45話 ロイ
翌日の午後、ルシアンはロイの面談をするべく、ラクシャク市民学校を訪れていた。
懐かしさを感じる最初の教育施設は、管理者であるポータの生活棟となっている。
その一室である大部屋で、ルシアンはバルドルとロイと向かい合って寛いでいた。
「二人とも昨夜はしっかり休めた?」
「むしろ俺の奴隷商店より、居心地がいいな」
「奴隷達も喜んでるみてぇ……みたいっす」
ルシアンの軽い挨拶に、二人は良い返事をしたが、ロイはぐったりした様子で、昨日の態度を改めることに努力しているようだ。
というのも午前中にポータを始めとした狂信者……教え子達にこってりと絞られているからだ。
リルベス遠征の間、ルシアンのそば付きは、ポータではなくロイになる。
そのことからおそらくポータの私怨も混ざっている。
ルシアンは「ロイくんは僕の代わりにあらゆることから、師匠を守ってくださいね?」と暗い瞳で教えを説いているポータの姿を、目撃している。
オルタ村では、ポータもアーシェも目にも留まらない弱者であったかもしれないが、このラクシャクにおいて二人は圧倒的な強者だ。
その二人の迫力は鬼気迫るものがあり、ルシアンはロイに同情をした。
「それじゃあ軽い面談だけ、始めても大丈夫?」
「……うっす」
先輩達の洗礼を受け、すっかり大人しくなったロイは、控えめに返事をした。
バルドルは前髪をかきあげながら、苦笑いをしていた。
「……自己紹介お願いしていい?」
「ロイ・オルタ、十九歳。適性は『隠密』。村長であるクソ親父もこの適性で暗殺してやった」
ルシアンの要望にロイは自嘲するように笑い、早口で説明する。
隠密……暗殺……ロイの環境を少し知っているルシアンは、彼がその特技や適性を身につけてしまうのも仕方がないと、小さなため息をついた。
適性が変質することを踏まえれば、隠密や密偵といった諜報員は、特別な訓練を受けている者や、過酷な環境に身を置いた者にしかなれないはずだ。
現にルシアンの知る諜報員は、そのほとんどが孤児だった。
一般市民であるロイが隠密能力を身につけたのは、カリスが暴行されているのを、息を殺して見続けて、憎しみを力に変えた結果だろうと推測していた。
「なんだ……なにも言わないのか……言わないんですか?」
「いい適性だね」
「……は?」
「諜報員はかなり重要だし、いずれは僕にも必要になる人材だよ」
ロイの隠密能力が本物なのは、ルシアンは身をもって知っている。
実際に背後を取られ、角材を振りかぶるまで気づくことができなかった。
生存に全振りしている元騎士のルシアンが、そこまで気づくことができなかったのだ。
「……かっこつけんな」
「ん?」
「俺に聞きたい事があんだろッ! 澄ました顔してかっこつけてんじゃねぇよッ!」
ルシアンの態度が気に食わなかったのか、ロイはテーブルに拳を叩きつけて立ち上がる。
ルシアンは、こっそり様子を見ていたポータを手で制止する。
「それは違うよロイ。君が話したいだけでしょ?」
「な、なんだとッ! そんなわけ——」
「じゃあなにを騒いでいる。そんなに屑一人、葬った事が誇らしいのか? ロイ」
「……ッ……ふざ、けんなッ……父親だったんだぞ……」
ルシアンは嫌な記憶を思い出しつつも、騎士時代の冷たい口調で、ロイに疑問を投げかけた。
「……俺はアンタが言う、その屑の息子だ」
「それがどうした」
「……俺はアンタを殺すかもしれないぞ……アンタの作った理想郷を壊すかもしれないぞ……」
「そうか。ロイ、君は……」
——なんて優しい漢なんだ。
ルシアンは勘違いをしていた。
てっきりロイは、自身に流れる屑の血を憎み、葛藤しているのだと考えていた。
しかしそれは、全くの見当違いだった。
彼はルシアンや他人が築きあげたものを、自身に流れる屑の血に狂い、いつか壊してしまうのではないかと、まだ見ぬ未来に怯えているだけだった。
他者を傷つけてしまうことを極端に恐れているのだ。
身体中の血液が沸騰するような、強烈な衝動がルシアンに襲いかかる。
——ロイを解放してあげたくてたまらない。
このように不器用で愛すべき漢を、血の支配などというくだらない檻に閉じ込め続けていい訳がない。
