幕間〜ラクシャク〜

束の間の休息〜ミーリス家〜


 リルベス併合についての詳細な会議をするに当たり、アウル・リルベスの合流を待つのみとなったミーリス領の面々は、束の間の休息を楽しんでいた。


 ラクシャクの経営状況を話し合っていたルシアンとエドワードは、マリーダの提案で王都から出店された料理店へと連れ出された。


「二人とこうしてラクシャクを歩くのは、久しぶりな気がします」

「そうだな……十年ぶりかもしれないな」

「私はあの頃からルシアンを養子にしたかったのに、エドがどうしてもダメって言ってたのよ?」


 久しぶりに他愛のない会話をしながら、ゆっくりとした足取りでラクシャクを練り歩く。

 市民達と挨拶を交わしながら、目に映る商業地区の風景は、確実にルシアンの目指す理想郷へと近づいている。

 シビネ料理と魔物喫茶の相乗効果は凄まじく、外領からの来訪者や移住者が増えたことで、空き店舗が埋まりつつあり、いくつかの大きな宿屋も増設されていた。

 今回向かっている『ミート・ザ・キッチン』という料理店も、元々は王都で人気な肉料理店の連鎖店であり、本店はバルドルの行きつけとなっていた店だ。

 ウルスラの報告によれば、ガルバの魔物喫茶との合同料理なども計画しているらしく、更なる利益が生まれる可能性を秘めているとのことだった。


「すごい……素晴らしい発展の仕方だ……」

「そうだな……誰に似たのか、彼女達の働き方にはいつも驚かされる」

「……僕に似たと言いたいのなら、元は父上のせいですね。僕は父上に似たのですから」

「まぁ! ふふっ……随分と達者な口ですね? いい歳のルシアン?」


 言葉遊びをしようと珍しく言い返したルシアンは、マリーダの失礼な言葉に黙らされる。


(相変わらずひどい年齢いじりだ……父上達が見た目で僕の年齢を決めたのに……。だいたい四十のジジババのくせに若々しい二人の方が、よっぽどいい歳こいてるじゃないか!)


 口に出すとマリーダが怖かったので、心の内で愚痴っている間に、新しくラクシャクに出店された肉料理店へと到着した。


「お待ちしておりました。ミーリス家の皆様!」

「ふむ。よろしく頼む」


 店内に入るとあらかじめ連絡しておいたのか、店長らしき人がかしこまり、丁寧な所作で個室へと案内された。


「僕は鹿肉のステーキにします」

「……ステーキとはなんだ?」

「ただの炙り肉です……でもすごく美味しいですよ」

「ルシアンが食に興味を持つとは珍しいな。では私も同じものにしよう」

「じゃあ私もそれにしようかしら!」


 珍しく食に興味を持ったルシアンの様子に、よほどの美味を期待したのか、両親も同様にステーキを注文した。

 幼い頃からなんでも食べてきたルシアンにとっては、腹が満たされるのであれば、味はどうでもいいというのが食に対する考え方だった。

 

 しかしその感覚も最近は変わりつつある。


 親しい人間と過ごす食事の時間は楽しく、その料理が美味しければ、さらに充実した幸福感を味わえると知ったからだ。


「……ただステーキは、注文してから少し時間がかかるのが難点ですね」

「……三十分は少し長いな」

「まぁまぁ少しお話しでもしましょう?」


 店員に注文した後で、ステーキについて説明していると、優しげな笑みを浮かべたマリーダが提案する。


「まぁ……ちょうどいいか」

「……何か話をするために、僕を誘ったのですか?」

「そうよ? 少し昔話でもしようと思ってねぇ」


 昔話——概ね廃太子となったことや、カイサス王やゼナードの話だろうと容易に想像できた。


「私と父が同じ志を持つ者だったのは、ある程度予測しているだろう?」

「はい」

「父はな……力で大陸を平定しようとした。それができるほどに苛烈で強靭なお方だからな」


 淡々と語りだしたエドワードは、昔を思い出すかのように瞳を閉じた。

「知る」という欲求が人一倍強いルシアンは、まるで英雄譚の裏側を聞かされているような気がして、ちゃっかり期待していた。


「だがな……そんな父もいつかは死ぬ。父がいなくなればどうなる……? 私はその恐怖に負けたのだ。私が王となった時に、力で制御された者たちの、爆発する不満を抑えれる自信がなかった。この目がそう確信していた」


