束の間の休息〜???〜



『ガイアの信奉者達よ。戦いの時だ。我々の聖地を汚す侵略者を討滅せよ。これは聖戦である。我が神意の元に戦いたまえ』


 神を詐称するクソ野郎の声、嗅ぎ慣れた鉄の匂い、赤黒い地面。


『俺はブライス、おめぇら少年隊を率いるモンだ。いいか小僧共ッ! このクソッタレな世界で生きていくには、強くなるしかねぇッ! それだけは覚えとけッ!』


 乱暴で温かい大男のでかい声、近づく死の匂い、ホコリ臭いボロ小屋。


『ハハッ……なぁ小僧……俺達は一体何のために生まれてきたんだろうなぁ? 俺はそれが知りてぇ……でもなぁ……それも叶いそうにねぇ……代わりにおめぇが、いやなんでもねぇ……走れ小僧! 振り返るんじゃねぇぞ……』


 片腕を失い、血まみれになった大男の逞しい後ろ姿。


 ——アンタはあの時、どんな表情をしてたんだ。いつもみたいに優しい笑顔だったか? それとも泣いてたのか? なぁ答えてくれよ……ブライスさん。


 

 

 

「起きてーっ! ブライスーっ!」

「……んーおはようナイラ、朝からかわいいな」


 ずいぶんと懐かしい夢を見ていたブライスは、愛しい妻であるナイラに叩き起こされる。


「今日はベルちゃんとの公開模擬戦でしょー? ルシアン達を待たせるわけにもいかないし、起きて起きてー」

「あーそうだったなー。サクッと準備してサクッと出るかー」


 ベル——赤髪の美しい牛獣人の女。ブライスにとっては義理の弟と呼べるルシアンの妻の一人。つまりは義妹でもある。

 ブライスはルシアンの頼みということもあり、ミーリスの森の深層部で魔物狩りをしながら、ベルの稽古をつけていた。 

 彼女はブライスと同じく体術士の極地へと至り、同じく槍術士として達人の域まで到達している。

 元々は奴隷であり、騎士にすら成れなかったという話を聞いた時は、それを誰が信じるのかと呆れた。

 

 今日はラクシャクの皆に、模擬戦を披露する日だ。

 懐かしい夢を見てしまうということは、柄にもなく緊張していることだと気づき、思わず苦笑いがこぼれた。



 ◇



 ミーリス領の祝日、教育施設の訓練場の周りは、ラクシャクの市民や外領からの来訪者で埋め尽くされている。

 ラクシャクの英雄ベル、セグナクト王国の英雄ブライス、世紀の一戦ともいえる模擬戦を見ようと集まった民達の熱気は、凄まじいものがあった。

 リルベスでの闘技場の試行も兼ねて、ルシアンによって発案されたこの計画は、すでに大成功といえる。


「二人とも……怪我をしないでとは言わないけど、これは殺し合いじゃなくて、技術の見せ合いだからね?」

「おいおい、誰に言ってんだー? おれはブライスだぞー? 小娘なんぞちょちょいのちょいよー」

「……あたしはラクシャクの守護者。この大地そのものだ。ルシアンの前で負けるわけにはいかない」


 訓練場の中央でルシアンから模擬戦の規定について、説明を受ける。

 ブライスの挑発を受けたベルの表情は、今まで見てきた戦士の誰よりも、邪念のない落ち着きを見せていた。


(全く嫌になるぜ。もう戦争は終わったって言うのに、そんな覚悟の決まった戦士の顔を、お目にかかれるとはな……オレに本気で勝つ気でいやがる)


「両者構え」


 審判である不死身の騎士——ルシアンの声に合わせ構える。

 

 対面のベルの構えは、奇しくもブライスと同じだ。


 浅く腰を落とし、先端が潰れた木槍の柄を長めに握る。

 どこからでも攻めれて、どこからでも反撃できる。

 まるで大地に根付くような、研ぎ澄まされたベルの立ち姿は、息を呑むほどに美しい。

 

 最高の戦士にのみ到達できる領域——明鏡止水めいきょうしすい


 ガヤガヤと五月蝿い観客の声、風の音すらも、すでに耳に入らない。

 意識しているのは、目の前の戦士に対する敬意と湧き上がる闘争心のみ。

 無音になった二人の世界に、男の声が乱入する。


「始めッ!」


 ルシアンの力強い合図と共に、ベルが消えた。


 ——疾いが、それだけだ。


「……やるねぇ?」

「ちっ」


 大地を踏み込み、ベルが放った光速の刺突を最低限の動きで避けたブライスは、賞賛の意を込めて本気の薙ぎ払いでお返しする。


「ハァッ!」


 最高の槍術士が繰り出す薙ぎ払いは常人であれば、反応すらできずに足を砕かれるが、ベルは掛け声と共に後方へと宙返りをして避け切った。


(何が数ヶ月前まで奴隷だった……だ。嘘つくんじゃねぇよ。なんだあの動き、本当に人間か?)


