44話 夫婦の寝室
「んっ……るひあんひゃまぁ……嫌なことがあったのですねぇ……私が癒して差し上げますよ」
「せんせっあのね……ウルはねぇ……せんせぃがしゅき、だいしゅき」
「くっ……ふぅ」
騎士時代のことを思い出して、無性に婚約者達に会いたくなったルシアンは、ミーリス家の別館、夫婦の寝室でアーシェ、ウルスラと裸で絡み合い、癒されていた。
「声……いつものようにお出しになってもいいのですよ……それともウルスラちゃんの前では、かっこつけたいのですか?」
「せんせっ、負けないで? アーシェよりウルのことがしゅきなら負けないでぇ?」
「くっ……くっそぉ」
先程までの営み中は、散々鳴き叫んでいたアーシェとウルスラの反逆に、ルシアンは必死で耐えている。
夫婦になる四人が悠々と寛げるベッドの上で、仰向けで寝るルシアンに、ウルスラが覆い被さり、右側からアーシェの舌技が襲いかかる。
「きっとベルちゃんは、隣の部屋で聴き耳を立てて、悔しくひとり遊びをしています……ルシアン様の可愛い声を聞かせてあげてください」
「せんせ? ウルのことをそんなに強くぎゅうってして……辛いのぉ? アーシェに負けそぉ?」
「ほら声出して? 私よりウルスラちゃんの方が好きなのですか?」
「せんせっちゅうしよっ」
アーシェの熱くて、細長い舌がルシアンの耳の中を味わうように這い回る。
柔らかさを伝えてくるウルスラの体を抱き潰しながら、注がれる彼女の唾液をコクコクと飲み干していく。
——幸せだ。
理性がドロドロに溶けていき、何も考えられなくなったルシアンの口から、弱々しい声が出たその時——ドンッと壁を破壊するかのような爆音が鳴り響き、三人を現実に戻す。
『くそぉッ! あたしの……あたしのルシアンがッ!』
むせかえるほどの甘い匂いに包まれた夫婦の寝室に、かすかに響くベルの魂の叫び。
「はぁ……今日はウルスラちゃんの声も大きかったですし、ここまでですね……」
「そ、そんなことないよぉ……でもぉこれ以上はベルの脳みそが壊れちゃうかもぉ……」
「遠征中のベル……すごいこと要求してきそう」
徐々に冷静さを取り戻していったルシアンは、二人の柔らかさと温かさを堪能しつつ呟く。
「ルシアン様、今日はなにがあったのですか?」
「何もないって言っても信じないからねぇ? あんなに私に酷いことして……壊れちゃうかと思ったもん」
「……あったんだけど、なんて言えばいいか……」
右手でアーシェの尻を握り、左手でウルスラの柔らかな黒髪をすく。
ミーリスの『太陽』と『花』を雑に楽しみながら、ぼんやりとした頭でなんと伝えるべきか考えたが、面倒くさくなって、今日あった出来事をそのまま話した。
「ふふっ……『賢人』と名高いルシアン様は、一体どこに行ってしまわれたのですか?」
「そうやって普段とは違う可愛いところ見せてぇ……特別感出してぇ、女落としてたんだぁ?」
「……二人に挟まれて、まともでいられる男は存在しないよ」
特別に甘い言葉を吐きまくる三人の空間に、再び壁が破裂するような爆音が鳴り響く。
きっと悔し涙を流しているであろうベルも、会話に参加をしているようで、思わず吹き出して笑ってしまう。
「ベルちゃんも、発情しないなら来ていいですよ」
「……発情しないのは無理だと思うけどぉ、先生に抱きついて寝るくらいは許可するよぉ」
そこまで大きくない普通の声量で、二人が合図すると五秒もかからずに下着姿のベルが入室する。
「ル"シ"ア"ン"ゥ"……」
「うっわぁ……上も下も泣きすぎだよぉ」
「さ、さすがに顔を洗って、着替えてきてください」
ボロボロのベルの様子は、どうやら泣きながら喜んでいたようで、大変ご満足いただけたようだった。
そうしていつもの形が出来上がる。
右肩にアーシェ、左肩にベル、体の上にウルスラという完全包囲網。
ルシアンの右手はアーシェの尻、左手はベルの尻尾を握っている。
この形も朝起きた時には、熱さと動きづらさで、皆あちこちに散らばっている。
それすらもルシアンの幸せの形だ。
「それでルシアン様は、カリスちゃんに色目を使ったのですか?」
「ルシアン……もしそうならあたしも怒るぞ」
「まさかぁ……使ってないよねぇ?」
