8-13
「さぁ、皆さん集まりましたね?」
1階・エントランス。
集められた人質は、各事務所で働いていた職員たちも加わり、大人数となっていた。
そこには、執務室から呼ばれた都知事・一色の姿もあった。
「私たちは逃げないわ。だからみんなに食事を提供させて貰えないかしら?このまま皆さんを放置していたら、体調を崩す人が増えていくのは明白よ。」
一色が、気丈にもFと交渉する。
「まぁ、このまま死なれてもつまらないですからね。良いでしょう。しかし、ひとりでも戻ってこなかったら、問答無用で全員皆殺しにします。」
「戻るも何も……外への出口はみんなあなたたちが押さえているんでしょう?しかもこちらは丸腰。敵いっこないわ。」
一色が両手を広げ『お手上げ』のジェスチャーをして見せると、優越感を感じたのか、Fは笑って頷く。
「良いでしょう。ゆっくりと食べてくると良い。最後の晩餐になるかもしれませんからね。」
Fは、不適な笑みを浮かべながら、人質たちを送り出した。
「……どんだけ余裕なのかね、彼は。」
その様子を、陰から北条が見ていた。
Fがおかしなことをしないか見張るのが目的だったが、その場に一色も移動してくれていることに安堵した。
別々の階層で監禁されていたら、双方を助けるためのリスクが生まれてしまうからだ。
一色はひとり、食事を取ること無くその場に残って待つ。
「あぁ言うところだよね……自分は食べなくても、市民には。本当に良くできた知事さんだよ。」
「おい、俺達もそろそろ交代の時間だ。」
そして、犯人グループも、見張りの交代の時間がやってきたようだ。
エントランスにいた5人が、それぞれ出入り口を見張るメンバーに電話をしている。
「助かるぜ。そろそろ眠くなってきたところだ。」
「さすがに訓練を受けても、生理現象には勝てねぇよな。」
口々に今回の作戦の口をこぼすメンバー達。
(グループも一枚岩ではない、と。)
「たぶん、『指揮官どの』が派手に動くのは朝になってからだろう?それまでにお前達の銃の弾、補充しておいてやるよ。」
「本当か!?助かるぜ。ちょっと面倒臭かったんだよな……。」
「俺達交代番で、補充と調整やっといてやるよ。こういうの、『専門』なんでね。」
「悪いな……。じゃぁ、交代のときに置いていく。」
そして、グループ同士の通話も切れる。
「さて、行くか。……ゴーサインは慎重にな。」
「出来るだけ、同時に突入できるようにしたい。」
「……了解。」
このグループの会話に不思議を感じたのは、北条。
ゆっくりと近付こうとすると、グループのひとりが手を前に出し、北条を制した。
思わず足を止める北条。
立ち止まったのを確認したメンバーは、そのまま各出入り口へと向かった。
北条に向かい、手の親指を立てるジェスチャーを見せながら……。
「司ちゃん、もしかして……。」
「……ええ。具体的な配置は聞かされていないけど、潜入捜査官の可能性が高い。」
仲間だと思っている人間に、武器の手入れを買って出られたら、自分の負担を減らす意味では頼む者もいるだろう。
(もし、あの5人が潜入捜査官だったとしたら……このやり取りで敵の武器を奪えたってことか……。)
途端に、北条の頭の中で勝利の方程式が組み上がっていく。
現在地は1階。それぞれの出入り口との距離も、そうはない筈だ。
「合図が来た!」
そう、北条が考えを巡らせている時だった。
いま、まさに侵入を試みようとしていたあさみから無線が入った。
「出入り口……窓も含むけど、計5ヶ所から煙幕!侵入経路の誘導灯替わりね!」
あさみの言葉に、司令室の緊張感が高まる。
「司令、無線を共有にしました。他部署にも同時に話せます。」
志乃が、ちょうど良い頃合いで司の司令が全刑事に伝わるように調整し……。
「突入班、総員突入!中で二手に分かれて!人質の避難誘導と、犯人グループの鎮圧に全力を!」
この司の合図で、一気に都庁周辺の熱気が上がった。
