7-14

身寄りがない、配属になったときに香川は稲取にそう言った。


捜査中、どことなく自分の命を軽く見がちな香川を見て、稲取は思った。



「身寄りがないから命を粗末に扱おうとするなら……俺がお前の親父になってやる。死んだら悲しむ奴がいる、そう思えるだけで少しは自分の命、大切に思えるんじゃねぇか?」



その日から、稲取は香川が命を省みず犯人に向かっていく事があれば、本気で怒鳴り、時には殴った。



「稲取くんもね、息子さんを亡くしてるからね。香川くんと息子さんを重ねて見てたんだろうね……。」



北条が、稲取に聞こえないように小さな声で無線を飛ばす。


「バカな息子だけど、必ず一課のエースに育て上げてやる。あんたよりも優秀な刑事になるぞ、あいつは……そう、言ってたのが昨日のようだよ……。」



稲取は、亡くした息子の穴を埋めるように、香川と向き合ってきたのだ。



「なぁ香川……もう、やめようや。もう、お前はひとりじゃないんだ。警察に恨みがあるなら、俺と一緒に調べよう。俺は現場から課長になった男だ。上層部にコネなんてねぇ。だから……」



「でも、僕はもう組織に染まってしまった。もう、戻れない……」


「馬鹿野郎!『戻れない』じゃなくて、『戻る』んだよ!お前は誰かに戻して貰わなきゃ、ずっと組織のいいなりになってるってのか?違うだろう?お前の人生だ、お前が決めろよ!」


「僕の……人生……。」



稲取の必死な、そして熱意のこもった説得に、香川の心が少しずつ動いていく。



「俺はお前に言ったよな?命を粗末に扱うなと!……さぁ、そんな物騒なもんは脱げ。」



稲取は、爆弾を外すよう香川に訴える。



「でも……僕は……」


「バスをジャックした、人質に怪我も負わせた。でもな……まだ誰も、殺しちゃいない!」



少しずつ稲取が前に出る。



「稲取くん、まだ危険だ!」


「下がって!」


「爆弾は止まってねぇよ!」



北条、あさみ、そして辰川が同時に稲取を制止する。

しかし、それでも稲取は足を止めない。



「来るな……来ないでくれ……」


「何年かムショに入っても良いじゃねぇか。ちゃんと償って、やり直せよ。」


「稲取が、香川の目前に迫る。」


「これ、爆弾ですよ……危険だ……!」



香川が、稲取を制止しようとする。

しかし、構うことなく稲取は香川を抱き締めた。



「!!」


「馬鹿野郎が……息子が死と隣り合わせの場所に居るってのに、親父が安全なところで見てられるかってんだ……。」



稲取が、軽く香川の頭を小突く。



「う……稲取さん……!」



香川の目に、涙が溢れた。


「さぁ、爆弾を外すんだ。」


「しかし……」


「ごちゃごちゃと余計なことは考えなくて良い。後の事は俺たちでやる。お前は、ちゃんと事をおさめて、償うことだけを考えろ。」



稲取が、優しく香川を諭すように言う。



「虎、香川くんが爆弾外したら、様子を見て人質を逃がしてあげて。辰さんは爆弾の解除にまわってね。」


「了解。」


「はいよ。まぁ、遠目で見た感じ、解除にそんなに時間はかからねぇ。しっかり道具積んできて正解だったぜ。」



北条の指示に、虎太郎と辰川が答えた、そのときだった。



「都庁ロータリーに猛スピードで侵入する車両確認!護送車の後方です!」



志乃が慌てた様子で無線を飛ばす。


「反対からも来る!どちらも盗難車みたいだよ!」


続いて悠真が続いてやってくる車輌を確認する。



護送車側、そしてバス側双方に停まった車輌から、それぞれ3名ずつ、黒服を着た男達が飛び出してくる。向かう先は……



「こっちかい!?」



北条のいる、護送車。

北条はちっ、と舌打ちをすると、拳銃を抜く。


「香川くんが失敗することを見越して、か……。」



計6人。

拳銃の弾は6発。

無力化させるには1人1発の猶予しかない。


(しかし、こちらから発砲するわけには……。)



