第三章 ラクリマ計画
41話 下準備
セグナクト暦元年、十二ノ月、ミーリスとリルベスを繋ぐ洞窟の開拓計画は、二領の都——ラクシャクとハリマから名を取り、『ラクリマ計画』と名付けられた。
本格的な冬に突入し、本来であれば、新春に向けて英気を養う期間であるが、ミーリス家の面々は慌ただしく働き続けていた。
「ルシアン〜こっちもようやく準備できたよ〜。アーシェちゃんは、報告に来る元気もなくて先に帰ったよ〜」
「先生、疲れた……ご褒美くれないともう働けないぃ」
「ナイラもウルスラもお疲れ様。アーシェのことも労わないとね……」
日が沈み始めた頃、ルシアンの執務室へと報告に来たウルスラとナイラは、ぐでぐでに溶けるようにソファへともたれかかっていた。
「ポータ、二人に温かい飲み物でも出してあげて」
「はい。お二人ともお疲れ様でした。アーシェさん特製の『元気が出る薬湯』です!」
「えぇ……私は先生の抱擁がいいよぉ」
「何その怪しすぎる飲み物……やばい薬とか入ってないよね?」
リルベス併合の指揮を執ることになるルシアンは、バルドルとアウルが合流する前に、ミーリスの中心人物にいくつもの下準備をお願いしていた。
ルシアンはラクリマ計画を円滑に進めるに当たり、洞窟内の開拓を、どのように進めるかで悩んだ。
二領からの挟撃も考えたが、危険な魔物が巣食っている可能性がある以上、開拓班を二分割するのは、賢くないと判断して片側から進行することにした。
そこで問題になるのが、片側の領に魔物達を押しやる形になって、溢れさせてしまうことだった。
その問題の解決法として、名乗りを挙げたのが彼女達だった。
ウルスラは以前より、桃羊の魔物避けの成分に目をつけており、どうにか薬液として人間が扱えるものにできないか、アーシェと共同で研究をしていた。
そこに高度文明時代の知識を持つナイラが加わったことで、見事に魔物避けの薬液を製作できたという話だった。
これにより、ミーリス側の洞窟を一時的に封鎖することができ、リルベス側から開拓班が進行することによって、洞窟内の一掃が可能になった。
「後はベルとブライスさんの報告を待って、下準備は終わりだね」
「師匠もそろそろお休みになった方が良いのでは?」
「せんせっ、私の部屋行こ?」
「ボクはお先に失礼するねー」
現在はベルとブライスが先導する警備隊により、魔物避けの薬液を利用した洞窟の封鎖が行われている。
「ナイラ本当にお疲れ様。ウルスラも先に休んでおいて。僕は……ベルとブライスさんを待ちたいから」
「……んーわかったぁ。ちゃんと埋め合わせはしてねぇ?」
「もちろんだよ」
ふわぁとあくびをしたウルスラは、渋々ナイラと共に執務室を退出した。
その後ろ姿を見ながら、ルシアンはポータにも声をかける。
「ポータもそろそろ休んで大丈夫だよ? ポータはこれから忙しくなるしね」
「……はい、粘っても無駄だとわかってます……師匠、お先に失礼します!」
「お疲れ様、しっかり休んでね」
ラクシャクに来たての頃は、何がなんでもルシアンより先に休もうとしなかったポータも、忙しくなることを理解しているようで、すんなり休んでくれた。
ラクリマ計画が始動すれば、ルシアン、ベル、ブライスの三名は、リルベス領に遠征することになる。
その間ポータには、バルドルが連れてくる奴隷達のまとめ役をしてもらうことになる。
初めてルシアンのそばを離れ、奴隷達のまとめ役という中間管理者としての責任を前にして、ポータの中で指導者としての心構えが、芽生えつつあるようだった。
(ポータが僕を師事をしてからだいたい二ヶ月か……ポータの吸収力は異常だ……そんな彼が指導者として、どういう風に奴隷達を導くのか楽しみだ……)
ポータはすでに金貨三枚を完済し、市民権を獲得している。
一期生であるルシアンの婚約者達は、恐ろしい速度で自身を買い戻したが、それは明確な金の稼ぎ方があったからとも言える。
しかしポータは違う。
ルシアンの付き人をしていたはずの彼の働き方は、ミーリスで最も狂っていた。
