43話 姉弟
増築された教育施設——ラクシャク市民学校は、石煉瓦と樫の木を中心素材としたミーリス特有の造りである。
教育棟が訓練場を囲むように増設されたことで、都市内でも有数の大型建築物となり、その高級感と威厳のある雰囲気は、ラクシャク居住区の中でも確かな存在感がある。
「これは……見違えたな。随分と立派な建物になったもんだな」
「シビネ料理と魔物喫茶のおかげだね!」
領の収益はルシアンのゴリ押しによって、貯蓄や贅沢にあてられることなく、ほとんどが都市開発やリルベス併合への予算として回されている。
領主夫妻である両親や、ルシアンの教え子達も全くと言っていいほど、俗物的思考を持っておらず、特に説得することもなく意見が通った。
その代わりなのかルシアン個人へのお願いは、山ほど要求された。
感心したようなバルドルと共に校内に入ると、すでに案内されていた奴隷達の中から、一人の女性が迎え入れてくれる。
「バルドルさん、お疲れ様です」
「おう、カリス。問題はないか?」
「はい……むしろあまりにも素晴らしい設備なので、皆さん過ごし方に困っているようです」
「……今のうちに慣れさせとけ。数ヶ月は世話になるだろうからな」
ルシアンはカリスと呼ばれた女性をジーッと見つめていた。
おそらく年齢は二十代前半、落ち着いたしゃべり口と銀縁のメガネが理知的な印象を与える。
バルドルの話し方からも、彼女のことをかなり信頼しているのがわかった。
「……あの……そちらの方は?」
「あっごめんね、僕はルシアン。一応ミーリス家の長男だよ」
「おいルシアン……とりあえず初めて会う奴に、分析するような視線を向けるのやめろよ……」
ルシアンは癖になっている凝視をバルドルに咎められ、相手は女性であることを思い出し謝罪した。
「……う、噂は聞いております。私はカリス・オルタと申します。この度はこのような機会をいただき、ありがとうございます」
「そんなに畏まらなくて良いよって、言いたいところだけど……それが君の素みたいだね?」
「カリスはオルタ村の村長家の出だ」
「へぇ……またまた訳ありだ……」
オルタ村はアーシェとポータの故郷だ。
騎士の育成が盛んなリルベス領で、騎士の輩出も少なく、特になんの特徴もない貧しい村だと聞いている。
戦争の終わったセグナクト王国で、立場のないリルベス領の中でも、さらに立場のない村……アーシェもポータもそう評価していた。
そんな村であるとはいえ、村長家が奴隷を出さなければならないとは考えにくい。
——おそらく貧しさが理由ではない。
そう思考していたルシアンは、背後で何かを振りかぶる人の気配を感じて、前方に飛び跳ねる。
「へぇ……ミーリス家の養子は騎士帰りの不死身って聞いてたけど、本当に不死身そうだ」
「ロイッ! てめぇなにしてやがる」
「あー? 俺が仕えるにふさわしいか測っただけだろ」
「はぁ……お前なぁ」
ルシアンが深呼吸をして振り返れば、軽薄な笑みを浮かべた角材を持った男が、バルドルに叱られていた。
「ねぇバルドル……もしかして僕に任せる予定の男奴隷ってその人?」
「俺はロイ・オルタ。これからよろしく頼むわ。ルシアン・ミーリスさん」
ルシアンの疑問には、ギロリとした視線を向けて笑うロイが代わりに答え、先ほどの無礼がなかったかのように、自己紹介をした。
「……愚弟が申し訳ありません」
「カリスとロイは姉弟なんだね」
「はい……私たちは——犯罪奴隷です」
「そっかぁ……まぁ訳ありだよねぇ……」
オルタを名乗った時点で察してはいたが、カリスとロイは表情や態度は真逆でも、顔立ちは似ている。
この二人は村長家の者でありながら、何かしらの犯罪を犯して、姉弟揃って奴隷になったということだ。
「俺とカリスは——親父を殺したんだよ」
「……そうなんだね」
ルシアンは二人が何をして奴隷になったかなど、気にしてはいなかった。
殺人を犯しておきながらも罪に問われず、奴隷という立場に留まり、バルドルが認めているという事実さえあれば、それだけで十分だった。
「……感想はそれだけか?」
「二人共奴隷になってるってことは、その親父さんは重罪を犯してたんでしょ? それに僕は元騎士だよ……罪のない人までたくさん殺してる」