「一課は俺についてこい!人質の避難誘導いくぞ!」
「SIT各員は犯人グループの制圧だ。落ち着いて状況を判断し、油断せずかかれ。」
都庁周辺に待機していた稲取と古橋が、それぞれ自分の部下達に指示を出す。
「遅れをとってはいられないわ!私は犯人グループの鎮圧する!」
「俺は、都庁内の危険物の捜索と解除するか~」
あさみと辰川も、この隙に各々の作戦を遂行すべく動き出す。
この熱気は、すぐに都庁内部にも伝わる。
「……何事ですか!」
Fが状況確認を急ぐ。
「見張っていたはずの出入り口から、警察官達が……!」
「そんな馬鹿な……応戦します。武器を!」
「いや、補充のために、さっきの5人に渡して……。」
悪夢のような出来事に、Fの表情が青ざめていく。
「くっ……我々同志の中にスパイがいたんですね。ふざけた真似を……!」
Fが見るからに苛立ち始める。
「どの口が言ってるのか……。」
そんなFのもとに歩み寄るのは、北条。
「あ、あなたは……。まぁ、大人しくしているとは思っていませんでしたが……。」
Fが、一瞬驚いた表情を見せるもすぐに気を取り直す。
「良くもまぁ……こんな『ふざけた真似』をしてくれたもんだよ。しかも、一度ミスをした立て籠り事件で、ね。」
「あの時の私はまだ、犯罪者として未熟だった。完全に『あの方』からのシナリオ頼りだった。ですが……いまは違う。この都庁ジャックは、私が絵を描き実行したもの。……どうです?壮大なものでしょう?」
Fは、両手を広げ、自らの計画を称えようとした。
「……三文芝居を堂々と披露して、笑わせてくれるねぇ。」
北条は、口元ひとつ動かすことなく言う。
「なんだと……?」
「何度でも言ってやるよ。君のシナリオなど、壮大な歌劇には遠く及ばない、三文芝居だと言ったんだ。人の人生を壊し、踏みにじり、信じた人たちの思いを砕く……。下衆の下手な落書き帳レベルさ。馬鹿馬鹿しい。」
「言わせておけば……!」
北条の、普段からは考えられないような冷たい言葉に、Fも次第に頭に血が上ってきた様子である。
「なぁ、北条さんって、あんなキツイこと言うのな……。」
「私も、初めて聞いたわ……。」
「俺も、北条とは長いけど、あんなに感情をむき出しにするあいつは見たことがねぇな……。」
その様子を聞いていた、虎太郎、あさみ、そして辰川の3人も、北条の様子に驚く。
(あのとき……桜川を逮捕したときと同じね……。北条さんは、普段それほど感情を表に出すタイプじゃない。でも……本来の彼は、私たち特務課メンバーの中で……いいえ、今の警視庁のどの刑事よりも、熱い気持ちを持っている。)
北条が、Fに1歩、また1歩と迫っていく。
その迫力に、Fは何もできずにいる。
「さぁ……もう終わりだ。くだらない劇は、この辺で幕を引かせてもらうことにするよ。君はもう……」
ゆっくりと、懐から拳銃を抜く北条。
「……チェック・メイトだ。」
北条の拳銃は、まっすぐにFの眉間を狙っている。
その迫力に、
「う、くぅぅ……。」
Fの足が、小刻みに震える。
「おかしな真似はしない方がいい。僕、これでも『ちゃんとやれば』射撃は上手いんだ。それに、もうすぐここは完全に警察に制圧される。今更人質もどうこう出来る状態じゃない。何より……いかに訓練を受けた仲間だろうと、こちらにもいるんだ。『ちゃんと訓練を受けた仲間』達がね。」
欠片も容赦するつもりのない北条に、Fは逃げ場を次々と失っていく。
「く……くそぅ……!なぜお前はいつもいつも、私の邪魔をする……!」
込み上げてくる、北条に対しての怒り。そして殺意。
しかし、今のまま歯向かっても、おそらく北条には一矢報いることも出来ない。
気が付くと、Fは走り出していた。
制御室を完全に警察に制圧されたため、もうエレベーターは動かない。
非常階段を使い、Fは上へ、上へと走っていく。
「はぁ、はぁ……。」
階下からは怒声が聞こえる。