人は人だ。血がどうしたというのか。
では親も知らぬルシアンは、バルドルは、ナイラは、なんだというのか。
どんな偉大な人物も、祖先を辿れば屑の一人でもいるはずだ。所詮はそんなものだ。
しかし当のロイは、解放されることに怯えている。
それなら——解放されるのが怖いというのなら、新たな鎖で縛り付けてやるだけだ。
「僕に忠誠を誓え……」
「な、なにを……」
「ロイ。キミはキミだ」
「でもいつかこの血が……」
もはやルシアンの頭の中に、ロイとカリスの傷を癒すという考えはなかった。
——この優しさに溢れたロイをそばに置きたい。
あまりにも傲慢で貪欲なルシアンの欲望は、止まらない……今まで止まったこともない。
「僕は君如きに殺されはしない。僕が創り上げた理想郷は壊されはしない。ロイ……君が血に狂った時は、僕が殺してあげるよ……君の罪を、苦しみを、葛藤を、全てッ、その全てを背負ってやるって言うんだッ!」
「……アンタやっぱり狂ってるよ」
ルシアンのあまりにも一方的で、乱暴で、自分勝手な叫びに、呆れたように笑うロイ。
「僕に忠誠を誓え」
「……って言っても、言葉だけでいいのか?」
「くだらない口上もいらないよ。誓ったなら誓ったと伝えるだけでいい。それだけでいいよ」
「……はぁ……怖い目だ……とんでもない奴に目をつけられてしまったのかもな……」
ルシアンには見破る自信があった。
ロイが本心で忠誠を誓ったかどうかを、見破る自信がなぜか湧き上がっていた。
「……俺はロイだ。アンタに忠誠を誓うよ」
瞳を閉じてはっきりとした口調でそう言ったロイは、ゆっくりと瞳を開いた。
ルシアンとがっちりと交わった視線は、幾度となく見てきた狂信者のソレだった。
——ようこそ、ロイくん。こちら側へ。
なぜか中性的な容姿のポータが、そんな言葉を言っているような気がした。
じわじわ冷静さを取り戻してきたルシアンは、あまりにも唐突に暴走してしまったことに、気まずさを感じ、周りにチラリと視線を向ける。
バルドルは腕を組んで、ルシアンを凝視している。
こっそり様子を見にきていたポータの様子は、特段におかしい。
ポータは「よかったねロイくん」と本当に思っているのか、よくわからない無感情な表情で頷いていた。
普段は笑顔を欠かさないポータの無表情は、気味が悪い。
「二人ともごめん……僕どうかしてた」
「……まぁそうだな」
「……アニキ、謝られると逆に怖えよ」
「ア、アニキ!」
冷静さを取り戻したルシアンは、ロイの言葉でまたもや興奮していた。
可愛い可愛いとよく言われているルシアンにとって、アニキ呼びは最高に嬉しいものだった。
ロイはルシアンの弟分……最高の響きである。
「……さっきまでの迫力はなんだったんだよ……悩んでた俺が馬鹿みたいじゃないか」
「ルシアンはそういう奴だ。せいぜい慣れることだな」
ルシアンがロイを揺さぶっていたのは、彼自身の口から悩みを吐露させたかったからだ。
ロイとカリスには、相談する相手も助けてくれるはずの大人もいなかったのだ。
しかしこのラクシャクには、いくらでも賢い脳を持った者やお節介な大人がいる。
そのことを理解して欲しかった。
ルシアンを筆頭にお節介な先輩ポータに、怖い先輩のアーシェ、ベル、ウルスラがいる。
イカれ夫婦のナイラとブライス、当然バルドルだっているのだ。
「ロイ、君はもう一人じゃない」
「……あぁ理解した……しましたよ」
「ロイ・オルタの人生は、またここから始めればいいよ。時間は沢山ある。君が死ぬまでだ」
「……あーくっそ……こんなに楽しみなの……久々だわ」
悔しがるように苦笑いを浮かべたロイは、年相応のものに見えた。
ルシアンもそんなロイの姿に微笑みながら、次の楽しみを考えていた。
(ポータ……君もラクシャクに生きる教育者の端くれなら、カリスを癒してみろ……時間はまだまだあるからね。リルベスから帰ってきた時の楽しみにしておこうか)
ルシアンは密かに、愛弟子の活躍を祈っていた。
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