懐疑論者は偽りに満たされて

電磁幽体

——Now Dreaming————

 6限目の終業ベルと同時に、帰宅準備を完全に済ませた富山里香が机に突っ伏した俺の椅子をガタンと蹴りつける。

「GHQ。ゴーホームクイックリーだよ、宗太。一刻も早くこの純粋な和式子羊こと馬鹿のひしめく教室からおさらばしよう。いつもながら僕にはこの空気が堪らなく耐えられない」

 目を開けると小柄な制服姿の少女、里香がいる。長い黒髪は手入れされずにボサボサになっていた。

「いつも思うけどさー、今頃僕っ娘って流行らねーぞおい」

 うっかり疑問を洩らしてしまったが為に、いつも通りに教室の時間が停止した。

「この僕こと富山里香から『僕』という一人称を抜き取ることは僕の四股をもぎ取るのと同義だ。僕は幼少時代から『僕』という一人称を用いてきた。そして今に至るまでそうしてきた。僕には『僕』という一人称を用いるという不断の権利がある。その権利を踏みにじるつもりかい? 

僕は『僕』であり『僕』でしかないのだよ。決して、世間一般で言う安易なキャラ付けをしてきたつもりではない。むしろキャラ付けをして何が楽しい? 押し付けられた価値観を盲目的に享受することしか出来ない無力な大多数の観測者たちに『僕』という名称だけのアバターの見てくれを見て欲しいのかい? それはなんと——」

「ストップ、ストーップ!」

 俺は左手を里香の後頭部に、右手を里香の口にセッティングして無制限に放たれる言論の機関銃を封じる。両手両足を使って非力な力で俺の体をポカポカと殴ったり蹴りつけながら、俺の武力行使を抗議する小動物じみた里香は、それでも本気で抗議しているらしい。

 周りのクラスメートの白い目線が俺と里香を瞬間的に射止めて、通り過ぎていく。そして俺と里香の所為で停止した教室の時間は、再び何事も無く動き出す。二人を取り残して。

 里香の止まない反抗を封じるために俺は適当に講和条約を口にする。大人しくしたらウィダー(十秒メシ)買ってやるから、と。反抗が止む。7月11日条約締結。俺は里香の頭部から両手を放す。右手には里香の唾液がたっぷり付いていた。ズボンで適当に拭う。

「あまり女性だとか男性だとか性別を引き合いに出したくは無いが、今のはいわゆるセクシャルハラスメントではないのか?」

「そーかもな」

「そのことに関しては、別にどうでもいいがね」

 それは俺だから? となんとなく聞こうとしたが、また言論の機関銃をぶっ放されそうなので止めておいた。

 俺は小説と漫画しか入ってない鞄(教科書は全部机の中)を持って教室を出る。里香は黙って付いてきた。




 回りは木々。照り付ける日差しと冷ややかな木々の木陰。やかましい高デシベルのセミの鳴き声が反響する。歩き慣れた山道。俺は夏の暑さに嫌気が差しながら、里香は俺の後ろを、多分何かの考えに没頭しながら、高さを目指して山道を歩く。空になったウィダー(マスカット味)を咥えながら。

 山道を出る。後は平坦。少し先に見える、少し立派な寺。そこは富山里香の家。

 



 俺は誰も居ない寺の裏側の縁側に腰を掛ける。目の前に広がる、連なる山の景色。壮大っちゃ壮大だが、別にどうでもいい。

 足をぶらぶらと遊ばせながら、漫画をパラパラとめくる。

「さーとーかー、お茶」

「少し待っててくれ」

「あい」

 数分後に、食べやすいようにカットされたスイカとコップと麦茶のペットボトルを盆に載せながら、里香が俺のいる縁側までやってきた。里香は重そうに、危なげにそれらを持って来る。俺は手を貸そうとしたが、止めておいた。どうせまた「僕の仕事に対する尊厳が〜〜」とマシンガンされるオチが見えたので。