「情けない話だろう?」と自嘲するような笑みを浮かべるエドワード。

 カイサス王は生粋の戦争屋だ。暴力の使い方の上手さという点で、右に出る者はいない。

 ナイラの支援があったとはいえ、大陸の全ての国を戦争によって平らげたにもかかわらず、セグナクト王国の被害は少ない。

 そしてゼナードもどちらかといえば、武に偏った人物だ。政治家としての功績よりも、戦争の指揮官として挙げてきた功績の方が数多くある。

 そんなやり方を続けた後に座る玉座は、エドワードにとっては、破滅への棺桶のようなものに感じたのかもしれない。


「私も若かった。力で従えるやり方は、そう長くは続かないと……だから知恵を絞り、できるだけ平等な形で平定するべきだと、いかにも若造らしいことを宣っていたよ」


 今のルシアンにも、その言葉がどれほど甘ったれた考えなのかはわかる。

 それが実現できるならば、若かりしエドワードの目指す形が理想といえるが、人の世はそんな簡単なものではない。


「民には少しの恐怖を与え続けなければ、どこまでも欲望のままに増長し、獣へと成ってしまうことを理解していなかった……いやそもそもこの広大な大陸を、支配し続けることなど不可能なのだ」


 完全に同意できる。

 暴力で支配すれば、いずれ溜まりに溜まった不満が爆発する。

 寛容に甘やかせば、今のナクファムのように欲に溺れた愚か者が生み出される。

 その分量の正解を導き出せた者は、いまだかつて存在しない。

 いずれ腐り、滅び、また新しく創造される。

 人類が長き時を繰り返してきたことだ。


「……父も老いた。近いうちにゼナードが王となるだろう。あの男は、私たちに国を興させる可能性すらあるだろうな……さて、ルシアン。君はどう考える?」


 静かな問いかけ。

 軽くも重くもない、なんでもないような普通の問いかけ方だった。


「簡単なことです。目の前のやるべきことをやるだけ、ただそれだけでいいと思います」


 それに応えるようにルシアンも、なんでもないような軽い口調で答えた。


「ふふっ……『賢人』の言葉とは到底思えないな。しかしそう言われると、そうだなとしか思わないな……」

「私たちはそう考えれるようになるまでに、すごーく長い時間がかかりましたからねぇ」


 人は神にはなれない。

 この世の全てを掌握しようなどと、傲慢を通り越してただの力量を見誤った愚か者だ。

 誰にも正解がわからず、まだ見ぬ未来に対する期待も恐怖もあるが、突き進まなければならない。

 これは民の姿から学んだ。教えてくれたのだ。


「僕は慕ってくる者達を背負うと決めました。できるだけ賢く、時に愚直に、一歩ずつ前進するしかないでしょう。もし失敗した時は……その時はみんなで土下座でもしましょう! どうせ誰にも答えなんてわからないんだから」


 ミーリス男爵家の嫡子となってから、幾度となく考えて出た答えが、「考えるだけ無駄。予測すらできない恐怖に怯える暇があるなら、さっさと体を動かせ」と全く賢さを感じない結論が出た。


「そうだな……」

「いやだわぁ。なにか急に歳を感じるわぁ」

「失礼しますっ! ご注文いただいたステーキです」

 

 昔話がひと段落ついたところで、ちょうどよくステーキが運ばれてくる。

 あまりにも完璧な頃合いに、チラリと店員を見ると、視線がカチ合い、生温かい眼差しを向けられる。


 これから真面目な話をする時は、絶対に屋敷でしようと心に決めて、目の前の炙り肉と向き合った。

 

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