぽに近い状態で、流れこんでくる水よりも、多くの水を放出しないといけない状況になっている。生きていく上では、衣食住といったことにお金を払っていかないといけないことは前に話したね。ダムの放水を完全に止めることは非常に難しい。ダムにもう水がないのに、放水しないといけない状態。もうお金が足りなくて、生きていくのが困難な状態のことを『貧困』というんだ」


「それって、生きていけないってことだよね……。だって、お金がないから、必要なものが買えないよ」


 カノは、ちょっと顔を青くして言った。


「放水である支出をもっとしぼらないといけないから、食べものを買うのも減らさないといけなくなるよね……」


 ハルも恐る恐る述べる。


「そう。少ない収入な上に、貯金もなければ……買う食べものの量をもっと減らそうとなる。食事は一日に一回にしよう。着るものも買わずに穴があいてもがまんしよう。電気、水道も極力使わない。住むところも最低限。家賃を払うのもちょっと待ってもらおう。そんな生活をずっと続けなくてはならない。それでも、お金は貯まらない。そんな状態だ。それで健康な生活ができるわけがない。働けなくなって収入がなくなってしまうなどが起これば、もう生きていくことを、あきらめなくてはならない」


「…………。それ……とっても怖いことだよ」


 カノは、悲しい顔をした。


「うん……。『キャッシュフロー』というお金の流れのバランスが崩れると、その……どんな人でも『貧困』になるんじゃないかな」


 ハルの顔も浮かない。


「そうだよ。怖い話だ。でも、これは事実だ。今日のお金の話は、もっとも大事な話だとパパは思う。怖いと思うけど、続けるよ」

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