6-8

司令室を出た北条が向かった先、そこは帝都医科大学。

警視庁の連絡で、あらゆる事件で犠牲となった遺体の検死を行う法医達が、日々研究に明け暮れている。



「失礼するよー」



そんな帝都医科大学の、准教授室の1室をノックする北条。



「……開いてるっスよー!」



中からは桜川の元気な声が聞こえる。


桜川は、この帝都医科大学の准教授である。

若くして様々な論文を発表した『才女』として、この部門では名の通った法医なのである。



「はいよ。お邪魔します……って、相変わらず散らかってるねぇ。年頃の娘の部屋じゃぁないよ、ここ。」


「ほっといて欲しいっス。20代の女が全員、色気付いて結婚したがると思ったら大間違いっス!」


「まぁ、それはそうだけどさー。雪ちゃん、素材がすごく良いんだから、もう少しお洒落とかすれば人生変わると思うなーオジサンは。」


「それ……もう今年に入って20回は聞いたっス。余計なお世話っス。」



北条が桜川の部屋に入ると、だいたい決まってこのやり取りが始まる。

きっかけは、『桜川の部屋の散らかり具合』なのだが。



「お茶でも入れますか?」


「あぁ、頼むよ。」


「了解っス。良いお茶菓子もあるのでサービスするっス。」



桜川は、書類の山から小さなお盆を引きずり出し、部屋の一角に置いてある三角フラスコとアルコールランプで湯を沸かす。



「……そう言うとこ、変わんないよね……雪ちゃん。」


「道具にいちいちこだわる時間がもったいないだけっス。何を使っても、結果お茶が美味しければ問題ないっス。」


「ま、そうなんだけどさ、気分的なものがね……。」



これも、毎度のやり取り。

桜川の部屋には、『茶器』と呼ばれるものが一切無い。

来客などほとんど無いので、茶を出すことが無いのだ。

来客があっても、余程の事がない限り茶は出さないし、出したとしてもペットボトルである。



「アールグレイ、ジャスミン、ルイボス……」


「アールグレイで頼むよ。」



もう、桜川とは仕事上、長い付き合いである北条。

桜川が何か名詞を口にするだけで、大体何を聞こうとしているのかを察することが出来る。



「はい。どーぞッス。」



ビーカーに注がれたアールグレイと、少しばかり値が張りそうなクッキーのセット。



「これ、銀座の洋菓子店のじゃないか。」


「何か、若いお医者さんにもらったッス。この店の場所、あとで教えるって……。」


「それ、誘われてるの……気づいた?」


「いいえ、私、クッキーより煎餅派なんで、即答で断ったッス。でも、クッキーは置いていってくれたッス。」



笑いながら話す桜川に、北条が苦笑いを浮かべる。



「そのお医者さんの心中……お察しするよ。」


「それで、話って?」


准教授室の中央に置かれている、応接用のソファーに座り、桜川が訊ねる。

北条は桜川の正面に座ると、持ってきた鞄から、数枚の資料を取り出す。



「この薬品と、この薬品、そして……これかな?この三種類の薬品って、『法医が使用する』可能性はあるものなのかな?」



北条が言う三種の薬品、それはここ数日に起きた殺人事件で、被害者の体内から検出された、または被害者の身体に付着していた薬品である。



「もしかして、私を疑ってるッスか?」


「まさか!こんな薬の事を率直に聞けるのは雪ちゃんしかいないと思って来ただけだよー!この薬品がもし法医でも使う薬品なら、この医大を中心に犯人捜しが出来るし、使わないなら生物学方面をあたる、ただそれだけの話さ。」



一瞬、怪訝そうな表情を見せた桜川。

北条は慌てて誤解を解こうと弁解する。



「そうッスか……。えっと、まずこの1つ目の薬品、これはただの麻酔薬っス。まぁ、比較的簡単に手に入るものだから、この薬品で医師や生物学方面をあたるのは早急ッス。」


まず、1人目の被害者から検出された薬品。強い麻酔薬により被害者は昏倒し、そのまま犯行に遭ったということがわかった。



「次に、ホルマリン……これは毒物劇物取締法って言うのがあるので、その認可のおりた店でしかかえないっす。犯罪に使うとなると足がつきやすいので個人で買う可能性は薄いッスね。」


次に、奈美の身体が浸かっていた液体、これはホルマリンだったことが判明した。

それを見ながら桜川が言う。



「そもそも、ホルマリンって言うのは、ホルムアルデヒドという薬剤を37%ほどに薄めた液体の事ッス。長期保存には使うけど、生体に使うと炎症を起こしたり、有害にしかならないのに、なぜ使ったのかが謎ッス。」


「ってことは、犯人は医療から離れた人間かもしれないってこと?」



北条の目が光る。



「犯行自体は、医療についての知識が浅い人間。でも、薬品を揃えることが出来たから、医療関係者と面識があった、または親しい間柄だった人物が濃厚ッス。」


「なるほどね……。うん、ありがとう。ところで雪ちゃん……」



北条は気になった。

なぜ、2人目の被害者から検出された薬品について、説明がなかったのか。



「2人目、は?」



桜川は、北条の質問に鋭い視線を北条に向けた。



「薬品……クロロホルムは誰でも入手出来るッス。用途を訊ねられたら、『剥製を作る』とでも言えば簡単に売って貰える。つまり、誰だって犯人候補にあげることが出来る……ってことッスよ。薬品だけで犯人を探すのは、正直尚早だと思うッス。」


