6-11
「……1件目の被害者。」
少しずつ追い詰められていく桜川。
彼女は無機質な表情で呟いた。
「土に埋まってた彼っス。私は彼を助けようとしたんですよ?目の前であなたもそれを見ているはずっス。」
ワイヤーで素早く切断された両足の患部を固定し、被害者に出来るだけ動かないように注意をしていた桜川。
その光景は確かに北条も目の当たりにしていた。
「うん……見てた。」
「死亡推定時刻の操作までして、様々な薬品を使ったと言うなら、もっと簡単に……死因なんてその場では分からないようにやるっス。あんなお粗末な殺し方、私が犯人だとしたら絶対にしないっスよ。」
桜川の主張に、志乃と悠真が考え込む。
それは、桜川の主張が『もっともだ』と思った何よりの証拠である。
しかし、北条は表情ひとつ変えなかった。
「そう。いま志乃ちゃんと悠真くんは『それもそうだ』と思ってるはず。その雪ちゃんの言う『お粗末な事件』は、雪ちゃん自身を犯人から遠ざけるための事件だったんだよ。」
北条の言葉に、桜川は誰にも聞こえないような小さな舌打ちをする。
「被害者を見つけ、医師として助ける。これ以上無い『刷り込み』だよね。他の誰かにやられた被害者を……っていう意識付けにはもってこいだ。」
「私は本当に助けたかったっス。被害者さん、暴れて死んでしまったけれど……。」
「そう。そこだよ。」
北条は桜川に人差し指を突きつける。
「よーく思い出したんだ。あの日、被害者が暴れた瞬間、そのタイミングを。そのきっかけは虎の声でも、自分の足を見たときでもなかった。雪ちゃん……君の顔を見た瞬間なんだよ。君……犯行の時に、わざと顔を見せたな?そして、わざと被害者が怯えて暴れることを見越した。」
「……………。」
「君が現場に到着したときの一言。『まだ生きてる』。君は被害者が生きていることに安堵した訳じゃない。これから殺すのに死んでいては計画が狂う。そう思ったからだ。」
少しずつ繋がっていく、不審死のパズルのピース。
「駆けつけて、助けようとする。その動きを『演じる』ためには、被害者が死んでいては意味がない。目の前で被害者が息絶えることで、君が犯人であると言う疑いを完全に否定させる……。それがそもそものあの事件の狙いだった。」
北条が、鋭い視線で桜川を睨む。
「ふふっ……あははは……!」
不意に。
桜川が笑い始めた。
並の刑事なら、「何がおかしい!」と興奮するところだが、北条は違った。
「どうだい?大したものだろう?……その笑みが、全てを物語っているよ。」
桜川が犯人。
北条はそう断定した。
「さすが北条さんっス!」
大きな拍手をする桜川。
その表情には狂気のようなものも感じる。
「その反応は……雪ちゃんが犯人だと認めた……という解釈で良いのかな?」
「どうせ、上手く取り繕ったところで北条さんは論破するでしょ?……あぁ、相手が悪かったー。まずは北条さん、貴方から始末すべきだったっス。」
小さく笑いながら、桜川が両手を広げる。
「大正解っス!この3件の事件、私がやったっス!」
開き直り、反省する様子もない桜川。
その様子に北条の表情が険しくなる。
「命と向き合わなくてはならないはずの君が、簡単に命を奪うなんて……何を考えているんだ、雪ちゃん……!」
「そう。命と向き合ったからこそっス。私は医師として、『人間の可能性』を追求したかったっス。」
桜川は、心底寂しそうな表情を見せた。
「人間は脆い……脆すぎるっス。大地から栄養を摂取できず、光合成も出来ない。水中でも暮らせないし、少しの怪我ですぐに身体が弱くなる。一度切り離された部分は、どうやっても再生しない……。」
トン、トンと机を人差し指で叩きながら、桜川は言う。
「だから、どの薬品を使えば人はより長く生きられるのか、どうすれば失われた組織は再生の兆しを見せるのか……。私は人間の新たな可能性を探りたかった。先の事件を見たでしょう?人がまるで虫のように次々と死んでいく……あの光景にガッカリしたっス。」
「先の事件……」
それは、神の国信者の集団自殺事件。
北条があと一歩のところで救えなかった、たくさんの命。
北条が固く拳を握る。
「あぁ、盟主は何て事をしてくれたんだ、私はそう思ったっス。あんな形で人間の脆さを見せなくても……って。」
「盟主?……もしかして、君は……。」