北条の表情に迷いが見える。



「北条さん!伏せて!!」



北条が腹を括って引き金に指を添えた、そのとき。

あさみが護送車に向かう男達の背後に迫る。



「こいつら全員丸腰!何とかするから犯人をお願い!」



あさみは北条と男達の間に立ち、時間稼ぎを買って出る。



「ほら、あんたも来るのよ!いつまで人質ごっこしてるつもり?」


「うるせぇ!やってねーよ!」



あさみが、一瞬だけ振り返り大声を出すと、バスの中から虎太郎が飛び出してきた。



虎太郎、あさみと6人の黒服との格闘が始まる。



「こんな物騒な中、爆弾解除かよ……俺に危険はねぇんだろうな……。」


喧騒の中、辰川は香川が外した爆弾をそっと持ち、バスの影に隠れて爆弾の解除を始めた。



「バスのみなさーん、今のうちに逃げて良いよ!」



辰川がバスの陰から大声を出すと、堰を切ったように人質達がバスの外に飛び出してきた。



「ほら……な。日本の警察は優秀なんだ。お前1人がどうこうしなくても、みんなで事を収める力がある。だから、香川……お前はちゃんと償って、これ以上の犠牲者が出ないように情報を俺達と共有すべきだ。昔のお前のような、悲しい人間をこれ以上増やさないためにも……。」



これが最後の一押し。

稲取は、落ち着いてきた香川にそう言った。


「そんな……こんなの、聞いてないぞ……」


事態か急展開を見せる中、爆弾を外した香川がひとり、呟いた。



「『あの人』は、僕は必ず成功すると信じているって……そう言ったのに。」


目の前で繰り広げられている格闘。

その状況が、香川には全く飲み込めていない様子だった。



「お前……こいつらの事、知らないのか?」


稲取が隣で香川に訊ねる。


「この事件は、僕1人で完結する予定だった……。要求が通らなければ、バスごと都庁に突っ込み、爆弾も爆発して都庁は倒壊する……成功すればそのままバスで逃走、そう言う計画だったはず……。」



