42話 白息


「エドワード様、お久しぶりです」

「おかえりバルドル、長旅で疲れたろう? アウル殿の到着まで、まだ数日ほど時間がある。それまでゆっくり休むといい」

「……ありがとうございます。それと奴隷達は……」

「心配しなくて良いよ。すでにポータの宿屋に案内してある。数は十九人で間違いないか?」

「……助かります」

「ふふっ……ルシアンがソワソワしているからな。これくらいにしておこう」


 ラクリマ計画の下準備を終えた数日後、約二十名の奴隷を連れたバルドルがやってきた。

 エドワードの伝えたポータの宿屋とは、元々は教育施設だったものを増築した学校のことだ。

 バルドルが奴隷を連れてくるまでは、ポータに管理を任せて、来訪者向けの宿屋として活用していた。


「バルドル早速だけど、連れてきた奴隷達に僕を紹介してくれる?」

「ルシアン、少しはバルドルのことを労ってやれ」

「大丈夫ですよエドワード様。とっくの昔に慣れてますから……」


 せっかちなルシアンをエドワードが咎めたが、バルドルは短めの黒髪をかきあげながら、呆れたように笑っていた。

 ルシアンも奴隷達の疲労を考えて、ガチガチに紹介してもらうわけではなく、軽く挨拶をする程度のつもりだったが、まるで子供の面倒を見るように言われ、気恥ずかしい気持ちになった。


「それにラクシャクの様子を見て回りたい気持ちもありますからね……行くぞルシアン」

「はーい……では父上失礼します」

「全く……いい歳のくせに。バルドルの言うことを聞くんだぞ」

「任されました。では失礼します」


 バルドルとエドワードは、ニタニタと意地悪い笑みを浮かべて、ルシアンを揶揄った。


(僕って結構頑張ってる気がするんだけど、多分二人からは、一生子供扱いなんだろうな……。別にいいけど、僕に子供ができたら、流石にやめてもらおう)


 こういう時は黙り込むに限ると理解しているルシアンは、心の中で納得してやり過ごした。


「そういえば、四人がバルドルに会いたがって——」

「「「「バルドル様、お久しぶりです!」」」」


 屋敷を出た所でルシアンが伝えるより先に、アーシェ、ベル、ウルスラ、ポータの四人が出迎えた。


「……マジかよ……これはルシアンの力なのか?」


 心底驚いた様子のバルドルは、目をパチパチと数回瞬きをしてから、ルシアンに視線を向けた。

 

 十二ノ月に入って、ようやくまともな休日を過ごしていた元奴隷の四人は、冬服に身を纏い、白い息を吐いていた。

 アーシェ、ベル、ウルスラの美しさについては、もはや言葉にする必要もないが、ポータも奴隷だった頃の芋臭さは完全に抜けている。

 人によっては美女にも、美男子にも見えるほどの美丈夫に成ったと言える。

 その理由は少しかわいそうではあるが、アーシェが原因らしく、「ルシアン様の隣に立ちたいのであれば、ポータくんも輝かなければなりません」という謎の圧力によるものだ。


「ルシアン様に、狂わされてしまったんです」

「ルシアンに、厳しく躾けられてこうなりました」

「私たちは、先生好みの女に仕上げられたんですよぉ?」

「ぼ、僕もです!」


 半分くらい本当で、中には嘘をついている者もいた。

 ポータに関しては、何を言っているのかよくわからない。

 それに狂わされて、彼女達好みの男に仕上げられたのは、間違いなくルシアンの方だった。


「……いやお前ら……もはや誰だよ。ルシアン……お前本当に幸せか?」

「バルドルは僕の味方してくれるんだね……幸せだけど、その気持ちは嬉しいよ」


 思い返してみれば、バルドルは婚約者達の本質を見抜いていた洞察力の化け物だ。

 アーシェの執着心に勘づき、ベルの鍛錬に気づき、ウルスラの難しさに気づいていた。

 境遇の理不尽さからポータの教育を任せたと思っていたが、彼の資質にも気づいていた可能性すらある。


「バルドル様のおかげで、ルシアン様を手に入れることができたので、心の底から感謝しています」

「……ルシアンがいない人生があったと思うと、鳥肌が止まらない」

「うわぁ……先生こわいよぉ。思いっきりぎゅうってして?」


 抱きついてくるウルスラを受け止めて、ポータを見れば、流石に気まずいのかオロオロしていた。


「……マジで誰だよお前ら……いや、猫かぶってたのは理解できるけどよぉ……にしても変わりすぎだろ」

「はーい。僕はこれから用事があるから、またあとでね? バルドル行こう」

「あ、あぁ……」


 ウルスラを引き剥がして、困惑しているバルドルに声をかける。

 

