妖精達の小噺〜アーシェ〜


 ——ルシアンがもうすぐ帰ってくる。


 その報せを受けたミーリス家の面々は、皆同様にソワソワする気持ちを隠すことができていないようだった。

 もちろんルシアンの婚約者である三人も例外ではなく、別館のアーシェの部屋で作戦会議——愛に狂った者達の集いを行っていた。


「先生まだかなぁ……早く会いたいよぉ」

「手紙もまた少なくなったな」

「二人はもう限界なのですか? 私は明るく輝けますよ? 私はルシアン様の『太陽』ですから!」


 一時期は別館に深淵を生み出していた三人の闇は、ある時期に突然増えたルシアンの手紙によって、浄化されていた。


「あたしはルシアンの『大地』だけどな! ルシアンの全てを受け止める母なる大地だ!」

「ふーん。でも『花』には勝てないよぉ? 太陽は花を咲かせるために輝いてるし、大地の上に花は咲くもん」


 ここ最近で幾度となく行われたやり取りだ。

 

 アーシェが受け取った大量の手紙の内容は、他人に教えれないほど、ねっとりとした欲望と愛情が込められていたが、ルシアンの『太陽』であるということだけは、皆に言いふらした。

 それに対抗するようにベルは『大地』と、ウルスラは『花』であると主張をしている。


「それにぃ……アーシェは先生が浮気してるって断定してたしぃ? 私は信じてたもん!」

「……ウルスラはメソメソ泣いて、存在しない浮気相手を殺そうとしてたくせによく言えたな! 長姉のあたしだけは冷静だったぞ!」


 悔しいことにアーシェは、何も言い返すことができなかった。今思い返してみても、冷静ではなかった。

 愛するルシアンの浮気を疑うどころか、帰ってきたら薬漬けにして、二度とよそ見をしないように、長い期間をかけて監禁するつもりだったのだから。


「そうだ……ベルちゃんに渡しておいた興奮薬は返してくださいね? アレはすっごく危険なモノですから」

「……いやだ」

「うっわぁ……ほんとに先生に鳴かされるの好きなんだねぇ……警備隊のみんなが知ったら泣いちゃうよぉ?」


 薬の返却を拒否するベルを、ウルスラがいつものように揶揄っていたが、二人が我慢の限界だということをアーシェは知っている。

 キャミソールと短パン——パジャマと呼ばれている寝巻きを身につけている二人は、いつもルシアンにつけられた痕跡を見せびらかしていた。

 しかし今では、ベルの腹や太ももにあった噛み跡や手形はなくなり、ウルスラの胸元にあった吸い跡も無くなっている。

 ルシアンの痕跡がなくなって寂しい気持ちは、理解ができる。アーシェもルシアンの味を忘れつつあるからだ。


「手紙の内容から察するに、ルシアン様はお疲れでしょう。その薬はこらしめるためにつくったものですから、かなり効力が強いです。帰還して早々にそんなものを使ってしまったら、嫌われてしまうかもしれませんよ?」