桜川は、冷静に分析した結果を北条に伝えた。


「そっか。いまの時点ではなんとも犯人を絞りづらいって言うことだね。ありがとう、参考になったよ。やっぱり持つべきものは話のわかる仲間だよ。」



得られる情報は大体得ることが出来た、と北条は立ち上がる。



「雪ちゃん、また聞きたいことがあったら顔、出しても良い?」


「もちろんッス!特務課さんの手助けが出来るなんて、願ったり叶ったりッスよ!」



満面の笑みで答える桜川に、北条も笑顔になる。



「ありがとう。その時はよろしく頼むよ。今度、美味しいお店にご飯食べ行こうよ。今日のお礼にさ。思いっきりお洒落してね。」


「ご飯は嬉しいッスけど、お洒落は御免っス。」



最後に簡単な冗談を交わし、北条は准教授室を後にした。



「ふぅ……。」


北条が大きな溜め息を吐く。

それは、心底がっかりしたという、そんな溜め息。


手帳を開き、これまでの情報を整理する。

赤いペンで、不要だと思う部分は消していき、重要な情報だけを残していく。



「『この部分』が、みーんな赤ペンになっちゃったよ……。」



桜川から得られた情報によって、北条の手帳に赤い線が増えていく。



「さて、次の場所に向かおうか。たぶんしばらく次の犯行は起こらないだろうしね……。」



北条は、そのまま今度は警視庁……特務課の司令室へと向かった。




帝都医科大学から、車で30分。

警視庁に戻ると、まずは捜査一課へ。



「稲取く~ん、いる?」


「あ!北条さん!!お疲れ様です!」



一課長・稲取を訪ねて声をあげる北条に、刑事達が皆大きな声で挨拶をする。

北条は捜査一課の伝説とも言われる存在のひとり。

彼に憧れる刑事も少なくはない。



「はいはい、お疲れ様~。稲取くんは?」


「はい……ちょっと機嫌が悪くて……?」



一番入口から近い位置にいる刑事が、稲取の机の方を指差す。

稲取は、机の上でカップラーメンを3つ並べ、一心不乱に食べていた。



「あらら……相当ご機嫌斜めっぽいねぇ。何かあったのかい?」


「えぇ……神の国関連の事件の犯人が、いっこうに解決の兆しを見せないので、上から圧力がかかったみたいで……。」



事件の実行犯は逮捕されているものの、神の国という組織の中枢にはまだ踏み込めていない。

その現状に、警視庁の上層部が苛立っているのだ。


その矛先が、事件に最前線で向き合う捜査一課に向いたのだ。



「心中お察しするよ。頑張ってね。」


「はい!ありがとうございます!!」



近くの刑事達に声をかけ、怯むこと無く北条は稲取の机に向かう。



「やぁやぁ、機嫌悪いねぇ。話は大体聞いたけど……。」



稲取は、睨むような視線を北条に向けた。


「何の用だ北条さん……こっちはいま立て込んでるんだ。北条さんと言えど、邪魔するなら叩き出すぜ。」



不機嫌そうに言い放つ稲取に、余裕と言う言葉は見当たらない。



「まぁまぁ。そんなに切羽詰まった感を撒き散らしてると、部下達の士気にも影響するよ。君はトップなんだから、もっと堂々と構えてないと……。」


「仕方ない。俺よりもお偉いさんが切羽詰まった感を出してるんだ。俺だって危機感を感じてるさ。」



3つ目のカップラーメンの汁を飲み干すと、稲取は北条に向き直る。



「そう言うあんたらこそ、後手に回りっぱなしだそうじゃないか。精鋭部隊でも今回の事件はお手上げか?」


「あぁ……それを言われると耳が痛いねぇ。だから、今回は『協定』を結ばないかと言う提案をしに来たのさ。あ、司ちゃんの許可を取ってないから、これは僕の独断なんだけどね。」



そう言うと、北条は自分の手帳の『ある部分』を開いて稲取の机の上に起く。



「何だぁ?……地図?」


「この3件の変死事件……殺人事件の発見現場の地図だよ。僕ね……見つけたんだ、犯人の手がかりをね。」


「……手がかり?」



地図には、事件の通報があった時刻が一緒に書き込まれている。



「この時間、この時間、この時間……。何か気づくことは?」


「3件目以外……22:00過ぎだ。」


「そう。そして遺体の状況から、発見現場に被害者を運ぶのに、少しばかり時間がかかる。多く見積もって1時間くらいかな……。そして、あれほどの仕掛け、何か道具がないと難しい。」


「つまり、単独犯ではない、と?」


「いいや、たぶん単独犯。そうじゃないと『あのこと』の説明がつかない……」


「あのこと?」


「あ、そこは僕の推測だから。」



稲取に内容を話しながらも、自分の推理を少しずつ組み立てていく北条。



「さて、肝心の『協定』なんだけどさ……。」



ある程度、稲取が手帳の中身を見たところで、北条は手帳を閉じ、自分のスーツの内ポケットに仕舞う。



「ウチ、期待の若手が離脱中で、少々人手不足なんだよね。捜査員、僕と彼と辰川さんしかいなくてね……。」


「あぁ、あのやんちゃ坊主か。気の毒だったな。」


「うん。でも僕たちはそこで足を止めるわけにはいかなくてね。犯人逮捕に全力を尽くしたい。だから、少しだけ人を貸して欲しいんだ。なぁに、お願いした時間に、お願いした場所に数人配置してくれればそれでいい。」


「……何か、当てがあるんだな?」


「うん。犯人をそろそろ炙り出そうと思うんだ。」



北条の目が鋭くなった。

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