5-2

「どうぞ……。」



母親が、大学生の部屋のドアを開ける。



「鍵、つけてないんですね。」


「えぇ。この家を建てたとき、部屋に閉じこもるのだけはやめよう。なんでも家族で話し合おう、そうみんなで決めたんです。それなのに……。」



母親が涙ぐむ。

北条は、そんな母親の肩に手を置くと、



「責めることは誰にだってできる。でも、あなたは違うでしょう?母親には母親にしか出来ないことがあるはずだ。それを忘れちゃぁいけませんよ。」



……と、優しく言う。



「はい……私はちゃんとあの子が帰ってこれるように、この家を守ろうと思います。たとえ周りがどんなに私たちを責めようとも。」


「……うん、それでいい。じゃぁ、早速お邪魔しますよ。」



北条は、ゆっくりと部屋の中に入る。

それに合わせて、母親が部屋の照明を点ける。



「恐れ入ります。……ふぅん、普通の男の子の部屋ですね……。」



周囲を見回す。

人気アイドルグループのポスター、人気ゲームソフトの限定ポスターが貼られている。


「これ、今人気のゲームソフトのだよな。本体は?」


北条の後ろから虎太郎が言う。



「虎、ゲームやるの?」


「あぁ……仕事上がりに帰って晩酌したら、そのあとに。彼女と対戦なんかするんだ。今じゃネット繋げば世界中の人とオンラインで遊べるぜ。」


「へぇ……。で、その、なんだ?『本体』は?」



虎太郎の話を聞き、へぇ、とつぶやくと北条は母親に訊ねる。



「本体はリビングです。みんなで遊んだりもできるし、時間を決めてやるのがこの家のルールです。深夜、みんなが眠った後ならある程度許可はしてますが。」



母親が答え、北条はますます難しい顔をする。



「家庭環境は良好……いや、むしろ優良と言っていい。グレるとか、そういう次元の問題ではなさそうだね。」



部屋の中を見回しながら、北条は部屋の中に違和感がないかを調べる。



「ねぇ……パソコンは、共有ではないの?」



ふと、机の上に置いてあった1台のパソコンに目が留まった。



「え……。」



そのパソコンを見て、母親が驚く。



「パソコンもリビングに……ちょっと見てきます。」



母親が足早にリビングに戻り、そしてすぐに戻ってくる。



「パソコンも共有ですが……リビングにありました。あの子、どこでこれを……?」


「そういえばお兄ちゃん、最近深夜にゲームしてない……。」



母親も妹も、不思議そうに顔を見合わせる。



「……どうやら、これみたいだね。」



北条は、パソコンに近づき、電源を入れた……。


「お母さん、本当にこのパソコンのことは知らないんですね?」


「えぇ……。お友達に借りたとも、新しく買ったとも言ってませんでした。まぁ……いい歳の男の子だし、秘密にすることもあるんでしょうけど……。」



北条の問いに、母親は困惑した様子で答える。



「もしかして……このパソコンの中にうちの子を変えた何かが……?」


「んー、それはこれからわかると思うんだけど……あれ?」



電源が入り、パソコンが立ち上がる。

しかし、ユーザーである大学生によりロックがかけられていて、中を見ることが出来ない。



「お母さんか妹さん、パスワードに心当たりは?」


「いえ……好きなゲーム……ドラゴンビートとか?」


「推しのアイドルかもよ?カナちゃん。」



北条は言われた通りにパスワードを打ち込んでみる。



『dragon.beat』

『kana』



「まさか……ね。」


エラー音とともに、警告が出る。


「あらら……3回失敗すると、もう開かなくなる仕組みみたいだよ、困ったなぁ。」


「北条さん……もう少し考えてから打ち込めよ……。」



パスワードを入力できるのはあと1度。

しかし、北条や虎太郎はもちろん、肉親である母と妹もそのパスワードを知らない。



「この中に、きっと入ってるはずなんだよね。ヒント。」


北条が、手帳にあらゆる可能性を書き込んでいく。

パスワードに使えそうな文字列、部屋に貼られているポスターのタイトル、漫画のタイトル……。



しかし、どれもピンとこない。

そんな時だった。



「なぁ悠真、そっちからハッキングでどうにかならないのか?」



不意に虎太郎が無線を使い、悠真に問う。


「……あ。」


「うん、出来ると思うよ~。とりあえず回線を取りたいから、パソコンの電源はそのままにしておいて、この家の住所を教えてもらえる?」


「住所?」


「うん、その方が回線を探しやすい。」


「了解。」



虎太郎は悠真に言われるまま、パソコンの電源を入れたまま、母親に手帳とペンを差し出す。



「ここ、住所書いてもらって良いっスか?」