「へぇ……狂ってるのか?」
「逆だよ……僕の場合は狂わないために自覚してるんだよ」
騎士や兵士といった戦士達は、自我を保つためにいくつかの方法がある。
最もわかりやすいのは「殺した者のことを忘れるか、覚えておくか」という話だ。
血に狂わない限りは、戦争を楽しむ者などいない。
皆、王国のために、大陸平定のために、あるいは自身や家族のために戦っていた。
そこに特別な感情はなく、目的のために賊を殺し、他国の戦士を殺してきた。
特に復讐心や愛国心があったわけでもなく、世界を知ることを目的としていたルシアンは、騎士の中でも殺した数は少ないが、それでも百人以上は殺しているだろう。
当然、葬ってきた敵兵にも親がいて、名前があり、恋人や友人、家族や子供がいた者もいたはずだ。
元ナスリク帝国領土には、ルシアンに愛する者を奪われた者もいる。
それを忘れないことで、自我を保っているのがルシアンだ。
「……信じられないな……そっちのが狂うだろ」
「ロイは忘れたい? 殺した親父さんが夢に出てくる? 間違ったことをしてしまったと後悔してる?」
「……うるさい。俺は間違ってなんかないよ」
「それなら前を向いて、僕に従ってくれるならなんでも良いよ。ただ少しでも苦しいなら、他人を頼ってね」
——それができないのなら、君はまだ
そう告げるのは、控えておいた。
そもそもルシアンは軽い挨拶をしにきただけで、彼の心に触れにきたわけではないからだ。
「……まっ、アウルさんが来るまで数日あるみたいだし、それまでゆっくりしててよ」
「……はいよ。じゃあ俺はこれで」
「あっ……ロイ……バルドルさん、ルシアン様、私も失礼します」
少し冷たくなった場の空気に、ルシアンが気を取り直して明るい声でそう言うと、ロイとカリスは奴隷達の元へと戻った。
「お前は奴隷を引き寄せる力でもあんのか……?」
「……まるで僕に問題があるみたいな言い方だね」
「いや……わりぃ。ロイがあそこまで取り乱すのは、初めてだったから、ついな」
「……なら僕に問題があるかも」
アーシェ、ベル、ウルスラの三人は執着、ポータは盲信、ロイは……一体なんだというのか。
ここまでくるとルシアン側に問題があるのは、ほぼ間違いない。
「……それにしても、嫌なことを思い出させちまったな」
「……別にいいよ。僕もロイには少し冷たいことを言ったかなって思うし」
ロイがルシアンに対してどう思っているかは、わからないが、ルシアンがロイに対して感じたことは、「似ている」だ。
初めて敵兵を殺した時の自身とロイが、少しだけ重なって見えたのだ。
だから珍しく、冷たく揺さぶるような言葉をかけた。
きっとロイは、今も父親のことを覚えている。
どのような理由があって、現在に至ったかは、ルシアンには知る由もないが、ロイからは初めての殺人と向き合っている時の不安定さを感じとっていた。
「あーなんかロイに情が湧いちゃったよぉ。バルドルにしてやられた。てかこれって僕の問題じゃなくて、バルドルの厳選力が問題でしょ!」
「……わりぃ」
「そこは否定してよ」
「毎回、お前ならあいつらを幸せにしてくれるって思ってんのは事実だ」
そこまで言われると、バルドル大好きっ子の二十五歳ルシアンは、何も言えなくなる。
(ロイには酷かもしれないけど、親父さんのこと忘れないでほしいな……その苦しみを忘れて殺すことに慣れてしまった人は、他人の痛みもわからなくなってしまうから)
人間は良くも悪くも順応していく。
初めは人を傷つけることで心を痛めるが、何回も繰り返すうちにその気持ちに慣れてしまう。
そうして人の上に立った頃には、争い傷つけあうことに、何の抵抗も無くなってしまう。
ロイにはその気持ちを忘れてほしくなかった。
第二騎士団団長のアウルですら、争いの傷を受け止めきれなかった。
英雄ブライスですら、自身の生き方にもがき苦しんでいたのだ。
久しぶりに教育者としての心構えを取り戻したルシアンは、用事が済んだことで、バルドルに「またね」と伝え、足早に学校を去った。
無性に婚約者達に会いたくなったからだ。
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