 里香がごとんと重い盆を置く。

「親戚からスイカを貰った。食べるかい? と言っても宗太に拒否権は無いがね」

「そんな権利行使しねーよ。ありがたくいただきますよっと」

 盆を隔てて俺と里香が縁側に並んで座る。お互いに足をぶらぶらと遊ばせながらスイカに噛り付く。冷えていて美味しい。

「ウマいな」

「その味覚は本当に自身のそれから来ているのか、その他にも色々言いたいが、ここは率直にこう言っておこう——美味しいね」




 相変わらずうるさいセミの鳴き声。でも、別にどうでもいい。

 俺には今がある。里香と一緒にいる。里香と一緒に居ると、何故か落ち着く。学校では俺は里香のお守り役みたいに思われてるが、それすらもどうでもいい。俺は適当に人生を生きている。生まれてから死ぬまでを、適当に。今の俺には幸せがある。どうでもいいような幸せが。

 一方、富山里香は、暫定的に人生を生きている。——一刻も早くこの純粋な和式子羊こと馬鹿のひしめく教室からおさらばしよう。いつもながら僕にはこの空気が堪らなく耐えられない

「なぁ、懐疑論者。この世に生きている奴らはそんなにくだらねーか?」

「全員が下らないとは言わない。ほとんどが、くだらない。全てを当たり前として捉えすぎている。生きていることが当たり前。見ているものが当たり前。常識が当たり前……その点、宗太は違う。全てをどうでもいい、と捉らえている。宗太は人生を適当に生きている。自分の意思で。押し付けられた価値観を盲目的に享受することしか出来ない無力な大多数、そしてそれをあたかも自分の価値観、自分の意思、自分の幸せ、と勘違いする大多数より、ずっといい」

「……里香はどうなんだ?」

「僕も、無力だ。今の僕には、何も出来ない。それでも僕は世界の真理を知りたい。しかし人間の主観性、知識性をもって認識出来る範囲に普遍的な真理などありはしない。だから僕は僕自身の出来る限り、真理に限りなく近い欺瞞を見つけ出す。その欺瞞は僕にとっての暫定的な真理になるだろう。そう、たとえどこまで生きようと、僕は暫定的なんだ。だから僕は暫定的に生きる。

それでも、すぐ横に真理に限りなく近い欺瞞、僕の探し求める暫定的真理があろうとも、僕は知らずにそれを素通りしているのかもしれない。僕はそれが堪らなく悔しい」

「そうか……」俺は里香のどんな自論を持とうが、どんな生き方をしようが、別にどうでもいい。里香もそんな俺の考えを当然分かっていて、だから里香は俺と、二人一緒でここに居る。

 俺は、こんなどうでもいい幸せが永遠に続いたらいいな、と思った。別にどうでもいいがな。


*************************************


 日が落ちて暗くなってきた。宗太は寺の中に居た僕の父親に挨拶すると、帰宅しようとする。僕は明かりの灯った山道まで宗太を見送った。

 宗太の家はこの山のふもとにある、ごく平凡な一軒家。学校から帰宅する時はずっと宗太と一緒に帰っている。僕はひとりで帰れるが、宗太は「お前みたいなチビ可愛い奴が一人で帰ると変質者にさらわれるぞ」と言うので仕方が無く一緒に帰っている。「チビ可愛い奴」という発言に関してはもちろん武力行使を伴う抗議を行ったが、宗太は「事実を言ったまでだ」と言って悪びれて、結局僕はウィダー(ピーチ味)に丸め込まれた。