「え?えぇ……。」



母親は、状況を理解できない様子だったが、それでも虎太郎に従い手帳に自宅の住所を書く。



「すいません。悠真、読むぞ。」


「よろしくー」




虎太郎は、ゆっくりと悠真に現在いる場所の住所を送る。

そして、読み上げが終わると……。



「パソコンの画面の右下に、『!』のマーク出た?」


「お、もう出てる……。もしかして、もう?」


「うん。じゃぁ、そのマークをクリックしてみて。」


「でも、このパソコンが危ないんじゃ……。」


「何言ってるの、この中身を見ないと何もわからないよ。後で弁償するつもりで、壊すつもりでやりなよ。」


「それもそうだ。」



虎太郎は、思い切って『!』マークをクリックした。


虎太郎が『!』マークをクリックすると……。



「あ……」


「開いた。」



パッと画面が切り替わり、ロックが解除された。



「ほんとに……悠真ってすげぇな。」


「ねぇ。ああいう仲間がいると、助かるよね~」



虎太郎と北条が、顔を見合わせて笑う。



「どう?開いたでしょ?」


「おう、サンキューな!」


「頼りになるねぇ、特務課サイバー部門の責任者は。」


「なんか照れるな……。じゃ、また何か困ったら無線飛ばしてね。」



虎太郎と北条、ふたりにおだてられ、気を良くした悠真が無線で言う。


「このパソコン、起動させるのにロックがかかっていたけど、その他には大きなカギはなかったよ。じっくり見て問題ないかも。」



虎太郎と北条は安堵する。


「よかったよ~。何かいじって全部消えたらどうしようかと思った……。」


「ほんとだぜ……。さて、早速見てみるか……って、このパソコン、デスクトップに一つしかアイコンがないぞ?しかもよ……。」


虎太郎の表情が険しくなる。

そのアイコンのデザインは、『蠍のマーク』だったのだ。



「ここで、繋がるんだね……。うすうす気づいてはいたけれど、まさかここまでとはね。」


北条の視線も、鋭さを増す。

この先にプロテクトやパスワードの類はないと悠真が言っていたのを信じ、虎太郎は思い切って蠍のマークのアイコンをダブルクリックした。



「なるほど……。どうやらこのパソコンは『支給』されたものみたいだね……。」



中に表示された文字、それは……。



『ようこそ、神の国へ。あなたは4322番目の同志です。』



「これは……。」


北条がパソコンの側面、裏側を良く調べる。

パソコンには、小さく『4322』という数字のシールが貼られていた。



「こんなにたくさんのパソコンを支給できる団体……なかなかの財力を持っているみたいだね。その名は神の国、と……。」



北条が得た情報を細かく手帳に書き込んでいく。



「さて、このサイトの中に入ってみようか。虎、このサイトはちょっと危険だ。洗脳されないように気を付けてね。」


「大丈夫、俺はメンタルが強いんだ。」



虎太郎は神の国のサイトに表示されたコンテンツをひとつずつチェックしていく。



「居場所がなくなった、あなたへ。」


「大切な人を亡くした、あなたへ。」


「信頼していた人に裏切られた、あなたへ。」


「生きる気力がなくなった、あなたへ。」




虎太郎が、次々とコンテンツの名前を読み上げていく。



「これは……虎太郎、一番ましだと思うものをクリックしてみて。重すぎるタイトルは絶対に開いちゃだめだ。」



「お、おう……やってみる。」



虎太郎は、その中の一つの項目をクリックした。


『信頼していた人に裏切られた、あなたへ』


虎太郎は、この項目をクリックする。



「まぁ、俺には特務課のみんなもいるし、相方だっている。今の俺が信頼する人は、それだけだ。」


身近に信頼する人がいる。

それだけで虎太郎は自信をもってこの項目をクリックすることが出来たのだ。



クリックすると、『音声のボリュームを上げて視聴してください』という注意が出てくる。

虎太郎が北条に目配せすると、北条は小さく頷いた。

ボリュームを上げていく。



「信頼する人に裏切られたあなた。心中お察しするよ。辛いだろう。信じる者に裏切られることほど、生きていて苦痛なことはない。しかし、どうしてそんなことが起こったのか、考えたことはあるかね?」


変声機を使ってはいるが、おそらく声の主は男性なのだろう。



「僕は、その理由はこの国にあると思っている。人との関りが日増しに減っていき、閉鎖的になっていくこの国。隣人や近所の人間とも関わらない、自分たちのみのコミュニティーで生きている、この国の人間。だから人は、人を信じられないのだよ。」



時折、画面が乱れるように見える。



(こ、これは……!)


