第13話:願い

司は、走っていた。


目標地点まで、あと500メートルほど。

自分の予想が正しければ、その『目標地点』とは、灰島との思い出の場所。


いつか、一緒になったら家を建てようと約束した、大切な場所。

海が見える、見晴らしのいい場所。



「こんないい場所に家を建てるなんて、いくらかかるか分からないじゃない。」


そう言った司に、灰島はこう言った。



「生きてる間にローン返せれば、それでいいさ。俺、頑張るからさ。」


「私だって。一緒に早く完済して、のんびりライフでも過ごしましょう。」



気楽な灰島の言葉に、あきれながらも未来を見た司。



(もう……あの頃には戻れないのね。)



司は首を振る。

脳裏にこびりついた、幸せだった記憶を振り払うように。



やがて……。



約束の場所に、灰島は座っていた。



「一誠……。」



こちらに背を向けている状態で、灰島は司が呼んでも振り返らない。



「ねぇ、一誠……。」


司がもう一度灰島の名前を呼び、少しずつ近づいて行った、そのときだった。



「それ以上は、来るな……。」



絞りだすように、灰島が司に言う。

背を向けたままで。



「もう……いいじゃない。これ以上は、何も出来ない。出頭して罪を償いましょう? 私も一緒に償うから……。」


司はもう、限界だった。

指令室でヘリに乗る灰島の姿を見た、その日から今まで、ずっと現実を否定するかのように動いてきた。


灰島のように見えた人影は、きっと別人だ。

きっとどこかで穏やかに生きているはず……。


しかし、警視庁侵入事件でその姿を見て、期待は、希望は脆くも打ち砕かれた。


正義感の強い灰島を、ずっと信じていた。

信じて、ここまで戦ってきた。


しかし……。



この辛く悲しい連続事件の黒幕は、信じていた灰島が全ての黒幕だったのだ。



「俺には、まだやることがあるんだ。それを果たさなければ、終わらない……。」


「これから、この状態で何をしようというの? もうやめて……。やめてよ……。」



司がすがるように灰島に言う。



「この状態だって……出来ることはあるさ。司……俺はもう、昔の俺じゃないんだ。お前の知っている『灰島 一誠』は、もう死んだんだ。8年前のあの事件で……。」


「じゃぁ、目の前にいるあなたは、誰なの?」


「神の国の裏の統括者・マスターだよ。」



冷たく凍り付くような視線を司に向ける、灰島。

一瞬、怯みそうになった司だったが、必死に踏みとどまった。



「それでも……私の目に映るあなたは、一誠よ。それは誰が何と言おうとも変わりはしない。もう、何を言っても無駄よ。あなたを私は見つけてしまったんだから……。」


灰島に制止された。



それでも司は、前に進んだ。



「どうしても、退かないと言うのか?」



ゆっくりと灰島が振り返る。


「いっ…せい……。」



灰島の顔は、蒼白だった。

警視庁で遠藤に撃たれて、それからここまで応急処置しかしのいないのだろう。

脇腹の部分は赤く染まっていた。



「変わらないな、お前は。いつだって頑固で、なかなか俺の話なんて聞いてくれない……。」


灰島が笑う。

その笑顔は、司のよく知る灰島の表情だった。

そんな灰島に向かい、司は走る。


騙されているのかもしれない。

もう少し近づいたら、撃たれてしまうのかもしれない。


それでもいいと、司は思った。 

愛する男に撃たれて死ぬのなら、それもまた人生だと……。



「どうして、撃たないのよ……。」



しかし、灰島は『何もしなかった』。

司を撃つことも、制止することも拒むこともなく、ただ飛び込んでくる司を受け止めた。



「お前にこうやって触れるのも、これで最後だと思ってな……。」


「最後じゃない! ちゃんと罪を償って! そうすれば、私たちはきっと……。」


「はは……。司令ともあろう人間が、俺みたいな悪の組織の黒幕と一緒にいたら可笑しいだろ……。」


「警察は辞める。貴方と一緒に私も罪を償うわ! 一緒にこの先の人生を、歩いていきたいの……。」


司の声に嗚咽が混じる。


ずっと、人を率いる身として気丈に振る舞っていたが、彼女もまた、恋人と共に未来を夢見る女に違いないのだ。



「まったく……無茶苦茶だな、お前。昔からそうだった。自分が決めたことはどうやっても折れない、曲げない。だから、出世したんだろうな。」



灰島は、最後に司をきつく抱き締めた。

これで最後。

そう言わんばかりの強さで……。



「あとひとり、消さなくてはならない人間がいる。官房長官の阿久津……ヤツを殺すまでは、『俺たち』の戦いは終わらない……。」


そして、そのまま司の耳元でこう呟いた。



「え……?」



司が、灰島の言葉の意味を理解する、それより早く、灰島は司を力一杯突き飛ばした。



「一誠!!」



後方に弾き飛ばされた司。

その身体能力で転倒こそ免れたものの、再び灰島とは大きな距離が開いてしまった。



「阿久津を始末するまでは、終わらないんだ。だから……邪魔するなら、お前も……。」


その懐からは、血塗れの拳銃が見える。

その様子から、灰島が危険な状態であることはすぐ分かった。



「一誠お願い! 病院に……。」


「……もう、解っているだろう?」



灰島の言葉の意味を理解していた司。

だからこそ、止めたかったのだ。

しかし、灰島の目にはもう、迷いも戸惑いもない。



「わかったわ……。」



司は、決心することにした。


自分からは、撃たない。

それで灰島に撃たれて死ぬのであれば、それも本望だろう……と。


(……さすが一誠……。痛みも苦しみもない。8年たった今でも腕は衰えていなかったのね……。)



