7-12

「それで、犯罪組織に手を貸したって訳かよ……下らねぇ。」



無線と目の前にいる香川の声で、大体のやり取りを聞いていた虎太郎が、小さく呟く。



「……なんだと?」



その呟きを聞いた香川が、後部座席へとゆっくり迫る。



「ひ、ひぃ……!」


「く、来るな!」


「死にたくない……」



乗客達は皆、1ヶ所に固まり怯える。

拳銃を所持し、爆弾をも身に付けている香川。

怯えるのも無理はない。

それでも、虎太郎だけは真っ直ぐに香川を見据える。



「聞こえなかったか?ならもう一度言ってやる。俺は『下らねぇ』って言ったんだ!」


「お前……!」



香川が拳銃で虎太郎の頭を殴り付ける。

虎太郎の額に血が滲んだ。



「口を慎めよ!お前の命は俺が握ってるんだ!」


「あーそうだな。今のお前はバスの中全員の命を握ってる。それは事実だ。……それが何だよ。」


「……っ!」



今度は、虎太郎の腹を、背を蹴りつける香川。

しかし、虎太郎は呻き声ひとつあげない。



「や、やめてくれ!」


「彼は抵抗できないんだ!」


「君も、挑発はやめるんだ!」



乗客達が慌てて香川と虎太郎をなだめる。



「はぁっ、はぁっ……!」


肩で息をする香川。

虎太郎は口許に笑みを浮かべ、香川を見据える。



「警察が親御さんを助けてくれなかった?……復讐とかなんとか言ってるけどよ、お前……今やってることはなんだ?警察官が民間人を殺すのか?」


「僕は……組織のスパイとして……」


「それでも、刑事として困った人を助けてきたじゃねぇか!警察官として民間人と接してきたんじゃねぇのか?」


虎太郎が真剣な表情で香川に言う。



「乗客達にも家族がいる。彼らの命を万が一奪ったとしたら……お前みたいな奴が次々と生まれるんだぞ!そんなことも分からねぇのか?」


 

虎太郎の言葉に、香川の動きが止まる。



「大切な人が亡くなった、それは辛いことだし同情する。でもな、お前が他の誰かの大切な人を奪うって、そんなこと許されるわけ無いだろ!」


「そうだぞ香川!まだお前は誰も殺してないんだ。すぐに引き返せるところにいるんだぞ!」



虎太郎の訴えに、稲取も同意し訴える。



「引き返す……だって?」


「スパイとして組織に与したとしても、まだお前は誰も殺してないんだろう?情報を漏洩したとしても、これまでの事件の手助けをしてきたわけではないんだろう?それならまだ償える!さっさとバスを止めて、降りてくるんだ。人質と一緒に!」



稲取は、枯れてしまいそうな声を張り上げ、必死に香川を説得する。



「お前の恨みは俺が聞いてやる!だから、バスを止めろ、香川ぁ!!」


このとき、香川の気持ちが少しだけ揺らいだ。



「稲取さん……貴方に僕の事情の何が分かると言うんですか……」


強気に話していた香川の声が、少しだけ小さくなる。



「分からねぇよ!!」



そんな香川を、稲取は怒鳴りつける。


「……っ!」


「分からねぇから言ってんだ!事情を全て知った上で、それでお前に同情しちまったら、俺はきっと、お前を止められない。でもな、お前のことを何も知らないからこそ、止められる!」


「何を言ってるのか、さっぱり……」


「お前を真っ当な道に引き戻して、それからお前のことを知ろうって言ってるんだよ!償ったら、思いきり語り合おうじゃねぇか!これまでみたいに刑事としては付き合えねぇが、ひとりのうるさい親父として、お前と向き合ってやるよ!!」



稲取の言葉に、司令室内のメンバー達が胸を打たれる。



「稲取さん……」


「一課長、すごい……」


「めっちゃカッコいいじゃん!」


そして、北条も……。


「交渉としては最悪。感情に任せてものを言い、挙げ句の果てには犯人を怒鳴り付ける。これじゃ人質の命がいくつあっても足りないよ。でも……」



司と北条が、稲取と交渉役を替わらずそのまま稲取に任せたのには、理由があった。



「……それは、『普通のバスジャック犯が相手なら』だ。香川くんには、稲取くん以上の適任は、いないよ。」



新米刑事の時から、香川を見てきた稲取ならば。

苦楽を同じ課で、そしてバディとして分かち合ってきた稲取ならば、きっと香川の心を動かすことが出来る。

そう思ったのだ。



「でも……もう、遅いんです。僕はもう、『神の国』の人間。一度入った以上、もう……」



(おいおい、スゲーな稲取のジジイ……)