おそらく、突入してきたSITをはじめとする警察組に仲間が次々と抑えられ、逮捕されているのだろう。
同時に、歓声も聞こえてくる。
これは間違いなく、人質が解放されていく喜びの声であろう。
「こんな……こんなはずでは……!!」
Fの腸は煮えくり返っていた。
逃げ去っていくF。
しかし、北条はすぐには追わない。
(まずは、この低層階の人質を解放し、犯人グループを皆、制圧してからだ。)
黒幕を押さえるにあたり、最も注意しなくてはならないこと、それは周囲の安全に細心の注意を払うこと。
部下たちは黒幕を助けるために死に物狂いになる可能性があるし、爆弾、毒物などの兵器を遠隔操作するよう指示する場合もあるからだ。
SIT、そして捜査一課の刑事ら応援部隊が突入したが、人質の数も増え、1階は大混乱である。
「捜査一課のみんなは人質の避難誘導を最優先にしましょう。犯人グループは、SIT中心にしましょう。敵は10人ほど。引けを取ることはないはずよ。」
「了解!」
「オッケー!」
「俺もいま着いた!加勢するぜ!」
司の臨機応変な指示に、SITの古橋、あさみ、遅れて到着した虎太郎が反応する。
「警察組織に後れを取るな!」
「我々も訓練を受けているんだ!」
しかし、SITが突入してきたにも関わらず、犯人グループは狼狽えたりはしない。
しっかりとターゲットとなる相手を指差して決め、格闘するつもりらしい。
「へぇ……格闘であたしたちを圧倒したら、その隙に逃走するつもりって訳ね。……ナメられたものね。」
その姿勢に闘争心を掻き立てられたのは、あさみ。
「うっしゃぁ!現着!お前ら全員ぶっとばす!!」
そして、虎太郎もエントランスに。
「SIT各員、落ち着いてかかれば問題ない。個別に制圧する!」
古橋は、犯人グループの動きを注視しながら、もっとも効果的な策を隊員たちに指示する。
「……冷静ね。」
その様子に、あさみが感心する。
『各個制圧』
それは個人戦で戦うと言う意味ではない。
文字通り、各個で制圧していくと言うこと。
集団で拘束など、訓練を積んだ者達には難しいこと。
確実に1人ずつ拘束し、最終的に全員を逮捕すると言うのが警察の目的なのだ。
卑怯だ、フェアではないと良く言われたりもするのだが、そんなことは警察官には関係の無いこと。
『いかに効率良く、そして確実に逮捕するか』
それが、警察組織に課せられた最低かつ最重要の課題なのだ。
それを躊躇うこと無く実行に移す。
SIT隊長・古橋の、基本に忠実な、徹底した姿勢があってこそであった。
「さすがは古橋隊長ね……。とりあえず、これで犯人グループの方は安心か……。」
司が、小さく息を吐く。そして……。
「北条さん、1階はもう大丈夫そうなので、Fの追跡を!虎太郎くんも一緒に行って!」
「ひとりでも構わないけど……りょーかい。」
「了解!おらっ、離せよ!」
北条は非常階段に先に向かい、既に格闘を始めていた虎太郎も、犯人グループの男たちを振り払いながら後に続いた。
「ひぃ、ひぃ……なんだって非常階段を上る羽目になるのか……。こういうのって普通、下に降りるために用意されてるものでしょ?」
「知らねーよ、しょうがないじゃねーか。Fの野郎が上に向かってるんだから……。」
非常階段を上りながらFを追う、北条と虎太郎。
ここで確実に響いてくるのが、北条の体力の衰えである。
「虎……急いで行くから、先に行ってて……。」
「そんなことだろうと思ったぜ。司令が俺も行けって行った意味が分かったわ。早く来いよ!」
だいぶ疲れの溜まってきた北条を追い越し、虎太郎は一気に階段を駆け上がっていく。
「虎って……警察官じゃなくても活躍できたのでは?」
苦笑いを浮かべながら、北条は自分なりに出来るだけ急いで階段を上がっていく。
「くっそ……どこまで逃げやがった、あいつ……!」
北条を置いてから、だいぶ早い速度でFを追う虎太郎。
あとは、展望台まで一直線である。
「……いた!」
展望台にFはいた。
