6-10

その夜、22:00。


志乃は北条の指示通り、司令室で待機する。


「なんかごめんねー。仕事も終わって早く帰りたいだろうに……。」


「いいんです。私の身の安全を守ってくださってるわけですから。」


「きっと犯人逮捕に繋がるから、ここに残ってる分は、残業申請していいからねー。」



出来るだけ志乃に不安を与えないように、面白おかしく話す北条。


結局、司、辰川、悠真の3人も、


「仲間の身の危険が迫っているのに、のんびりと帰宅などしていられない」


ということで、悠真はそのまま司令室に残り、司と辰川は念のため、志乃のマンション周辺を張り込むことにした。



「本当に、私を狙ってくるのでしょうか……?」


志乃が、不安げな表情を北条に向ける。



「うん……僕の予想では、最有力候補が志乃ちゃん。もし失敗したら次は悠真が狙われるかもしれないから、そっちには一課をつけようと思ったんだけど……、残ってるなら手間は省けるね。一課にはこっちの護衛をして貰おう。」



北条は自信のスマホで稲取にメールを送る。



「どうして……私が狙われるんですか?」


身の安全が保証されていても、志乃自身には狙われる心当たりが全く無い。



「それはね……犯人がここに到着してから答え合わせをしよう。」



そして、北条はもう1件電話をかける。



「……もしもし。」


生気の無い、低い声。

虎太郎だった。



「ちゃんと、食べてる?」


「……腹が減ったら。」


「ちゃんと寝てる?」


「……わかんね。」



まるで、世話焼きの母と反抗期の息子のような通話のやり取り。

それでも、北条は優しく虎太郎に言う。



「今すぐ戻ってくるとか、そんなことは考えなくていい。自分のペースで、自分の気持ちになにか変化が起こったら、その時は胸を張って帰ってくればいいんだ。大切な人を亡くしたんだ、すぐ立ち直れなんて酷な話だよ。」


「…………。」



優しく、ゆっくりと話す北条。



「……ひとつ、報告をしておこうと思ってね。」


「……報告?」



奈美を失った虎太郎。

2人の仲の良さを実際に会って見たことのある北条だからこそ、変わり果てた姿となった奈美を見たときの虎太郎の表情が、そしてその時の虎太郎の気持ちが、痛いほど伝わってきた。


それと同時に、激しく燃え上がった、怒りの炎。


虎太郎と奈美には、ずっと笑っていて欲しかった。



「……今夜、必ず犯人を逮捕する。僕の命と刑事生命を賭けても良い。奈美ちゃんを虎から奪った犯人を、僕は決して許さないし、逃がさない。……まぁ、逮捕したからって虎の悲しみが消えるわけではないけど……。」


