39話 弟士
セグナクト暦元年、十一ノ月、ラクシャクへと帰還するルシアンは、ポータを引き取るために、バルドルの奴隷商店にやってきた。
「師匠ッ! お待ちしてました!」
「元気そうで何よりだよ!」
店内に入り、受付で身請けの手続きを行なっていると、奥からなんとも言えない表情のバルドルと笑顔のポータがやってくる。
「ルシアン……本当に人たらしだな」
「……最近僕も、何かに取り憑かれてるんじゃないかと思ってきたよ」
「ポータも幸せそうだし、別にかまわねぇけどよ。無理はすんなよ」
「バルドルは心配性だねぇ……それにすぐにまた会うことになるでしょ?」
ポータの頭をガシガシと撫でながら、心配してくるバルドルの姿に、ニヤニヤすることを隠すこともなく、ルシアンは言葉を返した。
リルベス併合には、大量の労働力が必要になる。その際にバルドルには、やる気のある奴隷を労働力として連れてきてもらう予定だ。
奴隷達にはミーリス家から給料を支払って、ついでにミーリス領内の様子を見てもらう。
そして領都ラクシャクを気に入った者がいれば、ポータとルシアンの生徒として、身請けするという下心もあった。
「まぁな! それとポータの適性検査も済ませておいたぞ……」
「……どうだった?」
「それがな……『弟士』だ。これまた聞いたことない適性だったぞ」
「弟子じゃなくて……弟士……なるほどね」
てっきり自身と同じ『教育者』の適性であると踏んでいたルシアンは、弟士という適性について数瞬、思考して大体の予想をつけた。
——師事した人物の適性を模倣するのではないか?
ポータの賢さや知識の吸収力から察するに、ルシアンと同じような適性であることは、火を見るより明らかである。
弟士——弟子の一文字違いであり、ポータの師を盲目的に慕う姿からも、この予想が当たっている可能性は高い。
そう結論づけたルシアンは、ポータに最終確認を取った。
「ポータ……本当に僕が師匠でいいの?」
「えっ!? なんでですか? 僕は師匠の……ルシアン様のようになりたいんです! 本心です!」
これまで黙って待っていたポータは、その瞳に狂信者の盲信を宿らせて、力強く言い切った。
「そ、そっか……改めてよろしくね!」
「はいっ! どこまででもお供します!」
小柄なポータは戦闘系の適性は向いていないだろうが、それ以外の適性ならば選び放題だ。
しかしルシアンの『教育者』を選び取った。
「おい……おめぇ何をしたら気弱だった男が、あんな風に狂っちまうんだよ」
「知らない……何も知らない。僕はただ算術を教えてただけだよ」
訝しげな視線を向けたバルドルが、ヒソヒソと話しかけてきたが、その答えはルシアンの方が知りたかった。
ポータで四人目の生徒になるが、全員が悉く狂い散らかしているのは、意味がわからなかった。
ルシアンの資質ではなく『教育者』という適性のせいにしたかった。
「まぁ、長く引き止めて悪りぃからな。ポータのこともナイラのこともよろしくな……ルシアン」
「……うん! 次はバルドルだからね!」
「バルドル様、ありがとうございました! 師匠はルシアン様ですけど、僕の救世主様はバルドル様です!」
ルシアンとポータの言葉を受けたバルドルは、一瞬顔をくしゃっと歪めた後、すぐに背を向けて歩き出した。
(僕はもうナクファムを恨んでもないし、バルドルとナイラに執着もしてない。でも——二人を癒してくれる場所を創るのは僕だ! 僕の発展は! 改革は! 幸福の理想郷を創ることなんだから!)
