11-9

悠真が言っていた通り、エレベーターは10階で止まる。



「よっし! 階段で行くぞ! おっんさん達、遅れるなよ!」


エレベーターの扉が開くと、虎太郎は勢い良く飛び出していく。


「独りじゃ危ない! まったく、猪かしらコイツは……。」



その後を追うように、あさみが駆け出していく。



「やれやれ、若いって良いねぇ。」


「おい北条、お前、俺より年下なんだから、遅れたら罰ゲームな。」


「熊さん……そりゃないよ。あんたに体力で勝てるかって……。」



その後ろから、北条、熊田、司と続いていく。



(過ちを犯す前に、止めてみせる……!)



最後尾を走る司は、周囲の状況に注意しながら、何かあったときに他4人をサポートできるように走る。



「オラァ! テメェら全員逮捕だ!」


非常階段には古橋率いるSITがいる。

警視庁が誇る精鋭部隊が相手では、さすがの神の国幹部たちも無傷ではすまないだろう。



しかし……




「……え?」



その光景は、虎太郎の予想だにしないものであった。


階段で倒れている人々。

それは皆、SITの隊員たちであった。



「嘘だろ……」



虎太郎が目を疑う。



「う、うぅ……。」


皆、殺されてはいないが、完全に無力化されている。

立ち上がれないほど痛めつけられているのだ。



「これだけの人数を……3人で?」


あさみたち後続メンバーも、階段室にやってくる。



「信じられない……。これだけの数のSITを……?」



司が絶句し、北条と熊田が苦笑いを浮かべる。



「厄介な相手だなぁ、おい……。」


「本当に。格闘家にでもなっていれば、今頃ものすごい活躍していただろうに……。」



北条とあさみで手分けして、倒れた隊員たちを1ヶ所に助け起こす。



「誰にやられた?」


「大男が、ものすごい勢いで……。」


「ちっ……アサシンか。」



3人のうち、大男はアサシンのみ。

一度対峙した虎太郎は、その強さを知っていた。



「確かに強い。けど……これだけ大勢をひとりでやれる程たったか?」



虎太郎とあさみ、ふたりがかりではあったが、悪くない勝負をした。

SIT隊員たちが、ふたりに劣るとは考えがたい。

皆、厳しい戦闘訓練をくぐり抜けているのだ。



「ふぅ、ふぅ……あーキツいな!」



階段の上には、アサシンがいた。



「テメェ! そろそろ観念しろ! その様子じゃ、俺たちを止められないだろ!」



衣服が一部破れ、少しではあるが怪我を負っているアサシン。

肩で息をしながら、虎太郎の言葉に反応する。



「観念なんて……しねぇよ。お前たちも、コイツらと同じ目に遭わせてやる……!」



アサシンは、足を引きずりながらも、虎太郎たちに向かい歩きだした。


SITの隊員を、これほどまでに退けたアサシン。

満身創痍ではあるが、その目は死んでいない。



「ここは俺がどうにかする。みんなは先に行ってくれ。」



ここで一歩前に出たのは虎太郎だった。


「こういう目をするヤツって、侮ったらヤバイヤツだ。俺が徹底的に無力化して確保してやる。」



虎太郎の勘が警鐘を鳴らす。

この男の目は、昔の自分と良く似ている、と。



「もう、自分には何も残ってない。だから命なんて惜しくない。そういう目なんだよなぁ……。」


「へぇ、ただのイノシシ野郎だと思ってたが、ちゃんと見えてるじゃねぇか。でもよ……『お前もだろ?』俺と同じ匂いがするぜ?」



そしてアサシンも、虎太郎の目に違和感を感じていたのだ。

たかだか刑事に何故、餓えた獣のような目をする男がいるのか、と。



「……楽しい喧嘩になりそうじゃねぇか。」


「おぅ。心行くまで殴り合おうじゃねぇか。」



虎太郎とアサシンが睨み合う。

もはや一触即発。そんな状況。



「はいはい、漫画みたいな展開をありがとうよ。」



そんなふたりの間に割って入る男がひとり。



「若造、お前はさっさと北条と彼女を連れて上に行け。たぶん、『上のヤツ』の方がよっぽど危険だぞ。それに……。」



周囲を見渡し、熊田が小さく呟くように言う。



「……古橋がいない。」



その一言で、事態は急を要することを悟った北条。



「頼んじゃっていいですか?」


「当然だ。歳を取ってもまだまだ若いもんには負ける気がしねぇよ。」


「無理はしないでくださいよ?」


「もう、無理をする歳じゃねぇさ。」



北条は、いとも容易くアサシンを熊田に任せた。



「お、おい! いいのかよ!」



出鼻をくじかれた形になった虎太郎が、心配して北条に問う。



「心配ないよ。多勢に無勢だったら虎を残すけど、一対一でしょ?」



問題ない、と笑うと、北条は先を急ぎ始める。