 宗太と一緒に居ると、少しだけ『嬉しい』という感情が芽生える自分を自覚する。そんな事実に歯痒さを覚える。そうして僕は、それでも宗太と一緒に日々を過ごす。




 僕は暫定的に生きている。全ての物事に真理は無いからだ。だから……たまに宗太の生き方に憧れる時がある。

 全てがどうでもよく、適当に生きる人生。全てを思考放棄したら、それはどれほどまでに楽な人生か。

 それでも、僕はそうなれない。僕は物事に常に懐疑的であり、そうでありたいと思っている。いや、そうでなければならない。

 僕はそういう生き物なのだ。だから、宗太の生き方を求めるのは、それは無い者のねだりだ。

 僕は『僕』であり『僕』でしかない。だから僕はこの世界で、『僕』を演じ続けるまで。




 夕食、風呂、学習を済ませ、一冊の哲学書を読み終えた僕は就寝する。昔ながらの蚊帳を広げ、中の布団に潜り込む。

 そして寝付くまで考え込む。我思う、故に我あり。臆病な僕は、僕の存在を確かめていた。


*************************************


——Now Dreaming————


 僕は目が覚めた。両目をぱっちりと開けている筈なのに、視界は真っ暗だ。

 腰当たりにある手を動かす。思い通りに動く。その両手を頭に持って来る。触って視界を塞ぐモノの感触を確かめる。

 どうやら僕はヘルメットみたいなモノを被っているようだ。僕はそのヘルメットらしきモノを両手で頭から外す。

 ベリベリと嫌な音が聞こえ、ヘルメットが外れる。ヘルメットの中を見て、頭を摩る。脳波を調べる時に頭に取り付けるコードのようなモノが無数にヘルメットから伸び、それが頭に張り付いていたらしい。

 今の僕は裸だった。僕の今の体。有って無いような胸囲が露になっていた。小柄な体躯。生えかけた下の毛。体の異常をチェックする。どうやら異常は何も無いようだ。

 僕の体勢は寝転んだままだ。体を起こせない。人一人がすっぽりと余裕を持って入る程の横倒しのカプセルの中に、僕が入っている。何ともいえない金属感触。

 上を見る。カプセル上部は透明らしく、天井が見えた。鉄とも分からない材質の光沢物がひどく近未来的に、複雑に入り組んでいた。SF映画を見ているようだ。

 両足を動かす。思い通りに動くので、大丈夫なのだろう。カプセル上部を押す。……ギィ……と不気味な音を立ててそれは開いた。

 僕は立つ。ペタペタと金属感触のする床を歩く。状況を把握する。そして、唖然とした。

 まず上を見る。あの鉄とも分からない材質の光沢物がひどく近未来的に複雑に入り組んで、それが巨大なコロニーを形成しているように見えた。見えた、とは確認出来ないからだ。視認出来る限りどこまでも、その構造が複雑に入り組んでいた。

 そして水平を見る。カプセルが1m置きぐらいの間隔に、僕がいた人一人がすっぽりと余裕を持って入る程のカプセルが、くまなく敷き詰められていた。見渡せど見渡せど、カプセルが敷き詰められている。地平線の彼方までカプセルしかなかった。ぐるりと回りを見渡す。天井は複雑な構造をなしどこまでも続いて、地平線は無数のカプセルがどこまでも続いていた。

 僕のいたカプセルの横のそれの中には、裸体の人がいた。体の特徴から見て僕の父親だと推測した。それでもおかしい、と思った。なぜならその父親の姿は25年前の姿、写真で見た当時20歳の父親の姿だったからだ。声を掛ける。反応が無い。当たり前だ。ヘルメットを被っていて、カプセルは僕の時と違って無常に閉じられている。丸裸の僕はカプセルの中を見ていく。中には全員人がいて、全員があのヘルメットを被っていた。あの地平線まで無数に続く全てのカプセルの中に、人がいると思うとゾッとした。

 プシューと、あるカプセルから音がした。僕はそこまで駆ける。

 中には裸体の女性がいた。ヘルメットが取れていた。その女性にも見覚えがあった。僕と宗太が幼い頃、よく遊んでくれたおばあちゃんが見せてくれた写真の中の、おばあちゃんが20歳の時の若々しい姿だった。

 おばあちゃんである裸体の女性は安らかに目を閉じていた。

 突如、その女性の眠るカプセルがガクンと音を立てて動き出した。女性は目が覚める。女性は透明のカプセル上部越しに僕を見て、驚いた。そして自身の体を見て、更に驚いた。僕が確認出来たのはそこまでだった。

 カプセルは音を立てて天井に吸い込まれていくように浮遊する。何かを使って引っ張りあげている訳でもなく、何かを使って押し上げている訳でもない。ただ、浮遊して、カプセルは天井の隙間の空間に吸い込まれていくように、消えていった。

 ガコン……。遥か遠くの離れた後ろの方から音がした。

 ガコン……。ガコン……。ガコン……。ガコン……。ガコン……。ガコン……。耳を澄ませば、四方から微かにあの音がする。

 そして、それらの音の鳴ったカプセルの末路。浮遊して、天井の隙間の空間に吸い込まれていくように、消えていく。

「どうだい? ご感想は?」突如、後ろから日本語をかけられる。僕は振り向く……。宇宙人? その生物は怪しげなテレビ特番でよく映る宇宙人の姿に酷似していた。白い体。バランスの悪い体の出来。クリクリとした不気味な両眼。

