9-5

「駄目です……ビル周辺、近隣施設のどこにも、鬼神会構成員の姿は確認できません……。」



一方、ビル周辺の捜索に当たっている捜査四課、通称マル暴のメンバー達は、関東最大の極道組織・鬼神会の足取りを追えずにいた。



「どういうことだよ……情報筋は確かだったはずだ。上からの指示なんだからな……。」



捜査四課長・熊田も戸惑いを隠せない。

現に湾岸ビルに麻薬密売に携わっていた犯人達は立て籠っていた。

そして、人数も連絡通り、8人だった。



「これほど確実な情報を下に連絡しておいて、鬼神会の奴らの情報だけ誤報?んなわけあるかよ……。」


「課長、私……本部に直接……」



混乱する熊田に、司がある仮説を立てる。



「もしかしたら、鬼神会は本部から動いていないのでは……。」


「なんだと?じゃぁ俺達は、ガセネタを掴まされたってことか?」


「ビル内にいる犯人達の情報が正確である限り、100%のガセネタとは考えにくいです。と、なると……どこかで『鬼神会の情報だけ歪んだ』と考えるべきでしょう。」



司は、こう見立てた。

麻薬密売に関わるメンバー達は、みな鬼神会構成員であった。

であるならば、『鬼神会』という名前をもっと有効に使うことが出来る。



「鬼神会の名前を使うことで生じる、我々の大きな動きとは……。」



司は必死に考える。

そして……。



「……そうか……!」


「どうした、新堂?」



司は、今回の事件に隠された可能性に気づいた。



「まず、ビル内8名の素性を隠し、麻薬密売組織のメンバーとすることで、我々四課よりも先に、捜査一課のメンバーを現場に急行させる。」


「あぁ、確かに。俺達が鬼神会の話を聞いたのは、一課が出た後だ。」



熊田が、少し前のことを思い出しながら頷く。


「次に、『鬼神会構成員が』と、彼らの名前をわざと表に出す。そうすることで……」


「そりゃ、俺達が動くよな。マル暴なんだし……あ。」



熊田も、何かに気づいたようだった。



「そう。ひとつの情報で、一課も四課も動かされたという形になります。でも、それは何のため……?」



あまりにも周到な、一課も四課も巻き込んだこの事件。

しかし、その謎にはまだ遠く、黒幕の真意が読めずにいた。



「こちら一課。北条さんと灰島のふたりだけが中に入ることを許可された。そして、中のメンバー全員を確保。メンバー8名は全員、投降する姿勢のようだ。」



ちょうどそのとき、熊田の携帯電話に、稲取からの着信があった。



「了解だ。……でも何で電話なんだよ。」


「分からないですよ。北条に『無線を使うな、電話で話せ』って言われてるんだから……。」



自分もその理由が分かっていないようで、稲取は不満げに熊田に言った。


「……真面目に考えよう。抗争中のはずの鬼神会はどこへ行った?そして、そもそも、この事件の情報を流したのは?そしてなぜ、このビル内に入ることを許可されたのが、僕と灰島くんなんだ……?」



8人を連行し、ビルの入り口に差し掛かるまでの間、北条はずっと押し黙ったまま何かを考えていた。


「僕は、きっとこれまでの捜査で悪者に恨みでも買ったんだろう。それは分かる。でも、灰島くんはどうしてだ?極道や麻薬密売組織に関する事件なんて、これまで無かったじゃないか……。」



考えれば考えるほど、謎が深まっていく。



「灰島くん……」


「はい?」


「君、ここに急行する前に、何か僕に言おうとしたよね?それって……」



そのときだった。

灰島のスマホにメールが届く。



『今回の事件、一課と四課を出動させる意図があるものと推測。罠の可能性が高い。』



「司……?」



それは、灰島の恋人である司からのメールであった。

灰島は、他の誰にも見られないように、そっと画面を北条に向ける。



「……よくもまぁ、こんな根回しを……。」


北条は、この時点である仮説を立てたのであった。



(警察内に、おそらくこの罠を仕掛けた黒幕がいる。そいつは警察上層部にいながら、極道組織とも連携が取れる人物……誰だ?そして……)



