2-6
住宅街・北街区。
警視庁から車で20分ほどの住宅街に到着した、北条と虎太郎。
「……で、次の事件の現場は?」
「うーん、分かんない。」
「……は?」
自信満々に『北街区で事件が起きる』と豪語した割に、事件現場を特定できないでいる北条に、虎太郎は驚いた。
「北条さん、アンタが言ったんだろ、次の事件はここで起こるってさ。」
「うん、言った。」
「なのに、分からねぇのかよ?」
「……うん、わかんない。」
虎太郎の問いにあっけらかんと答える北条。
(この人……ついにボケたのか?)
虎太郎は、思わず呆れてしまった。
「まぁ、のんびり待とうよ。志乃ちゃん、頑張ってくれてるはずだからさ。あの子、調べものとかナビゲーションとか、神懸ってるじゃない?」
「あぁ……志乃の実力は分かってるけど……。」
「そう、志乃ちゃんの連絡待ちなの。次の目的地。」
出発前に北条が渡した手帳の切れ端、それこそが志乃に頼んだ『次の目的地』の住所だったのだ。
「なら、調べてから行けばよかったじゃねぇか。待つ時間が無駄……」
「うん、住所が分かったらすぐに向かいたかったんだよ。犯人確保までの時間を無駄にしたくなかったんでね。」
もちろん、ちゃんと調べてから向かったほうが、時間的な無駄はなくなる。
待機の間、他の調べものも出来るのだから。
しかし、北条が考えた『時間の無駄』は移動時間にあった。
次の事件が起こると分かっているいま、移動している間に事件が起こっては遅いのだ。
「とりあえず、北街区の中心のこの公園で連絡待つよ。虎、そこの自販機でコーヒー買ってきて。」
「何でだよ!!自分で行けよ!」
「ほらほら、先輩刑事の言うことを聞くのは基本だよ。」
「先輩って……はぁ、分かったよ。」
舌打ちをしながら、虎太郎はすぐ近くの自動販売機にコーヒーを買いに行く。
ちょうど、その時だった。
「北条さん、聞こえますか?」
無線から聞こえる、志乃の声。
「もうわかったのかい?相変わらず仕事が早いねぇ……。」
まさかこんなに早く頼んでいた調べものが終わるとは思っておらず、北条は志乃の能力の高さに脱帽した。
「いま、どちらです?」
「北街区の真ん中あたりの公園にいるよ。」
「良かった、目的地はその位置から徒歩3分です。」
「そんなに近いのかい?ラッキーだねぇ。」
北条が辺りを見まわす。
閑静な住宅街。公園もそれほど賑わっていない。
「あと、もう1件ですが……。」
「そっちも分かったの?」
「えぇ……北条さんのメモの推理通りでした。1件ヒットしてます。」
「うん……ありがとう。じゃぁ、今夜で事件を終わらせるとするよ。」
「気を付けて。」
「ありがとね。」
一通り、無線での話が終わったところで、虎太郎が缶コーヒーを2本持って戻ってくる。
「ヒットって?」
「あぁ、『現場』で話すよ。」
詳しくは教えない北条は、もう一度無線で司令室に声をかける。
「司ちゃん、30分後に着くように、鑑識を呼んでおいてもらえる?」
「鑑識?」
「取り越し苦労なら、それがいちばん嬉しいんだけどね、念のため。」
「わかりました。、すぐに手配します。」
こうして、北条の準備は完全に整った。
「虎、今回の事件では深町の件みたいな命の危険はないと思うけど、油断だけはしないようにね。追い詰められた犯人ほど、何をしでかすか分からないからね。」
「え?あぁ……了解。」
北条は、事件完結までの絵を描いている。
そんな北条に真剣な表情で『油断するな』と言われると、了解としか返事は出来なかった。
「よし、歩いていこう。途中で見知った顔を見かけたら、すぐに教えてね。」
「見知った顔?……まぁいいや、了解。」
北条と虎太郎は、周囲の様子に注意しながら、北条の知った『目的地』に向かうのであった。
――――――
のんびりと虎太郎と並んで歩く北条。
いつの間にか、夕日も沈みかけていた。
早朝の、深町の死の捜査から、ずっと休むことなく動いてきた北条と虎太郎。