「貴方は誰です?」怖気づかずに僕は尋ねる。

「食肉業者。宇宙のね」

「食肉……業者?」

「そうだよ。食肉は、君たち『人間』のことだよ」

「僕たちが……食肉?」

「そう。食肉。それも飛び切りの。宇宙の超高級ブランド食品だよ。地球の『人間』は」

「どういうこと……?」

「君たちの言う、私たち宇宙人は300年程前に、地球を侵略した。そして地球を手に入れた。君たちに気づかれずにね。そして、仲間の一人が人間を食べてみたのだよ。食べたら美味いかな? という単純な疑問で。そしたらびっくり、たまげるほど美味しかったそうじゃないか。そして私たちはすぐに思いついた。君たち人間を食肉として宇宙に向けて販売することを」

「僕がついさっきまでいたあの世界は?」

「夢の世界さ。そう。人間が何故それほどまでに美味しいのか? 私たちはすぐに突き止めた。それは、人間が夢を見る生物だからさ。私たち宇宙人に夢はない。どこまでも利益を追求し、システマティックで、無機質な生き物。ただ、人間は違った。人間は夢を見る。人間の美味しさはそこにある。だから私たちはこのカプセルに人間を入れて、夢を見せる。

精神共有装置、ドリームシアターによって。肉体はカプセルの中にあっても、全ての精神は一つの世界、現実と言う名の夢を共有するのだよ。

絶望的な人生を送る夢は、絶望の味。幸福な人生を送る夢は、幸福な味。無機質な人生を送る夢は、無機質な味。無謀な人生を送る夢は、無謀な味。それぞれ、どんな人生でも、この広い宇宙の中には必ず買い手はいる。夢の中で人は死ぬと、意識はこっちに戻ってくる。

肉体年齢は美味しい20歳で固定して、運動能力は電気信号操作によって夢の世界の20歳の時の肉体性能、肉体能力のままさ。

夢の世界で死んだ人間はここに意識が戻って初めて本当の現実を知るというわけさ。皮肉にもこの死後の世界でね」

 饒舌に語る宇宙人は、見ていてとても不気味だった。

「それは、人類全員?」

「違うよ。発展途上国? っていうのかな。流石にあいつらの比率が多すぎて、そこら辺はしっかりと人数調整しているよ」

「そう……」そんな状況でも、僕はうろたえていなかった。

「じゃあ僕は、何故今ここにいるの? 何故夢から抜け出せたの?」

「抜け出させたのさ。デカルト、だったかなぁ……。とある大金持ちのクライアントが食した人間らしいんだけど、もうこの世のものとは思えない程の美味だったらしいね。それは懐疑の味。それを更に超える味。その味を君に見せる夢で作り出そう、っていうわけ。つまり君にはもうカプセルに戻ってもらう」

「分かったわ」

「あれ。素直だね」

「でも、最後に宗太に会わせて」

「それくらいの願いなら」不気味な宇宙人はてくてくとバランスの悪い体で歩いていく。僕はそれに付いて行く。

 宇宙人の歩みが止まった。

「これが、君の言う宗太君かな?」

「はい」カプセル上部の透明越しに宗太を見る。裸体だ。いつも見ている宗太の姿より、少しだけ逞しくて、少しだけ頼もしい。ただ、下半身に付いているアレが意外と小さくて、しかも包茎で、思わず吹き出してしまった。

「ヘルメット、外してもいい?」

「夢の世界じゃ彼は今寝ている時間だからね。一応脳信号を停止させておく」

 宇宙人がカプセル開閉部に手をかざすと、ガコンという音と共にカプセルが自動的に開く。そしてヘルメットに手をかざし、何らかの操作を終えて、ヘルメットを外す。宗太の顔が露になる。授業中の睡眠補給の時と変わらない寝顔。僕は、宗太の頬にそっと手を触れる。

 暖かい。しばらくはずっとそうしていたい気持ちになる。無為に時が流れる。ただ、僕は宗太の暖かさに触れていた。

「もう時間だ」宇宙人はそう言う。

 だから僕は、宗太の唇に僕自身の唇を重ね合わせた。

「助けて……」


 宇宙人は僕の肉体の電気信号を操作する。僕は操られるがままに僕がいたカプセルに入っていく。カプセル上部が閉まっていく。そうしてドリームシアターが起動。僕は夢の世界、現実へと戻っていった。


