第37話 立ち塞がる想いを乗り越えて ①




「ごめん、遅くなって」

「ううん。信じてたから」


 待たせに待たせた割に短くなってしまったシエルの謝罪に対し、ティアは笑顔で首を横に振ってくれた。

 その一片の曇りもない眼差しに、シエルは罪悪感を覚えながらも、それを振り払う。


 ……まずは、目の前のことだな。


 最終局面。

 最期に立ちふさがる強敵アントン。その力は絶大で、老いたとはいえ脅威でしかない。


 剣技では敵わない。知力だけでも足りえない。歴代王国騎士団長最強と称された技術は本物で、膨大な戦闘経験によって確立された動きは半端な剣を寄せ付けはしない。

 そういう意味では、彼は天才と呼ばれる人間ではないのだろう。

 他者とは隔絶した努力によって得た——積み上げられた実力。

 その脅威を凌駕するには、さらなる努力によって得た力によって捻じ伏せる。あるいは、常人足りえない才能を以って努力を上回るしかない。


 ……そういった意味なら、アイナが適任なんだけどな。


 シエルは聖女の護衛であるのにも関わらず、己から戦いを求める彼女の事を思い出す。

 アレは、そういう人種だ。

 馬鹿と天才は紙一重——天才と称される人種は、どこか常人と異なる一面を持つ。

 どこかが壊れたがゆえに、止まることなく昇り続けた超常が天才という領域であり、過程のおいてどこかに狂気が宿ったがゆえの頂上だ。

 ティアは常人……それは覆しようのない事実である。だからこそ、どう逆立ちしたってアントンに勝利する未来はありえない。


 


 ……自分で言うのもどうかとは思うけどな。


 だが、天から与えられた才能という意味では、この場においてシエル以上の適任はいない。

 そして、過程においてもシエルは天才と称されるには十分なものを持っている。


「ティア」

「分かった。任せて」


 とても短い応答。

 直後、元王国騎士団長の持つ刃が揺らいだ。


「左肩」

「っ——!」


 直後、弾かれたように両者が動く。

 色素の薄い金の帯が舞い、銀光が線となって閃いて。


「ほう……」


 三歩。

 身体強化をおこなっていないティアであればそれだけ必要な距離。

 その距離を一足で詰めてみせ、肩を貫いていたはずの突きを放ったアントンは、空を切ったという結果に少しだけ表情を変えた。


「よく躱したな」

「シエルの助言のおかげだわ」

「なら、その調子で抗え」


 お互いに刃の届く距離をもって、剣戟が始まる。

 もちろん、最初に動いたのはアントンだった。 


「膝蹴り、後ろに二歩! 切り上げ、半身になって躱せ! すぐに屈め!」


 紙一重で膝が届かず、胸元ギリギリを刃が通り過ぎ、振り抜かれた踵が髪を強かに撃つ。


「っ——」

「ほお、これも躱すか……なら——」

「身体強化を使って後ろに飛べ!」


 アントンの体がブレた。

 全身を捻り、遠心力の乗せた回し蹴り。

 魔力による身体強化を乗せた一撃はティアの腹部を貫いて——


「大丈夫か?」

「ギリギリだけどね」


 いなかった。

 危なかったが、躱しきれたようだ。


「アレを受けてたら、もう動けなかったわね」

「……寸前で躱されたか」


 シエルの隣まで戻ってきたティアと共に、蹴った体制のまま呟くアントンを睨みつける。


 ……危なかった。


 彼の次の動きに警戒をしながらも、シエルは内心冷や汗をかいていた。

 シエルの指示のもと、ティアが行動を起こす——これが現状成立しているのは、ティアのスピードがアントンを上回っているからだ。

 指示を受け、動くというのは、一クッション挟まる都合上どうしても先手を取られやすい。

 それをシエルの先読みとティアのスピード。その両方を以ってどうに拮抗……いや、若干劣勢程度まで持っていけているが……。


 ……こんな綱渡りみたいな状態、ずっとは維持できない。


 一度のミスが致命的なものになる。それは、想像以上の消耗をもたらす。

 老いというハンデによって長時間戦う体力が心許ないアントンと、ダメージを受けた体でどうにか食いつくティア。


 ……こちらの勝率は、良くて二割。いや、一割以下ってところか?


 膨大な戦闘経験に基づいたアントンの戦いは、やはり安定感がある。それを考えると、一割とはいえ無を有に変えたのは奇跡といえる。

 だが——


 ……勝つためには、もっと深くする必要がある。


 このままではジリ貧だ。しかし、ティアの体力、魔力量を考えると彼女に負担はかけられない。

 なら簡単だ。シエルの思考を早めればいい。


「あまりやりたくないんだけど……仕方がない!」


 覚悟はすでに決めている。あとは意識を切り替えていくだけだ。

 集中……集中……集中……。

 自身の脳を高速化させるイメージを以って、意識を集中させていく。


 ……余計な情報はいらない。半径十メートル以外の地形情報は排除。色も今はいらない。呼吸も最小限に。肉体の働かせるなら頭を動かせ。行動予測の数を倍に……さらに倍……さらに倍……。


 アントンの行動予測。脳内で処理している数十のシュミレーションの数を数百まで増やす。

 人間の脳は、こんな高速、複数処理を行えるように出来てはいない。だが、第二書架コクマ・ライブラという膨大な知識を所持、処理するシエルの脳はそれを可能にしてみせた。


 ……痛みは要らない。そんなことを気にするなら、一瞬でも早く行動予測を完了させろ。性格、体調、状況、気分……あらゆる情報を見逃すな。


 色を失った世界が徐々に停滞していく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、相対するアントンの瞬きの動きすらも遅く見えるまで思考を加速させて。


「前に四歩。上半身を右に——」

「遅い!」

「傾けろ」


 ティアに凶刃が迫る。

 予想通りの初動。予想通りの軌跡で。

 シエルには躱すことのできない速度で振られた刃は、先程のような紙一重ではなく、確かな余裕をもって空を切ろうとして。


「脇腹に一撃! 前に二歩全力で!」


 回避と共に、刃が閃く。

 予測通り後退したことで躱されたが、離されることなくティアが追随する。


「考えるな! 思ったように剣を振れ!」

「はぁぁぁ!」


 息もつかぬ連撃。

 先程までとは見違える少女の動きに目を見張り、一瞬、本当に刹那の間だが次手が遅れる。

 しかし、それでも通用しないのがアントン・アルトーラという人物だ。急激に上手くなった防御と、激変したリズムによる攻撃……その両方をもってしても決めきるまでには至らない。


 けれど、少しだけ歪めることには成功した。

 老いによる体力の低下。アントン唯一の弱点を攻める切っ掛けは作ることが出来た。あとは、どれだけ粘れるか……。


 これが並程度の相手なら、砂の城を崩すように簡単にいったことだろう。

 だが、相手は歴代最強。そう簡単にはいかない。

 少しずつ歪め、欠けさせ、歪みを大きく変え、部分的に崩す。それを繰り返した先にしか勝機はない。

 アントンが修正できず、それでいてティアが先手を取れるという天秤を見極める綱渡りのような所業。さすがのシエルでも内に焦りのような感情が湧き上がるが、奥歯を噛みしめることで振り払う。


「左肩! 剣で受けろ!」


 予測した光景をなぞる現実を見極めて。


「構わず振れ!」

「やぁぁぁ!」


 轟くティアの気迫。

 木漏れ日揺らめく木々の隙間に鮮血が舞った。

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