11-2

「怪我人はそれぞれの課の事務所に運んで応急処置を! 動ける人は犯人逮捕に協力して!」



なかなか犯人達の後を追えないでいる司。

その被害は思っていたよりも大きかった。


(たった4人でここまで警視庁を追い込むなんて……。)



犯人達を防犯カメラで見た位置、そこは上層部の人間がいる特別執務エリアへの入口。


「おそらく、犯人達は警視庁上層部の人間に用がある、ということね。しかも、なかなか穏やかではない状況……。」


(こんなとき、あさみがいてくれたら……。)



小島宅での格闘の一部始終の報告を司は受けている。

あの大柄の男が報告にあったアサシンであるとすれば、互角に渡り合ったというあさみの存在は必須である。



「老人は……辰川さんで太刀打ちできるかしら……。」


老人が毒物を扱うのか、薬物を扱うのか、それとも他の何かを専門とするのか……。

特務課で専門的な知識を有するものは、爆発物処理能力に長けた辰川しかいない。



「あのハッカーは、悠真くんに頑張って貰うしかないわね。」


小柄な男は、悠真が適任であろう。特務課に来てから、彼が望むようなハッキングは行っていないが、ハッカー相手であれば、その技術を存分に発揮できるであろう。



「よく分からないのは、あの女子高生ね……。」



問題は、女子高生風の少女。

見たところ、格闘に長けている様子であった。

しかも、相当の手練れである。



「彼女をあさみにあてる? そうするとアサシンは……」



こんなとき、どうしても特務かメンバーのバランスの良さが裏目に出てしまう。



「……違う、違うわ。」


司が何かに気付き、大きく首を振った。



「これはゲームなんかじゃない。無理に一対一の状況を作る必要なんて無いわ。みんなで全員を逮捕する。それで良いじゃないの……。」



敵の個の能力の高さに、司は嫉妬したのかもしれない。

しかし、特務課のメンバーも警視庁内では有能。

最高の精鋭メンバーなのだ。



「早く、合流して……。」



司ひとりでも、かなり能力の高い刑事である。

それでも、仲間達と力を合わせれば、個人の能力以上の結果が必ず出せる。


司はメンバー達の合流を待ち望んだ。



「司令、聞こえる?」



そんな中、無線から聞こえるのは悠真の声。



「僕が出来るだけセキュリティをクラッシュさせないように頑張るから、一度司令室に戻ってきてよ。このまま勢いで行っても無駄死にだと思う。外の様子も分かったから、僕が時間を稼いでいる間にじっくり作戦を練ろうよ!」



すでに、司令室では、小柄の男にセキュリティを破られないように悠真が戦っていたのだ。



「……分かったわ。」



確かに、このまま闇雲に敵に向かっていったところで、いかに捜査官として優秀な司とはいえ分が悪い。

相手の目的が分からない以上、仲間たちの合流を待ち、体勢を整えることも重要だと判断した。


司の長所は、分が悪くてもこちらに有利だとしても、その状況を瞬時に理解し、判断できること。

司にとって今の状況は、『不利な状況』であり『このまま進むべきではない状況』なのだ。



「悠真くん、どのくらい頑張れる?」


「うん……もし、彼が僕の知っている人物だとしたら、そんなに長くはもたない……。持って2~3時間くらいかな?」


「悠真くんでも……?」



あの気弱そうな小柄の青年は、それほどまでのハッカーなのか。

司はこの警視庁が重大な危機に晒されていることを、改めて理解した。



「志乃さん、外との通信は?」


「何度か試みていますが、おそらく電波をどこかで遮断もしくは妨害されているようで、全く繋がりません。そろそろ稲取さんたちが狙撃手……高橋警視監を連れてこちらに到着する頃なのですが……。」



稲取に古橋、そして特務課メンバー。

現警視庁の主力メンバーが皆。高橋の逮捕に駆り出された。

庁内には留守を守る警察官ばかり。



「もしかして、高橋さんはこれが狙いだったのかも……。」


司が、ある可能性に気付く。



「高橋さんがもし、自らを囮とするなら……これほど容易に警視庁の主力をおびき寄せることの出来る材料はない。何人も殺している、神の国の幹部の一人。いわば驚異のひとり……。逮捕出来れば大きく事態が進展する。そう思うもの……。」



