7-13
再びバスの車内。
「要求を呑んでいただかなければ、ここにいる方々が多かれ少なかれ死ぬことになる。それは僕の気持ちが変わろうと、変わらないこと。そう『あの方』が決めたのだから……。」
もう、自分ひとりではどうすることも出来ない。
香川はそう、稲取に言う。
「その、『あの方』っていうのがお前達のリーダーなんだな?誰だ、名前は?」
少しでも情報を聞き出そうと、稲取が躍起になる。
しかし、返ってきた返答は……
「ジョーカー、そう我々は呼んでいます。」
「……知らないのか、名前……。」
稲取が頭を抱える。
大きな組織となると、末端が幹部の名前を知らないことは良くあること。
しかし、組織を支える幹部がリーダーの名を知らないと言うことは……。
「かなり頭の良い人間がトップに立っているみたいだね。稲取くん……」
北条は、稲取の手元に1枚のメモを置く。
稲取はそのメモを読み、口を開く。
「じゃぁ、お前は何て呼ばれていたんだ?幹部達はそれぞれ、名前で呼びあっていたのか?」
それは、出来るだけ詳しい情報を引き出そうと、北条が稲取に言うように指示した内容。
「僕は……『シャドウ(影)』と呼ばれた。文字通り、影に隠れて警察の情報を引き出す。」
「じゃぁ……桜川は?」
「彼女は『ドクター(医師)』だ。そのままだな。」
バスは次々と警察車輌を避け、都庁へと向かっていく。
「あと、幹部は何人いるんだ?」
「それは、分からない。他に僕が知っているのはひとり。『スナイパー(狙撃手)』がいるらしいとしか……。」
「いる『らしい』か……。」
北条が、稲取の手元のメモに、
『OK。これ以上は無理に聞き出さなくて良い』
と殴り書く。稲取もそのメモを見ると小さく頷いた。
「香川、犯人の引渡し場所が決定した。東京都庁だ。」
「え……?」
稲取が、頃合いだと思い本宮、桜川両容疑者の解放地点を告げる。
その言葉に、香川は一瞬驚いた。
「確か、なんだろうな?」
「あぁ。お上の判断だ。」
「まさか……」
香川も刑事としてしっかりと捜査一課で働いてきた男。
だからこそ、犯人釈放という言葉の意味を、よく知っている。
「今、北条さんが犯人達と一緒に都庁に向かう。犯人と引き換えに、ちゃんと人質は返してくれるんだろうな?」
「あ、あぁ……そうするように言われている。」
香川の声に、少々ではあるが戸惑いが感じられた。
(そうか……きっとコイツ、失敗したときの行動しか指示されてねぇんだ。だから、予測不能な事態に頭が追い付いていない、と。)
少しずつ、状況が動いた。
しかし、まだここは我慢の時だと、虎太郎は様子を伺った。
そして、都庁へと向かう護送車の前。
北条は、本宮と桜川というふたりの犯人と対峙していた。
「罪も償っていない君たちと、こうやって顔を合わせるとは思ってもいなかったよ……。」
北条は、苦笑いを浮かべたまま、ふたりの容疑者を見る。
「2番目に見たくない顔を見せられて、気分が悪いよ……。バディの若いのはどうした?もう、死んだかい?」
「北条さん……。」
本宮、桜川両名が北条に言葉をかける。
「君たちを野放しにするわけにはいかないけれど、このままでは人質やウチの同僚達が危ないんでね。『ちょっとだけ』外の空気を吸って貰うよ。」
その『ちょっとだけ』という言葉に、北条の信念が見え隠れする。
「ちょっとだけ……では、我らが主のご意向に添わないのでは?」
本宮が、北条を嘲笑うかのように言う。
「いやぁ、幸せだなぁ。また『美しいもの集め』が出きると思うと……ほら見てよ、身体中に鳥肌が……!」
自分が釈放されると言う喜びからか、凶器じみた言葉も平気で口にする本宮。
しかし、そんな言葉は意に介さないという素振りで、護送車に乗り込む北条。
「……ほら、乗って。」
その表情は、冷たいまま。
桜川は、名にもいわずに護送車に乗り込み……。
「今度は、見つからないようにもっと上手くやるよ。今度こそ完璧な美を完成させるんだ……!」
本宮は、釈放がもう目前に迫ってきていると思い、その後の野望を口にする。
「君ねぇ……いいから黙って車に乗りなよ。」
そんな本宮を、北条は鋭い視線で睨み付ける。
「そんなことを口にする奴が釈放されたとして……この僕が、野放しにすると思う?君はもう、完全に僕にマークされてるんだよ。そんなことも気づけないなんて、君は相当浅はかな犯罪者だねぇ……。」
「な、なにを……!」
射抜くような視線を向けられ、本宮が狼狽える。
「逮捕の時には虎も司ちゃんもいたから僕は大人しくしてたけど……、今度ふざけたことをしたら……」
北条が本宮の腕を掴み、自分の近くに強く引き寄せる。
「……その『次』は、もうやってこないよ?」
「……!」
その冷たい口調に、本宮の表情が凍りついた。
(な、なんだコイツは……これでも警察官か?)