香川にとって、謎の黒服の存在は、全くの想定外であったようだ。



「志乃ちゃん!」


「はい、付近の防犯カメラに、ナンバーの一致する車輌を確認しました。おそらく、すぐに都庁に乗り入れられるように待機していたものと思われます。」



志乃が既に車輌の解析を進めていたようで、その結果を無線でメンバー達に伝える。



「同じ組織の仲間でありながら、失敗することを前提に準備していた……と言うことか……。」


「ちっ……胸くそワリィな!」



北条と虎太郎が、苦い表情を見せる。



「そんな……じゃぁ、僕は何のために……。」



呆然と立ち尽くす香川。


「おい、組織の事、詳しく俺に話せ!これだけお前の存在を、お前の仕事を甘く見てる奴らだ。仲間意識なんて初めからお前には持ってねぇよ。」



力なく立っているだけの香川の両肩をしっかりと掴み、稲取が問う。



「こんな組織、今から抜けてやれ!大丈夫だ、お前は俺が逮捕する。警察署内なら、外部の敵からもある程度身は守れる!」



稲取としては、早く香川をこの『神の国』という組織から解放してやりたかった。

犯罪者になってしまったことは変わりないが、それでも、しっかりと償って欲しかった。


全うな人生を歩んで欲しかった。



「『神の国』、その組織の本当の姿、それは……」



小さな、稲取にしか聞こえないような声で、香川が口を開き始めた、その時だった。



ーーーパァン!ーーー



乾いた音が、都庁前ロータリーに鳴り響いた。



「拳銃!?」


いちばん早く反応したのが、あさみ。

音のした方向を見上げる。


「違う!ライフルだ!みんな、物陰に隠れて!」



あさみの大きな声で、北条、虎太郎、辰川はバスと護送車の影に隠れる。

北条が本宮、桜川のふたりを護送車の中に押し込んだのが幸いしてか、ふたりに黒服の手が迫ることはなかった。



「ちっ……何処から!?」


周囲を見回す、あさみ。


「少しも風が吹いてない……。風の影響は考えなくて良い。このロータリーを狙える角度で、さらに高層ビル……」


ライフルが発射された位置を、目を凝らして探す、あさみ。


「…………いた!」



目を凝らしたあさみの視線の先、彼女が予測していたよりもさらに後方のビルの屋上に人影が見える。



「悠真!新宿中央ビルの屋上!」


「りょーかい!」



あさみの指示で、悠真が近くの防犯カメラの画像を調べる。


「屋上のカメラって、あんまりないんだよね……あ!」



最も近いカメラの画像で、ビル屋上の人影を捉えることが出来たが、既に立ち去るところであった。



「逃走しちゃったよ……画像解析しながら、近辺のカメラで行方を追うね!」


「サポートします!」



悠真と志乃で、発砲した男の行方を追う。


その横で、司が現状を整理する。


「悠真と志乃さんは発砲した男の足取りを追って頂戴。発砲は、1発だけ?」


「えぇ、どうやらそのようね。」



司の無線に答える、あさみ。

海外の部隊に所属していたあさみは、冷静に状況を把握し、正確に司へ伝えていく。



「じゃぁ、どこに着弾したの……?」


「ま、待って……あのビルからだと……」



あさみが振り返る。


「…………え?」



そこに立っていたのは、稲取。

さらに、その後方には……



「か、香川ぁぁぁ!!」


左胸部を撃たれた香川が、仰向けに横たわっていた。



「ちくしょう!撃たれたのは香川だ!救急車の手配!」


虎太郎が、叫ぶように救急車手配を要請する。


「すぐに手配します!」


志乃がすぐに救急車を手配する。


「遠方からの狙撃の可能性もある。各員、ロータリー周辺と、近隣ビルも注視せよ!」


SIT隊長・古橋も、隊員たちに警戒を促す。



「出来るだけ急いで戻った方がいい。あさみちゃん、護送車に乗れる?」


「オッケー!私がいた方がこの車は安全ね。乗ってくわ!」



護送車は、本宮と桜川を乗せたまま、あさみを助手席に乗せて戻っていった。



「人質の皆さんは?」


「各課の誘導で近くの交番まで避難して貰ってます。この後、ひとりずつ事情を聞きます。負傷された1名は、病院へと搬送されました。」


「良かった……とりあえず、これ以上の被害はないか……。」



香川が撃たれたことで、腹から込み上げてくるものはあるものの、北条はそれをぐっと堪えて二次被害の抑制に努める。



その一方で……



「おい香川!しっかりしろよ!」


「いな……とりさ……ん」


(ちっ……血が止まらねぇ……)



横たわる香川の横で必死に声をかける稲取と、止血を試みる虎太郎。


しかし、心臓への直撃は避けられたものの、撃たれた胸部からは血がどんどん滲み出てくる。



「香川くん!」


北条も、周囲の安全を確認した上で、香川に駆け寄った。


「稲取……さん」


息も絶え絶えになりながら、香川が懸命に口を開こうとする。


「もう喋るな!おとなしく救急隊の到着を待て!……おい、まだかよ救急隊は!」



香川が討たれたことで取り乱す稲取。



「落ち付けよ!あんたが取り乱してどうするんだ!」


「けどよ……。」



両手でしっかりと患部を圧迫しながら、虎太郎が稲取を落ち着かせようと声をかける。


(この出血量……急がないとマジで危ないぜ……)