時計が、刻一刻と進んでいく。



「……仇は、必ず僕が取るよ。虎の代わりに。」



「……すまねぇ、北条さん。」



北条の言葉に、虎太郎はそう一言だけ呟くと、通話を切った。



「今の……虎太郎くん、ですか?」


「うん。仇は取ってやるぞ~って電話をしておいたよ。」


「でも、本当に今日……?」


「今日、逮捕できなければ、きっと犯人は上手く逃げ仰せる。犯人は今、きっと自分が犯人だと気付かれて無いだろうと思い込んでる。そこを逆手に炙り出すんだ。」



北条は、あさみと司、辰川にある『約束事』を指示していた。それは……。



『虎太郎含め、特務課7人の所在については知らない、分からないの一点張りで答えること』


という、ごく単純な約束事。

それが犯人逮捕に繋がると北条は確信していた。

そして……。



北条のスマホに着信が入る。



「もしもし?」


「あさみだけど、『ひとりだけ』志乃さんの部屋を訪ねてきたよ。でも、本当にあの人なの?」


「あぁ。予想通りだね。何分前?」


「うん、ついさっき。5分くらい前かな?」


「じゃぁ、こっちに着くのは10分後かな。ありがとう。もう撤収して構わないよ。」



北条の予想通り、『犯人』が罠にかかったようだ。



「私もそっちに行く。もし『あの人』が犯人だとしたら、私たちはナメられてたって事だもん。絶対に逃がさないわ。司令と辰川さんも一緒に行くって言ってる。」


「それは心強い。でも、バレないように来てね。」



通話を切ると、北条の表情が引き締まる。

すぐに捜査一課・稲取に電話をする。



「15分後、協力を要請したい。包囲して欲しいんだ。ここ、特務課司令室をね。」


「おう、了解。後の事は知らねぇぞ、北条さん!」


「もちろん、この事件は僕の責任の上で指示させて貰うよ。」



北条と稲取の通話に、志乃と悠真の緊張感も高まる。

そんな2人に、北条は優しく声をかける。



「ちょっと、隠れていて。『犯人』とは僕ひとりでやり取りするから。」


2人をそれぞれ自分のデスクの下に隠れさせる。


そして……あさみから連絡があってから、10分が経過した。

司令室の扉がノックされ……。



「失礼するっス。誰か、まだ働いてるっスか?」


入ってきたのは、桜川だった。


「はいよー。……あぁ、雪ちゃんか。びっくりした~。」


「こんな遅くに申し訳ないっス。先日までの連続変死事件で、被害者から検出された薬物について補足があって……。」



桜川の手には大きな茶封筒が見える。

北条は、笑顔で桜川を近くのデスク……虎太郎のデスクへと招いた。



「ありがと。とりあえずここに座ってくれるかな?」


「了解っス。」



桜川は、北条に言われるまま、虎太郎のデスクの椅子に座った。


桜川が、3件の事件の資料と検視記録をデスクの上に広げる。



北条は、その上に無造作に自分の手帳を投げ置いた。

その様子に、桜川が身を強ばらせる。



「ど……どうしたんですか?らしくない……。」



少しだけ、怯えた様子の桜川。

北条は、まるで話を聞き流したかのように、話し始める。



「ちゃーんと、雪ちゃんの法医の経験を踏まえた上で、君なりの見解を聞きたいんだ。この事件、『どれがいちばん最初に起こった』事件だと思った?」



少しだけ鬼気迫るような雰囲気で桜川に問う北条。

桜川は、少し考える素振りを見せる。

2人の間に、言いようもない沈黙の時間が流れる。



「もちろん、これっス。」


桜川が指を指したのは、鉢植えにされた男の事件。


「同時に発見されたのであれば死亡推定時刻の操作なんかを考える犯人はいるかもしれないっスけど……。1件目と2件目の事件の発生日時が少し離れてるっス。日を跨いでの発見となっては、操作も何もないっスから……。」



真剣に、遺体の状況を元に答える桜川。

しかし、この回答が北条の思惑通りだったのだ。



「はぁ………。」



北条は、心底ガッカリしたような大きく深い溜め息を吐いた。



「残念だよ、雪ちゃん……。それ、いちばん最悪の解答だよ。」


「…………どう言うことっスか?」



北条の言葉に、桜川の表情が凍りつく。



「僕、言ったよね?『法医の経験を踏まえた上で、君なりの見解を聞きたいんだ』って。その結果が今の答えであるのなら、君は法医として無能だったと言うことになる……。」



北条が、資料の上に置かれた手帳を無造作に開く。



「2番目に見つかったご遺体。立ったまま殺害されて水族館の水槽に沈められた。そう言った君の報告は正しかった。でも……。」



北条は、自分で調べておいた部分を指さす。


「被害者が殺害された場所を調べてたんだ。足取りと一緒にね。そうしたら彼……食肉工場勤務だった。」



手帳を場パラパラと捲る北条。



「2人目の被害者、実は1番目に殺害されていた。殺害現場は……食肉保存用の大型冷凍庫。」


桜川の表情が変わる。



「冷凍庫で睡眠薬……いや、君の場合は麻酔かな?……それを打って被害者を眠らせ、そのまま立ったまま固定し凍死させた。そして低温のまま水族館に運び、冷たい水の中へ沈める……と。こんなに低温であることを徹底されたら、死亡推定時刻なんて、あてにならないよね。」


「…………どうしても、私を犯人にしたいみたいっスね。」



桜川が、北条を睨み付ける。



「うん。だって犯人だもん。」



北条は、桜川の鋭い視線を笑って受け流した。




「酷いなぁ。北条さんの私の仲じゃないっスか。ずっと一緒に協力しながらやってきた私が犯罪者?冗談きついっスよ。」



やれやれ、と大きな溜め息を吐く桜川。

しかし、北条は不適な笑みを浮かべたまま。


「ホントだよ。ずっと一緒に協力しあってきた君が犯人だなんて、心底ガッカリだ。でも、皆を上手く出し抜いたつもりかもしれないけどね……」



北条が、自身のこめかみを人差し指でトン、トンと叩く。


「僕、ここには少々自身があるんだ。出し抜くならよーーーく考えてくれないと、すぐに見破っちゃうよ?」



穏やかに話してはいるが、北条は心底怒っていた。

優しくて可愛い子、そう思っていた奈美が変わり果てた姿となり、元気の塊のような虎太郎の生気の抜け果てた姿も見た。



「ちゃーんと償わないと、ねぇ?」


そのゆるい話し方にも迫力が感じられる。



「でも、まだ甘いっス。まだひとりの死亡推定時刻の可能性を示しただけに過ぎないっス。私がその薬物を使ったと言う……。」


桜川が話し終わる前に、北条は数枚の資料を桜川の手元に放り投げる。


「こ、これは……。」


「薬品の購入履歴。劇物取締規制って知ってるよね?取扱店は絞れるんだ。そして、購入者を片っ端から洗った。もちろん、連絡も取った。団体名で購入したものに関しては、その会社の事務や総務に確認した。そして……。」



北条が、手帳の別のページを開く。



「殺人事件で使われた薬品、全てヒットする部屋が見つかった。雪ちゃん、君がいる法医学研究所だよ。」


「…………。」


さらに北条は、1枚のデータをデスクに置く。


「開封済みの薬品がどのくらい使われたか、減っているかを法医学研究所に確認した。それと同時に事件の検死結果と照らし合わせて、この犯罪を行うには減った量で充分なのかを検証した。もちろん人形相手だけどね。」



小さく震える桜川。

お構いなしに北条は話す。



「……ほぼ一致したよ。君以外の有識者が一致と言ったのだから間違いない。君の研究室にあった薬品だけで、今回の犯行は全て可能だ。」


「ひとりで、そこまで……?」



初めて、桜川の表情から余裕が消えた。



「ひとりじゃないよ。……もう出てきて良いよ。」


北条が声をかけると、机の下に隠れていた志乃と悠真が姿を現す。



「なんだ……ちゃんといたんじゃないっスか。」


「仲間がいたから、この事件は解決出来そうだ。そして、僕の仲間は僕が必ず守るよ。」



北条はこのとき、桜川の表情が、普段顔を合わせてきた温厚なものから、冷酷な女医師へと変わっていくのを見逃さなかった。

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