バルドルの後ろ姿を見送り、金貨三枚を支払ったルシアンは、ナイラ達と合流すべくポータを伴って、店を後にした。
◇
ナイラ達との待ち合わせ場所である、馬車乗り場についてすぐにポータは捕まった。
「えーかわいいー! ルシアンよりかわいいー! ほーらお姉ちゃんだよー? ポータくん?」
「えっ……あの……し、ししょー……」
突然、ナイラに頭を撫でられて、助けを求めるポータの声が聞こえるが、ルシアンは猛獣を宥めるのに必死だった。
「ナイラッ……クソッ! オレは英雄だってのに……なんでこんな……オレのナイラが……クソクソッ!」
「落ち着いてください! ブライスさん? なんか腕がすごく太くなってますけど? 抑えてください!」
夫婦というのは、片方がイカれていたら片方はまともであると思っていたが、この夫婦はどちらともイカれていた。
ルシアンとポータには、このイカれ夫婦と五日間の馬車の旅が待っている。
「あー馬車きたよー! ほらーいくよーブライス!」
「ナイラ……勘弁してよ」
ミーリス領行きの馬車が到着したことで、ようやく地獄のような時間が終わったが、残されたのはぐったりしたポータと、犬のようにナイラにすがる英雄ブライスだった。
やはり悠々自適なナイラは世界最強の女だった。
「いやーごめんごめん。でもボクからしたら、十一年ぶりのラクシャクだよー? 気分も上がっちゃうよー!」
「だとしても、暴れすぎだよ……もうブライスさん犬みたいになってるし……」
馬車に乗り込んでからのブライスは、頭を撫でられながら、窓の外を眺めるだけの存在と化していた。
「ポータくんだよね? 改めてよろしくねー! ボクがナイラで……こっちが夫のブライスだよー!」
「よ、よろしくお願いします! 偉大な発明家のナイラ様と英雄ブライス様に会えて光栄です!」
あれだけ弄ばれたというのに、礼儀正しく挨拶するポータの精神力に拍手を送りたかった。
「これからは、ただの田舎のお姉さんだよー? ルシアンのお手伝いくらいはするけどねー!」
「……ありがとう。心強いよ!」
リルベス併合は、ミーリスにとって未だかつてないほどの大きな改革となる。
ミーリス家の面々はもちろんのこと、慕ってくれる民やバルドルとナイラ、それにブライスの力も借りることも考えていた。
ナイラの口から直接、支援の言葉を聞けるのは、とてもありがたいことだった。
「それにしても、騎士を見せ物にするなんて悪いことどこで覚えてきたのー?」
ナイラは軽い口調で聞いてきたが、ルシアンはブライスの身体が、ぴくりと反応したことに気づいていた。
「言い方は悪いけどね……僕は騎士団の軍事訓練を綺麗だなってずっと思ってたんだよ」
「……綺麗?」
「ナイラは見たことある? 整列から行進、陣形の組み方や戦い方……その全ての所作が美しいんだよ? 僕は戦争も騎士も嫌いだったけど、あの姿には心を動かされたんだ」
「……不死身のくせにいいこと言うじゃねーか」
王国の神器であるブライスも思うことがあったのか、首をぐりんっと捻って、二カッと爽やかな笑顔を見せた。
「そんな騎士団を指揮してたのが、アウルさんだったんだ……もったいないでしょ? その美しさや力強さを、命を奪うために使うんじゃなくて、人々を魅了するために使えたら最高じゃない?」
「ふふっ……ルシアンらしいね!」
「そう言うことなら……オレも手伝ってやるよ」
「し、師匠! 僕もいます!」
騎士の決闘を見せ物にした賭博都市——そう表現したら、耳心地は良くないかも知れないが、実際に殺し合うわけではなく、あくまで競技として観客を楽しませるというものだ。
これはミーリス領となるリルベスの復興だけが、目的ではない。人間ならば誰もが持つ残虐性や闘争本能を、定期的に満たす役割も含まれる。
「うん……やっぱりルシアンならやれそうな気がするよ! ボク達のやり方とは違う……ありのままの改革が」
「……違うよナイラ。僕が違うやり方を取れるのは、ナイラやゼナードさんが、失敗したってことを教えてくれた、おかげでもあるんだよ?」
「へへっ……ルシアンのくせに……でもありがとう」
成功の裏には、数多の失敗がつきものであるにも関わらず、統治者とは、失敗が許されないという矛盾を抱えている。
あれほど憎んでいたナクファムから学んだのだ。
バルドルに見守られ、ナイラに浄化され、ゼナードから真実を聞き、アウルとポータの痛みを知った。
——だからこそ自信を持って言うことができる。
「僕はミーリス領をナクファムを支えれるような、癒しの場所——幸福の理想郷を創り上げるよ。もう十分だよ。みんな頑張って……みんな傷ついた。だからその傷をミーリス領で癒してあげるんだ!」
辺境の地へと向かう小さな馬車の狭い空間で、ルシアンは静かに——けれども力強く、三人に宣言した。
(これからやるべきことは絶えない。でも僕の元にはたくさんの優秀な人間がいる! 僕は止まらないし、目を逸らさない! 僕なりの理想郷を創りあげるその日までは……)
馬車の窓から吹き込む風は、冬の訪れを知らせるかのように冷たかったが、湧き上がる情熱で熱くなった身体には心地良かった。
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