香川の心が揺らいだことに一番最初に気づいたのは、バスの中にいた虎太郎だった。



「なぁ……そこにあるソムリエナイフ、取ってくれねぇか。アイツに見つからないうちに……。」


ここが転機。

そう感じた虎太郎は、一緒に後部座席に集まっている乗客達に、ワインのコルクを抜くためのソムリエナイフを渡すよう頼む。



「わ、分かった……」


「私が壁になろう……」



手を撃たれた大柄の男が、虎太郎の前に座り壁がわりとなり、その隙にもうひとりの乗客が後ろ手に縛られた虎太郎の、その手にソムリエナイフを持たせる。



「何なら、私が切ろうか?」


「ダメだ。バレた時点で殺される。大丈夫だ、じっくりロープを切って、縛られたままの演技をしておくさ。いざとなったら飛び出せるようにな。だから皆、上手くしらばっくれていてくれ。」



拳銃に爆弾。

大きな障害はあるが、いざとなったら飛び出そう、虎太郎はそう思っていた。



「問題は、あの爆弾だねぇ……。」


北条が、難しい表情をする。

稲取の言葉で心が揺らぎ、香川は少しだけではあるが冷静さを失いつつある。

上手く行けば、バスを止めてくれる可能性もある。


しかし、問題は香川につけられている爆弾の存在である。

衝撃により起爆するタイプの爆弾。

無理に外そうとすれば、おそらく強い衝撃をかけてしまうだろうし、なにより香川が大人しく爆弾を外されるのを待つだろうか?



「辰さーん、なにか分かった?」


そして、まだ爆弾の全容が明らかになっていない。

北条は、辰川の返答を待った。



「おー、分かったぜー。なかなか厄介な爆弾だぜ、ありゃぁ……。解体するには、俺がやるのが手っ取り早い。ちょっとだけ作りが複雑でなぁ……。」



ようやくドローンからの画像で爆弾の種類を判別した辰川。



「ありゃぁ、爆発したらバスどころじゃねぇ、周辺にも被害が出るぜ。絶対に爆発させちゃぁ駄目だ。あの小僧、跡形もなく吹っ飛ぶぜ。」


「マジかよ……後部座席にいても駄目か?」


「虎……悪いが後部座席の方がヤバイかも知れねぇぜ?吹っ飛んだバスの残骸が、爆風にのって一気にお前に襲いかかり……蜂の巣だぜ。」


「……んなこと言ってねぇで、どうにかする方法考えようぜ!」



辰川と虎太郎のやり取りに、少々ではあるが余裕が感じられてきた。

それも、香川の気持ちが揺らいだことで、そこになにか突破口を見いだせると思ったからだ。



「爆弾のことは分かったわ。あとは、具体的な作戦を練っていきましょう。今のままの速度では、バスに手出しは出来ない。」


「司令~、私ならこの速度でも飛び移れるけど~?」


「確かに、あさみなら出来るかもしれないわね。でも、今回の事件は出来るだけ香川くんを挑発しないように進めたい。何が起爆の引き金になるか分からないから。」


「そうだねぇ……バスを減速、あるいは停車させるための『何か』が欲しいよねぇ……。」



無線でやり取りをしながら、少しずつ事件解決のためのプランを練っていく特務課メンバー。

その様子を、稲取が見守る。



「おい姉ちゃん、いつもこうなのか?」


志乃に問う稲取。



「えぇ。特務課は事件の早期解決を期待される課ですので、捜査会議は行いません。現場の状況、集めた情報、各員の経験などを踏まえ、即行動できるプランを司令を中心に立てていく。現場至上主義……とでも言いましょうか。」