北条が、なにかに気付く。
その『何か』を察した桜川は、自分の服の襟に人差し指を引っ掛け、ぐいっと引っ張る。
「……一応、幹部っス。」
桜川の胸元には、蠍の刺青が彫られていた。
「……それは、僕も予想してなかった。」
北条が小さく震える。
それは、怒りと少しばかりの悔しさ。
「動機は……あの集団自殺事件?」
「そうっス。人間を弱いままにしておけない。そう思ったからっス。人間は、強く気高くあるべきっス!」
「馬鹿な……被害者だって、気高き人間じゃぁないのか!?」
ついに、北条が桜川を怒鳴る。
しかし、桜川の表情は変わらない。
「……だから、あの男達を選んだんです。人間のクズは、実験に使っても仕方がない。」
桜川は、そう冷たく言い放ったのだった。
「私がぱっとしない研究オタクだと思って、彼らは声をかけてきたっス。私を口説いて関係を持つのは簡単だ、そう思ったんでしょうね……。」
桜川は当時の事を振り返る。
彼氏もいない、好きな男もいない。
そんな桜川は、日々研究に没頭していた。
研究テーマは、『人の持つ無限の可能性を追求する』というもので、あらゆる疫病、怪我に対する免疫力・再生力を向上させることは出来ないのか?という研究だった。
人間の可能性に挑戦する、そんな研究は困難を極めたが、桜川の研究を応援してくれる人も多く、なかなか進まずともやりがいのある研究だった。
それと同時に桜川が持っていたもうひとつの顔。
それは、『神の国』の専属医師だった。
医師免許は持っている。
法医として検死がメインの生活ではあるが、かつては名医として大学では名を馳せたほどの技術の持ち主だった。
『神の国』の構成員は、表立って病院にかかることが出来ない『訳アリ』の患者も多数存在する。
民間の病院を利用しては、そこから足がつき逮捕されてしまうかもしれないからだ。
故に、桜川の存在は重宝された。
『神の国』の専属医師を引き受けてすぐに、盟主と呼ばれる男から幹部へと誘われた。
桜川自身に、人助けをするという概念はそもそも無かった。
損傷した、薬物反応を起こした人体に対し、『どう処置し、どんな薬品を用いれば、回復するのか』それだけが興味の対象だったからだ。
薬が効けば素直に嬉しい。
処置が効果的であれば達成感を感じられる。
ただ、それだけ。
処置の結果、患者がその後どんな人生を辿ろうが、桜川には関係の無い話だったのだ。
周囲からは、『頭のネジがぶっ飛んでいる』と良く言われたものだ。
そんなある日。
桜川に言い寄る男が現れたのだった。
ひとりは、毎日を適当に生きているような、派手な若者。
桜川の肩や腰に良く手を回しては、顔がくっつくほどの距離で話す、馴れ馴れしい男だった。
男に魅力を感じないわけではないが、あからさまに身体の関係を求めている男に、桜川は嫌悪感を感じた。
しかし、それを武器にすれば、この男を実験台に出来る。そうも思ったのだ。
「あなたのお誘い、受けてもいいっス。だから、私の家に来て欲しいっス。」
そう、男を誘惑した桜川は、自宅でその男に薬品を注射した。
派手な男。
クスリ関係も経験があるだろう。
その思惑通り、男は薬品を打たれることに対し警戒心を持たなかった。
「クスリ打ってからとか、アンタも『そっち側の人間』だったのか。良いねぇ、興奮する!」
しかし、男が誘われたのは、『天国』ではなく『地獄の底』だった……。
「頼む……殺さないで……!」
少しずつ薄れていく感覚、そして意識。
その中で男は必死に桜川に命乞いをした。
自らの身体に起こった異変、それがただ事ではないと悟ったのだ。
「大丈夫、殺したりはしないっス。出来れば生きていて欲しい。人間の可能性を……見せて欲しいっス。もっとも、生きている可能性は限りなくゼロに近いっスけど……。」
桜川がもう1本、男に薬品を投与する。
「や、やめ……!殺さないで……!」
必死に身体を動かし抵抗しようとする男。
しかし、その身体は投与された薬品により、全く動かなかった……。
「死なないでくださいよ……。あなたが死なないと言うことが、人間の新たな可能性を見いだす一歩となるっスから……。」
……こうして、男の意識は闇に落ちた。
「いやぁ、期待はずれだったっス。必死にしがみつこうとする『生』。その執念は大したものではなかった。もっとしがみついて欲しかったっス。」