その人間離れした雰囲気に戦慄する本宮。
その雰囲気は、自分たちのような『一線を越えた者』と同じものだった。
「あんた……もしかして『こっち側』の人間か……?」
恐る恐るたずねる、本宮。
そんな本宮に、北条は振り返ることなくこう言った。
「ある意味……そうなのかもしれないねぇ……。」
着々と進んでいく、人質の救出作戦。
しかし、この作戦を成功させるには、クリアしなければならない問題があった。
「あとは……香川の拳銃と、爆弾だけだな……。」
バスの最後部で、虎太郎が呟く。
既に両手を拘束するロープは切れ、今度は両足の拘束を気づかれないように解いている虎太郎。
両手両足が自由になりさえすれば、香川は格闘でおそらく制圧出来るだろう。
その障害となるのが、香川の身体に装着された、爆弾の存在である。
格闘しようにも、香川に少しでも大きな衝撃を加えれば爆発する仕組み。
出来るだけ衝撃を加えずに、なおかつ拳銃を撃たせず、そして人質を守りながら香川を制圧するなど、不可能な話である。
「なぁ香川……もしもの話なんだけどよ、仮にお前がその『主』に対して疑問を持ったり、警察への恨みが誤解だったとしてこの犯行をやめようとしたとする。そのときお前は、その爆弾を解除や無効化出来るのか?」
まともに答えて貰えるとは思ってはいなかったが、虎太郎は駄目で元々、香川に問う。
「そうなる可能性は、ゼロに近いだろうがな……。この爆弾を預かったときに、こう言われている。『役目を完全に果たしたら、この爆弾は池や湖、海などとにかく水中に沈めろ』と。僕がこの爆弾を無効化させる唯一の行動、それは、犯人の釈放が成された、そのときだけだ。」
香川が得意気に話す。
「そうか……まぁ、そんなことをお前から聞いたところで、両手両足を拘束されている俺が、お前から爆弾を奪って水に投げ込んだりなんて、出来るわけがねぇ。もっとも、お前……拳銃持ってるじゃねぇか。成す術もねぇよ。」
「当然だ。お前に自由に動かれるのが一番面倒だ。お前を自由にしたから逮捕された犯罪者は多い。格闘能力も高いし、多少の危険で怯んだりしない。だからこそ、僕はこの爆弾を装着したんだよ。長塚……お前という『不安要素』を完全に封じるためにな!」
「へっ、ずいぶんとまぁ、買われたもんだぜ……。」
虎太郎が小さく舌打ちを『して見せる』。
「ナーイス、虎。」
「よーくやったぜ!」
しかし、このやり取りは作戦だったのだ。
無線で、北条が小太郎と香川のやり取りを聞いている。
虎太郎は、自分と香川の会話のやり取りから、他のメンバー達に何らかの糸口を、ヒントを与えておきたかったのだ。
そして、それに反応したのが、北条と辰川だったのだ。
「辰さん、爆弾の分析、出来る?」
「おぉ、虎太郎のお陰で進みそうだぜ!」
特務課のベテランふたりが、出来るだけ短時間で爆弾解除のための作戦を練る番である。
「とりあえず、『成功したら水底に捨てろ』という言葉より、衝撃で混じり合うタイプの薬品は、希釈または別の媒体が混入すると効果が弱まる可能性がある。そして、それを見込むには、少量では駄目だ。多量で希釈しなければ危険、と言うことだな。」
辰川が、爆弾の分析を急ぐ。
「じゃぁ、思い切り水ぶっかければ良いんじゃない?」
辰川の隣で車を運転するあさみが言う。
「んー、それでは駄目だ。水流の衝撃で、中の液体が混ざる可能性もある。」
「じゃ、どうにかして液体の入っている容器を壊さなきゃってことだね?」
「あぁ。パット見た感じだが、爆弾に取り付けられている容器は3つ。それぞれの薬品を入れたものと、その間に薬品が衝撃で混ざり合うための容器がひとつ。これは、衝撃が起こらなければ起爆しないように取り付けられている。」