「でもよ……。」


それでも、虎太郎は心配だった。

自分とあさみ、ふたりがかりでようやく退けたアサシンを相手に、大柄で腕っぷしは強そうではあるが、初老の上司をひとり置いていくと言うのが、どうしても不安だったのだ。



「アンタ、本当に大丈夫かよ!?」


「うるせぇなぁ……まかせとけって言ってるんだから、さっさと任せて行けよ。」


熊田は面倒くさそうに虎太郎に言うと、そのままアサシンに向きあった。



「おい、逮捕だ。両手出せ」



あまりにもシンプルな言葉で、アサシンを拘束しようとしたのだ。



「……そういって、 これまでに拘束できたヤツ、何人いる?」



熊田がは笑って言う。



「そういえば、居ねぇな。」


「そんな甘いヤツに、俺を拘束できるかよ!」



アサシンは、そのまま熊田に向かい飛びかかった。


「さぁ、ここは熊さんに任せて、僕たちは上へ急ごう。」



熊だとアサシンが組み合うところまで見届けた北条は、虎太郎、あさみに先へ行くよう促す。



「大丈夫なのかよ、あのオッサンひとりで!」


「私たち2人がかりで逃げられたヤツなんだけど……。」



虎太郎もあさみも、ふたりがかりでアサシンと対峙したときのことをまだ鮮明に覚えていた。


「手負いとは言ってもさ、アイツだぜ?」



SITと言う組織は、犯人逮捕のためなら手段を選ばず全力で取りかかる。

多勢に無勢、卑怯と言われようと、犯人を逮捕しなければまた次の被害者が出るかもしれないのだ。

非情と言われても、犯人逮捕には全力を尽くす。


そんなSITを、ひとりで退けたのだ。

相当な疲労とダメージであろう。


それでも安心できない。

それが、アサシンと言う男なのだ。



「まぁ、大丈夫でしょ。熊さんなら。」



しかし、それでも北条は心配してはいなかった。


「確かに、小島邸でアサシンと会ったときは、これはキツいな~と思ったけど、それは熊さんが帰ってきていなかったから。もし熊さんがあの時点で帰ってきてたら、稲取くんではなくて熊さんを応援に指名したよ。」


「そんなに……強いのか?」



確かに体格は良いが初老の男。

格闘が出来るのかと言えば疑問が残る。



「彼、捜査一課でもやっていけるほどのエリート刑事なんだよ、実は。でも、どうして四課長なのか。それはね……。」


熊田の様子を見る。

アサシンの攻撃を軽々といなし、その丸太のような太い腕で逆にアサシンを殴り飛ばしていた。



「なかなか出頭に応じない、小さな暴力団事務所を……熊さん、拳だけで潰しちゃったんだよね。全員強制検挙という荒業でね……。」


「うそ、でしょ……。」



それがどれ程凄いことなのか、あさみには容易に想像できた。



「部隊と違って、型にはまった闘い方をしないから、暴力団関係者は厄介。相手を倒す、殺すことを目的に来るし、組織でなりふり構わず襲ってくるから、対処が難しい。そんな奴らを相手に、ひとりで事務所ごと潰すなんて……化け物よ。」


「……そう。全盛期と比べると確かに落ちたところはあるかもしれないけど……それでも彼は、『化け物』なんだよ。大熊? それともキングコング?」



虎太郎とあさみが熊田を見る。

アサシンに何発か殴られてはいるものの、笑みが消えていない。



「何て楽しそうに殴り合いするんだ、あの人……」



虎太郎が、唖然とする。



「ね、大丈夫な気がしてきただろう? 熊さんが警視庁上層部に行かないのは、そう言うことさ。行かないんじゃなくて、『行けない』が正解。」



「おっそろしい……!」



北条の言葉に、虎太郎とあさみは顔を見合わせた。


「テメェ……一体何者だよ。」



アサシンと殴り合いを繰り広げる熊田。

その拳の重さ、そして打たれ強さに思わずアサシンが問う。



「俺?……警部補。」


「そうじゃねぇ……『何か』やってやがったな……。」



そう、拳が重い。

その重さは、ただの喧嘩で養われるものではない。

打ってくる場所、そして効果的な筋肉の使い方。

それは、ただ喧嘩をしているだけでは身に着けることが出来ない技でもあるのだ。



「そうか……お前も『この道』のプロだったのか。じゃぁ分かるわな。俺はプロボクサーのライセンス持ってんだ。」



熊田はにやりと笑うと、床に血の塊を吐き出す。


「久しぶりだぜ。手応えのある奴と殴り合うのは。」


そして、嬉しそうに拳を構えた。


「試合には出てないけどな。今の仕事を長く続けるには、喧嘩じゃ物足りなかったんだ。何かあったときに自分を……いや、民間人を『確実に』守れる、そんな技能が必要だった。今の日本は拳銃社会には否定的だ。銃刀法だってあるから他の武器は持てない。結果、自分の拳を鍛えるしかなくてな。」