残念そうな表情を浮かべる桜川。
「もうひとりは……正直、明確な殺意が沸いたから殺した。それだけっス。」
もうひとりの被害者。
水中で発見された男は、もうすぐ結婚を迎えるという、幸せの渦中にいた。
それなのに……。
「君に一目惚れしたよ。結婚を前提に付き合ってくれないか?」
街で声をかけてきたその男は、結婚することを隠して桜川に近づいたのだ。
「私も騙されそうになったっス。とても紳士で、少しずつゆっくりと近づいていけばいい、そう言ってくれたから……。」
その男には、正直少しだけ惹かれた。
だからこそ……。
「完全に心を許したっス。彼の家に行き、これから私たちは結ばれるんだ……そう思ったとき、彼のスマホに婚約者からのメールが来たっス。」
自分は、寂しさを紛らすための浮気相手だった。
恋愛に免疫の無い桜川は、その事に酷くショックを受けたのだ。
「それでも、貴重な気持ちを教えてくれた彼。私は傷つけまい、彼の幸せを壊すまいと黙って出ていきました。連絡先も消去し、彼との繋がり全てをブロックしました。それなのに……。」
もう、彼との繋がりを絶った。出会うこともないだろう。
そう思った桜川であったが、男とばったり街で出くわした。
黙って立ち去ろうとした桜川であったが、彼はそんな桜川を引き留め、こう言ったのだ。
「もう君に未練はないよ。でも、あのときの続きくらいはしておこうよ。せっかく出会えたんだしさ……。寂しいんだよ、いろいろ。」
このとき桜川の脳裏で、男との楽しかった日々が音を立てて崩れた。
「殺そう。そう思ったのは彼が始めてだったっス……。」
桜川の瞳には、涙が浮かんでいた。
「それでも、彼との思い出を考えたら、遺体にあれこれ細工をしようとは思わなかったっス。せめて、きれいなままで……。」
悲痛な表情を浮かべる桜川。
「……花束は、手向け?それとも自分に向けて?」
「私の理想の彼のまま、逝って欲しかった。それだけっス。」
「……勝手だね。自分で殺しておいて願望なんて、まかり通るわけがない。」
北条は冷たくいい放つ。
そもそも、桜川が手を下さなければ、被害者は二人とも死なずに済んだ。
ただ、それだけの事なのだ。
「動機が……緩すぎるよ雪ちゃん。2件とも、君が冷静になれば回避できた事件だったはずだ。許すことも情状酌量の余地もないよ。」
「分かってるっス。それを求めるつもりもさらさら無いっス。北条さんに暴かれた時点で、私は終わった。そのくらい理解できてるっス。もう、どうあがいても逃げ切れないのも分かってるっス。」
それは、心から諦めたという桜川の表情。
しかし、それだけでは北条の沸き上がる感情を抑えることはできなかった。
「最後に……奈美ちゃんを手に掛けた、その理由を知りたい。」
北条の、鬼気迫る表情。
その様子を見てはじめて、桜川が喜びにも似た感情をにじませた。
「それは、アンタ達のせいっス。」
「僕たちの……せい?」
「連続女性殺害事件、連続放火事件、銀行立てこもり事件に連続通り魔事件。そして集団自殺事件に私の起こした2件の事件……。まぁ、私の事件は抜いたとしても、ここまで立て続けに事件が起こり、それに『神の国』が関与していることも分かっていながら、アンタ達は『神の国』の組織の尻尾すら掴めていない。だからっス。」
桜川が、まるで北条を嘲笑うかのように言う。
「それと奈美ちゃんと、何の関係が……」
「私の憧れた特務課は、あらゆる方面のエキスパートが集まって難事件を解決する、警視庁のエース。そんな特務課が、あまりに煮え切らないから、私が手を下した訳っス。身内にまで手を伸ばされたら、必死になるでしょう?現に、今回もそうだった……。」
桜川の口許に笑みが浮かぶ。
「そんな、ふざけた理由で……!」
「真面目も真面目、大真面目っス。ここで誰も私のところに来なかったら、次はそこの二人のどちらかを殺して司令室内に飾ってやろうと思ってたっス。……あまり私をガッカリさせないで欲しかったっス……。」
「……雪ちゃん、君は……!」
怒りにわなわなと震える北条。
その衝動を必死に堪え、手錠を取り出す。
「桜川 雪。君を殺人の容疑で逮捕する……」
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