「どう言うこと?」
バスは、急加速せず安全な速度で走行を続けている。
しかし、信号で止まるわけにはいかず、信号を無視して進み続けている。
志乃のナビゲーションで、警察車輌は信号を無視して進むバスが、他の車輌と事故を起こさないように先回りして一般車輌の通行を塞いでいるのだ。
「真ん中の器がなければ、爆弾を装着する前に2つの液体は混ざり合って爆発。そもそも装着出来ないんだよ。上手いこと出来ているようで、ある一定の衝撃を超えると、液体がその真ん中の器に流れ込む。そして起爆してドッカン!」
何となくではあるが、辰川が爆弾の仕掛けを暴いていく。
「じゃ、真ん中の器、壊しちゃえば良いじゃん。」
「それも考えたんだがな、両側の器から漏れだした液体が、床や他の部分で混ざってしまったときのリスクが計算できねぇんだよ。実物を見たわけでもなければ、液体が何なのかも知らされてねぇ。」
「確かに……。」
辰川とあさみが、話をしながら唸る。
「なぁ北条、どうにかして香川から爆弾を外させる、良い方法はないかね?」
「うーん、香川くん……何か鉄のメンタルを持ってるみたいで、どんなに状況が変わっても、自分から爆弾を外すのは、犯人の釈放後になりそうなんだよね。」
「あいつ……気持ちの強さだけは一課で1番だったからな……。」
動き出した護送車に乗る北条と、司令室に残る稲取が、ふたり揃って難しい顔をした。
「なので、ここは虎とあさみちゃんに頑張って貰う作戦を考えることにするよ。」
北条が、笑みを浮かべながら言う。
「それってさぁ……」
「荒事確定じゃねぇか!」
北条の言葉に呆れ顔のあさみと、小声で突っ込む虎太郎なのであった。
「……ってかよ、荒事確定だと思えるこの作戦、どーにかなるんじゃねぇか?」
しかし、よくよく考えた虎太郎が、この作戦の解決の糸口を見いだす。
「要は、あの爆弾はもう外れない、外せない代物じゃぁないってことだろ?」
「そうだねぇ。香川くん自身も、役目が終わったらって言っているわけだし……。」
「それならさ、俺とあさみで強引に解除や破壊をしなくても……本人に外させれば良いじゃねぇか。」
どうしても、荒事になると爆発のリスクを伴う今回の事件。
安全に爆弾を解除するには、本人が安全に爆弾を外すことが最善である。
「稲取のオッサン、あんたの見せ場じゃねぇか……!」
「お……俺か……」
そして、その白羽の矢は捜査一課長・稲取に立つ。
「そうなんだよ。僕もそれが一番最善だと思ってる。」
北条も、虎太郎の意見を始めから考えていたように同意する。
「北条さん、なんでそう言わねぇんだよ。分かってるならさ!」
「いろいろ分析した結果、『可能性が薄い』と判断したからさ。」
北条は、小さく溜め息を吐く。
「香川くんの意思は、思っていたよりもずっと固い。そう簡単に説得に応じるとも思えない。まして、香川くんが犯人であることにショックを受け、自信を失くしてる今の稲取くんには荷が重い……。だったら、虎とあさみちゃんの荒事確定作戦の方が、『人質は死なせなくて済む』そう思ったんだよ。」
北条は、冷静に現状を分析していた。
「さぁ、もうすぐ都庁に着くよ。稲取くん、あとは我々に任せて、香川くんに人質の引渡しを伝えるんだ。」
「…………。」
事件は待ってはくれない。
バスの中には怪我人もいる。
燃料も、刻一刻と減っていく。
そして何より、凶悪犯を乗せた護送車は、もう都庁に着くのだ。
「…………香川。」
稲取が、絞り出すように声を出す。
「犯人の引渡…………」
「おいおい、ちょっと待てよオッサン!!」