「あーーー、俺たち今日は朝から全く休んでねぇよな?」
溜息を吐きながら愚痴る虎太郎。
「まぁまぁ、日本の平和のために身を粉に出来るなんて、刑事冥利に尽きるじゃないか。」
そんな後輩を過去何人も見てきた北条が、昔から変わらない言葉を虎太郎にかける。
「北条さん、全部終わったら飯いこーぜ。腹いっぱいにしてぇ。」
「はいはい、その時は僕が奢ってあげるよ。」
「マジか!!俺、めっちゃ食うぜ?」
少しずつテンションが上がっていく虎太郎。
こうやって後輩を鼓舞し続けた捜査一課時代。
(どこにだっているんだね、こういう体育会系の刑事って……。)
思わず吹き出してしまった北条。
しかしすぐに気を取り直す。
「さぁ……着いたよ。時間も時間だ。そろそろ出てくると思うから注意して見ておこう。」
比較的新しい一軒家。
しかし、表札はない。
(これが、次のターゲットの家かな……。)
虎太郎は、家の周辺を慎重に見て回ってから、北条と合流し物陰に隠れた。
「よーーーく、見ててね。」
「……おぅ。」
北条の指示で、虎太郎は一軒家の周辺に視線を廻らせる。
近くに可燃物は無いか?
踏み台になるようなものはないか?
周辺に怪しい人影はないか……。
しかし、その後20分経っても、それらしい人影は見当たらなかった。
「来ねぇな……。」
辺りを見まわしながら、虎太郎が小さく呟く。
「絶対に、『出てくるよ』。」
北条は、確信したかのようにそう言った。
そして……さらに30分後。
「なぁ、本当に出てくるのかよ、犯人……。」
「間違いないよ。そろそろさ。」
「北条さん、そろそろって言って、もう1時間経つぜ?」
「刑事っていうのは、根気よく待つのも重要なスキルのひとつなんだよ。まぁ、騙されたと思って待ってみなよ。」
痺れを切らした虎太郎と、じっくりと待つ北条。
このあたりにも、刑事としての経験が垣間見られる。
不意に、家の玄関のドアが開いた。
「!!」
「……来たね。」
北条が立ち上がると、ゆっくりと玄関に向かう。
「おい、そっちは玄関……狙われてる家族の人だろ?俺たちはもっと周りを……え?」
もっと家の周辺を調べたほうが良い、そう言いかけた虎太郎だったが、玄関から姿を現した人物を見て、その言葉を飲み込んだ。
「おい……」
北条とその『人物』が接触する。
「こんな夜更けにどこに行くんだい?『里美ちゃん』。」
玄関から姿を現した人物は、幼稚園勤務の保育士・姉崎 里美だった。
「刑事さん、どうしてここに……?」
姉崎は、目の前に北条がいることが信じられないといった様子で、恐る恐る北条に訊ねる。
「うん、未然に事件を防ぎに来たんだ。」
「ま、まさか私の家が……?」
姉崎が、恐れおののいた、と言った表情で北条を見つめる。
「……戸村さん、今夜は家にいないよ。僕が警察に連絡して、少しの間だけ実家に帰ってもらったから。だから……行っても無駄だよ?」
鋭い視線で姉崎を見つめる北条。
「……え?私はこれからコンビニに……。」
「……これは、任意だから拒否してもいいよ。少しだけ、『話を聞かせてくれないかな』?」
有無を言わさないと言った様子の、北条の言葉。
『任意』この言葉は簡単に聞こえて大きな意味を持つ。
後ろめたいことが無ければ、通常は任意でも人は事情聴取に応じる。
断るという事は、何かしら後ろめたいことがあるという事だ。
北条は、その『任意』と言う言葉を使うことによって、姉崎をこの家に留めたのだ。
「……特に、お話することはありませんけど……、では、少しだけ入っていかれますか?」
困ったような表情を浮かべながら、姉崎は北条と虎太郎を家に招こうと玄関の扉を開けた。
「北条さん……。」
虎太郎が、北条の方を見る。
北条は、ニヤリと口元に笑みを浮かべ、言う。
「さぁ……知恵比べだ。」
――――――――――――――――――
「女の……匂いだ……。」
姉崎に家の中に招かれた北条と虎太郎。
入るなり、虎太郎がそわそわし始める。