 ルシアンも随分、婚約者達の扱いに慣れてきた……というより流されることが少なくなった。

 ついさっきも、ウルスラがシャツの中に手を忍び込ませて背中を撫でながら、耳元で誘惑をしてきたが、逆に彼女の尻を強く握りこんで黙らせてやった。

 バルドルと市内へ向かう時に、「今夜は覚悟しろ」と冷たい視線をアーシェとウルスラに向けると、なぜかリルベス遠征まで、お預けのベルがビクンッと反応していた。


「俺は今、ルシアンにこれ以上奴隷を任せていいものか……悩んでるぞ」

「ま、まぁみんな幸せにしたいとは思ってるよ……それに僕は一人だけそばにつけさせて、後はポータに任せる気だし」

「まぁ……男ならなんとかなりそうか? 女はもう無理だろうな……女の方が殺されかねん」

「ポータに任せることになるかな……」


 ルシアンは一度だけ、外領から来たであろう道に迷っていた女性を魔物喫茶まで案内したことがあるが、その時に身をもって思い知らされた。


 ベルが本気を出したら、手も足も出ないことをわからされ、アーシェの薬で歩くこともできなくされ、ウルスラに何度も尋問され、三人が満足するまで愛の言葉を叫ばされた経験がある。

 ただ女性を目的地まで案内しただけで、アレなのだから、接触でもした日には、何をされるかわかったものではない。


「今回連れてきた奴隷は、全員がリルベス子爵領の者だが、特に優秀な者が二人いる。男と女が一人ずつだ」

「じゃあ男の方は僕が教育して、後はポータに任せようかな」

「……大丈夫なのか?」

「どういう意味で?」


 ルシアンの脳内では、特に問題が思い当たらなかった。


「ポータに十八人を任せるってことだろ?」

「うん。僕の基準だと余裕だから、多分ポータも余裕だと思うよ?」

「……そこまでポータは優秀なのか?」

「教育者としてなら、いずれは僕を超える男だよ?」


 今回はルシアンが施す教育とポータが施す教育は、全くの別物だ。

 今までルシアンが施してきた教育は、ミーリスの核となる人物を育てることが目的だった。

 ゆえにルシアンの持てる全力を注ぐ必要があり、その分、時間と愛情をかけてきた。

 それに比べ、ポータが行う教育は、市民としての生活ができるように支援する程度のものだ。

 仮に三十人ほど抱えても、春までには余裕を持って終えてしまうだろう。

 ポータには素質を感じ、やる気のある者には、特別な教育を施しても良いと告げてあるので、素晴らしい人材が生まれる可能性もある。


「まぁ……お前が言うんなら大丈夫なんだろうよ」

「バルドルから言われると嬉しいね」

「……今のラクシャクの様子を見たら、お前に物申せる人間なんていねぇよ」

「……僕だけの力じゃないけどね」


 ルシアンはかっこつけて生意気なことを言ってはみたが、内心は飛び跳ねるほどに嬉しかった。

 

 思わずふふっと笑うと、口から白い息が漏れ出る。

 

 騎士の任を終えて、バルドルとラクシャクを歩いて回った時は、まだ麦穂が実っている時期だった。

 その時から比べると、ラクシャクもルシアンの心も大きく成長を果たした。

 

 しかし変わらない気持ちもある。


「バルドルは前に僕がラクシャクで言ったこと覚えてる?」

「あぁ……ラクシャクで奴隷商店を開くってやつか?」

「うん……リルベス併合が無事に終わったら、帰ってきてよ……この都市に」


 あの時はラクシャクで奴隷商店を開くという話だったが、今ルシアンの頭の中にあるものは違う。

 

 そのさらに上の事業だ。

 

 ラクリマ計画が成功して二領が繋がり、保養都市としてのラクシャク、賭博都市としてのリルベスが機能すれば、莫大な収益が生まれると見込んでいる。


 ——いずれは大陸中の奴隷を全て買い占める。

 

 得た収益で奴隷を買う、教育機関で育成して、市民へと戻す。

 ミーリスにもリルベスにも、若者はいくらでも欲しい。

 すぐには買い占めることはできずとも、奴隷商店の進化系とも言える形態を、ミーリス領が受け持てば、格段に速く奴隷を市民へと戻すことができる。

 圧倒的に効率が良く、教師となる者が育ちさえすれば、無理をすることなく、若者を迎え入れることができる。


「……ばかやろうが。俺は最後でいいんだよ……大きくなりやがって」

「僕が無理なんだよ……バルドル。僕のことは知ってるでしょ? ものすごく強欲なんだ。全部欲しいんだよ」

「あぁ……忘れたことはねぇよ。欲しいものは、すぐに盗んできて、エドワード様にぶん殴られてたな」

「……うわぁ墓穴掘った」


 バルドルに良いところを見せたかったが、肝心なところで返り討ちにされ、情けない声を上げた。


「ははっ……まっこれから、頑張らねぇとな!」

「うん……そうだね!」

「おうおう、ルシアン・ミーリス様の腕次第だ」


 短めの黒髪をかきあげたバルドルは、あの時と同じように軽く笑った。

 振り返った彼の目は、真っ赤に充血していた。


(相変わらず涙脆いんだから……僕の成長に泣かされちゃってぇ。はぁ……バルドル最高! バルドル最高!)


 やはりバルドルは最高にかっこいい漢だった。

 

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