突然、稲取の言葉を虎太郎が遮った。
「おい香川、犯人引渡しの準備が出来たらしいぜ。場所は都庁だ。すぐに向かえ。」
「……いいだろう。で、誰が犯人を引き渡すんだ?」
「……テメェの上司だよ!」
虎太郎が、香川の問いに即答する。
「……え?」
それを聞いた稲取の頭が真っ白になる。
「だろ?北条さん!」
「うーん……」
虎太郎に答えを求められ、北条が唸り声をあげる。
「……そのつもりでずーーっと待ってるんだけどねぇ、なんかまだ、司令室にいるみたいでさ。」
「おい……北条さんまで……。」
稲取が戸惑う。
「結局さ、司令室の通話で説得できてるなら、我々が出動なんかしなくても良いわけだよ。やっぱりさ……」
「部下をちゃんと引き戻す気があるなら、最前線に出張ってこそ、じゃねぇのか?」
北条と虎太郎が、稲取に言う。
「お、お前ら……」
稲取は不安だった。
自分が天塩にかけて育ててきた香川と言う将来有望な刑事。
そんな彼が、警察に恨みを抱き、復讐するためだけに刑事になったという事実。
そして、その事件とは、自身も関わった8年前の事件であったのだ。
もう、自分の力だけではどうすることも出来ない。
稲取は、そう思っていた。
「稲取くん、ひとりで勝手に諦めるのは自由。でも、君を信じてる人がいるって言うのも、また事実。もしかしたら……諦めかけたその相手が、いちばん君の差し伸べる手を待っているのかもしれないよ?」
この北条の言葉が、最後の一押しとなった。
稲取が、脱いで椅子にかけていた上着を掴み、羽織る。
「稲取さん、これを。」
稲取が司令室を飛び出そうとするのを、志乃が制する。
その手には、特務課で使っている無線機があった。
「出来るだけ、ここからサポートします。都庁までの最短距離、都庁周辺の状況、異変があればすぐに調べます。この無線ではあなたを一課長ではなく『稲取さん』と呼ばせていただきます。」
淡々と話す志乃。
しかしその表情は優しい笑顔であった。
稲取が、いいのか……?と司を見る。
「ウチのオペレーター、多分この警視庁で最も有能です。安心して受け取ってください。」
司はさぁ、と志乃の持つ無線機を稲取に受け取るよう促す。
「すまない……恩に着る!」
稲取は、素直に志乃から無線機を受け取ると、その場で装着し、司令室を飛び出した。
「バスが都庁方面に方向転換したよ!」
ちょうどその頃、悠真がバスの進路変更を告げる。
「悠真くん、稲取さんとどちらが近い?」
「うん、こっちのが断然早いよ!」
「了解。稲取さん……10分で着くコースをナビゲートします。ちょっと辛いですけど……頑張って走ってください。」
「10分で!?……分かった。心臓が破裂しても走りきってやるぜ!」
志乃の案内を聞きながら、必死に走る稲取。
「忘れてたぜ……いつから俺はこんなに走らなくなったんだろうな……昔は車なんて使ってなかったんだがな……」
がむしゃらに事件を追っていた、若かりし日のことを思い出す稲取。
「そうさ、どんな事件でも、諦めが悪いのが俺だった……。特に今回の事件……俺が諦めるわけにはいかねぇだろうが!」
足が重くなる。
心臓が破裂しそうだ。
それでも、譲れないものが稲取にはあった。
「……さて、そろそろ着くね。君たちは大人しくしていて貰うよ。いくら犯人からの要求とは言え、こっちは『ギリギリまで』君たちを解放するわけにはいかないからね。」
都庁まであと数分。
北条は護送車の中で本宮、桜川両名に言う。
「大人しくも何も……ここまでしっかりと拘束されてちゃ、どうも出来ないでしょう?もっとも、どうにか出来るなら、今すぐあんたの喉笛を引き裂いてやるんだけどね。」
