第16話 ノシュールの奇跡・3

 ルヴィナはオルセナ右翼部隊の七千人を指揮している。


「ちゅーもーく! 皆、注目ですよー!」


 アタマナが手にしたシンバルのような楽器をガンガンと鳴らした。


 兵士の注目が集まったところでルヴィナは銀色の指揮棒を取り出し、声を張り上げた。


「これぞ神の聖意である!」


 雪崩に戸惑うホヴァルト軍を指さした。


 止まったことに安堵しているが、一斉に動こうとしたことでいたるところで混乱している。


 きょとんとしている兵士達に、ルヴィナは更に畳みかけるように叫ぶ。


「しかし、この聖なる行いをなした人は敵対と復讐の心を持ち合わせていない!」


 依然として兵士達の反応は薄いが、驚きも広がっている。それはルヴィナの話す内容というより、いつもブツブツと短い文しか話さない彼女が長い言葉を話していることにあった。


「敵であろうと、道を外したものであろうと、許し導こうとされる人だ!」


「そう! 奇跡はオルセナに味方しましたが、ホヴァルトを倒せとも言っていませんよ!」


 アタマナが続く。


「我々はこの奇跡に導かれ、より良き方向へ進む! 互いに支え合い、勝利へ進む!」


 兵士達が「勝利へ!」と叫んで続いた。


「そう! この聖意の前で人はお互いを支え合い、前へと進む! 勝利へ進む! しかし、勝利は敵を殺すことではない! この戦場から相手を追い出すことだ! 聖意を前にこれを理解せぬ者は、人たる資格がない! 我々は前に進む! 何のために!?」


「勝利のために!」


「そう勝利へ進む! 勝利とは何か!?」


「敵を追い出すこと!」


「ここノシュールの地から、敵を追い払う! 進め!」


 ルヴィナが指揮棒を北側へと向けた。


 自ら馬を進め、それに応じて兵士達が一斉に続く。



 中央のエルクァーテの部隊も、雪崩発声に伴う状況の急転に唖然としていた。


 そうこうしている間に、右翼部隊でルヴィナが演説を打ち、動き出す。


「……殿下に加えて他所から来た助っ人が必死に働いているのに、オルセナ軍中枢にいる我々が動かないわけにはいかない。我々も動くぞ!」


 エルクァーテの指揮の下、オルセナ中央の部隊も動き出す。



 この両部隊の目的は、ホヴァルト軍左翼を雪崩が落ちた前後に取り残すことである。動きがとれない中に追い込んで無力化し、お互い北東に向かって進軍し、戸惑っているホヴァルト軍へ攻撃を開始する。


 しかし、ホヴァルト軍も簡単には崩れない。動揺しながらも必死に持ちこたえて事態の改善を待つ。


 待つのは、主としてオルセナ左翼、ホヴァルト右翼の状況である。雪崩からもっとも遠い場所にいるこの二部隊には心理的動揺や優勢がない。


 この部隊に関しては、ホヴァルトは勝ち続けている軍、オルセナは負け続けている軍という要素がダイレクトに響いている。指揮をとるイリアは悪くはないが、とてつもなく優秀というわけでもない。


 ここで押されて、仮に左翼が崩れると一転してオルセナ中央が二方向から圧力を受けることになる。


 そうなると危機的状況だ。



 一方、オルセナ中央と右翼は少しずつ前進しているが、まだ相手に撤退させるほどではない。


(……このままだと時間的にきついか)


 ルヴィナの内心に僅かな焦りが差した時。


 再び山頂の方からドドーンという爆発音のような轟音がとどろいた。



「また来るぞ!」


 この音がホヴァルト左翼の戦意を大きく奪った。


 持ちこたえているとはいえ勢いの差はある。戦闘開始時から比べると山の方に押し出されている。


 ということは、また同じような雪崩が来れば、今度こそ下敷きになる。


 恐怖心が遂に規律心を上回った。


 何人かの兵士が隊列を離れて逃走を開始する。1人逃走する者を見ると周囲に不安が一気に広がった。連鎖反応を起こして、兵士達が一斉に逃走を開始する。


(勝った!)


 ルヴィナはこの瞬間に勝てると確信した。


 次いで、雪崩がどの程度来ているのか確認すべく東側を見た。


「ハハハ……。王女は性格が悪い」


 山は全く動いていない。


 轟音がしただけで、第二の雪崩は発生していなかった。


 雪崩の発生という事実はもはや必要ない。今のホヴァルト左翼を動かしているのは、味方が次々に逃げているという事実である。その事実が新たな逃走者を出すことになる。


「追うな! 中央を支援する!」


 逃げる兵を追撃することほど簡単なことはないが、今の優先目標は左翼に続けて中央も崩壊させることである。逃げる兵士を討ち取る必要はない。



 オルセナの右翼が中央に本格的に攻撃を開始した時点で勝敗の趨勢は決した。


 無敗の自信があっただけに、左翼が崩壊して、二方面から攻撃を受ける事態にホヴァルト中央も大きく動揺した。特に無我夢中で逃げる味方が視野に映る精神的打撃は計り知れない。


 ホヴァルト中央も小一時間で東側から崩れ始め、それに伴い全面撤退を開始した。



「追う必要はない!」


 エルクァーテが病身とは思えない声で叫ぶ。


「敵は撤退を開始した、我々の勝利だ! 抵抗する敵を追い払い、この地を確保するのだ!」


「オォォーッ!!」


 さすがにエルクァーテの声は聞こえなかったが、部隊の叫び声は1キロほど離れたルヴィナの耳にもしっかりと届いた。


戦闘経緯:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16818093085102223426

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