その両手に、しっかりと感じる血の温もり。

それは、虎太郎一人の力では止血しきれていないことを表していた。



「……稲取くん、しっかり話をしよう。香川くんと……。」



虎太郎の表情と香川の様子で、状況を全て悟った北条が、稲取の肩に手を置き、優しく言う。



「北条……さん」



その言葉に、北条が何を言わんとしているのかを察した稲取は、真っ青な顔で香川に視線を移す。



「香川……もうすぐだぞ。しっかりな!!」


「僕はもう……駄目です。」


「馬鹿野郎!俺の部下がそう簡単に諦めてどうするんだよ!!」


「自分の身体のことです。あとどのくらいで死ぬのか、わかってます……。」


「だから死ぬなんて言うな!お前は助かる!」



必死に香川に声をかける稲取。

しかし、香川の目は虚ろなまま。


「稲取さん……本当は、貴方みたいな刑事になりたかった……。たくさんの部下に慕われ、その真ん中で笑ってる貴方のような刑事に……」


「これからなれば良いじゃねぇか!お前にはまだ、その可能性がある!」


虎太郎が、止血の手を止める。

それは、もう香川は助からない、そう言っているようだった。



「刑事になって、貴方と一緒に仕事をしていくうちに、少しずつ復讐したいという気持ちが薄れていったのは事実です。刑事にも、貴方のような人がいるとわかったから……。」


「香川……香川!!」


「でも……母さんが死んだ悲しみを、その時の警察に対して抱いた恨みを……僕は消し去ることが出来なかった。すべては……僕の弱さです。」



少しずつ小さくなっていく、香川の声。



「救急車……まだか?」


虎太郎が無線を飛ばす。


「先程の騒ぎで、国道が混乱しています。都庁までの道のりが渋滞していて、救急車が足止めされています!」


「くそ……緊急車両も通れねぇのかよ……」



香川の目から生気が少しずつ消えていく。



「生まれ変わったら……今度は、貴方の……本当の、息子に……」


「駄目だ!お前は生まれ変わらねぇ!だって死なねぇからな!」


「本当に、ありがとう……」


「香川ぁ!!」


「おとう……さ……ん」



稲取への感謝を言葉にして、香川は静かに目を閉じた……。


「香川、香川ぁぁ!!」



稲取が、香川の方を掴み、揺さぶる。

しかし、香川は全く反応しない。



「虎……」


北条が、懸命に止血をしていた虎太郎を見る。

しかし、虎太郎は小さく首を振るだけだった。



「……おい、おかしいじゃねぇか。息子が親よりも先に死ぬとか……これ以上ない親不孝じゃねぇか!!」



香川を抱きしめ、叫ぶ稲取。



「稲取くん……」


かける言葉が見つからず、北条は稲取の肩にそっと手を置く。



「救急隊……到着します。」



志乃が、絞り出すような声で、救急隊の到着を告げる。

走り寄る救急隊に、稲取は小さく呟いた。



「……おせぇよ。」


そして……。



「護送車、戻ったよ。特に襲撃とかは無かった。二人をちゃんと収容するまでは、気を抜かずに見張ってるね。」


あさみが、本宮と桜川が無事に戻ったことを告げ……。



「……ごめん、狙撃犯の足取りは追えなかった……。きっと組織の犯行だ。防犯カメラの穴を上手く突いたとしか思えない……。」


悔しそうな悠真の報告が入る。



「結局……組織を追い詰めることは出来なかった……。」


虎太郎が、悔しそうに舌打ちする。



「稲取くん、香川くんと一緒に救急車に乗って。」


「しかし、俺はどこも……。」


「……息子に、ちゃんと付き添ってあげてよ。」


「……あぁ。わかった。」



北条は、到着した救急車に乗るように稲取に声をかけ、稲取もまた素直にそれに従った。


サイレンを鳴らすことなく走り去る救急車。

それはもう、緊急ではないということを意味していた。



「なんか……やるせねぇな……。」


「うん……でも、立ち止まってはいられないよ。



虎太郎と北条が、去っていく救急車を見送る。



「爆弾、解除できたぜ。それで、報告があるんだが……それは、司令室に戻ってからの方が良さそうだな。重要な手掛かりが見つかったぜ。」



一方、ようやく爆弾の解除が終わった辰川が、その爆弾の部品、そして装着のために使っていたベストを手に、虎太郎・北条のもとにやってくる。



「手掛かり?」


「あぁ……こればかりは署に戻って形式を確認しなければ何とも判断できないが……。もしかしたらこの、香川が装着していた爆弾が、今後の捜査を有利に進める手掛かりになりそうだぜ……。」



「了解。みんな、一度所に戻って頂戴。今回の事件について、もう一度調べ直しましょう。」



司が、これからの方針を無線で流す。



「結局……後手に回っちまう……俺たちはいつになれば、あいつらを追いつめられるんだ……?」



夜も更けていく。

悪夢のようなバスジャック事件。

そのあとには、虚無感しか残らないのであった……。

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