ようやく、司が司令室に戻る。



「……警視庁内を手薄にするため、高橋さん……ううん、狙撃手ほどの幹部が囮になったって言うこと? でもそれじゃ、神の国にとっても大きな損失なんじゃ……。」



司の推理を無線で聞いていた悠真が、必死にハッカーの攻撃を阻止しながら、司に問う。


「そう、そこなのよ。大幹部といって良い狙撃手を、易々と囮にできた理由は何? これからも犯罪行為を続けるなら、彼がいたほうがいろいろな局面で都合がいいはず。裏切りの抑止力、そして『盟主』の思想の実行のために、あの高度な能力は必要だもの。」


司は、今の状況と『神の国』のメンバーの行動を分析し、その真意を導き出す。



「もしかして……、この警視庁内に、奴らの『目的の最終到達点』があるっていうこと……?」


「……さすがは特務課司令だ。ご名答。」



司が答えを導き出すと同時に、司令室の扉が開き、大きな拍手をしながら男がひとり、入ってきた。



「あなたが、盟主……?」


司は、声のする方に視線を向けた。



「久しぶりだな、司……。」


「え……?」



突如、司令室に入ってきた男。

その男の声に、司は聞き覚えがあった。

しっかりと着こなした黒いスーツ姿。

やや長めな髪はしっかりとオールバックにまとめられており、清潔感がある。


細身で長身のその男。

左目には黒い眼帯を着けてはいたが、一目で司にはその男性が誰なのかが分かった。



「いっ……せい?」



そう、8年前の事件で湾岸ビルの爆破に巻き込まれ、行方知れずになっていた、もと捜査一課・灰島 一誠その人であった。



「一誠……あなたがどうして……?」



灰島が『盟主』である驚きよりも、司の心の中では灰島が生きていたことに対する喜びの方が勝っていた。

しかし、なぜ灰島がここまで闇に落ちてしまったのか?

それは司も気になっていた。



「その『どうして?』はどちらの意味かな? 俺が生きていたということに対してのものか、それともなぜ俺が『神の国』なのか、という意味か?」



「……私は、あなたが生きていてくれたことは素直に嬉しい。でも……それならどうして『こちら側』にあなたがいないの? あなたは、何よりも正義を守りたい、そう思って刑事になったはずよ……?」



感動の再会。

本当なら、何も考えることなく、灰島の胸に飛び込んでしまいたかった。

生きていてくれた。

あの惨状から、生き残ってくれていた。

それだけでも、涙が出るほど嬉しいことなのに……。



「……たくさんの人が死んだわ。私たちの同僚も、そして仲間の大切な人も、無慈悲に命を奪われた。何も悪いことはしていない。毎日を一生懸命に生きてきた、そんな人たちを、何故……!!」


無差別殺人、そして虎太郎の婚約者・奈美の死。

灰島の生存を手放しで喜べない状況が、司にはあったのだ。



「俺は、知ってしまったんだ。この警察の……腐りきった警察の本当の姿を。だから、だからこそ俺は変えていかなければならない。この腐りきった警察を壊し、本当に正義を貫ける組織に生まれ変わらせる。それが俺の目的だ。そのためには……今のうちに出しておかなければならない『膿』を完全に消さなければならないんだ。」


