第15話 ノシュールの奇跡・2
決戦当日の朝。
いつもは軽いノリのアタマナもさすがに緊張した面持ちを浮かべていた。
ちなみに彼女もオルセナ軍用の赤い軍服を着用している。女性用のものを用意した際に「もう少し胸元がゆったりしたものが欲しいのですが。腰のあたりはもうちょっときつめでも良いのですが」と要望を言い、ルヴィナを含む女性幹部全員に「いざとなったらコイツは見捨てる」と思わせたことには気づいていない。
「大丈夫でしょうか?」
そのアタマナの質問に、ルヴィナは頭をかく。
「そんなことを私が知るはずもない。全ては成り行き次第。主導権は私にない。エリーティア様と、ホヴァルト軍にある」
達観した様子で山頂を見上げた。
両軍の進軍開始は決戦状で午前11時と決まっている。
ということは、エリーティアが雪崩を起こすのもその前後となるはずだ。
11時になると同時に両軍が進軍を開始した。
同時に進軍を開始したのであるから、どちらも落ち着いている。ゆっくりとした足取りで前線へと向かう。接敵したと同時に激しい戦いが繰り広げられる。
両軍の距離は3キロ程度であるから、ほぼ30分後にはそうなるはずだ。
多くの兵士がそう思っていたのであるが。
およそ5分が経過しただろうか。
「何だ!?」
突如として東から爆音のような音が響き渡り、山地の頂上付近から白い煙のようなものがあがった。
たちまち、白い波しぶきのようなものを先頭に、轟音を奏でて白い帯のような雪が下り落ちてくる。放射状に広がる巨大な雪の壁が岩肌をとてつもないスピードでかけおりてくる。
(これは大きすぎる!)
ルヴィナは本能的にそう思った。
「退避せよ!」
叫び声とともに全部隊が西側に移動する。
退避しているのはルヴィナの部隊だけではない。正面にいるホヴァルトの左翼部隊も慌てて逃げようとするが。
ドーンという二度目の爆発音が起こった。
「ルヴィナ様!」
アタマナの叫びの意図はもちろん理解する。
放射状に広がっていた雪崩のうち、オルセナ側に向かっていたものが何かの障壁に跳ね返るような形でホヴァルト側に向かった。
「どこで方向を変えれば良いかまで分かっている!?」
「でも、ここまで大きいとホヴァルト軍を飲み込みますよ!?」
ルヴィナの驚きに、アタマナは別の驚きで応える。
そうでなくても大きな雪崩が、跳ね返ったことにより更に大きくなった。
北側にいるホヴァルトの左翼部隊を全部飲み込んでも不思議ではなさそうだが。
「……ここまで来て、それはない」
あれだけの規模の雪崩を起こし、それを正確にホヴァルト軍だけに向けているのである。それで威力だけを間違えるという事態はないはずだ。
「……うまくいく! アタマナ、準備しておけ!」
ルヴィナの呼びかけに、アタマナはやや戸惑った。
「えっ、本当にあれやるんですか!? 大陸も国も違うんですよ?」
「人間は同じだ! 国があり、信念があり、戦おうという戦意がある。そこに違いはない! それを奮い立たせたからこそ、私は『金色の死神』という大層な呼び名で呼ばれている! やるのか、やらないのか!?」
「や、やりますよ! クリス様みたいにうまくできるかは分かりませんけれど、今現在、ルヴィナ様のパートナーは私ですから!」
アタマナの返事を聞きながら、ルヴィナは雪崩の行き先を確認する。
強烈な雪崩の勢いに、ホヴァルト左翼のみならず、中央も慌てて逃げるような動きを始めた。
いかに無敵の軍といえども、雪崩を跳ね返すような力はないし、そもそもこんな相手と対峙したことがないだろう。
後方の部隊は前進してきているので逃げようとしても簡単にはいかない。「進むな」とか「雪崩が来ている」という叫び声が交差し、移動に混乱を来している。
遂に白い壁が最後の斜面から裾野まで至るところまで到着した。
その時点でもまだ3メートルを超える高さがある。
もっとも左側にいる者達が耐えきれずに行軍する兵と兵の間の隙間に駆け込む。それが連鎖的に中に移動しようという動きを呼び込み、東側から混乱が広がって行く。指揮官らしい者が「落ち着け!」と叫ぶが、事態はどうにもならない。
やはり強すぎたのか?
ルヴィナは一瞬、そう思ったが、ホヴァルト左翼部隊から10メートルほどまで近づくと急激に低くなる。地面の温度が異なるのか、高い雪の壁がみるみる低くなっていき。
「……止まった?」
あと3メートルほど、という地点で雪の流れがストップした。
ほぼ同時にルヴィナは大きく息を吸い込んだ。
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