第3章 お金で買えるもの、買えないもの

第8話 買えるもの

 初夏の休日を潮干狩りと隣接ホテルの温泉スパを楽しんだ帰り道、車は高速道路に入った。あいにくと、同じように休日を楽しんだファミリーカーたちで、少々混み合っていた。


 まったく動かない渋滞ではないけれど、しばらくは快適なドライブとはいかないようだ。運転席にはパパ、助手席はカノ、後部座席には、ハルとママだ。ママは静かに寝息を立てている。


「……ママ、寝ちゃったよ」


 ハルが、静かに告げた。


「きっと疲れているんだよー。早起きして、潮干狩りの準備してくれていたから。お兄ちゃんは寝坊しそうになったから、知らないだろうけどね」


「んー、まぁね。中学生はいろいろ忙しいんだよ。ところでさ、パパ、またお金の授業してほしいな。道も混雑気味だしさ」


「なんだ、退屈しているのか。まぁ、のろのろ渋滞でパパも退屈だし、いい機会だ。話していれば、眠くなることもないからね」


「あ、じゃ、お金で『買えるもの』と『買えないもの』が知りたいよ。お金があれば、何でも買えるのかな? それとも、買えないものもあるのかな?」


 カノが、聞きたいことを提案した。


「おっ、なかなか面白そうなテーマだね。じゃ、それでいいかな?」


 パパは、二人に同意を求めた。


「うん。ぼくも知りたい」


「じゃ、まず『買えるもの』からにしよう。お金を出して買ったことがあるものを、あげてみようか」


「はーい。えっと、お菓子、マンガ、雑誌、筆記用具、髪どめ、リップクリーム、おもちゃとか」


 カノが、先に答える。


「ゲームソフト、文庫本、カードゲーム、洋服など」


 ハルも、カノが言っていなかったものを挙げた。


「いいね。では、次に……買ったことがないけれど、高いもの、値段がすごく高そうなものは?」


 パパが、二人に促す。


「うーん……宝石とか? ……それと、自動車。それから……おうち」


 カノは考えながら、挙げていく。


「あ、言われちゃった。そうだなぁ、いくらするのかわからないけど、電車の車両や飛行機。あと、ビルとかの大きな建物」


「うんうん。それじゃ、形はないけれど、買えるものは?」


 パパは、さらに促した。


「えっ? そんなのあるのかな……? だって、お金を使って、物々交換するのでしょ?」


 カノは、思いつかないようだ。


「それが基本だけど、形はないけれど買えるものがあるんだよ。ちょっと考えてみよう」


「……あ、床屋さんかなぁ。髪を切ってもらうのに、お金を払うよ。何か形があるものを買うわけではないけれど」


 ハルが、思いついたことを述べる。


「そう。床屋さんは正解。サービス業と呼ばれるものだね。髪を切って整えてもらって、身だしなみを良くできる。体験を売っている商売とも言える。病院や歯医者さんも同じだね。身体の悪いところを調べてもらって治してくれるサービスだ。電気やガスなんかも、サービスに近いね。使った分だけ、後払いのサービス」


 パパは、ひと息入れて続ける。


「今日入った温泉スパもだね。お金を払って温泉でゆっくりできる体験。くつろぐ時間を買う感じだ。潮干狩りも、アサリといった貝を採る体験ができて、なおかつ採った貝をお土産にできる素晴らしい体験型のサービス。今通っているこの高速道路も、利用料を払わないといけない。おかげで信号がなくて、スピードも出せて、素早く目的地に着けるわけだ」


「でも、パパ……この道路、ずっと渋滞だよ。のろのろ運転ですよー。それでもお金を払わないといけないんでしょ?」


 カノは、車のフロントガラスの先を指さして言った。


「ま、まぁ、そうなるね……。ちょっと残念だけど、道路の混雑は仕方ないさ。話を戻すと、身の回りのほとんどのものは、お金を出せれば買える。橋やトンネルだって、国などが集めた税金を使って、建築資材を買って作っている。試しに、見えるものに値札がついているのをイメージすると面白いよ。この渋滞だって、車一台百万円としてみたら、十台並んでいると一千万円。見わたすかぎり前方は車だらけだから……」


「うわ、すごい金額になっちゃうね」


 ハルが、驚きの声をあげる。


「こんなにお高いものが、そろいもそろって、のろのろと……歩くのと同じようなスピード。はたして、これで良いのでしょうかー」


「渋滞ほどムダに感じるものはないかもしれないね。はやく解消してほしいところだ。さて、もうひとつ例をみてみよう。おうち、つまり家も高いものだけど、細かくみると面白いよ。例えば、窓やドアも値段がついている。断熱の窓や防犯に優れた窓などいろいろあって、値段が違う。ドアだってカギの有り無しやデザインや色が豊富にあるものだ。カベ紙だって、いろいろな種類があって、それを選ぶ。それから、どんな家具を置くかでも、またいろいろだね」


「そう言われると、たしかに家の中のものは、みんな買えるものばかりなんだね」


 ハルが、納得したように言った。


「さて、ここでちょっとしたクイズ。『お金でお金を買うことは、ありますか?』」


 パパは、二人に質問した。


「えー、お金をお金で買うの? なんだかよくわからない」


 カノは、眉をひそめる。


「ニュースで、一ドル、百何円とか言っている……なんだっけ為替かわせのこと?」


 ハルが、自分の答えを確認するように言った。


「他の国のお金を買うということは確かにできる。海外旅行をする時は、その国の通貨が使えないと不便だしね。では、ちょっと問題を変えて……『一万円を一万五百円で買うことは、ありますか?』」


 パパは、さらに問いかける。


「一万円を、一万五百円で買うなんて、損だよ。そんなことしないよー。そんなの計算できない、おバカさんがやることね」


「五百円、ムダになるだけだよなぁ。誰もそんなことしないと思うよ。みんな、お金をたくさん欲しいと思っているし、失いたくないとも思っているんだから」


 ハルも当然という風に答えた。


「ところがね、そのおかしなことを、わりと多くの大人がしているんだ。パパもふくめてね」


「え? パパもなの?」


「なんだろう……そんなおかしなことなのに、たくさんの大人がしているなんて何か理由があるんだろうけど……。見当つかないよ」


 ハルは、正直に述べる。


「わたしも、さっぱりわかんないー。大人はみんな……おバカさんなの?」


「答えはね、『借金』だ。 つまりお金を借りること。ものを借りたら、返すのが当たり前だけど、お金の場合は、ちょっとだけ違う。お金はいろいろなものに交換ができるから、借りた金額よりも多くして返すんだ」


「でも、なんでわざわざそんなことするの? 大切なお金がムダになっちゃうよ。欲しいものは、お金が貯まるまで待ってから買えばいいのにー。ちょっとガマンはつらいけども」


 カノは、それが正しいと思っているようだ。


「……お金が貯まるまで待てない理由があるのかな? うーん」


 考え込むハル。


「これはなかなか気づきにくいと思う。理由はね……おっと、また今度、説明しよう。今日のテーマから離れてしまうからね」


「えー、ずるいパパ。すごく気になるよー」


 車の助手席で、カノは口を膨らませた。


「それはお楽しみにしておいてよ。これまでの話で、お金で買えるものは、非常に多いとわかったと思う。いろいろなものに値段がついているね」

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