8-4
再び、場面は変わり……。
「……準備は、出来ましたか?」
「はい、工作員の大半が都庁内への潜入に成功してます。」
「……いいでしょう。」
都庁・地下駐車場。
そこでは一人の男が、数人を連れて車を降りた。
「しかし……本当にいいんですか?あなたは……」
「……良いんです。先日の失敗で、私はもう終わっています。挽回するには、この作戦を遂行するしかない。そして、成功し無事に逃げることが出来たら、私は晴れて幹部になる……そういう約束なのです。『我が盟主』との……。」
スーツ姿で初老の紳士が、眼鏡をスッと整える。
「予定通りの時間で開始します。各自、準備を怠ることのないように……。」
「了解です!」
初老の紳士の周囲にいた男たちも、彼の一言で一気に散る。
「まさか、都庁前で事件が起こってすぐに、都庁で事件が起こるとは誰も思っていないでしょうね……。」
小さく笑いながら、紳士は駐車場から都庁内に入る。
そして、まっすぐ受付カウンターへと向かう。
「こんにちは。本日、都知事はいらっしゃいますでしょうか?」
「……失礼ですが、お約束は……?」
突然知事のことを尋ねられ、警戒心をあらわにする受付嬢。
しかし、それも想定内といった面持ちで、紳士は言葉を紡ぐ。
「おや、話が通っておりませんでしたか……。間もなく13:00に面会していただけることになっていたのですが……。」
紳士が目配せをする。
すると、ロビー内にいた数人の男が、素早くエレベーターに乗った。
(本日、知事は都庁内にいるようですね……。)
紳士は、受付嬢が『不在です』と言わずに『お約束は?』と返答したことで、一色が都庁内にいることを悟ったのだった。
「失礼ですが、お名前は……?」
「あぁ、いいえ、良いんです。また改めてアポを取ることといたしましょう。私の都合は、それほど『今の』都において重要なことではございませんから。」
紳士は、優しい笑みを受付嬢に向けると、
「……少し、都庁の中を見学させていただいても宜しいですかな?」
「えぇ。ごゆっくり見て回られてください。」
都庁内を見学すると一言告げ、そのままエレベーターに乗る。
「……知事は、都庁内にいるようです。」
「……了解しました。」
紳士が乗ったエレベーターの中には、先程紳士よりも先に乗ったはずの数人の男たちが待っていた。
「予定通り13:00、作戦を決行します。皆さん……これが最後の戦いです。くれぐれも、気を抜くことのないように……。」
紳士は、腕時計に視線を落とすと、不敵な笑みを浮かべるのであった……。
――――――――――――――――
「知事、巡回お疲れさまでした。しかし、最近はスケジュールも詰まってますし、巡回を減らして休む時間も作られた方が……。」
12時54分。
都庁内の巡回を終え、一色は執務室に戻ろうとしていた。
「大丈夫。帰宅したらすぐに休むようにしています。都庁にいる間は勤務の時間。働かないわけには参りません。」
「しかし……」
「私の身を案じてくれているのですね?ありがとう。でも、私は本当に大丈夫ですから。」
体調を心配してくれる秘書に笑顔で礼をいい、エレベーターを降りる一色。
そして、執務室の前で……。
(人の気配がする……。)
数人の気配と、小さいながらも会話が執務室の中から聞こえてくる。
「お願いかあるの。」
突然、一色が秘書に言う。
「防災センターの映像のチェックをお願いしたいの。」
「画像チェック……ですか?それなら警備の者にすぐに手配を……。」
「あなたにお願いしたいの。今日は出入り業者が多かったみたいだけど、補修にしても売店の発注にしても、あれほどの業者に発注をかけたなら、私のところに稟議書が来ていてもいいはず。でも、私はそれをここ数日は確認していない。だから、どこの部署に向かったのか、それを確認してほしいの。この仕事は、あなたにしか頼めない。」
秘書は、一色の言わんとしていることを即座に理解する。
「なるほど。他の者に頼むよりも、私が確認して、その場で精査・報告出来ると言うわけですね?」
「……さすがは私の秘書だわ。お願いできるかしら?」
「もちろんです!すぐに向かいます!」
褒められたことが良かったのか、秘書は一色の思惑通りにエレベーターへと引き返していく。