 ブライスはベルに稽古をつける中で、ある一点だけは敵わないと感じた部分があった。

 

 それは意外性だ。


 使えるものは、なんでも使う。

 型の強みを知った上で、型を崩す。

 騎士として未熟なベルという戦士は、どこまでも自由で柔軟だ。故に恐ろしい。


 口角が上がるのを抑えられない。

 人間を殺すことでしか、存在を証明できなかった自身が、小娘を恐れている。

 そのことを理解したブライスにとって、これほどに愉快で屈辱的なことはない。


 ——こんなにも楽しい。相手の努力の結晶である技術に敬意を払っていい。こいつを殺す必要はない。これは殺しではない。終わった後は会話ができる。食事を共にできる。それは確かな幸福だ。

 

 今この時は、戦争の悪夢から解放されているような気がした。


「小娘ェッ! 感謝するぞォッ!」

「……ッ」


 心からの感謝を叫びながら、ブライスが放ったのは、虚槍と呼ばれる所以ゆえんの一つ。

 二十八年間、人間を殺し尽くしてきた殺戮生命体であり、体術士の終点であるブライスの肉体が生み出す最高の刺突。

 

 虚空から突如として現れる『神喰らいの一撃』。


 幾百、幾千の人間をこの一撃で喰い破ってきた。

 殺した者の中には、殺したくなかった者もいた。

 よくぞここまで至ったと、素晴らしい技術だと褒め称えたいと感じたこともあった。


 ——だが悉くを殺し尽くしてきた。


 【???】はそれしか生き方を知らないからだ。

 生きるためには殺さなければならない。

 【???】にとっての強さとは殺すことだ。

 唯一それ以外の生き方を教えてくれそうだった【ブライス】も【???】を逃がすために、戦争の中で死んでいった。


 ——勝った。今日も生き残った。


 ベルの腹を捉えた感触に、そう確信した瞬間——視界の端に突如として現れる木槍の潰れた先端。


「あ"?」

 

 咄嗟とっさのことに反応する間もなく、鳩尾に衝撃が走り、膝から崩れ落ちる。

 片膝をついて視線をベルに向けると、彼女も全く同じように片膝をついていた。

 しかし意識を保つのが限界なのか、こちらを睨む赤色の瞳はうつろだった。


「小娘……まさかお前……」

「あたしは『ミーリスの大地』だ……この地でだけは……負けるわけには……いかない」


 彼女はそう呟くと、うつろな瞳のまま立ち上がり、木槍を強く握り直し構えた。


 ——最高の一撃を模倣されて負けた。完敗だ。


 間もなく振り下ろされるであろう木槍を、受け入れるように瞳を閉じた。


「そこまでッ! 勝者ブライス! 救護班は急いでベルを運んで!」


 ルシアンの力強い叫び声が響き渡り、瞳を開く。

 

 意味がわからず、再びベルに視線を向ける。

 そこには立ったまま、気絶するベルとボロボロと大粒の涙を流しながら、駆け寄るルシアンの姿があった。


 救護班に担架で運ばれるベルと付き添うルシアン。

 空間を割るような歓声と盛大な拍手に包まれる。

 そんな中【???】は、ぼんやりと佇む。

 視界がぼやけていく中に、愛しいナイラが駆け寄ってくるのがわかった。


「よかった……生きてる……オレも小娘も生きてる……もう終わったんだ。みんながオレたちの勇姿を認めてくれてる。わかった……わかった、よッ……ブライスさんッ……オレ……わかっ、たよ……」


 ——オレたちはきっとこの瞬間のために生まれてきたんだ……ブライスさん。

 

『あぁ……そうか……覚えててくれたんだな』

 

 ——アンタに救われた命だ。当たり前だろ。

 

『ったく……勝手に俺の名前使いやがって小僧が』

 

 ——オレはアンタの意志を継ぐ者だ……ブライスさん。

 

『……ありがとよ。ヨハン……俺の夢を叶えてくれて』


 ぼやけた視界の中に現れたブライスの懐かしい笑顔は、ヨハンの都合の良い妄想だったかもしれない。

 数多の人間を殺してきたことで、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

 しかしヨハンは温かな胸の痛みに、溢れてくる涙を抑えることができなかった。


 ——ずっと答えを探していた。


 神を詐称するイかれた革命家の兵士として産み落とされて、人間を殺すために育てられ、命を散らしていく自分達は、一体なんのために生まれてきたのか?

 命を燃やしてヨハンを逃してくれた大男——【英雄ブライス】が探していた自分達の存在理由。


 数多の戦場を駆け抜けて、いくら探しても、いくら殺しても、見つからなかったその答えが——今この時、ようやく見つかったのだ。

 

 ——『賢人』とその妻、この『大地』に生ける者達が教えてくれた。


 のしかかっていた重しが消えるような解放感を前に、ヨハンは無力な少年のように、泣き続けることしかできなかった。


「……ヨハン……君の戦いも終わったんだね」

「ナイラ……オレ……行かないと……」

「そうだね。ベルちゃんとルシアンに謝ってお礼を言わなくちゃね?」

「……殺されてもいい。でも伝えないと」


 ヨハンとナイラは、臨時に設置された救護室へと向かい、ベルに謝罪とお礼を告げた。


『あたしの本気に応えてくれたのですから、誰がブライスさんを責めれるというのですか? それに……いずれはあたしがブライスさんへ引導を渡しますから』

『ブライスさん、そんなに罪をあがないたいなら、僕がより苦しむ方法で拷問してやってもいいですよ?』


 ベルは気持ちのいい笑顔で対応してくれたが、ルシアンはそれから数日間、口を聞いてくれなかった。


 ヨハンは【ミーリスの大地】のふところの深さに只々、感謝をするばかりだった。





 セグナクト王国の英雄——ブライス・ザンドには数多の呼び名がある。

 英雄ブライス、虚槍ブライス、嘘つきブライス、最高の槍術士……そのどれもが正しく、間違いだ。


 彼の本当の名は——ヨハン。ただのヨハンだ。

 

 そして本当のブライスは、ヨハンだけの英雄だ。

 

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