北条が、思わず虎太郎に声をかけた。



「虎、画面を凝視してはダメだ。音声だけを聞いて……」



北条が虎太郎にアドバイスをしたが、すでに時は遅かった。



「……そうだ、この国が悪いんだ……。」



音声は、なおも流れる。



「僕たちは、『神の国』。みんなが幸せに、笑って暮らせる国を作ろうではないか。そのためには、君たち『神の子』たちの力が必要不可欠だ。今のこの国を綺麗に壊し、新しい国を作り替えよう。そのためには、多少の犠牲はやむをえまい。しかし、心配することはない。我々同志はもう5000人を超えた。腐った国の人間たちを粛清しても、同志たちで新しい国を作り、新しい命を造れるのだから……。」



「そうだ……こんな腐った国は、早く粛清した方がいい。新しい国を、わが手に……。」


音声に呼応するように、虎太郎が呟く。



「これは……仕方ないな。奥さん、水……いただけますか?」


「え?はい……。」




大学生の母親が、小走りでキッチンに行き、コップ一杯の水を北条に渡す。


「すいませんね。ウチの若いのがご迷惑をおかけします。」



北条はポケットからハンカチを出すと虎太郎の顎の下に添え、コップの水を虎太郎の顔面にかけた。



「え……!?」


「刑事さん?」



母親と妹が驚いて虎太郎に声をかける。

しかし、北条は動じることなく、今度は虎太郎の頬を張った。



「……いてぇ。……あれ?」


その北条の平手1発で、虎太郎は我に返った。


「危なかったねぇ……あと少しで『あちら側』に行ってしまうところだったよ?」



ホッと胸をなでおろす北条と、



「な、なんだよ……強い気持ちをもって開いたはずなのに、一瞬で持ってかれた……。」


何が起こったのか、全く理解できていない虎太郎。

その原因を知るのは、この場では北条だけだった。



「なーんか、一瞬画面が乱れることが、再生中に4度。きっとこれは……『サブリミナル』じゃないかな?」


「サブリミナル?」



北条の言葉に、一同首をかしげる。



「うん。ほんの一瞬、何かの意味を持つ言葉や映像を挟むことで、それを見る人の深層心理に植え付ける、高度な心理操作のことだよ。それでも、意識づける程度で洗脳まではいかないものなんだけどね……。おそらく、背景が真っ暗というのと、音声の質なんかも関係してるんだろうね。ほんと……怖い組織だよ。」


北条が神妙な顔でパソコンを見つける。



「でも、番号付きのパソコンを全部回収すれば、この一連の事件は解決っていうことが分かっただけでも前進じゃないか?」



虎太郎が、冷や汗を拭いながら北条に問う。

しかし、北条は静かに首を振った。



「いや、たぶん……普通のパソコンからでもサイトにはアクセス出来ると思う。現に、先の事件の犯人たちは、みんな『蠍のマーク』のサイトから犯行道具を工面している。彼らの部屋には、彼らの所持品のパソコンしかなかった。」


「じゃぁ……パソコンを持っている人全員が今回の犯罪予備軍ってことか?」


「残念だけど、そうなってしまうね……。これは、早々にサイトか組織かを潰さないと、今後も悲しい事件が起こっていくよ。関係のない人たちを大いに巻き込んでね。」


「そうか……、でもよ……。」



虎太郎は、あることを思いつく。



「ここは、悠真の出番じゃないか?」


「……おぉ、確かに。」



インターネット関連・パソコン関連なら、専門の悠真がいる。

このサイトを完全に壊してしまえば、もうこれ以上の犠牲は出ないと考えたのだ。



「そうだね……。それが現時点での最善の策かもしれない。早速司令室に戻って悠真君に相談してみよう。……お母さん、このパソコン、お借りしても?」


「えぇ。持って行ってください。このパソコンのせいで息子は……。」



北条は母親からパソコンを受け取り、虎太郎に渡す。



「虎、このパソコン、悠真君に渡して状況を報告してもらっていいかな?」


「え?北条さんは?」


「僕はこの手の技術に疎くてね……。もう少しアナログな捜査してみるよ。他の犯人たちのご家族にも話を聞いてみる。」



「分かった。早速行ってくるぜ!」



北条と虎太郎は、別行動をとることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る