ある日突然、金貨三枚を返済したと報告してきたポータに、ルシアンは一体なんの冗談かと驚いたほどだ。
詳しく話を聞けば、ルシアンがなんとなしに披露していた知識を元に、空いた時間や休日を使って、ラクシャクのあらゆる業種の手伝いをしていたそうだ。
中でも同郷であるアーシェの手伝いをよくしていたようで、彼女には頭が上がらないと、苦笑いを浮かべていた。
その表情には、少しの怯えが滲み出ていたようにも見えたが、あまり言及してほしくなさそうだったので、触れるのはやめておいた。
ポータの成長について思いを馳せていると、執務室の扉が勢いよく開かれる。
「うぃー、疲れたぜー」
「ルシアン、終わったぞ。あたしの部屋に行こう」
「ベルとブライスさんお疲れ様……もう少し静かに扉を開けてくれると嬉しいよ……」
我が物顔でのしのし入ってくるブライス、入室して三秒で誘惑をするベルがやってきた。
「こんな寒い中、森にほっぽり出されたオレ達に冷てーなぁ?」
「……冷たい後には、とろけるほどの熱さを与えるのがルシアンだ。あたしの夫は女を壊すのが上手い」
「……おい、オレは男だぜ?」
「ブライスさんは帰っていい……夫婦の時間だ」
意味のわからない会話を続ける脳筋二人に、ルシアンは頭を抱える。
この二人とリルベスへ遠征をすることが、少し不安になったからだ。
「そ、その……洞窟の入り口付近は、どうでした?」
「あー結構先の方まで液剤が染み込んだカカシを置いてきたが、雑魚一匹として見当たらなかったな」
「……本当に魔物が巣食っているかも怪しかったな」
ベルの言葉に、少し引っかかりを覚えた。
ルシアンはベルの言う通り、魔物が棲みついていない可能性も当然考えていたが、確率としてはかなり低めに見積もっていた。
まるでベルがその可能性を追っているような、口ぶりだったので気になった。
「……もしかして人族の痕跡でもあった?」
「微妙なとこだなー。ただ元は竜の巣穴だったにしては、鉱石の類は見当たらなかったな……まぁ入り口付近しか見てねーから、結論は出ねーだろ」
ルシアンの問いかけにブライスが答える。
「そっかぁ……そっちの方がめんどくさいことになるから……もう移住してくれてるといいけど」
「……だなー。連中は気難しいからな……」
「今悩んでも仕方ないか……二人ともありがとう。二人には会議にも出てもらうことになるし、それまでしっかり休んでよ」
「オレも早くナイラに会いてーし、そーするわー。じゃあまたなー」
役目を終えたブライスは、大股で執務室を退出する。
「ル、ルシアン……」
「だめだよベル……ただでさえ遠征にベルを連れて行くことの説得に時間かかったんだから」
「……リルベスでは、楽しみにしてていい?」
「……旅行に行くわけじゃないよ? また明日ね」
「ああっルシアン……ひどい」
何かを懇願するような視線を向けるベルを、無理やり執務室から叩き出してからため息をつく。
「はぁ……竜みたいな魔物がいても困るけど、もう一つの方はもっと困るなぁ……」
ルシアンは窓の外を眺めて、ボソリと呟く。
もう一つの方とは洞窟に住む人族——ドワーフの存在だ。
自由異民族であるドワーフやエルフは、大昔に妖精から進化したとされる、土人や森人と呼ばれていた種族だ。
獣から進化したとされる獣人とは違い、世俗に全くの関心を持たず、敵でもなければ、味方でもない。
中には、獣人の創り上げた世俗に染まっている者もいるらしいが、基本的には国を持たず、独自の文化や信念を持つ。
文字通り、自由な異民族なのだ。
ゆえに、種族的には猿獣人であるルシアン達の常識が通用しない可能性や、そもそも洞窟の開拓を許してくれない可能性すらある。
(ドワーフは気難しいって有名な話だしなぁ。猿獣人にはこの地はやらん! なんて言われたらリルベス併合の計画は苦しくなるし、こればっかりは移住してくれてることを願うしかないね……)
思わぬ形で訪れた懸念に、気持ちが重くなったルシアンは、しばらくラクシャクの夜景色を眺めていた。
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