北条が、灰島を見る。



(きっと、拜島くんが追っている事件とも関係があるんだろうな。おそらく、僕と灰島くん、必ず消さなきゃならないのは灰島くんの方だ。どうにかして守る方法を考えないと……。)



おそらく、灰島は警察の暗部に踏み込んでしまったのだろう。

そう、警視監に昇格した高橋や、北条、稲取、そして熊田も知らない、深い部分にある闇を。


そして、踏み込んだことを知られてしまった。

故の今回の事件なのであろう。



「そ……そこまでだ。」



不意に、北条の背後から声がした。

怯えたような、掠れ、震えた声。



「絶対に、誰も動くな……。」


一同の最後尾にいた、犯人グループのひとり。

他の全員が、一斉に振り返る。



「た、竹中……。」


その男は、8人の中で最も若い、グループの鉄砲玉のような男であった。

その手には、爆弾のようなものが複数個見える。



「おい……何やってるんだよ竹中ぁ!」


「その爆弾、どこから……。」



おそらく、ここまでの道のりのどこかに隠してあったのだろう。

大きめのバックの中に、複数の爆弾が見える。



「……これは、予想できなかったねぇ……。」



8人の中に、黒幕の息のかかった者がいる。

そこまで想定していなかった北条が、小さく舌打ちをした。


「竹中!お前何バカな真似を……。このままこいつらと外に出れば、俺達は逮捕はされても命は助かるって言ったばかりじゃねぇか!」



爆弾を所持している犯人……竹中に、仲間達が歩み寄り説得する。しかし……。



「お前らは天涯孤独の身なのをオジキに拾ってもらったから、自分の命を守ればいい。でもよ……俺には家族がいるんだよ!カミさんと、まだ2歳のガキがいるんだよぉ……!」



悲痛な表情を見せる竹中。



「逆らえば家族の命はない。そう言われたんだね?……誰に?」


北条が、鋭い視線を竹中に向ける。



「知らねぇ奴だ……でも、男だ。」


「何か方言とか言葉の特徴は?」


「そんなの、気にしてねぇよ……。」



動転しているのか、なかなか北条と竹中の会話が噛み合わない。



(無理もないか……。命の危険に、家族のこと。重なってしまったら、普通の人間じゃ取り乱すよね……。)


これまで、たくさんの人間を見てきた北条。

竹中が今どんな心境でいるのか、容易に想像できた。



「質問を変えよう。『彼』は自分のことを何て呼んでいた?」


北条は、警視庁上層部に黒幕がいるのではないかと予想し、竹中に訊ねた。



「それは……覚えてる。『私』って言ってた。なんだ偉そうな奴だな……そう思ったからな。」



(なるほど……。)



ここで、警視庁の上層部のことを頭に浮かべる北条。



「……まさか、ね……。」



警視庁上層部で、自分の事を『私』と呼ぶのは3人。

その中のひとりは、北条の恩人。

悪い予感が頭を過ったが、小さく頭を振り、北条は自らの雑念を振り払った。



「とにかくだよ。いま、この状況をよーく、考えてみようよ。この場所でその規模の爆弾を起爆したとする。一気に足場が崩れて、僕たちは全員海の底。そうならなくても瓦礫の下敷きだよ。例外無くね。」



湾岸ビルはその名の通り、東京湾沿いに立てられたビル。

天気の良い日は美しい海の様子が見える好立地ではあるが、それが犯罪に使われるとなると、その立地条件は最悪と言える。



「犯人であれば海に逃げることも出来る。閉じ込められたら背後は海。正面玄関から出るしか方法はない。……困ったよね。」



本来であれば、退路の事を考えることなど無い案件だった。

上手く犯人グループを説得し、正面玄関から出る。

そして、外で待機している一課および四課のメンバーが確保する。



それだけで良かったのだ。



(まったく……ここまで根回しが出来るなら、もっとその頭を有効活用して欲しかったねぇ……。お陰様で、まぁまぁのピンチじゃないか……。)



北条の額に、脂汗が浮かんだ。

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