「……はぁ、はぁ……、あなたは北条さんの……。」
「オヤジにしては頑張ったじゃねーか。」
じりじりとFとの距離を詰めていく虎太郎。
Fも虎太郎に合わせて後ずさるが、この場にはもう逃げ道はないことを悟っている様子である。
「北条さんは来ないのですか?だいぶ私に対してお怒りのご様子でしたが?」
「北条さんは後から来る。察しろよ、同世代だろ?」
虎太郎は、鋭い視線でFを睨み付ける。
「……テメェら、いい加減にしろよ。人の命を何だと思ってやがる。」
「おぉ、怖い。まるで名前通り、虎のような視線ですね。」
「はぐらかしてんじゃねぇ。」
虎太郎は、少しずつFに近付いていく。
「人の命……そもそも人に価値などそもそもあるのでしょうか?人にはきちんと仕分けるべき部類もいるのではないでしょうか?」
Fの目は、虎太郎とは違い狂気に満ちている。
「……なんだと?」
「あなたも見たでしょう?『ゲーム』の結果を……。許してあげられるような小さな罪を積み重ねる馬鹿者もいれば、自分の欲求を満たすためだけに取り返しのつかないことをする、屑のような者もいる。」
「……テメェも、そのひとりじゃねぇか。」
「私は……『仕分ける側』の人間なのですよ。『神の国』という、選ばれし者達の領域に、招かれるべき人間とそうでない人間を。」
両手を広げ、Fは語る。
「……で、そうじゃない人間を、殺してるってわけだな?」
「……簡単に言えば。」
虎太郎の脳裏に、奈美の笑顔が浮かんだ。
そして、次の瞬間……
「殺してやる……。」
虎太郎は、Fに飛びかかっていた。
Fに掴みかかり、壁に押し付ける虎太郎。
「虎太郎くん!おさえて!」
「おい脳筋!すぐにあたしが行くから取り押さえるだけにしとけ!」
「虎太郎くん!」
司、あさみ、志乃が虎太郎に声をかける。
しかし、虎太郎は止まらない。
「勝手に仕分けとか言ってるけどよ……何の罪もない、何も知らない人たちだって死んでるんだぞ……。これからたくさん、幸せなことがある、そんな人たちだって、死んでるんだぞ……!」
Fのシャツの襟を掴み、首を絞めるように絞り上げる。
Fは小さな呻き声をあげながらも、それでも笑みを崩さない。
「……仕方の無い事ですよ。何を為すにも、犠牲はつきものです。その犠牲者を見て、人は生活を改め、心を入れ替え、生きるに相応しい人間へと成長していくのです。」
「テメェらは……生きるに相応しい人間なのか?」
「……左様。この腐りきったいまの日本を粛清し、新しく正しい日本を作っていく……。新しい日本を作るのは、新しい日本に相応しい人間なのです。」
Fは自分の主張を崩さない。
「それが、『神の国』のやり方なんだな……?」
「少なくとも私はそう解釈しております。腐った日本を壊す、それは『盟主』も話していたことですから。」
「テメェらみたいのがいるから……腐っていくんじゃねぇか!!」
飄々と話し続けるFに、虎太郎の怒りも頂点に達する。
力一杯、右拳を握ると、思い切りFの顎めがけて振り下ろした。
「虎!待つんだ!」
「……!!」
しかし、それを止めたのは北条だった。
「ふぅ……ひぃ、まったく疲れたよ。オジサンはもうヘトヘトなんだから、あまり急がせないで欲しいねぇ……。」
ようやく展望台にたどり着いた北条。
肩で大きく息をしながら、虎太郎のもとに近付いていく。
「……おせぇよ。」
「ごめんごめん。まったく、歳は取りたくないもんだよ。」
まぁまぁ、と虎太郎の腕を掴むと、優しくFのシャツからその手を離すよう促す。
「なんだよ、1発くらい殴らせろよ。」
「ほらー、またそうやってヤクザみたいなことを言う~。僕がはい、どうぞって言うわけ無いでしょ。ほら、離して。」
「ちっ……。」
北条に諌められ、虎太郎がようやくその手を北条から離した。
「ごほっ……賢明な判断です。」
Fは、首を絞められていたことで何度か小さく咳をしたが、すぐに余裕を取り戻すのであった。