「それで、プロボクサーかよ……。その道に進んでいたら、タイトルのひとつも持っていたんじゃねぇのか?」


「タイトルなんかに興味はねぇよ。昔も今もな。俺は刑事だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。言っただろ? ボクシングは『手段』でしかねぇんだ。」



構えを崩さない熊田。

その姿が心なしか大きく見えてしまうアサシン。


(こいつ……たぶん俺よりも強い。でもよ……だからってハイそうですかって道を開けるわけにはいかねぇんだよ……)


既に3人に道を譲ってしまっている。

止めることが出来なかったいま、アサシンの使命は失敗に終わったといっても過言ではない。


SITを退けた。

それだけでも大きな功績ではあるが、アサシンの中では『誰も通さない』ことが自分に課せられた役割だと思っていたのだ。



「もう……俺の役目は終わった。俺に残された道は、誰かを道連れにすることなんだよ。ちょうどいい。あんたにするか。警部補ひとり倒したとあらば、きっと『盟主』も納得してくれるだろうよ。」


SITとの戦いで、体力は尽きかけている。

もちろん負傷もした。

おそらく、左手の拳は砕けているだろう。

肋骨だって数本折れている。

両足は、打撲と捻挫。

まともなスピードを出しては動けない。



「どのみち、『盟主』が目的を達して脱出したとしても、もう俺はここから逃げることも出来ない。この足じゃな。潔く受け入れるぜ、逮捕という道をな。でもよ……このまま戦いに負けて逮捕じゃカッコワリィ。テメェを倒してから、潔く両手を突き出してやることにするぜ。」


どのみち逮捕されるなら、最後に一花咲かせたい。


アサシンは、足を引きずるように歩きながら、熊田と対峙した。


「お前……昔の俺に似てるな。」



必死に自らを奮い起たせ、自分に何度も向かってくるアサシンに、熊田は若かりし頃の自分の姿を重ねていた。



何度挑んでも上手くいかない、そんな時が熊田にもあった。

いまの熊田が絶対的な四課の長として君臨しているのは、そのとき自分は決して諦めなかったからだと自負していた。


周りからは何度も諦めろ、何度やっても無駄だと言われてきた。

同期に張り合いのある者がいなかった熊田には、その言葉ひとつひとつが苦痛であった。



「認めたくないんだよな。諦めれば楽になる。楽をすれば上手く生きられる。その現実をな……。」



SITとの交戦。

そして、熊田との壮絶な殴り合い。


さっさと仰向けに倒れ、目を閉じてしまえば全てが終わる、そんな状況でも決して倒れず、膝をつくこともしなかったアサシン。



「テメェは、真面目すぎたんだよ。少しでも楽な道に進んだとしても、それなりの生き方は出来たはず。そうしなかったのは……自分に嘘をつきたくなかったからだろう?」



まるで自分に言い聞かせるように、熊田はアサシンに言う。


「あ? テメェなに言ってるんだ?」



突然自分のことを見透かされたようで、アサシンは一瞬言葉を失った。

その一瞬が、熊田にとってはこれ以上無い返答だった。



「俺も……同じだよ。」



突っ込んでくるアサシンの、ハンマーよりも重い右拳を良く見て躱し、アサシンのがら空きになった顎に思い切り自身の右拳を叩き込む。



「く……うぅっ……!」



この一撃が決め手となった。

完全に意識が飛んだアサシンは、そのまま階段室の踊り場に仰向けになるように倒れた。



「クソ真面目に生きて、勝手に絶望してくだらないものを追いかけて……いつの間にか道を踏み外して、それでも間違ってるって認めたくなかったんだよな? 良いじゃねぇか。そのくらいのプライドが無ければ、男として生きてはいけねぇよ。」


「……ちく……しょ……ぅ」



朦朧とする意識のなかで、アサシンが発した小さな一言。

この言葉に、アサシンのこれまでの悔しさが凝縮されているような気がした。



「絶望を感じたときに、お前が惚れたもの、それが間違ってたんだな。でも心配するな。その間違いは、俺たち刑事たちの未来を担う奴らが正してくれる。だから安心して……テメェは寝てろや。」



懐から煙草を取りだし、火をつける。

そのまま、壁を背もたれに崩れるように座り込んだ。



「膝が笑ってやがる……寄る年波にゃ、勝てねぇなぁ。ちょっと疲れたぜ。」



煙草を吸いながら、熊田は上の階を見上げた。



「頼んだぜ、若造たち……。」

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