「おやおや、怖いねぇ。じゃぁしっかりと拘束しておかないとね。……雪ちゃん、君も頼むよ。」
「私は……取引の材料になったのは驚きっスけど、抵抗するつもりはないので……。」
北条の言葉に、犯人達はそれぞれ答える。
「北条さん、到着しました!」
ほどなくして、護送車を運転していた警官が、北条に到着したことを伝える。
「うん、ありがとう。じゃぁそのまま待機で。周囲にしっかり警戒しておいてね。SITが控えてくれてはいるけど、近づいてくる人影には警戒してね。」
「了解しました!」
警官は北条に敬礼すると、そのまま運転席へと戻った。
「虎ぁ、そっちは?」
「おう、もう着くぜ。人質はどうする?」
「安全が確保できるまで、車内に待機して貰っておいて。香川くんの爆弾の被害範囲から出たら、一斉に保護して貰うから。」
「了解。」
「辰さん、爆弾が起爆したとして、被害の範囲は?」
「あー、詳しく調べないことには分からんが……多分、結構な範囲を吹き飛ばすと思うぜ。まぁ、ロータリー周辺は吹っ飛ぶだろうな。」
「あたしは、現着したら北条さんの援護に回るわ。北条さんひとりじゃ、もし格闘が始まったら心配だもの。」
犯人の引渡しまであとわずか。
そのわずかの時間で、メンバー達は自分達の役割を伝え、行動に移す準備をする。
「人質A、あんたは助け出されるの待ってて。」
「ばぁか、もう拘束は解いてあるんだよ。俺はこのまま人質を守る。とは言え、怪我人がいるんだ。あまり時間はかけられねぇぞ……。」
「出来るだけすぐに急行できるタイミングで、救急の手配をかけます。あとは各課に要請して、人質及び周辺の人たちの避難誘導をして貰いましょう。……稲取さん、あと5分で現着です。」
着々と整っていく準備。
「あとは……香川くん次第だねぇ……。頼むよ、君は未来の一課長なんだからさ……。」
香川の行動次第で最善にも最悪にもなる、今回の事件の状況。
そして、もうひとり鍵を握る人物が都庁前に到着する。
「はぁ、はぁ……つ、着いた……ぜ!」
息も絶え絶えになりながら、稲取が都庁前に到着した。
「早かったじゃないの。」
「こんなときに、のんびり歩いて来られるか。おたくの有能なオペレーターのお陰で、新しい東京を見た気がするぜ。」
上着を脱いで肩にかけ、荒い呼吸の稲取と、その隣に立つ北条。
「……絵にならないねぇ。こういう大事な局面だと、テレビじゃイケメン俳優達が立ち回る場面だよ?」
「……うるせぇ。大事な局面だからこそ、ベテランなんじゃねぇか。」
警視庁で働く者にとって、北条と稲取が並んで立つところを見るのは喜ぶべきこと。
捜査一課の現課長と、捜査一課の伝説の刑事が並んで立つなど滅多にない機会なのだ。
「……安心して、後を任せたかったねぇ……」
「……まったくだ。」
北条の言葉に、稲取が少しだけ寂しそうな表情を見せた。
「さぁ……来たよ。」
「……あぁ。」
護送車が停まっている場所から少し離れた向かい側にバスが停まる。
「目標到着。各自油断せず指示を待て。」
SIT隊長・古橋が、バス内の香川に照準を合わせながら、各員に通達する。
「SIT、何人来てるの?」
「あぁ……見た感じ15人くらいか?」
バスの後方を走っていた辰川・あさみの乗る車も都庁前に到着。こちらはロータリーから少し離れた路上に車を停め、ロータリーの様子を伺う。
「古橋隊長、数人、都庁内の人達の避難誘導に割けませんか?建物の外に出てからの安全確保と避難誘導は、交通課や生活安全課など、多部署に応援を要請しています。」
「……了解だ。建物のいちばん近くに配置している2名、すぐにあたれ。」
「了解!」
「了解。」
SIT隊員2名が、素早く建物内に入っていく。