「どうせ追い詰めるなら、徹底的に……暴力だけじゃなくて、犯罪を起こしたことを『後悔』させてから逮捕しようよ。」
北条は、虎太郎の肩を強めに叩くと、Fの正面に立った。
「F……あんた、もう手詰まりなんだよ。どこにも逃げ場はないし、これ以上愚かなことを続けたら、家族も苦しむ。」
北条はあえて強く言わず、諭すようにFに言う。
「今更、家族など……」
「あんたは家族にだけは迷惑をかけたくなかった。だからこそ自分の素性を隠そうとしたし、自宅とは離れた場所に身を置いた。自宅は……東北だろう?そこからあえて離れ、さも東京に拠点があるように見せかけた。それも、家族に対しての配慮だろう。」
「…………。」
「そんな家族思いのあんたがなぜ、こんな犯罪組織に手を貸したんだい?」
Fの素性は、前回の銀行立て籠もり事件の後に調べはついている。
とある大手商社の役職者であったこと、家族の構成や職場での様子も、すべて調べているのだ。
「警察は無能だと思っていましたが……。やれやれ、ですね。」
Fが大きな溜息を吐く。
「そう……私に居場所はありませんでした。」
そして、ようやく自身のことを話す。
「役職者であった私には、それなりの収入がありました。だから家族は私から離れるようなことはありませんでした。しかし……心はすでに離れていたのです。私は言わば『空気』のようなもの。家庭内の会話などなく、子供たちも私を避けるようになっていました。妻は、専業主婦という生活をしながら贅沢三昧。それでも私に対する感謝の気持ちなど欠片もありませんでした。」
「それでも……犯罪に手を染めるのは、違うよ。」
「……それだけでは、ないのです。」
展望台から見える、下の様子。
次々と警察車両が到着し、犯人グループのメンバーたちが逮捕されていく。
少し離れたところには救急車も控え、解放された人質たちで体調を崩したものたちが乗り込んでいた。
「会社では、私の企画は全て同僚・部下に奪われ、私は職場ではお飾りとなっていました。意見を言おうにも、会社全体が私の存在を疎んでいる……そんな雰囲気に何もできなかった。私はもはや、公私ともに生きがいを無くしていたのです。そんなある日……私はこの『神の国』のサイトを見つけた。」
これまでの犯人たちと同じだった。
Fも、神の国のサイトを見て、一連の犯罪に加担するようになったのだ。
「そこには、私とは縁遠いと思っていた、新しい世界が広がっていました。私が、世界を変える……。私だって、人に何か影響を与えることが出来る。私にだって、人に尊敬されるようになれる……。もう、私は迷いませんでした。」
悲痛な表情で、Fは言った。
「テメェの勝手で、平穏に暮らしてる人間が殺されるってのか!?ふざけるなよ!」
虎太郎がFに詰め寄る。
しかし、北条がそれを制した。
「今ここで彼に手を出したら……虎、君も同じだよ。自分の感情に任せて他人に危害を加えるなど、愚の骨頂だ。」
「けどよ……!」
「確かに、君は奈美ちゃんを殺された。でもね、その恨みに任せて復讐する……それは、これまでに凶悪な犯罪を重ねてきた『神の国』と同じだよ。虎、君の何が違うかって、君は刑事。正義を守るのが仕事のはずだ。」
「くっ……!」
北条に諭され、虎太郎は振り上げたものの行き場を無くした右手を、力一杯振り下ろした。
ぶん……と激しく右拳が空を切る。
「……でもね、F。君が犯した罪は消えることはないし、愚かなことであることに変わらない。だから、ちゃんと罪を償ってもらう必要がある。ここで……君を逮捕するよ。」
北条はそう言うと、手錠を取り出した。
「……それは、無理な話ですよ、北条さん。」
しかし、Fは小さく首を振った。
「ここで逮捕されたら、これまでの情けない犯罪者達と同じになってしまう。私はまだ、終わっていない。こちらの要求も呑んでもらってませんし、警察に何の打撃も与えていない。」
Fが、自分のスーツの懐に手をいれる。
「北条さん!!」