彼女は、エレベーターの階数表示が『1』になったことを確認してから、執務室のドアノブに手をかけた。
「…………」
ゆっくりと、何かを探るようにドアノブを回す。
そこには……。
「お帰りなさいませ都知事。日々の巡回、お疲れさまで御座います。」
地下駐車場で数人を指揮していた初老の紳士と、6人ほどの作業着のような服を着た男達が待っていた。
「……知らない顔ね。アポイントを取った覚えはないけれど?」
「えぇ。少し急を要する内容ですので、飛び込みで参りました。」
悪びれる様子もなく、紳士は知事の椅子に座る。
「……良からぬ報せ、のようね?」
「……恐れながら。」
一色は、構わず紳士の方へ歩み寄ろうとする。
しかし、それを他6人の男達が制した。
突きつけられたのは、機関銃。
「……物騒ね。」
「申し訳御座いません。しかし、そちらの対応次第で、話は穏便に出来るかと。」
紳士の眼鏡の奥の視線が、鋭く知事を射抜いた。
「……それで?あなたの言う『対応』という言葉。つまりは私が何か対応を迫られる要求をこれからする、と言う解釈でいいのよね?」
機関銃を六方から突きつけられてなお、気丈に振る舞う一色。
「……此度の知事殿は、大した心臓をお持ちのようだ。……左様です。我々はこれから、あなたに幾つか『対応』をお願いすることになります。まぁ、知事だけに限らず、国の方にもお願いすることにはなりますが……。」
「……犯罪者の言うことなんて、皆が聞きますかしら?」
「まぁ、そんなことを言っていられるのも今のうちです。……さぁ、時間ですね。」
時計の針が13時00分を指す。
「ここ都庁には、我々7人しか居ません。しかし、我々は戦闘訓練を積み、また多くの武器をこの都庁に搬入しております。……この言葉の意味が、聡い貴女にならお分かりのはずだ。」
うっすらと笑みを浮かべながら、紳士が一色に言う。
「……この都庁の中に居る人間、全てが人質、と言うことね?」
「御明察です。」
「でも、都庁をジャックするなんて、愚かなことね。地理的にも位置的にも、貴方達に逃げ場はないじゃない。要求を全て達成出来たところで、さぁ逃げましょう……と言うわけにはいかないわ。」
一色も、紳士の圧力に負けないよう、無理矢理に笑みを浮かべて答える。
しかし……。
「……いいのです。」
「……え?」
「我々の最終目的は、『要求が通ること』。生き延びよう、逃げ延びようなどとは最初から考えておりません。だから……そう、何でも出来る。」
「……くっ!」
「我々は、もう既に失敗しているのです。これが、『盟主』と共に戦う最後のチャンスなのです。いわば……捨て駒とでも言いましょうか?」
紳士は、自身のスマートフォンをポケットから出し、通話を始める。
「もしもし……えぇ、事件です。」
「まさか……自分から警察に電話を!?」
紳士の奇行に、一色が言葉を失う。
「特務課さんに繋いで戴けませんか?この事件の詳細を、しっかりと警視庁の皆さんにお伝えしなければなりません。それにはまず、特務課さんに話を聞いていただかなければ、ね。」
落ち着いた様子で、淡々と話をする紳士。
「あぁ、私が何者かと言うお話ですか?そうですねぇ……。」
自身の事を訪ねられたのか、紳士は少し困った表情を見せる。
「どうしましょう。名乗って良いのかなど、確認しておりませんねぇ……。」
その言動には余裕も見られる。
紳士は、執務室内をゆっくりと歩きながら、何かを考え……。
「そうだ、こうお伝えください。私は『F』。特務課の皆さん、お久しぶりです……と。」
「はい、はい……分かりました。こちらで受けます。通話は共有にしておきますので、各課で各種対応の準備をお願い致します。」
特務課司令室では、志乃が通報を受けていた。
「司令!『F』と名乗る男から通報が入っているようです。特務課に繋ぐように、と……。」
「Fって……まさか銀行立て籠り事件の!?」
「まさか、このタイミングで姿を表すとはねぇ……。」
司と北条が、顔を見合わせる。
死者2名を出した、銀行立て籠り事件。
犯人死亡で解決したかに見えたこの事件、首謀者の1人は周到に警察の包囲網を掻い潜り、逃走していた。
全国指名手配をかけ、行方を追っていたが、どこに潜伏したのかも分からず、そして痕跡も何一つ残っておらず、捜査は難航していた。