*************************************


 目が覚める。壁に掛けられた時計を見る。5時37分。ここは僕が寝ている布団。蚊帳に覆われている。枕元には一冊の哲学書。

 あれは夢だ。それとも、この今が夢か? あれは夢か? 今が夢か? あれは夢か? 今が夢か? あれは…… 今が……

 ああ……泣き叫びたい。全てを投げ出して、ただ泣き叫びたい。それでも、混乱した頭の中でも僕は思考する。考える。

 ……そうだ。あの、おばあちゃんが。

 僕は急いで制服に着替えて鞄を持って家、寺を出る。山のふもとへと続く山道を走る、走る、ひたすらに走る。何度もこける。痛くない。走る、走る、ただひたすらに走る。

 山道を抜ける頃には僕はボロきれのような状態だった。僕は記憶にある、あのおばあちゃんの家まで走る……。着いた。偶然、家の外にそのおばあちゃんの家族がいた。僕の風貌に驚きながら、質問に答える。おばあちゃんは深夜、脳梗塞で亡くなったらしい。

——人間が死ぬことはその食肉の出荷を意味する。

 僕は走った。当ても無く走った。狂ってしまいそうだった。もう壊れそうだった。僕は真理を知りたいと思った。ただそれは暫定的でいいんだ。何故こんな、完膚無きまでに残酷で完璧な真理を突きつける? 

 この世の真理を知った僕は、鞄から筆箱を取り出す。筆箱から、カッターナイフを取り出す。右手でカッターナイフを僕自身の首の頚動脈に押し当てる。引いた。血潮が飛び散る。

 僕は死ぬ、筈だった。飛び散った筈の血潮が、蠢くように僕の体を這い戻って行く。何度も何度も首を裂く。胸を刺す。カッターナイフが折れる。後頭部をコンクリートに思いっきりぶつける。何度も何度も。死ぬ感触はするのに、死ねない。肉体が強制的に再生していく。この世界は、宇宙人によるドリームシアターによって見せられている夢。僕は夢の中で死なないようになっていた。老衰まで生きろと言うのか。僕はこんなに死にたいのに。

 ああ、死にたい。ああ、助けて。僕は鞄の中の携帯に手を伸ばす。コールする。

「助けて」


*************************************


「朝早くからどうした。お前ボロッボロじゃねーか」

「見てよほら。僕は死ねないようになってるから」

 俺の目の前で筆箱から尖がったボールペンを取り出す里香。そしてそれを両手で胸元に突き刺そうとし、その手が止まる。

「……。ははっ。宇宙人に精神プロテクトが掛けられている。僕以外の観測者が僕の不死を観測出来ないように、か」

「おいおい。宇宙人? 精神プロテクト? お前ちょっとマジで大丈夫か?」

「大丈夫も何も、僕は極めて正常さ。正常だからこそ、僕はもう、壊れそうになっている……。助けてよ、宗太。助けてよ。今僕たちが見ている世界は、宇宙人に見せられた夢でしかないんだ。僕たちは食肉でしかないんだ。我思う、故に我あり。それだけが真理なんだ」

 俺は里香の言ってることが、全然訳が分からない。そして、里香な何を言おうがどうでもいい。俺は適当な人生を送る。

 ただ、俺と里香のどうでもいい幸せ。それを守る為なら、俺は……。

 寝巻きで急いで来た俺は、ボロボロになった制服を着た里香を、抱きしめる。

 欺瞞だ。欺瞞で何が悪い。

「そんなことは本当にどうでもいい。ただ、俺は里香を助けてやるよ。俺は、何をすればいい?」

 里香は震えながらも、涙を流し嗚咽を漏らしながらも、俺の背中に両手を回し、何かに恐怖するように俺を締め付ける。そして里香らしくない、か細い声で願いを告げる。

「……もっと強く抱きしめてくれ。もっと強くぎゅっとしてくれ。お願いだ。ずっと、ずっと、ずっとそうしてくれ」

 俺は言われなくてもそうした。ずっと、そうしていた。




——Now Dreaming————

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