6-12
桜川の両手に、手錠が掛けられる。
「私の研究も、これで終わりっスね……。」
桜川は抵抗すること無く両手を差し出した。
悲痛な表情を桜川に向ける、北条。
「雪ちゃん……君のしたことは、研究じゃない。ただの非道な殺人だ。人間の可能性を追求するなら、どうして人を生かす道を選べなかったのか……それだけが、悔しい。」
奈美に限ったことではない。
本来ならば、失われなくて良かった命が、無慈悲に奪われた。
「君には、心から信頼できるような、そんな人間が必要だった。僕も反省しているよ。仲間として事件に向き合ってきたつもりだったけど、君の理解者にはなれなかった。それは、僕の未熟さゆえだ。」
「なんで、北条さんが反省を……。」
北条の言葉に、桜川が驚く。
「なんでって……、君を仲間だと思っていたからさ。」
「なか……ま……!」
このときはじめて、桜川の目から涙がが溢れ落ちた。
「そんな風に、私のことを思っていてくれたんスか……!」
『仲間』、それは桜川には縁の無いものだと思っていた。
研究だけが自分の生き甲斐。
研究だけしていればそれでいい。
そう、思っていたから。
人付き合いなど研究の邪魔。
孤独である方が、研究は捗る。
そう、信じていたから……。
「雪ちゃん、ちゃんと罪を償うんだ。酷いことをしたのは間違いない。その罪とどう向き合い、どう償うかが君の新しい課題だよ。」
北条が、諭すように言う。
「……もう、無理っス……。」
しかし、桜川は泣きながら首を振るばかりだった。
「私を逮捕しても、『神の国』は終わりじゃない。全ての痕跡を消すために、『粛清』が始まるっス。そうなったら……私も……。」
「粛清……だって?」
その言葉が何を意味しているのか、それを察した北条。
「組織に関わった人間が、何の代償もなく足を洗うことなんて出来ない。組織の秘密を知ったからには、もう抜けることなんて出来ない。秘密が漏れる可能性がある者は……」
そう言うと、桜川はポケットから薬品の入った、アルミ製の小瓶を取り出した。
小刻みに震える手で、小瓶の蓋を開ける桜川。
「……秘密を漏らされる前に、『粛清』しなければならないし、されなければならない……。それが、組織の掟っス。」
その小瓶が、自害用の毒物であることは容易に想像できた。
「やめるんだ雪ちゃん!!」
必死に止めようとする北条。
しかし桜川はそんな北条を振り払うと、小瓶の中身を口へ……
ーーーバァン!!ーーー
そのときだった。
突然響く、銃声。
放たれた弾丸は、桜川が持っていた小瓶を弾き飛ばした。
その銃声の聞こえた先を見て、北条が笑みを浮かべる。
「……警察学校ナンバーワンの狙撃センスは健在……ってね。」
「……馬鹿野郎。こうなることを見越して俺に協力要請しやがったな、北条さんよ……。」
銃を撃ったのは、捜査一課長・稲取だった。
正確に桜川の手に持たれていたアルミ製のビンを撃った稲取に、北条は拍手をしながら言う。
「さすが稲取くん……。捜査一課で……いや、警視庁で一番の射撃センスの持ち主だねぇ……あんな小さな的を、高低差があるなか撃ち抜くなんて、もう、神業だよ、神業!」
「なぁに言ってんだよ北条さん……俺とアンタの射撃の記録、そんなに変わらねぇの知ってるだろう?」
「いや、それでもだよ。今の僕は間違いなく外してた。それどころか躊躇って雪ちゃんに怪我をさせていたかもしれない。結果、撃ってくれたのが君で良かったよ。」
捜査一課まで直接訪ねることで、北条は稲取が非番ではないこと、そして外出予定がないことをあらかじめ確認しておいたのだ。
もし、外出予定があるのなら、自分が稲取の役を担おうと思ってはいたのだが、奈美が殺されたことを思いだし、そして虎太郎の無機質な表情を目の当たりにしたことによって、正確な射撃が出来るかどうか、それが不安だったのだ。
「それはそうと……北条さんは『アイツ』が最後は自害するかもって、ハナから思っていたってことだよな?」
稲取は、北条が一課まで出向いてきたことに違和感を覚えていた。
普段、簡単な確認事項やつまらないやりとりをするときには、主に内線を使う北条。