その行動にいち早く気づいた虎太郎は、力任せに北条を自分の方へと引き寄せた。
次の瞬間、Fが取り出したスプレーから、霧のように液体が噴霧される。
「催涙スプレーか!?」
「あいたた……」
虎太郎が間一髪のところで北条を引き寄せたため、スプレーは何もない空間に発射された。
しかし、それで充分だった。
Fが走り出す。
北条が目の前から離れたことで、逃げ道が出来たのだ。
そのまま展望台の非常階段を上る。
「野郎……!でも、そっちは行き止まりだぜ!」
そう、Fが逃げ込んだのは、展望台の外側にあたる部分。
メンテナンスなどの際にしか使わない、行き止まりである。
「私はこんなところで、捕まるわけにはいかないのです……!」
それでも、突き当たりに向かって必死に走るF。
そして……。
「虎太郎くん!展望台に向かって、1台ヘリが向かってる!!」
志乃の無線で、Fがなぜ突き当たりに向かって逃げたのか、その意図を知ることとなった。
「くそ……仲間かよ……。」
展望台付近をホバリングするヘリコプター。
そこには黒ずくめの服装をした男がふたり、乗っていた。
そのうちのひとりは、ライフルで展望台を狙っている。
「まさか……『狙撃手』か……!?」
虎太郎の背筋が凍りついた。
「虎!物陰に隠れろ!……あの男が、狙撃手だ!」
虎太郎の後方にいた北条が、無線を使い虎太郎に呼び掛ける。
狙撃手の姿は、良く覚えていた。
都知事の執務室に監禁されたとき、Fと一緒にいた、無口な男。
「やっぱり、彼が……。」
目の前で、不意に香川を撃ち殺された、バスジャック事件。
香川が撃たれるまで、誰もその存在に気付くことが出来なかった。
元・特殊部隊出身のあさみでさえ、『あり得ない距離』と言うほどの狙撃スキル。
物陰に隠れろと指示を出したものの、わずか数センチでも物陰から虎太郎の身体がはみ出していれば、間違いなくその場所を撃ち抜かれるであろう。
「虎、この際Fの確保は諦めていい!完全に物陰に隠れた状態を維持して、中に避難するんだ!ヘリの動きに注意して!」
Fの逮捕まで、あと少し。
しかし、それよりもまずは仲間の命の方が優先。
北条は瞬時に頭を切り替え、Fの確保よりも自身の身の安全を確保するよう虎太郎に指示する。
「くっそー!あと少しなのに……!」
Fまで、距離にして20メートル足らず。
しかし、隠れる物があるのは、虎太郎の目の前2メートル程度。
たった3メートル先が、まるで地獄の入口のように感じる。
「北条さん!筋肉バカ!」
ようやく、あさみが展望台に到着する。
そして、狙撃手の姿を目視で確認した。
(ヘリに乗ってるのに、狙撃姿勢が全くぶれない……何なのアイツ……!)
あさみは、狙撃手の姿勢ひとつで、その力量を見極めた。
「……北条さんの指示通りに動いて。あたし達が全員無事に帰る方法、それはあの狙撃手の射程に入らないことよ。」
「お前まで……!」
あさみが北条の意見を指示したことで、いま自分が置かれている状況がいかに危険かを悟った虎太郎。
「って言っても……扉を開けるときは丸腰になっちまう……」
そう、どんな小さな的でも撃ち抜くほどの腕の持ち主であれば、虎太郎が展望室内へのドアに手を掛けた瞬間、その手は撃ち抜かれてしまうだろう。
「北条さん、あさみ……先に逃げろ。俺は物陰でうまくやり過ごしながら、奴らが撤収するまで耐える。」
「なに言ってるの!危険よ!」
「どのみち危険だ。それなら3人やられるより、1人やられて2人生き残る方法を選ぶ。」
囮、とまではいかないが、虎太郎の動きに狙撃手を釘付けにしておいて、その隙に射程外の北条とあさみが避難する。
一見、自己犠牲のようにとられがちな虎太郎の作戦ではあるが、より多くの人命救助という点では、利にかなっていた。
「俺が合図したら……走れ。」
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