「そのために、僕たちオペレーターが頑張るんだよね~」




志乃と悠真が、特務課の方針を話す。



「少数精鋭……とんでもねぇな、特務課……。」


初めて目の当たりにする、特務課員の行動。

稲取はそのレベルの高さに驚愕していた。


少しずつ決まっていく、捜査方針。

その時だった。



「司令、内線です。……え?」


志乃が電話機のディスプレイを見て驚く。



「司令、高橋警視監……からです。」


「……そうかい、オッサン……仕事が早いねぇ。」



志乃の驚いた声を聞き、面白がった北条が笑う。



「……替わりました、新堂です。……はい、えぇ…え!?」


あらかじめ用件は分かっていた司だったが、高橋の言葉に驚きを隠せない様子である。



「おいおい……司ちゃんも予想だにしないことが起こったってことかい?」


その司の様子には、北条もさすがに驚いた。

常に先を見通し、冷静に現状を分析して行動する司の、その予想を超えてきたと言うことだ。

通話を切った司が、北条に振り返り、通話の内容を告げる。



「本宮、桜川両容疑者を……2時間後に都庁前に移送……するそうです。」


「え……えぇぇ!?」



その言葉には、さすがの北条も大きな声を出して驚いた。



「この短時間の間に、上層部の承認を取り付けて行動に移したって言うことかい?……いやいやいくらなんでも異例中の異例、神業でしょ……。」



凶悪犯の外出。

それはどんなことがあろうも即日承認という形で決裁された前例がない。



「そして、引渡しという名目で、『神の国』側を都庁前に誘き出す……それが目的だそうです。現場には、古橋隊長以下SITが配置されるとのこと、」


「なるほど……誘き出して確保、抵抗したらSITが控えてるってことか……。なかなかえげつない作戦だねぇ。」


「凶悪犯の釈放は、警察の威信にかけても断固拒否を貫くそうです。しかし、それをあからさまに交渉で口にしては、人質の命が危ない。それで、断言せずとも釈放すると匂わせる、と。」


「柔軟だねぇ……。上層部は拒否の一点張りだったろうに、良くそこまでの妥協案にたどり着いたもんだ。オッサンの権力と影響力があってこそだね。」



北条が驚いて見せる。

……が、その実こうなることはある程度予想できていた北条。



(予想以上に早かったが……ま、想定内だね。高橋のオッサンが、上を動かせないわけがない。それだけの実績と経験を持ってるんだから。僕が心配してたのは、その『時間』だった……。)



そう、この作戦が実行に移るまで、バスは走り続けなければならないのだ。あまり時間がかかりすぎると、燃料切れでバスは止まる。そうなってはいかに作戦を立てても元の木阿弥となってしまう。



「虎……良く聞くんだ。あと2時間……いや、2時間半、耐えるんだ。そうすれば、必ず何らかの動きがある。」



北条は、虎太郎に無線で言った。



「2時間……半か。了解。」



北条から指示を受けた虎太郎は、素直に返事をする。

怪我人もいるこの状況下での2時間半は、決して短い時間とは言えない。

しかし、その時間を耐えることが出来れば、必ず事態が好転するような何かが起きる。

そう、虎太郎は信じた。



(ギリギリはギリギリだが……それを持たせてなんぼだな。)


そして、虎太郎は自分に出来ることを探す。



(とは言え、今の俺に出来ること、それは香川を刺激しないように大人しく人質になっていることだけか……。あとは、周りの皆のために少しでも隙を作り、情報を引き出すこと、だな。)



先行きが見えてきたとは言え、香川が拳銃を所持し、威力の高い爆弾を持っていることは、変わらない事実。


下手に刺激しないよう、そして人質達に変な気が起こらないように気を配ることにした。



「北条さん……こんな状況だから、俺はジタバタしねぇぞ。人質らしくどっしりと構えてやる。だから、必要な情報があったら言ってくれ。」


「OK。さすがは虎。ベストな判断だよ。そっちは任せる。」



虎太郎は北条を信じ、そして北条は虎太郎を信じる。

虎太郎にとっては窮地に違いないが、離れているバディをお互いに信頼することにした。



「辰川さん、あさみ、そう言うことだから、出来るだけバスを追尾して様子を探って!香川が取り乱して人質に危害を与えそうであれば……あさみ、そのときは任せるわ。」



司が、バスを追跡しているあさみと辰川に指示を出す。



「OK!」


「はいよ。こっちは直接解除の他に何か策はないか探しながら追跡するぜー。」


「辰川さん、そろそろガソリン切れるからさ、そっちの車に乗せてよ。私運転するから!」


「単車じゃ限界か……。了解。まぁ運転してくれた方が、こっちは調べものに専念できるわ。」



辰川が運転する車に、あさみが同乗することを決める。


「停車中のバスの行方はこちらで追います!」


「最短ルートで追い付くナビの準備しとくよー!」



その無線を聞き、今度は志乃と悠真がモニターを見ながらバスの進路を確認し、そして読んでいく。



「さーて、僕は何をしようかな?」



そう言いながらも司令室の外へ向かおうとする北条を、司が呼び止める。



「北条さん!」


「はいよ。」


「お願いします。」


「りょーかい。全く君は、何でもお見通しだねぇ。まぁ、僕が行くのが適任かな。」




北条がこれからしようとすることを司は読み、北条に『その役割』を託すことにした。



「北条さんの動きに、今回の事件の全てがかかっています。」


「おー、これは責任重大だ。」



北条は笑みを浮かべたまま、司令室から出ていった。


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