目を閉じて一誠の銃撃をあえて受けようとしていた。

灰島に殺されるなら、それもまた人生。

ここで死のうとも、灰島の手にかかるなら本望。

そう思っていた。


しかし……。



「……え?」



司は、自分の身に何も起こっていないことに気づいた。

ゆっくりと目を開ける。



「……いっせい!!」



そこには、倒れた灰島の姿があった。

腹部に見えた血の痕が大きくなっている。



「一誠! 一誠!!」



司は灰島に駆け寄り、その身体を抱き起こす。



「……犯罪組織の黒幕が、こんなに呆気なく死ぬとは……とんだ笑い種だな。」



真っ青な顔で、灰島が自嘲するように呟く。


「誰か!! 救急車を!!」


周りには誰もいない。

そんなことは分かりきっていたのだが、それでも司は大声で助けを求める。



「……もう、いいんだ……。」



そんな司の手に自分の手を重ね、灰島は微笑んだ。



「自分の身体の事は、自分が一番よく分かっているよ。もう、助からない……。」


「そんな……やっと会えたのに……。」




自分の死を持って、この事件の幕を引こうとする灰島と、再開できた喜びを、そのまま未来へと繋げたかった司。



ずっと一緒だった頃の重なりあった想いは、すれ違いと言う形で最後を迎えようとしていた。



「阿久津官房長官を……殺しに行くんでしょ?」


気がつけば、司は警察官としてあるまじき言葉を口走ってしまっていた。


それでも、警察から退いたとしても、司は灰島には生きていて欲しかった。

そのために、やり残したことを灰島に思い出させ、生きる気力に代えて欲しかったのだ。



「司……こんな俺でも、生きていて欲しいと思ってくるんだな……。ありがとう……」


灰島は、そんな司の気持ちが嬉しかった。


たくさんの人を傷つけた。

たくさんの人を殺してきた。

自ら手を染めてはいなくとも、たくさんの人を使い、悪の道に手を染めてきた。


全ては、復讐のため。

それが果たせれば、自分の命はそこで終わってもいいと思っていた。


復讐を果たそう、そう思った時点で、自分の生きる意味など無くしてしまったのだから。




「こんなに近くに……あったじゃないか……」


しかし、灰島は薄れ行く意識の中で、それが間違いであることにようやく気づいた。



「自分の生きる意味……こんなに近くに……」



それは、司の存在。

自分の命を投げ打ってでも、灰島を救おうとした司。

その存在こそが、本当の『生きる意味』だったのだ。


「一誠! お願い死なないで! あなたが死んでしまったら、私……!」



灰島を抱き締め、すがるように言う司。

しかし、少しずつ灰島の身体から力が抜けていく……。



「俺の悲願は成就できなかった。だが……」



灰島は、最後の力を振り絞るように言葉を紡いでいく。



「最後の同志が、必ず……最後のひとりを……阿久津を葬ってくれる……」


「最後の……ひとり?」


司が灰島の言葉に反応する。

おかしい。

もう、残された幹部はいないはずだ。

灰島を逮捕することが出来れば、神の国の幹部たちは全員逮捕または死亡のはず。



「司……なぜ俺たちが、警察の捜査よりも先手をとって、また警察の死角を突いて犯罪を重ねて来ることが出来たと思う?」


「まさか……」


「そう、警察にはもうひとり、我が組織のスパイがいる。古橋や香川のような三下とは訳が違う。もっと警察の中心にいた人物だ……。」


「警察の、中心……。」


「今頃は、東京で……うぐっ!」



少しずつ浅くなっていく、灰島の呼吸。



「喋りすぎたようだ……。」


「一誠! しっかりして! もう喋らなくていいから、生きることだけを考えて!」



灰島は、もう死の縁にいた。

しかし、それならなぜ?

司の頭には疑問しか浮かばなかった。

しかし、今はそれどころではない。



「大丈夫か新堂!」


少し離れたところで援護のために待機していた小泉隊と稲取率いる捜査一課が司のところに駆けつける。



「稲取さん……小泉さん……。」



ようやく来た助け。

しかし、もう灰島は長くないと言うことを、司自身も悟ってしまったのだ。



「司、すまない……。もっと、違う形で……」


「一誠…………。」


「君と出会えて、本当に良かった……。それだけが、俺の人生の……たったひとつの……しあ……わせ……。」



灰島がゆっくりと目を閉じる。



「私もよ、一誠……。あなたと出会えて、本当に良かった……。私は、幸せでした……。」



司のこの言葉に満足したように、灰島がゆっくりと瞳を閉じる……。



そして、そのまま灰島が目を覚ますことはもう無かった。



「さよなら、一誠……。」



込み上げてくる悲しみ。

8年前の幸せだった日々が、次々と脳裏に浮かんでは消えていく。



「新堂……その、なんだ。あとは俺たちに任せて、お前は……。」


「……東京に、戻ります。」



気を遣った稲取の言葉に、司は凛とした表情で答えた。


「彼が残してくれた最後の言葉……無駄にするわけには行かない。目的を達するためなら、黙っていても良かった。それを最期に教えてくれたのだから、私たちはそれを無駄にするわけにはいかない……。」



次が、本当の『神の国』の最後。


司と捜査一課、SIT小泉隊は東京へ急いだ。

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