綺麗に片づけられ、部屋の中からは仄かな香水の香りがする。
無駄なものは一切置いておらず、機能的である。
そして壁には、おそらく幼稚園の子供たちが描いたであろう絵が飾ってあった。
「おやおや、可愛らしいねぇ。これ、園児たちが?」
「そうなんです。私の誕生日に、皆が描いてくれたんです。良く描けているでしょう?」
微笑みながら壁の絵を眺める姉崎。
その仕草、姿からは今回の事件に関係しているなど、誰も思えない。
「里美ちゃんさ、子供たちに本当に好かれてるよね。僕たちが初めて幼稚園に行ったときなんて、子どもなのに里美ちゃんを守ろうと迫ってきたくらいだからね。」
「えっと……、ただ仲が良いだけですよ。幼稚園の中でも新人なので、きっと先生と言うよりは友達として見られてるのかも。あはは……。」
照れくさそうに笑う姉崎。
(か、可愛いじゃねぇか……。)
虎太郎は、その姿に一瞬目を奪われた。
しかし、北条の視線は鋭いまま。
「じゃぁさ……どうしてそんな可愛い、友達みたいな子供たちを手にかけたんだい?」
「……え?」
いきなりの北条の問いに、驚いたのは姉崎ではなく虎太郎だった。
「おいおい、何を突然……。」
「上手く隠したつもりだったんだろうけど、深町君を殺したのはミスだった。彼のパソコンから、いろんなデータが出てきたよ。」
どんなデータが入っていたかと言うのは、北条はあえて姉崎には告げなかった。
しかし、その僅かな表情の変化を見逃さなかった。
姉崎は、少しだけ表情を強張らせたのである。
(やっぱりね……。)
その表情で、北条は確信した。
深町を手にかけたのは、姉崎だ。
「そんなに大人しくて可愛いふりしちゃって……何人殺したんだい?とんだ女優だよ。」
「………。」
姉崎がエプロンの裾を掴む。
その手は、震えていた。
「……証拠なんて、無いでしょう?」
「あぁ……物的証拠は、今のところないね。でも、もうすぐ……。」
北条が、そう言いかけたその時だった。
「北条さん、虎太郎さん、聞こえますか?」
志乃から無線が入った。
「……あぁ、待ってたよ。結果は?」
ちょうど今のタイミングで志乃から連絡が来るだろうと予測していた北条は、無駄なことは一切言わず、志乃に結果を求める。
「はい、戸村さんはしばらく行方不明だそうです。奥さんから捜索願が出されています。もちろん受理されてます。」
「そっか……ありがとう。今度ご飯でも奢……」
「頑張ってくださいね!」
「……」
志乃の報告を聞いた北条。
何とも緊張感に欠けた通話だったが、
「ねぇ、彼氏さん……戸村さんだっけ?今どこにいるんだい?」
ニヤリと笑みを浮かべたまま、北条は姉崎に訊ねた。
「初めて……聞く名前です……。」
姉崎が、北条から視線を逸らす。
しかし、追及の手を緩めない北条。
「それはないね。だって、戸村さんのお子さん、里美ちゃんの幼稚園に通ってるんだから……。」
「……あ……。」
北条は、幼稚園児のリストを入手していた。
犠牲になった家族の共通点を探すために、どうしても必要だったのだ。
そして……。
パトカーのサイレンが鳴り響く。
「これは……?」
戸惑う姉崎。
「あぁ、たぶん令状を持った刑事と、鑑識でしょ。ちょっとだけ、協力してもらうよ?」
北条が不敵な笑みを浮かべる。
その表情を見た姉崎からは、血の気が引いた。
ほどなくして、北条に呼ばれた刑事たちが、姉崎邸に入ってくる。
この中には、捜査一課長の稲取の姿もあった。
「姉崎 里美さんだね?」
「……えぇ。」
「殺人・死体遺棄の容疑で家宅捜索させてもらうよ。令状がこれだ。」
「え……?殺人・死体遺棄……?」
みるみる青ざめていく姉崎の顔。
もう、これ以上は隠し通せないと思ったのか、力なくソファーに座った。
「どうして……?」
「どうして、分かったのかって?……長年、刑事をやってきたおじさんの勘だよ。」
真っ青な顔の姉崎の隣に座り、小さく息を吐く北条。
