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中学に上がり、きょうちゃんだけは札幌の学校に進学した。大きくなるにつれいよいよ誰もきょうちゃんの足にはついていけない。全国の大会で入賞したからとスポーツ推薦を決め、当のきょうちゃんなんかよりきょうちゃんママのほうが喜んでいたかもしれない。会うたびいつだって「あの子はむかしっから走ることが好きでね」とやる。おばちゃん、みんな知ってるよ。だってきょうちゃんはみんなのヒーローだもん。いつだって僕らの先頭にいたんだ。きょうちゃんが駆けっこで一番なのはここらの子ならみんな知っている。
かたやがっちゃんは地元の野球部に入った。まだ北からの風が冷たく頬を撫ぜる中にあり、彼はよくバンとともにランニングをしていた。僕の姿を見てとると腕を挙げて笑って見せた。僕の体もあの頃よりは大きく育ち、怪獣のごとく見えていたバンがただの中型犬でしかなかったことを認識した。それでも僕は弱々しく振り返すことでしか応じれなかった。
当の僕は図書部に入部する。生来の読書好きということもあったが、寒い時期に外で活動だなんてまっぴらごめんだからという理由の方が大きい。図書室の隅で並び読書をする放課後は心地良く、とくに流行り物の小説を手に取る部員たちが大半のなか、学術書を多く読み耽った思春期の僕の承認欲求はこの頃やっと人並みに満たされていった。
図書部にはしいちゃんがいた。がっちゃんやきょうちゃんを遠巻きにフラフープを回すしいちゃんのイメージから、読書だなんて内向的な像は見てとれない。小学四年時、テレビゲームのキャラクターをみな思い思い作成した時やなんか、他の女の子たちは華美なドレスを着せていたというにしいちゃんは男の子然とした主人公を作ってきた。がっちゃんが言う。「おまえ本当に女子かぁ」しいちゃんは応じる。「このキャラクターさ、これから冒険に出るんだよ。この子に目一杯、世界を見せてあげなくちゃ」誰もピンとはこなかった。
しいちゃんは昔の本ばかり読んでいた。藤村だとか花袋だとか文豪たちの名前はしいちゃんの手元の背表紙から知った。
「お高く止まってるてやつだろ。あいつオトコ女だってオナ小の奴に聞いたで。な?」
誰かの全集を持ち出してきたしいちゃんを横目に部員がそっと耳打ちした。僕はそれを咎めなかった。それは盆の明けた頃のことだった。
千歳の夏は気がつけばあり、掴もうとすればするりと背を向け去って行く。ついこの間、桜が散ったばかりでなかったか。クーラーの無い家もまだまだ多い。内地では部屋ごとにエアコンがあるんだってさ。たったの数週間留守にしていた北風は温い空気を押し流すように吹き下ろし夏の残滓を追い立てて行く。
「すげえよな、東京。十月くらいまでずっと猛暑日なんだって」「したっけ女子らもずっと薄着か」
僕だってえっちなことに興味はある。つい先般までおっぱいと発するは大犯罪だったのに今では口に出せない男は弱虫なのだという。僕だって興味はある。助平を知られたくなかったのだ、しいちゃんに。
しいちゃんは読み始める前には必ず後ろ髪を括る。前の夏にはかなり短かった髪は今では肩甲骨のあたりまであろうか。彼女が伸びをするたびバンの尾のごとく揺れる。しいちゃんが難しい本を読むのは冒険するためなのかもしれない。子供の僕らはずっと同じみんなと過ごした。きょうちゃんは別へ行った。新しい友達ができた。もう小学生ではない。放課後みんなで外遊びだなんてもうしない。がっちゃんは部活で遅い。僕も帰ればご飯を食べ後は引きこもる。世界は変わり行くのだとしいちゃんは知り、体験を整頓する術として近代文学を手にとったのだろう。
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