「いや、何それ……ほとんど話すらしてないよ」
本題へと話を戻したかのように思えたアーシェの囁きは、全く違う方向へと転換されていた。
ルシアンはそもそも三人以外の女に、異性としての興味が全く湧かない。
——怖いからだ。
どれほど愛を注がれても、足りないと思うほどに三人のことを愛しているが、ルシアンが三人に愛を注げているかは、また別の話だ。
今のところは、三人とも満足してくれているように見えるが、いつルシアンに飽きるかもわからない。
だからこそ他の女に目移りすることもなければ、そんな暇もない。
「アーシェはオルタ村の同郷ではないのか?」
「はい。そうですよ」
珍しく良い質問をしたベルに、ルシアンは内心で親指を立てていた。
「オルタ村での二人はどうだったんだ?」
「んー二人のことはよくわかりませんが——村長は人間の姿をした悪魔でしたね」
「うわぁ……先生怖いよぉ」
もはやウルスラは興味を失ったのか、怖がったフリをして、ルシアンの胸板に吸い跡をつけ始めていた。
ルシアンは明るい笑顔を見せていたアーシェが、そのような評価を下したことが、気になって仕方がなかった。
どれほどの屑であれば、あのアーシェがそう表現するのかと。
「……奴隷の斡旋を行なっていたとか?」
「おそらくその可能性もあると思います」
「それだけじゃない?」
「……あくまで私の主観と噂によるものですよ?」
あまりいい気はしないのか、硬い表情のアーシェは、淡々と語り出した。
「私が知る限りでは、村長は横領と暴力行為は間違いなくしていたと思います」
「はぁ……なんでそんな奴が村長をできるんだ」
「……アーシェが身売りすることになったのも、ポータの両親のお金が使われたのも、関係ありそうだね」
その内容は夫婦の間で、話すようなことではなかったが、ベルは呆れた様子で、ウルスラは聞いてすらいない。
そんな中、ルシアンは嫌な予感を感じまくっていた。
「村長は良家の出だと聞いてます。それで暴力行為の方が問題で、被害者は——娘のカリスちゃんです」
「あぁ……もう嫌な予感が当たりまくってるよ」
「まだ続きを聞きますか?」
「いや……ありがとう。もうやめとくよ」
その言葉を最後に婚約者の三人は甘えてきたが、ルシアンの頭の中は、さまざまな思考で埋め尽くされていた。
アーシェの話が事実であれば、カリスは約三年以上、実父から暴力を振るわれていたことになる。
カリスも、その姿を見ていたロイも、どんな思いで過ごしていたのだろうかと、考えずにはいられない。
「血って本当に厄介だ……」
「……そうですね」
ウルスラはすでに寝息を立て始め、ベルはモゾモゾと何かをしている中、ルシアンの囁きに反応したのは、アーシェだった。
「きっと二人は苦しんでいるでしょうね。与えられた傷とは別に……憎んだ者の血が流れる自分自身に」
「……そうだろうね。僕にはわからないけど、きっと辛いだろうね」
血を分けた存在がいないルシアンは、その感覚を知ることはできないが、想像はできた。
——カリスはカリスで、ロイはロイだ。
そう単純に考えれる者ばかりではないことは、ルシアンにも理解できる。
父である村長を殺すほどに憎んでおきながら、カリスとロイには、その憎んだ男の血が流れている。
その事実は、確実に二人の精神を蝕んでいるだろう。
「……アーシェ」
「……ルシアン様はロイくんだけですよ?」
「う、うん」
「カリスちゃんはポータくんや他の人達に任せてください」
「……わかった」
威圧するように目を細めたアーシェの前に、ルシアンは苦笑いをするしかなかった。
(僕もロイに情が湧いちゃったしなぁ……それにしてもアーシェには本当に驚かされる。僕の思考を先読みしすぎだよ。アーシェには隠し事はできないね……する気もないけど)
ルシアンが考えていたことは一つだ。
ミーリス領は理不尽や不条理と戦って、傷ついた者を癒す理想郷でありたい。
——願わくばカリスとロイの傷も癒えて欲しい。
なぜならそれこそが『幸福製造機』でありたいルシアンの目的だからだ。
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