「あんまり当たって欲しくない勘なんだけどねー。君が幼稚園で深町と話していたときの表情、そして深町のパソコンから出てきたメール……それで全部が繋がったよ。まったく、女優さんなんだから……。」
北条は、虎太郎と一緒に初めて幼稚園を訪ねた日から、姉崎を僅かではあるが疑っていた。
「分からないわ……。」
「設定を作りすぎたのさ、君は。」
北条の言葉に、姉崎が理解できないと言った素振りを見せる。
「不審者の話を君がしていたとき、確かに不審者=深町の特徴は一致していた。でも、それがそもそもおかしいんだよ。」
「そもそも……おかしい?」
「うん、子供を預かる、女性ばかりの職場。そこに不審者の男性が現れたら、まず子供たちと自分の身の安全を考えるために警察に通報するよね?すごく強い男性がいない限り。でも、警察にそんな通報は一切来なかった。」
「あ……。」
「知り合い、そして自分に危害を及ぼさない人物だと分かっていなければ、警察を呼ばずに追い払うなんて出来ないはずだよ。そして……。」
言いかけたその時、稲取が北条に言う。
「もう、捜索初めても良いか?」
「うん、頼むよ。たぶん、この敷地内だ。」
「了解。よしお前ら、まずは庭からだ!近隣住民の迷惑にならないように始めろよ!!」
稲取が周囲の刑事たちに声をかけると、一斉に作業が始まる。
「人の家で何を……。」
「ごめんね、令状ってそう言う紙だから。大丈夫、花は大切に扱うし、掘ったところはちゃんと元に戻すよ。」
「私の家の敷地を掘り返してまで探すものって……。」
姉崎は、真っ青な顔で、なおも反論しようとする。
しかし、北条はそれを許さなかった。
「戸村さんだよ。この家に生きて監禁されていてくれればまだ良かったんだけど……、いないみたいだから、やむを得ずだね……。奥さんから捜索願が来てたんだ。でも、なかなか見つからなかった。本人が姿を隠すか、何か事件に巻き込まれたのか、そう思ってね。その時に決め手になったのが、深町のメール、だよ。」
大勢の捜査員がスコップをもって、姉崎邸の敷地内を掘っていく。
「きっと、深町は君の凶行に気付いたんだろうね。だから必死に止めるか自首をさせようとした。だから、毎日会いに行ったんだよ。でも……そんな幼馴染さえ、君は疎ましく思っちゃった。だから、火をつけたんだよね。」
「おいおい、見た感じ、穏やかな保育士だぜ?そんなこと……。」
北条が推理の結果を口にしているのを大人しく聞いたものの、虎太郎には理解できなかった。
これほどまでに穏やかで、殺人とは縁遠そうな女性がまさか……と。
「見つかりました!!!」
そして、無情にも捜査員の大きな声が響く。
「マジかよ……。」
虎太郎が外へと飛び出して行く。
その視界に、スーツを着たまま白骨化した男性の遺体が飛び込んできた。
「里美ちゃん、殺しはダメだ。人の命を奪う権利なんて、誰にも無いんだからね。でも……僕は出来れば犯人の気持ちにも寄り添いたい。逮捕の前に、話してくれないかな?どうしてこんなことになったのか……。」
もう、言い逃れは出来ない。
連続火災についてはまだ供述されてはいないが、この時点で殺人・死体遺棄の件は立証されてしまった。
もはや逃げることは出来ない。
「姉崎ぃ!もう逃げられ……え?」
稲取が大きな声でリビングに入ってきたが、それを北条はそっと制した。
「どうして……?」
「……この現場、僕に預けてくれない?もちろん逮捕は一課にやってもらうと思っているし、手柄は全部持って行って構わない。だから……もう少しだけ。」
「……了解。」
稲取は、疑うことなく北条の頼みを聞いた。
それは、同じ捜査一課時代から、北条は逮捕して連行する前の犯人たちの話を、良く聞いていたから。
「じゃ……表で待機してます。終わったら、そのまま姉崎を連れて外に出てきてください。」
北条に一礼して、稲取は出ていった。
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