そして……。
「……香川。」
バスの中から、ゆっくりと香川が出てきた。
「まさか、稲取さんがここに来るなんて……。それだけが、僕の誤算ですよ。」
「なーに言ってやがる。分かってたくせによ。」
香川の言葉に、稲取が笑って答える。
「……犯人の引渡しの準備は出来ていますか?」
「……あぁ。やっぱり特務課は優秀だったよ。俺たちが何ヵ月もかけて説得するようなことを、ものの数時間でやってのけやがった。」
稲取が北条に目配せをすると、北条が頷き護送車の中へと入る。
そして次の瞬間、本宮と桜川が護送車の外に出てきた。
「……さすがですね。護送車の中には刑事がいる、そう予測していたんですが。」
「人質の命も大切だからね。それに……」
北条が、言いかけた言葉を飲み込み、首を振る。
「……いや、僕から話すことはもうなにもないよ。あとは……ふたりでやってよ。」
北条が一歩下がり、稲取と香川が向かい合う形となった。
「本宮と桜川だ。」
「……えぇ。では、ふたりをこちらへ……。」
「人質の解放が先だ。」
「ふたりがこちらに来たら、解放します。」
一言ずつ、お互いの思惑を探るように話す、稲取と香川。
「……ふっ……。」
「……はは……。」
そして、同時に笑い出す。
「なぁ、覚えてるか?」
「……えぇ。」
「お前が入ってすぐの時もそうだった。お前はなかなかこう見えて頑固者でなぁ。俺と良くぶつかってたよなぁ……。」
「それは、貴方が傲慢だったからです。」
「課長は俺だ。そのくらいいいだろう?」
新米刑事だった香川。
稲取が自ら彼とバディを組むことを決め、共に事件に向かうこと、数年。
幾度となく意見が分かれ、言い合いになることがあった。
「そう言うとき、どっちが折れてたんだっけ?」
「……いつも、稲取さんでした。」
「……そうだったな。」
「そのせいで、犯人を取り逃がしそうになったり、僕たちが危険にさらされることもありました。でも……一課のみんなが、そして稲取さんが助けてくれた……。」
傷を追いながらも、後に上司から厳重注意を受けながらも、結局は香川の意見を採用してきた稲取。
「思えば、貴方の考えの方が正しかったことの方が多かったのかもしれない。それなのに……どうして?」
香川が、思い出を噛み締めるかのように、稲取と話している。
(この流れ……いいぞ、香川くんの心がどういうわけか揺らいでる。このまま流れを引き寄せることが出来れば……。)
「稲取くん、聞い……」
局面の変化を感じとり、北条が得意の交渉術を使い、稲取に質問を指示しようとした、そのときだった。
稲取は、無線機を外し、北条へと放り投げた。
「……おっとと。」
北条が、無線機を受け取る。
「すまねぇな北条さん。これは『親子の』問題なんだ。」
そう言うと、再び香川に向かい合う。
「……そっか、了解。」
そのときの稲取の目を見て、北条は笑い、無線で話す。
「この事件、稲取くんに任せよう。大丈夫、きっと何とかしてくれるよ。僕たちは何かが起こったときのバックアップに回ろう。」
北条が見た稲取の表情。
動揺はなく、いつもの『熱血捜査一課長』の顔つきだったのだ。
「さて、さっきの答えだが……香川、やっぱりよ、その答えは一言なんだわ。『息子』には、成長して欲しい。その一言に限るんだ。」
「息子……。」
香川が、動揺する。
「お前が一課に来たときに言っただろう?『俺が親父になってやる』ってよ。あの日から、俺はお前を息子だと思ってるぜ。……まぁ、今でもな。」
稲取は、真っ直ぐ香川を見据えた。
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