そんな彼が出向いてきた時点で、何かがあると踏んでいた。
本当は、近辺の小さな事件の聞き込みに行く予定だった稲取。
しかし、
『北条が動けば事件も動く』
という、捜査一課の暗黙の了解のようなものが、稲取の行動に待ったをかけたのだ。
(それにしても……こんなの予想外だぞ?桜川が犯人なんて、誰も予想だにしなかっただろ……。まったく、いつから目星をつけていたんだか……)
北条の捜査センスに脱帽する稲取。
「死なせて欲しいっス……。」
結局、北条ひとりに犯人としてマークされ、自身の『最終目的』さえも北条の手の者に防がれた、桜川。
残された道は『死』の一文字だけであると言うことを覚悟していた。
「警察はね、ひとりでも死なせてはいけない課、なんだよ。どんなに凶悪な事件の犯人だったとしても、基本的に日本の警察は人を殺さない。だから、君も死ねないし、死なせない。単純なことだよ。」
気力を失った桜川に、北条は普段の桜川に諭すのに同じように、優しくゆっくりと話した。
「……りたい。」
すると、桜川が振り絞るように声を出す。
「謝りたい……虎太郎さんに。」
それは、虎太郎に謝罪したいという、桜川の素直な気持ち。
しかし、北条は小さく首を振った。
「それは、まだ早い。」
「……え?」
がっくりと項垂れる桜川に、北条は言う。
「今の君はまだ、感情でものを言っているだけだ。ちゃんと逮捕されて、しかるべき裁きを受けて、ゆっくり、そして確実に罪を償って……。そして、それが終わってからだよ、謝るのは。よく人は罪を償うことと謝罪は別だと言うけど、僕もそう思う。謝って罪が消えるなら、僕たち警察は要らないよ。」
稲取の背後に控えていた捜査一課の刑事達が、司令室に突入しようと動き出す。
それを、稲取が手で制した。
「いま突入したら……アイツのためにならねぇよ。」
北条のやり方を知る稲取だから制した。
北条はただ犯人を逮捕するだけではない。
しっかりと罪と向き合わせ、その罪の大きさを自覚させる。
そうなるように、北条は逮捕の度に犯人を諭してきたのだ。
「ちゃーんと罪を償って、いつか人のために何かが出来るようになったとき、そのときは虎に会わせるよ、必ず。何年先になっても、何十年先になっても、ね。だから、すぐに何でも解決しようとしないことさ。」
「うっ……うぅっ……」
桜川が力無くその場に座り込む。
北条はそんな桜川の手を優しく取ると、一緒にゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、取調室へ行こう。今日は僕が取り調べをするよ。カツ丼は経費じゃ出せないから……そうだねぇ、何か美味しいものを食べよう。少し前に誘ったディナー……だいぶショボくなっちゃうけどさ……。」
桜川の人生が不遇であったのも理解している。
桜川と長い間、協力して事件に向き合ってきたのも事実。
だからこそ、北条は自分で引導を渡したかった。
「はい……。」
桜川も、素直に従った。
彼女もまた、逮捕されるなら北条に、とその両手を差し出したのだ。
「北条さんが、もう少し若かったらなぁ……。」
異性との出会いに恵まれなかった桜川が、小さく溜め息を吐く。
「今は歳の差婚なんて珍しくないよ。孫くらいの歳の差の奥さんをゲットするじぃさんもいるくらいだしねぇ。いつか改心して世に出て、そのとき独り身だったら考えといてよ。」
「ふふっ……そのときは、私もおばあちゃんっス。」
苦笑いを浮かべる桜川。
ふたりは司令室の外で一課の面々とすれ違う。
「……いちばん奥の取調室、使ってくれ。」
北条の背後に、稲取が言う。
「いいのかい?」
「アンタしかいねぇよ。」
「……恩に着るよ。」
言葉は少なかったが、それで充分だった。
稲取は、『元仲間』である桜川の取り調べを北条に託し、北条はまた、稲取の気遣い、そして一課の協力に礼を言ったのだ。
「さぁ……長い夜になるよ。」
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