「おいおい……あれだけ上手く隠れてれば、上手く逃げ仰せたかもしれないのに、まさか自分から出てくるとはな……。」
虎太郎がちっ……と舌打ちする。
「……いいわ、繋いで。私が対応します。」
司が志乃からヘッドセットを受けとる。
そして、志乃は通話を室内に聞こえるよう設定し、通話を繋いだ。
「特務課司令・新堂よ。」
「おやおや、特務課のトップは若い女性の方ですか……。さぞかし切れ者なのでしょうね……。」
余裕に満ちた、Fの口調。
「貴方が電話してくるなんて予想外だったわ。自首でもする気になった?」
余裕のある、ゆったりとした雰囲気に呑まれないよう、司は自分のペースを保ちながら会話を進める。
「残念……自首すると、私の命が無いのでね。私は『少しだけでも』長生きがしたいのです。」
「じゃぁ……なんの報せかしら?」
悪い予感がした。
仲間を撃ち殺し、自分だけ脱出を図った凶悪犯が、改めて自首以外で話をしてくるなど、ろくなことではない、そう悟ったのだ。
「……都庁を、占拠しました。」
そして、その予感は望まずも的中してしまう。
「……え?」
「何だって!?」
メンバー一同が、言葉を失う。
「悠真、都庁の映像!」
「はいよ!……あれ?」
悠真が都庁とその周辺を映像に出すが、特に変わったようすは見受けられない。
周辺に怪しい車輌や人物もなく、普段通りの光景である。
「なんともねーじゃねぇか。」
虎太郎が、目を凝らして映像を見る。
「……なるほど。」
そんな中、北条が何かに気づいた。
「人の出入りが全く無い。東京都庁で、1人もだよ?」
「あ、確かに……。」
司も、その様子に気づき、Fに訊ねる。
「今ならまだ、貴方達の目を盗んで逃げる人も現れるはずよ。」
しかし、Fは小さく笑いながら、答えた。
「それは、無理な話ですよ……。」
Fが、小さく笑う。
「都庁を占拠したのは、私1人ではありません。有能な『同志』と共に。戦闘訓練もしっかりと受けていますのでね、下手に行動しない方が身のため、というわけです。」
「くっ……テメェの言い方じゃ、下手なことする人質には容赦がなさそうだな。」
「……ええ。こちらの許可無しに脱走しようとした者は……死んでもらいますよ。」
なんの躊躇いもなく、Fは人質の殺害をほのめかした。
「ちくしょう……ふざけやがって!」
「まぁまぁ、そういきり立たないで。こちらもただ占拠するつもりはありません。こちらの要求を呑んでいただければ、すぐに撤収するつもりです。誰にも何の危害も加えずに、ね。」
淡々と話すF。
「その、要求は……?」
「私たちは、新しい仲間を集めています。今の腐った日本を粛清し、作り替えるための仲間が。そのためには、一般市民を踏み越えていくような人材が必要なのです。」
「一般市民を踏み越えるような、人材……?」
司令室内に、緊張が走る。
「……我々『神の国』は、現在収監されている全ての死刑囚の釈放を求めます。そしてこれは『要求』ではない。『勧告』です。」
穏やかな、それでいて圧力を感じさせる、Fの声。
「な……なんだと?」
「……正直、信じられないような要求だねぇ……。」
北条と虎太郎が、都庁の映っているモニターを睨むように見る。
「そんな要求、呑めるわけが……。しかし、逮捕された貴方の仲間達はどうするの?まだ死刑が確定していない犯人だっている……。」
「あぁ、彼らは結構です。今回の我々が必要としている人材ではありませんので。」
「つまり……、仲間は切り捨てる、と言うことかな?」
「おやおや、その声はいつぞやの……。あの頃はお世話になりました。貴方のお陰で、危うく捕まるところでしたよ。」
ようやく北条の声に気づいたFが、小さく笑いながら言う。
「そして、要求はもうひとつ……。北条さん、『神の国』は貴方を是非、こちらに迎え入れたい。これは我が盟主のご意向です。」
全く想定外の要求に、一同再び言葉を失う。
「馬鹿な……。貴方達を捕まえるためにこれまで捜査してきた北条さんを招き入れるですって!?」
「ぶっちゃけ、有り得ないわ……。」
「…………。」
メンバー達が口々にFの言葉を否定するなか、北条は押し黙ってモニターを見る。
そして、スマートフォンをポケットから出し、虎太郎に気づくようにトントンと指で叩く。
(…………?)
