第4話 聖国の聖女様




 少しだけ時間が経って。

 ソファに座るシエルの対面。そこには二人の女性がいた。

 一人はソファに腰を下ろし、もう一人は背後に控えている。つまり、前者が聖女で後者がその護衛といったところだろう。


「失礼いたします」

「ありがとうございます」


 アントンが一声かけたのち湯気の立つカップを置き、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 不思議な雰囲気をまとった少女だ。

 ふんわりとした金色の髪にサファイアの双眸。地味な黒の修道服とは対照的な金の首飾りが、内から修道服を押し上げている胸元に乗っかっている。


 第一印象としては可愛らしいの一言だ。各国で人気がある訳がうかがえる。

 しかし、シエルが感じ取ったものは得体が知れないという直感だった。


「ミュゼ・コルディアと申します」


 そこはかとなく感じる圧力。

 容姿と相まった可愛らしい声音と慎ましい所作。屈託のない笑みを浮かべ頭を下げて見せる彼女と自身が感じた直感に、シエルは反応が遅れてしまった。


「……シエル・エンティアです」

「今日は突然の来訪にもかかわらず、お会いしていただきありがとうございました。あっ、後ろの彼女は護衛のアイナです」

「アイナ・エークエスっス。どうぞよろしくっス」


 ミュゼと名乗った少女に促され、軽い口調で赤褐小豆色の髪をした女性が軽く会釈した。

 礼儀正しい聖女様と比べると、驚くほど軽薄な印象を覚える所作だ。

 容姿は整っているだろう。筋の通った鼻筋に挑発的なオパールの双眸。身長は平均的といったところだろうか。

 護衛というには鎧を身にまとっておらず、軽装ではある。だが、王城に入る際に預けなければいけないので剣は無いが、剣帯は腰にあるので護衛というのは間違いなさそうだ。


「もう、アイナったら……ごめんなさい。腕は立つんですけど、いつもこんな口調で」

「いや、気にしないで下さい。城ではこんな口調で声なんてかけられないので、逆に新鮮なくらいですよ」


 ふにゃりと眉を寄せるミュゼにシエルは笑みを返す。

 すると、彼女の視線が控えめに横に逸れて。


「それで、隣の方は……?」

「ティア・ソフニールです。聖国の聖女様にお会いできて光栄です」


 遠慮がちにサファイアの瞳を向けられた張本人——ティアは堂々とした振る舞いで一礼してみせた。


「なんでティアまで……」

「そりゃあ私だって聖女様の要件は気になるし……それに、聖女様はいわば聖国の代表。王が対応できないなら、代わりに対応するのが王女の務めでしょう?」

「いや、絶対前者が本音だろ……」


 図々しいことこの上ない婚約者である。

 シエルが呆れた目を隠せないでいると、「ふふふっ」と目の前に座る少女が笑みをこぼした。


「仲がよろしいのですね」

「婚約者ですから」

「そうだったのですか? エンティア様は本意ではない様子ですが、そうであるなら私たちはご一緒していただいて問題ありません」

「ありがとうございます」


 にこやかな笑みを見せるティア。

 普段シエルには見せない表情だ。シエルは息を吐き出し、ミュゼを見据える。


「では、本題に入りましょうか。今日は王城にどのようなご用件で? 王は忙しい方ですので、代わりに私がお話を伺いましょう」


 司書という身分は王国内でも上層部しか知りえない機密事項である。

 だからこそ、シエルは多忙な王の代わりを仰せつかった高位貴族……その若き当主という立場を貫く。

 しかし、そんなシエルの思惑とは裏腹に、聖国の聖女は含みのある笑みを見せた。


「隠す必要はありませんよ。王国の司書様」

「っ——」

「っていう感じでいいのよね?」


 全身に緊張が走るのも束の間、間の抜けた問いが飛び出た。

 ポカンと口を開いているティア。

 おそらく、シエルも同じ顔をしてしまっているだろう。表情をすぐに引き締めて、ミュゼが送った視線を追う。

 すると、彼女の問いは後ろに仕える護衛アイナへと向けられていた。

 彼女は呆れたように肩をすくませて。


「聖女様、いろいろと台無しっス」

「だって、言われたようには出来ますけど、これ以上は私には出来ないもの」

「そうはそうっスけど、もうちょっと場の雰囲気を感じ取ってくださいっスよ。ほら、お二人ともポカンとしてしまっているっスよ?」

「え?」


 間の抜けた声の後、ミュゼの顔がシエル達へと戻ってくる。


「ご、ごめんなさい! 驚かせるつもりは無くて。その……」

「いや、それはいいのですが……」


 そもそも、ポカンとしているのは一人だけ——と、少し前の自分を棚に上げながら、シエルは警戒心を一段階引き上げた。


 聖国は宗教国家だ。聖国の中心にそびえる世界樹を「神からいただいた贈り物であり、神の依り代である」と祀っている。

 その原点は過去、荒野に生えていた世界樹に人が集まり世界樹の朝露が人を渇きから癒し、灼熱の日光から身を守って——そうして最初の国が出来上がったというものだ。

 その逸話が正しいか否かは分からないが、現実聖国は大陸でもっとも歴史のある国といわれている。だからといって、秘匿され続けてきた『司書』を知っているとは——


「聖国も国っス。帝国と王国に並び立つ程度の力は持ってるっスよ」


 するりと、入り込むような声音だった。

 シエルは思考によってわずかに下がっていた顔を跳ね上げる。けれど、声の主はにこやかにそのオパール色の瞳を細めているだけだった。


「……なるほどな」


 誰にも聞こえない声量で呟く。

 最初に感じた圧力——その正体におおよその検討をつけたシエルは、アイナと名乗る護衛が見た目通りの実力ではないと認識を改めた。


「はははっ、警戒しても仕方が無いっていうことか」

「どういうこと?」


 どうやら、ティアはまだ気付いていないらしい。


「あの護衛はいつでもこちらを制圧できるって事だよ。最初は司書である俺を消すつもりなんじゃないかって思ったけど、出来るけど難しいといつでも出来るのにしないっていうのは全く違うから」

「……なるほどね」

「……?」


 ある程度武芸の経験のあるティアは、感じ取ることは出来なくてもシエルの言葉からおおよその理解を得たのだろう。納得とばかりに頷いた。

 逆に護衛されている聖女様は理解していないようで首を傾げているが、こういうところも聖女として人気がある理由なのかもしれない。

 シエルは肩の力を抜くと瞳をわずかに細め、彼女たちと向き直った。


「では、改めて本題といきましょうか。本日はどのようなご用件で?」

「あ、はい。そのですね……」


 逡巡する姿を見せるミュゼ。

 その様子に、どれほど面倒くさい要件を言われるのかとシエルは脳内で身構える。

 そして、彼女は両の手を胸の前で握り締めて。


「私の不幸体質を直してほしいのです」

「はぁ?」


 シエルの脳内は空白に染まった。

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