「……わ、わかった……でもルシアンの許可が出た時は、また作って欲しい……」


 ルシアンがベルのことを嫌うなど、想像もつかなかったが、お得意の脅迫でなんとか納得させることができた。


「アーシェも酷いこと口にするよねぇ? 先生から嫌われるなんて……うわ……ほらぁ口に出しただけで鳥肌立ってきたよぉ」

「……ありえない。あたしたちはルシアンが留守の間、頑張ったんだ……きっと褒めてくれるはずだ……」


 ウルスラの言う通り、酷いことを言った自覚はあった。現にアーシェの脅迫がかなり効いたのか、ベルは少し濁った瞳でぶつぶつと呟いていた。


 しかしベルが言っていることも間違いではない。


 アーシェ達がラクシャクに来て約五ヶ月の時が経ち、ミーリス領は爆発的な発展を遂げたと言ってもいい。

 ルシアンの下準備が素晴らしかったこともあり、魔物喫茶と美容効果のあるシビネ料理の組み合わせは、前代未聞の賑わいを見せている。

 すでに前年度の三倍の収益が出ており、まだまだ伸びる可能性を秘めていると、ミーリス家の定例会でホクホク顔のエドワードが語っていた。


「そうですね! ですがラクシャクのために頑張った私たちが、帰ってきたルシアン様を、癒して差し上げたらどうなるでしょう?」

「私たちが甘えるのを我慢して、癒してあげるってことぉ?」

「ど、どうなるんだ……」


 アーシェはルシアンを薬漬けにして、無理矢理閉じ込めるのはやめたが、また新たな作戦を考えていた。


「——メロメロです!」

「……めろめろぉ? 何言ってるのぉ?」

「……アーシェって時々、賢いのか阿呆なのかわからない時があるよね……」


 ドヤ顔のアーシェに浴びせられたのは、あまりにも失礼な言葉達だった。

 

 アーシェは理解していた。おそらくベルもウルスラもルシアンは、すでにメロメロ状態であると主張したいのだろうと。

 そんなことはアーシェも理解しているが、今回の王都出張で味わった寂しさを埋めるためには、どこまでも愛の沼に沈んでもらわなければ、満足できなかった。


「……いいですか? ルシアン様は強い女が好きです。そして私たちのことを、狂おしいほどに愛してます。」

「うんうん! そうだよねぇ?」


 甘えたがりのウルスラは、満足そうに可憐な笑顔を見せていたが、妄想が得意なベルは少し理解したのか、黙り込んで歪んだ笑みを浮かべていた。


「ではもう一度聞きます。そんな女達が甘えるより先に、お疲れのルシアン様の心と体を癒して差し上げたら、どうなるでしょう?」

「……二度とあたし達の沼から這い上がれなくなるだろうな……主導権を取れる可能性すらある」

「それってぇ……なんでもありってことぉ?」


 察しの良いベルの言葉を聞いて、ウルスラも完全に理解したのか、小悪魔というよりは魔女のようないやらしい笑みがにじみ出ていた。


 目先の快楽を生贄にして、さらに我慢することで、後の大きな権利を手に入れる。そうした後で、愛しいルシアンをぐちゃぐちゃにとろけさせればいい。


「……アーシェが味方で良かった」

「ほんとだよぉ……先生の取り合いになってたら殺すしかなかったかもぉ」


 二人の賛辞を受け止めながら、アーシェは久しぶりに感じる胸の熱さに、舌なめずりをして酔いしれていた。


(ルシアン様は天性の人たらしです……本人にその気はなくても、今後勘違いした愚かな女が現れるかもしれません……その時に強く断ることができるくらい、私たちに依存させなければなりません)


 この作戦は全て、アーシェの臆病さから生まれたものだった。

 シビネ料理を生み出し、メリックの薬局を引き継ぎ、教育施設にある植物園の管理をしているアーシェは、ルシアンの婚約者という点を抜きにしても、すでにミーリス領の要人と言える。

 ラクシャク市民からも慕われて、お金も溜まっていく一方で、もはや農家の雑用をしていた奴隷だったと言っても、誰も信じないほどに強く美しく成長している。

 しかしアーシェは地位も名誉も興味がなく、物欲や俗物的な感覚も生まれてこなかった。あるのはただ一つだけだった。


 ——ルシアンだけは誰にも渡さない。


 それだけは誰よりも、強い欲望を持っていると自覚していた。ルシアンの全てを舐めまわし、味わっている時だけはかわいた心を潤してくれる。

 情けない声を抑えるルシアンを眺め、愛の言葉を交わし、体を重ねている時に幸福を実感できるのだ。

 それを守るためには、他所の女に付け入る隙など与えてはならない。

 ルシアンにはもっと盲目的に、イカれ狂った愛の沼に溺れ沈んでもらわなければ、安心ができなかった。


「……アーシェのその顔怖いからやめてよ。多分あたしもうルシアンより強いのに……怖いんだけど」

「宝石みたいに綺麗な青い瞳なのに、なんでそんなに暗くなるのぉ? 何人かってるぅ?」


 いつのまにか脳内で、ルシアンをぐちゃぐちゃにしていたアーシェは、両手で顔を隠して深呼吸を数回した。


 深く肺に吸い込んだ空気は、なぜか愛するルシアンの味がした。

 

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