「それが、あの人たちを使って向かう先、というわけね……。」


「……そうだ。」



司の手が、小刻みに震える。

いま、司の目の前に立っているのは、紛れもなく灰島である。

その容姿、声、立ち居振る舞い……。

その全てが、8年前のままだ。

しかし、一つだけ変わってしまったことがあった。


それは、灰島の持つ『正義の姿』が歪んでしまったということ。



「……変わってしまったのね、8年もの間に……。」


司は、悲しげな表情を灰島に向けた。


「8年前に……何があったの……?」



自分の身を挺してでも人を助けようとした灰島。

彼が人の命を奪う側にまわってしまったことは、司にとっては衝撃だった。

その理由を知りたかった。

そして、自分に何か出来ることはないかと考えた。 



「8年前に、俺は絶望という言葉を知った。ただ……それだけだ。」


「どういう……こと?」



「俺の妹が、どんな目に遭ったか……昔、話したよな?」


「えぇ。当時大学生の男に乱暴されて、それを苦に……。」


「……あぁ。その犯人のことは、今回の高橋さんの事件で知ったか?」


「……小島警視正の、息子……。」




そう。北条は、小島のリストの中でいちばん最初に狙われるかもしれない人物として、小島警視正の息子を挙げた。



「もしかして、北条さんは貴方のことを……。」


「あの人のことだ。きっと気付いたんだろうな。だから、小島の息子を殺すことには失敗してしまった。」



小さく溜め息を吐く灰島。



「しかし、だ。8年前に俺が直接小島に話をしに行けたなら、あいつは命を落とすこともなかったし、息子が命の危険にさらされることはなかったんだ。」


「どういう……こと?」


「俺は、妹の墓の前で、ふたりに膝をついて謝って欲しかった。ただ、それだけで良かったんだ。」


「どうして、そうしなかったの……?」



8年前に生き残っていながら、なぜ灰島は小島のところへ行かなかったのか?


なぜ生き残っていながら、警視庁に戻ってこなかったのか……?



「俺が生き残ると都合が悪い、そんな連中が警視庁内にいたんだよ。俺は……あの日、警察の手によって消されたんだ。」



灰島の瞳に、怒りの炎が宿る。



「警察に、消される……?」


「あの日、ビルの爆破のあと、警察関係者と消防で懸命の捜索活動が行われた。司、お前も参加してくれたんだろう?」


「えぇ。でも、貴方は見つからなかった……。」


「……そうさ。俺は捜索活動が開始される前に、警察関係者によって消されたからな。」


「え……。」



捜索活動は、警視庁の号令により一斉に開始された。

しかし、発見できたの民間人の生存者、3名だけだった。



「俺は、あのビルの残骸の下敷きになっていた。そのお陰で、海には落ちずに瓦礫に引っ掛かっていた。しかし……俺を見つけたそいつは、瓦礫をどかすと俺をそのまま海へと蹴り落としたんだ……。」


「どうして、仲間を海に……?」



灰島の言葉に疑問を感じる司。



「捜索にきた刑事ふたりは、小島の息のかかった奴らだったんだ。俺が生き残ると都合が悪い。そう思った小島は、俺をそのまま亡きものにして、永遠に口を塞ごうと思ったんだよ……。」



灰島の脳裏に、当時のことが鮮明に浮かび上がってきた。


「酷い……。」


「そんなヤツが、警察の上層部にいたなんて……。」



司とともに灰島の話を司令室で聞いていた志乃と悠真が、8年前の真実に絶句する。



「幸運にも俺は再び生き残った。だが、それを知られてしまってはまた消されるかもしれない。だから、俺は行方不明のまま身を潜めた。」


「私に教えてくれても……。」


「保身のために人を殺そうとするヤツだ。万が一、お前の身に何かが起こったら……そう思うといえなかった。」



灰島は、おそらく司に生存を知らせたとしても、小島の闇については司に話さなかっただろう。

それでも、司が灰島と接触したことを知ったら、小島は何らかの手段で司を消したかもしれない。


たとえ話していなかったとしても、『話したかもしれない』という、疑念だけで。



「身を隠している間、俺は小島の数々の悪事を知った。泣き寝入りしている被害者は、妹だけじゃなかった。何人も、何十人も……『権力』に媚びた小島は、権力者やその関係者の事件を揉み消してきたんだ。」



その時に知ったのが、小島のリストの存在である。



「同時に、小島の欲深さも知った。こんなリスト、わざわざ作る必要はなかったんだ。揉み消して、金をもらって、あとは証拠を隠滅してしまえば、隠蔽の事実も隠せただろう。だが、小島は何かあったときに、事件を楯に権力者を揺すろうと、リストとして事件の詳細、献金の額、被害者の名前や住所、連絡先……全てを残したんだ。」



