第36話 選択という最も難しいこと
勝てない——そう判断した。
戦える少女は幾度も地面に転がり、必死に振る剣は届くことはない。
道半ばの少女と、頂点を経験した老人。何もかも足りていないために、結果は誰が見ても明らかなものとなった。
助からない……少なくとも、二人共は。
何かを達成するためには代償は必要で、逃亡者である自分に差し出せるものはあと一つしか残されていない。
だから、仕方がないのだ。
そう、仕方がない。
どちらかしか選べないのなら、その答えなんて最初から決まっているのだから。
はらりと。
数本の灰色の髪が宙に舞うのを、シエルは無感情に眺めていた。
いや、無感情というのは語弊があるだろう。少なくともシエルは感情を露わにしていて、あくまでも自身の髪を散らした凶刃に感情を向けられなかっただけなのだから。
「なんのつもりだ?」
「ティア、なんで?」
問いかけが重なった。
二人分の視線が一人に集まり、ただ答えを待つのみとなった。
しかし——
「バカじゃないの……」
彼女の答えは、ただ一人にだけ向いていて。
「助けるに決まってるじゃない。一人になって大丈夫なわけないじゃない……」
わずかに、抱き着くティアの腕の力が強まった。
しかし、その力はすぐに解れて。
「シエルは私が守るわ……命に代えてなんて言わない。彼だけはなんて言わない。私は、私は! ……シエルと二人で王国を出るわ!」
若干ふらつきながら、刃を向けて。
ティアは、再びアントンの前に立ちふさがる。
「勝てないのは分かっているだろう? なぜそこまでする? この男は……」
「関係ないわ。これが私が選んだ答えよ! あなたも知っているでしょう?」
「そうか。なら、余計な問答は不要だな。こい」
「はぁぁぁっ!」
傷だらけの少女が気迫と共に剣を振るう。
痛むはずだ。辛いはずだ。苦しいはずだ。なのに、彼女はシエルと共に往くと剣を振るっている。
……なんでそこまで?
ずっと同じ問いがグルグルと廻っていた。しかし——
「いや、違うな」
その疑問を、シエルはすぐさま否定する。
分かっている。彼女がすでに告げているのだから。
選んだのだ。苦しくても、辛くても、共に旅に出るという道を。そのために、命を懸けるという選択を。
シエルのように一を救うために一を捨てるのではなく、拾い上げるために懸けた。命という最大の掛札を使って、二人分の命を救い上げるために。
「だけど……」
彼女は勝てない。
あまりにも実力差が在り過ぎるのだ。
少ない可能性を増やすことは出来る。やり方によっては小を大に変えることも可能だろう。しかし、無を有に変えるのは奇跡でも起こさない限り不可能だ。
渾身の一撃を軽くいなされ、代わりとばかりに足による一撃を貰う。
吹き飛ばされ、地面を転がってなお、彼女の闘志は微塵も揺るがない。
「まだまだぁぁぁっ!」
「まだ甘い」
再び転がされ、また立ち向かう。
何度も、何度も……何度も何度も何度も。
やはり分からない。
「……なんで、俺なんかのために」
婚約者ではある。だが、それだけだ。
婚約者らしいことなんかしてこなかったし、一緒にいる時はただただ盤を隔てての交流だけだった。
なのに、彼女はシエルのために剣を振るっている。文字通り——必死に。
「……なんでそこまで出来るんだ?」
婚約者とはいえ、ただの他人でしかないはずなのに。
「……なんでそんなに頑張れるんだ?」
苦難しかない旅路になるはずだ。
方や王国の第三王女。方や本に魅入られた引き籠り。順調に進むわけもなく、苦労が多い旅になるだろう。
「……なのに、なんで?」
動けないのに。
見ていることしか出来ていないのに。
彼女の前に立って戦う事なんて出来ないのに。
「俺は……一緒に旅に出たいって思ってる?」
こんなこと、考えたこと無かった。
ずっとあの空間で本を読んで、定期的にティアの相手をして、偶に王国の依頼に応えて——そんな日常が続くものだとずっと思っていた。
だけど、ティアはそれを望んでいなくて。
彼女と地下牢で話した時は、こんな感情は持っていなかった。
分からない。けれど、託されてしまったから。シエルはこうしてティアと共に王城を脱出した。
分からないまま、分かろうとしないまま、見ないまま、見ようとしないまま、国を出ようとして、そして立ち塞がった者がいた。
「ティアは……」
この感情と向かい合ったのだろうか?
不安と恐怖。そして、それ以上に膨れ上がろうとする未知への期待。この、恐ろしいほど奔放で、シエルを振り回さんとする感情に。
「未知を既知に、か」
それこそが、司書の本懐だといえるだろう。
知識を蓄え、伝え、紡いでいく……それはシエルが生まれながらにして得た役目であり、使命だ。
そこに本来『王国』は存在しない。あくまでも王国はシエル達司書を利用し続けてきただけなのだから。
そして今、シエルは王国から自由になろうとして、足踏みをしている。
「分かってる……最初から分かってたんだ」
ただ、見ないようにしてきただけだ。
ずっと温かさに飢えていた。交流を望んでいた。だが、司書という王国が作り上げた役割はそれをよしとしなかった。
だから、ずっと隠してきた。頭の中で作り上げた司書という存在の理想像を張り付けて、ずっと演じてきたのだ。
「ははは……いまさら気が付くなんて、我ながら馬鹿みたいだ」
思わず笑ってしまう。
結局、自分で自分の生き方を狭めていただけだ。
そこまで自分を偽り続けてきた結果が追われる身だなんて、あまりにも気が付くのが遅すぎる。
「そうだよな……せっかく自由になるんだ。それなら——」
もう、我が儘に生きてもいいのかもしれない。
心が傾いていく。
視界が開け、意識が鮮明に切り替わる。
どうすればいいか? どうしたいか? その均衡を見極めるべく、思考が加速する。
「別にアントンを殺す必要なんてない。最低限、負けを認めさせればいい……なら——」
やるべきことを見極め、手順を見極め、叫ぶ。
「ティア、下がれ!」
「っ——⁉」
掛け声とともに、ティアがアントンから距離を取る。
ダメージは大きいようだが、まだ動けないほどではない……なら、大丈夫だろう。
「何のつもりだ?」
「別に大したことじゃないさ」
鋭く問うアントン。
また、心配そうにしているティアを安心させるためにも、シエルは肩をすくめてみせる。
「覚悟を決めた……それだけ。だから、ここからは俺も混ぜてもらう」
「戦えないのにか?」
「刃を交えるだけが戦う方法じゃない。俺には俺のやれることがある。それは、アントンも知ってるだろ?」
「…………」
「ただ、こうして対峙するのは初めてだな。だから言わせてもらう」
シエルは笑みを作って。
「見せてやる。知識の権化である司書……いや、俺の戦い方を。そして、その怖さを!」
言い放った言葉を違えないために。
シエルは煌めく刃を携える家族へ向かって宣言してみせた。
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