虎太郎が、恐る恐るスマートフォンを覗き込むと、そこには……。
『今度は、僕が人質みたいだよ。』
「馬鹿なことを言わないで。現役の刑事が貴方達のような……!」
「現役の刑事が、バスをジャックし、同志の釈放を要求したではないですか……。」
Fは、香川のバスジャック事件の事を知っていた。
(ただ、逃げ回っていたわけではなさそうね……どこかに匿われていたってことか……。)
Fの言葉から、少しでもFの事を分析しようと司が試みる。しかし……。
「……分かった。OKするかどうかは、行ってみてから決めるよ。」
「……え?」
そんな司の分析が、北条の一言で一気に真っ白になってしまった。
「ちょっ……なに言ってるのよ北条さん!」
「おいおい、冗談キツいぜ!」
あさみと辰川が、北条を制する。
「……おやおや、いちばん無いだろうと思っていた答えが返ってきましたねぇ……。いや、そのくらいの方が、此方としてはやり易いのですが。」
Fも、予想しなかった言葉にやや戸惑った様子だったが、すぐにこれからの方針を頭のなかで組み立てたのだろう。
「……いいでしょう。貴方にも思うところがあるのでしょう。このあとひとりで都庁に来てください。同志がお迎えに上がります。」
「……そうかい。手厚い対応をよろしく頼むよ。もしかしたら君たちの同志とやらになるかもしれないんだからさ。」
「そうてすね。こちらの要求の件は、北条さん、貴方がこちらに来てから進めることといたしましょう。それでは。」
そこまで言うと、Fの通話は切れた。
「……さて、と。」
北条が、司令室を出ようとする。
「ねぇ、待ってよ!」
「そうだぜー、相手の口車に乗るとか、お前らしくねぇ。」
「北条さん……」
「本当に行っちゃうの?」
メンバー達が、去ろうとする北条を引き留めようとする。
「北条さん……本心ですか?」
そして、司も。
北条は、振り替えること無く司令室を出ていった。
残されたメンバー達は、呆然とした面持ちで、北条が出ていったドアを見つめるばかりであった。
「………………。」
ただひとり、虎太郎を除いて……。
北条とずっとバディを組んできた虎太郎は、戸惑うことはなかった。
(北条さんは、あんなに簡単に犯罪者に寝返るような奴じゃねぇ。それに……。)
虎太郎が北条に見せられた、スマホの画面。
『今度は、僕が人質みたいだよ。』
(『人質』ってことは、敵とはしっかり距離を置くって言ってるんだよな。それなら……。)
虎太郎はひとり、呆然とするメンバー達に言う。
「……行っちまったなら仕方ねーだろ。俺たちは都庁をどうにかしなきゃならねぇって仕事がある。いつまでも腐っていられねーぞ。」
北条が、あの場面で自分にだけメッセージを残した意味。
それは、『今の時点では誰にも言うな』と言うことだと虎太郎は思った。
「……やるしかねーんだよ。俺たちで。」
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