「……下衆ね。」



「そんな個人の私利私欲のために、俺は殺されかけたのか、8年間も姿を隠して細々と生きてきたのか……。その一方で、当人達は幸せな人生を送っている……。」



灰島がギリ、と拳を握る。



「あるとき、俺の頭のなかで何かが切れたような音が聞こえた。その時からだ。警察なんか悪事を隠す隠れ蓑でしかない。警察には最初から、正義なんか無かった。そう思うようになったのは。」


「それは、違うわ……。」


「違わないさ。だから、そんな腐った警察に、俺達は挑戦状を叩きつけた。お前達に本当に正義を守れるのか? お前達は、俺達を悪と呼べるのか? ……とな。」




絶望にうちひしがれた灰島。

その絶望は、時とともに警察へとの憎しみへと変わっていったのだ。



「警視庁副総監・遠藤。その男を殺したら、次は政権だ。腐った人間をこの世から消して、また作り直しをさせるんだ。全うな人間の手で……!」


「でも! 貴方のやり方も間違ってる! 大勢の人を殺すことが、復讐だとは思えない!」



必死に灰島に向かい訴えかける司。

しかし、その無機質な視線は動かなかった。


 「さて、そろそろ行こうか。ここでのんびりしている間に、遠藤を逃がしたり、逮捕されてしまっては意味がない。」



灰島は、言葉は尽くしたと踵を返す。



「……逃がすわけにはいかないわ。これ以上、貴方に罪を重ねて欲しくない。ここで、私が……!」



司が灰島の背に向かい、拳銃を向ける。



「……殺せるのか? お前に俺が……。」


「……このまま行くと言うなら、そうなっても止める……!」



司の脳裏に、灰島との思い出が浮かぶ。


(もう、あの時のようには戻れないのね……。)



かつての恋人の命を奪わなくてはならないという苦しみに、司の手が小さく震えた。



「……その状態じゃ、無理だ。司、君に俺を止めることは出来ないよ。」



灰島は静かに振り返ると、小さなボールのようなものを2つ、取り出した。



「俺の仲間に、神経毒や薬物のエキスパートがいてね。これは彼から念のため預かってきたものだ。君たちに罪はないが……この密室でこれを使えば、君たちも無事では済まされない。」



「……え!?」


「ちょっ……何する気だよ!」



灰島の言葉に、志乃と悠真が青ざめる。



「駄目!2人には手を出さないで! 私たちとの間には、何の関係もないでしょう?」


必死に制止しようとする司。

しかし、灰島は小さく首を振った。



「俺と君との間には関係ないかもしれないが、そんな簡単な話じゃない。これはもう、『神の国と警察との戦い』なんだよ。仕方の無いことだ。君たちが、警察に所属しているのだから。」



そう言うと、灰島はボールを持った手を大きく振り上げる。



「志乃さん! 悠真くん! ガスマスク装着を!」


「……もう、遅い。」



志乃と悠真がガスマスクに手を伸ばしそうとしたその瞬間、2つのボールは床に投げつけられ、破裂した。



「うわぁ!」


「……!!」



志乃と悠真は、咄嗟に鼻と口を手で覆い、机の下へと身を隠す。


司も、素早くその場から飛び退くと、近くにあったガスマスクに手を掛けた。



「……え?」



しかし、司はすぐにガスマスクを置く。


「ただの、煙幕……?」



その色、そして、臭いは司の知る限りの毒物とは違った。

司の知識を辿って、この煙の正体を考えるが、すぐに結論が出る。



「これだけマスクなしで煙を吸っても症状が出ないということは、これはただの煙幕ね。やられた……逃げられた。」


灰島は、防犯カメラの画像で司達が老人の特性を見たことを知っていたのだ。

それを踏まえた上で、ガスの話をちらつかせ、ただの煙幕で司達の目を眩ませることに成功したのである。



「そう言うところは……昔から変わってない。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る